第2話 理想的ダンジョン攻略
初めてのパーティーでいざダンジョンへ
薄暗いダンジョンの内部は、外気よりもさらに湿っていて、少し肌寒かった。
岩肌むき出しの坑道に、ほの暗い魔導灯が等間隔に灯っている。苔と湿気と、微かに血のような匂いが混じった空気が、足音を吸い込んでいく。
「う、うわ……ダンジョンって、やっぱり入ると不気味というか……」
ヘリックは震え声でつぶやきながら、アロンとリンカの背中を数歩離れて追いかけている。
「安心しろ。俺がいる限り、すべては想定内だ」
そうして三人は、慎重でもなければ大胆でもない、妙に独特なペースでダンジョンの第一階層を一通り踏破した。
簡単なスライム系モンスターを数体退け、罠のない分かれ道を何度か引き返しながら、踏破率としては七割ほど。やろうと思えばこのまま次の階層へ進めるレベルだった。
────だが、突然。
「リンカ、疲れてないか?」
アロンが歩みを止め、後ろを振り返って訊ねた。
「普通に疲れてるぞ。暑いし、湿度が高い…ムシムシして気持ち悪い」
「……よし、今日の探索はここまでだ。撤収するぞ」
「え?」
ぽかんと目を丸くするヘリックに、アロンは真面目な顔で答えた。
「リンカが疲れたと言っているんだ。仕方あるまい」
「いや、あの……でも、まだ先も行けそうですし、何なら僕は……」
「ヘリック、君のやる気は素晴らしい。だが、優先すべきは副リーダーのコンディションだ。彼女が疲れているというなら、俺たちは帰る。明日のためにな」
きっぱりとした口調でそう言い切るアロンを、ヘリックはただただ困惑した顔で見つめるしかなかった。
────
───
──
ギルドの食堂は、夕方を迎えても賑わいが衰える気配を見せなかった。
冒険を終えた者たちが酒を煽り、愚痴と武勇伝を交互に叫んでいる。
その喧騒から少し離れた壁際のテーブル。アロン、リンカ、そしてヘリックの三人は、簡単な食事を囲んでいた。
角切り肉の煮込みと、乾いたパン。冒険の後の空腹には、じんわり染み渡る味だった。
「ふぅ…なんかようやくほっとしたって感じです」
匙を口に運びながら、ヘリックがふと漏らす。
「そうか…お前の動きは別に悪くなかったぞ、邪魔にもなっているわけではないしな」
アロンは悠然とした表情でスープをかき混ぜている。
「ありがとうございます…でも、一つお聞きしたい事が……今日は一階層だけ探索して終わりましたよね?あの……その…なぜ、あのまま進まなかったのでしょう……」
アロンはちらりと隣のリンカを見た。彼女はパンを口に運んだまま、小さく目を動かす。
「さっきも言ったが、リンカが“疲れた”と言ったからだ」
「本当にそれだけで……?」
「あぁ…パーティーメンバーの体調を第一に考えるのはリーダーとして当然のことだからな……俺の回復魔法を使えば体力を無理やり戻すこともできるんだが───」
その続きを待たず、リンカが低く口を開いた。
「その日の夜から3日間、全身筋肉痛で動けなくなった」
「えっ……」
「本当に、起き上がるのも困難だったからな。寝返りだけで泣きそうになったんだ」
「えぇ…それ回復じゃないですよ…それもう……拷問の一種じゃないですか」
ヘリックが目をまるくする。リンカは無言で、スプーンを持ったまま静かにうなずいた。
小さな沈黙。そのあとで、アロンがふと真顔になる。
「ヘリック」
「は、はい!」
「お前も俺のパーティーメンバーだ。だから一つ、言っておく」
その声にはいつもの冗談めいた余韻はなかった。
「疲れたら、疲れたと言え。キツければ、キツいと。体調が悪い、怖い、無理……何でもいい。正直に言え……遠慮も、気遣いも、嘘も、俺は嫌いなんだ」
言い切ったあとで、アロンはごく自然な動作でパンを手に取る。
ヘリックは返事もできず、ただ小さく瞬きをした。
その夜。宿の部屋に戻ったヘリックは、毛布を握ったまま顔をうずめて泣いた。
言葉のひとつひとつが、今も頭の中に響いている。
疲れたって、言っていいんだ────
そんな当たり前のことを、誰かに初めて許された気がしたのだった。
それからというもの、アロンたちのダンジョン攻略は実に“平和”だった。
階層ごとに少しずつ進み、無理はせず、疲れたら帰る。
魔物はアロンがさくっと処理し、リンカが地図を整えて記録し、ヘリックは…荷物を運んだり、たまに壁にぶつかったりしていた。
アロンに言わせれば『実に理想的なダンジョン攻略』だった。
────
───
──
そして、その日。
いよいよダンジョンの中層──第五階層──へ踏み入れる日がやってきた。
新調したランタンと簡易マントを手に、三人は石階段をゆっくりと下っていく。空気は一段と冷たく、壁面の苔は光を反射せず黒ずんで見えた。
「あの…今日こそちょっと活躍してみようと思うんです!」
ヘリックがぎこちない笑顔で息を弾ませる。
アロンが腕を組み、うむとうなずいた。
「うん、頑張ってくれ…それが空回りしない事を祈ろう」
「よろしくお願いします!」
そんなやりとりも板についてきた頃、彼らは第五階層の床に足を下ろした。
───パチッ。
石を踏みしめたとき、小さな音が響いた。
次の瞬間、床下の魔法陣が淡く光を放ち、足元が崩れ落ちる。
「え」
「なっ───」
言葉を発する間もなく、三人の足元は虚空へと変わった。
ドゴォォォォォン!
反射的に、アロンの腕が横へ伸びる。
「リンカ!!」
ためらいもなく、彼は隣のリンカの腕を掴み、身を寄せる事でアロンの身体が先に落下するように回転させる……が、自身の体のバランスを崩れる。
轟音を上げて、三人は遥か下層へと叩き落ちていく────
---
ドガアアァァン!
凄まじい衝撃音と共に、三人の体は厚い岩盤を突き破って落ちた。
暗闇に飲まれ、重力に弄ばれ、何がどうなっているのかも分からないまま───
ズシャアアッ!
硬質な地面に叩きつけられ、石片が弾け飛ぶ。
まず動いたのは、ヘリックだった。
「かはっ……げほっ……!」
咳き込みながら上体を起こす。目の前にあるのは、砕けた床と、静まりかえった薄紫の光。視界の端、仰向けに倒れたリンカの長い茶髪がかすかに揺れていた。
「リ、リンカ……さん……!? アロンさん……!」
二人とも、目を閉じたまま、呼吸だけが細く上下していた。
衝撃により気を失っている。会話も、指一本の動きもない。
そのときだった。
ズシン……と地鳴りのような震動が辺りに響いた。
「────ッ!」
ヘリックが頭を上げると、そこには信じがたいものがあった。
体高およそ三メートルはあろうかという巨獣。
四肢には鋭く湾曲した鉤爪、全身を覆う漆黒の外殻、眼孔は六つ。
呼吸をするたびに、空気がぬるりと粘ついて伝わってくる。
「そ、そんな…ボス……っ……!?」
魔物は、倒れたアロンとリンカへ向かって一歩、また一歩と近づいていく。
その巨体が放つ圧迫感は、まるで“死そのもの”の擬人化のようだった。
震えた。膝が笑った。
思考の隙間から逃げ出したいという声が何度も叫んでいた。
でも。
「……や、やめろ……っ……彼らに……彼らに触れるなああああぁッ!」
喉が焼けるように叫び、ヘリックは杖を構える。
詠唱はできなかった。
集中も保てなかった。
そのくせ、体だけは勝手に突っ込んでいった。
「うわああああああああっ!!」
飛びかかり、杖を振り下ろす……が、
────カンッ!
反射的に打ち返された。杖は真っ二つに折れ、身体が弾かれる。
「ぐっ……が、ああ……っ!」
地面に転がりながら、肩口が熱い。血が吹き出ていた。
すぐに立ち上がろうとして、足がもつれる。それでも、崩れた体を腕だけで支えて、前に進もうとする。
魔物は、こちらを一瞥しただけだった。
「ふ、ふざけんなよ……!無視するな……見ろよ……!」
掠れた声で怒鳴る。
全身が痛かった。視界がぶれて、涙でにじんでいた。
「僕は……何もできないって言われてきた……役立たずって、ダメヘリックって、みんな笑ってた……!それでも……!」
血を吐きながら、魔物の前に立ちはだかる。
「アロンさんと、リンカさんは……!僕を“仲間”だって言ってくれたんだ……!パーティーに、誘ってくれたんだ……!!」
崩れかけた脚を、無理やり地面に固定する。
「この2人だけは……僕が、死んでも……絶対に、守るって決めたんだよぉおおおおおっ!!」
────その瞬間だった。
周囲の空気が爆ぜた。
へリックが動く────
この「覚醒」がどこへ辿り着くのか?
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