第23話 無明の層シャトルラン
「オルテか……どうした? いきなり大声をあげて近づいてくるなど。……何かあったのか?」
アロンは、耳をつんざくような絶叫を浴びせられたというのに、まるで遠くで犬が吠えたのを聞いたかのような無関心さで問い返した。
「何かあったのかはこっちのセリフだ!! なんでお前らがここにいる!? まさか……もう攻略したのか!?」
オルテの目は、驚愕と、そして微かな「奇跡」への期待に血走っていた。
だが、アロンから返ってきたのは、その期待を物理的に粉砕する無慈悲な一言だった。
「いや……少々疲れてな。一階層を探索して帰ってきたところだ」
「…………一階層で……帰ってきた? ……なんで?」
オルテの思考が停止する。数秒の沈黙の後、絞り出すような声が漏れた。
「なぜも何も言ったじゃないか。疲れた、と」
「疲れた? ……一階層だけでか!?」
オルテの問いに、アロンの目がスッと細くなった。
温度のない、威圧的な視線。
「おい。今、うちの副リーダーを馬鹿にするような発言をしたか?」
「馬鹿にって…………は?」
「私も聞こえたぞ、アロン。この男、私のことを『一階層で体力が尽きる赤子レベルの馬鹿女』だと罵倒した」
「言ってねえよ!!!」
アロンとリンカの、もはや芸術的とも言える「被害妄想のコンビネーション」に、オルテのツッコミが炸裂した。
「なんだよ疲れたって! どういうことだよ!! あとなんでその女は当たり前のように背負われてるんだよ!!!」
「何度も言わせるな。副リーダーの体力がゼロになったから帰ってきた。それ以上の理由が必要か?」
「ゼロだから背負ってもらっている。当然の権利だ」
「なんだそのドヤ顔は!? 背負われてる奴がしていい顔じゃねえだろ!?」
リンカの清々しいまでの厚かましさに、オルテは開いた口が塞がらない。
「つーか、第一層で体力ゼロって……嘘だろ? 出る魔物も低レベルだし、まだ入り口の明かりだって差し込んでるんだぞ!?」
「……知らないのか? 私はな、ただ歩いているだけでも疲れるんだ。重力という名の暴力を、全身で受け止めているのだからな」
「辞めちまえ!! 冒険者!!!」
オルテの魂の叫びが、レストランのテラス席に虚しく響き渡った。
「まぁまぁまぁまぁまぁ!!!! ギルド長さんも落ち着いて!!!」
泡を吹いて倒れそうなオルテを、ミカが必死になだめる。
結局、攻略の報告(という名の愚痴の聞き役)は、レストランのテーブルで行われることになった。
もちろん────オルテの奢りで、だ。
それから、アロンたちの「無明の層シャトルラン」とでも呼ぶべき、異常な攻略が始まった。
一日一階層。
進んでは戻り、食べては寝て、また潜る。
だが、階層を重ねるごとに、ダンジョンはその牙を剥き出しにしていった。
魔物のランク、巧妙なトラップ、そして何よりも────「闇」。
「無明」の名の通り、そこは光を拒絶する世界だった。
通常のダンジョンなら光魔法で解決するはずの暗闇が、ここでは底なしの沼のように光を吸い込み、霧散させてしまう。
対抗策は、驚くほど単純で、そして原始的なものだった。
松明………
心許ない橙色の炎。
光魔法が理論的に封じられた空間において、唯一機能するのは「物理的な燃焼」による光源のみ。
だが、松明の明かりは数メートル先を照らすのが限界だ。
さらに、片手が塞がるという冒険者にとって致命的なハンデに加え、激しい動きをすれば火が消えるという制約まで課せられる。
効率と速度を重んじる現代の若手冒険者たちが、この「時代遅れの不自由」に耐えられず、次々と闇の露と消えていった。
無明の層で冒険者が帰ってこない説の一つに挙げられている。
階層が深まるにつれ、攻略時間は延び、精神と体力は削り取られていく。
そうして、ついにオルテが言う不可思議な壁があるとされる第七階層へ辿り着いた頃には────
第一層を初めて踏んだあの日から、すでに十日が経過していた。
松明の炎が、湿った闇を僅かに切り裂いていた。
第七階層……
無明の層が湛える『光の拒絶』は、ここではもはや物理的な圧力を伴って肌を刺す。
アロンの肩に乗せられたミカの視線は、ずっと、目の前で揺れる『光景』に釘付けだった。
「………ここが第7層ですか、より一層厳しそうですね」
ミカの声は、震える空気に飲まれるように小さかった。
だが、その前を行く男の背中は、微塵の揺らぎも見せない。
「そうだな……副リーダー、調子はどうだ?」
アロンが、肩越しに問いかける。
その声には、戦場を前にした緊張など欠片もなかった。
「ばっちりだ…ではそろそろ私も歩くとするか、下ろしていいぞ」
リンカの、どこか気だるげで、けれど凛とした声。
アロンは立ち止まると、その無骨な手でリンカの細い腰を支え、ゆっくりと地面へ下ろした。
十日間、ずっと見てきた光景。
だが、ミカの胸の内にある疑問は、ついに限界を超えて口から溢れ出した。
「前々から思ってましたけど、いちいち背負ったり下したりめんどくさくないですか? ずっと背負って攻略したらいいんじゃないですか?」
七階層の暗闇を探索しながら、ミカはアロンの背中に問いかけた。
無理もない……
リンカはいつも、未知の階層に足を踏み入れる瞬間だけは、自らの足で地面を踏む。
そして一度探索し終えた道を戻る時だけ、アロンの背にその身を預けるのだ。
体力がないなら、初めから背負われていればいい。
そうすれば、毎日わざわざ地上に戻る必要も、同じ道を何度も歩く必要もない。
ミカにとって、それはあまりに非効率で、理解不能な『無駄』に見えていた。
不意に、前を歩くリンカが足を止めた。
振り返った彼女の瞳には、松明の火に照らされて、昏い熱が宿っていた。
「お前は何か? 私が全部アロンに任せて、背中でグータラするだけの女だとでも言いたいのか?」
「………」
そうです……
と、言いたい。
喉元まで出かかったその言葉を、ミカは寸前のところで飲み込んだ。
それを言えば、まず間違いなく面倒なことになる。
この十日間、衣食住を共にしたミカには痛いほど分かっていた。
目の前を行くリンカという女。
その戦闘力、および体力は、ミカが今まで見てきた大人の中で断トツと言っていいほど……無い。
「私より弱い奴など赤ん坊くらいだ」
自ら放ったその言葉が、謙遜でも冗談でもなく、ただの無慈悲な事実であることをミカは思い知らされていた。
彼女は、圧倒的に弱い……
次回更新は火曜日です!
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