第三章 二
昼間とはうって変わって、ひんやりとした空気が辺りを包んでいる。夕食を終えたわたしは、兵舎テントを支えるポールにもたれ、夜の空気を味わっていた。太陽が姿を隠してからのこの時間は、心身ともに落ち着きを取り戻せる貴重なひとときだ。今日のような月のない夜は空が数えきれない星で埋めつくされる。
後方基地と違って敵地に限りなく近いFOBでは、夜は照明も落とされている。街の方角に曳光弾の光が線になって見えるたりする以外、兵舎を出れば真っ暗だ。基地の裏手にヘリの簡易発着所があるが、彼らも、平常時には点灯させる認識ライトは使わず、ナイトビジョンで確認して発着している。その場合、振動や音だけが聞こえるが、いまはその時間でもなかった。
ニューヨークにいた頃は、星などビルや街燈のあいだに目を凝らしてやっとひとつふたつ見つけられるかどうかだったが、ここへ来てからは夜が楽しみのひとつになった。青、白、赤、ひとつとしておなじものがなく、飛沫のような粒子が不規則にかたまっていたりするものもある。その下にいると、日々の雑多な感情など、いいことも悪いことも、ぜんぶ星々に吸収されていくようで気が楽になる。
背後から光が差し、振り返るとロドリゲスがいた。手に持った一二オンス(三五〇ミリリットル)缶をあおり勢いよく息をついたところでわたしに気付いたようだ。
「アーニーじゃねえか。なにやってんだこんなところで」
上機嫌にわたしを見下ろす目がもたついたように赤くなっている。
「ボブか」
わたしが言うとロドリゲスは満足そうに頷いた。
イスラム教国ではアルコールを口にすることは認められていない。基地内も例外ではないが、ボブはいつもどこかから酒を調達してくる。バドワイザー缶から、ヘネシーやジャックダニエルズ、この前など見たこともない銘柄のテキーラまで出してきてロドリゲスを喜ばせていた。原則禁止のアルコールも中隊長の裁量によって変わるという噂を聞いたことがある。他中隊に融通をきかせてくれる友人でもあるのか、それとも目を盗んで掠めてくるのか、そこのところをボブは誰にも明かそうとはしない。
まだ何本か残ってるかもしれない、と踵を返そうとしたところを押しとどめると、ロドリゲスはそうだったと立ち止まった。
わたしは酒が好きではない。父の記憶から、酔って前後がなくなることに嫌悪感があったし、アルコール独特の臭いや、水分を奪われた体が翌日まで内側からかさかさしたようになるのも不快だった。いつだったかボブに勧められたとき、それらの理由を一度に説明しかね、酒の風味が好きではないと言うと、「風味なんぞは酒じゃなくても味わえるだろ」と一蹴された。
誰かが吐き捨てた噛みタバコがあり、腰を下ろそうとしていたロドリゲスが尻をあげて反対側に移動する。ビールをまた呷ると、兵舎からもれた灯りに至福の表情が浮かびあがる。顔全体が大づくりで、左右に伸び上がった口角や心地よさそうに下がった目尻など、彼が笑うと大地そのものが笑っているようで、そんなときは、砂嵐以外に変化をみせることのないいまいましい快晴も、本来のさわやかさを取り戻すように感じられた。
砂嚢と鉄条網のバリケードを隔てた向こうには砂漠が広がっている。何十キロも東に行けば、なんとかという巨大な湖につき当たるらしいが、目の前には光源のなにもない地平線が、黒く粘土のように横たわっているだけだった。足元で何か動き、見るとサソリがいた。思わず飛びのいたが、ロドリゲスは腰を下ろしたまま立ち上がりもせずわたしを見て笑った。
「こいつらも暑かったんだろうよ」
子供の手ぐらいの平らなやつで、黒い体が暗がりに白く浮かんでいた。
「黄色とか薄茶色のやつがやばいんだ。万一刺したってブーツまでは貫けねえよ」
サソリはわたしやロドリゲスには見向きもせず、タイヤの下の闇に消えていった。
「サソリか。メキシコを思い出すな」
「メキシコにもこんな砂漠があるのか」
「おれんとこの砂漠はもっと赤い。岩とかサボテンとかでごつごつしてるんだが、雰囲気がな。メキシコでも夜は気温がぐっと下がる」
ゆっくりと空を仰いだロドリゲスの顔よりも太い首筋が白く浮かび上がっている。ヒスパニック特有のはっきりと濃い眉と黒々とした眼が下がると、こちらの気分もほころんでくる。
「家族はみんな合衆国にいるのか」
「入隊して収入が安定したのをみて、おやじもお袋もこっちに呼び寄せたからな。残ってるのはおやじ方のじいさんだけだ。いまもメキシコで鶏や牛といっしょに暮らしてるよ」
今年で六十七になるという祖父だけがメキシコを離れるのを嫌がっているという。ロドリゲスの三人の子供は彼のひ孫になるわけだが、早婚の多い彼らには珍いことではない。
ロドリゲスの家はアステカ族のなんとかという部族の純粋な系列だという。部族の言葉を話す数少ない生き残りのひとりである祖父には、小さいころ伝説や歌をきかせてもらっていた。牧場を経営する家には二百匹の鶏がおり、ロドリゲスも小さいころから手伝いをしていた。鶏の卵は毎朝、肉は頃合いを見て街へ売りに行く。鶏は求められればその場で血抜きをし捌いて渡すこともあった。合衆国で食肉加工工場の仕事を選んだのもその経験を生かせると思ったからだという。
「ヒヨコってえと、みんな小さい黄色の丸っこいのを想像するみたいだが、そんなのはほんの一週間だけだ。一か月もすりゃあ羽が生え代わって四か月後には立派な成鶏になる。白い羽毛は太陽に反射すると貴族のローブみたいだし、茶色や黒のぴんと立った尾っぽなんか女の髪みたいにつやつやだ」
後で写真を見せてやる、気に入ったのがあれば分けてやってもいいと言うロドリゲスに感謝だけ述べ、そんなに丹精込めてたんならさぞいい客もついていただろうとたずねると、ロドリゲスの顔が曇った。
いま、ロドリゲスのような家族経営の農家はどこも経営難だという。いつからか増え始めた大規模な工場制畜産のせいで、市場価格が急激に下がりはじめたのが原因だ。少ないコストで大量の利益を生みだす畜産工場の登場で、ロドリゲスら家族経営の農家は生計を立てていくこともできなくなった。そのうち工場から、規模を拡大するため、ロドリゲスら小規模農場経営者を土地と引き換えに雇い入れるという話が持ち掛けられた。賃金は街の二倍ほどもあった。父は悪い話ではないと言ったが、祖父が頑強に反対し、その話はなくなった。そのうち父や兄たちが出稼ぎに出、ロドリゲスもハイスクールを卒業すると街の工場に勤めたが、そのころから街にはテキサス、ニューメキシコの工場や農場の求人広告が見られるようになった。賃金はメキシコの十倍近くの金額が提示されており、半信半疑だったが、やがて合衆国に渡った友人からそれを裏付ける話がもたらされるようになると、ロドリゲスを含む多くの若者が国境を越えていった。
「そのころ女房の腹には長男ができてた。なによりも家族を食わせないとことにはどうにもならねえ」
祖父だけがいまでも牧場を守って細々と暮らしてるという。昔からの買い手がいくつかあるが、それでは家族全員を養っていくことはできないとロドリゲスは言った。
合衆国の基地にいたころ、海外送金窓口に出向くロドリゲスを見たことがある。
基地では家賃や光熱費の心配をする必要がない。そのため、髪型から軍服まで規則づくめの生活の反動で、わたしたちの給料はほとんど酒か女、タトゥーといった刹那的なことに費やされるが、そのどれにもロドリゲスが手を出しているのを見たことがなかった。イラクに派遣直前、数ヶ月間だけ滞在したハワイやオキナワで、みんなが観光やバーに繰り出したりする中、ロドリゲスは基地内のビーチで泳ぐか、夜はジムに籠り疲れたら寝るという健康的な生活を送っていた。クウェートからイラクに入ってからも、行軍と単調なトレーニング、塹壕掘りの繰り返しの毎日で、その退屈と鬱憤をカードゲームで晴らしたりしていたわたしたちの隣で、ロドリゲスだけは黙々と麻袋に砂を詰めた錘を上げ下げしたり、仮造りの鉄棒で懸垂をしたりしていた。
合衆国軍入隊のために必要な永住権は、食肉加工会社にいたときに取得したという。通常、市民権の申請資格は永住権を取得後五年経たないと得られないが、軍歴ができると二年に短縮されるという。
故郷のメキシコに帰らないのかとたずねたわたしに、ロドリゲスは何かを考え込むように空を仰ぎ、それはたぶんないと答え、いまは祖父をどうやって呼び寄せるか考えているところだと言った。
「来年には市民権を申請できるし、そうすれば大統領選の選挙にも行けるようになる。合衆国に来ておれは家族を一人前に食わせれられるようになった。いまおれが味わっている自由をこの国のやつらにも分けてやれたらいいと思うよ」
2004年、イラク戦争が舞台のフィクションです。
アメリカ在住時に退役現役軍人の方々への取材をもとに、兵士の目線で現代の「戦争」を描いてみました。面白いと思ってくれた方は、評価やブックマークをしていただけると励みになります。




