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第二章 二

「これぁ……」

 ハンビーを降り先頭を歩いていたボブが足を止めた。あらかじめ割り出されていた民家は精確に破壊されていた。幅一メートルほどの小道の反対側では何事もなかったように住宅の壁越しにヤシのが揺れているが、対象となった区画の土壁は煉瓦の形がわからなくなるほど粉砕され、コンクリートの壁は吹き飛ばされて鉄筋や配線がむき出しになっている。この攻撃痕はAC130によるものだろう。輸送機C130に二〇ミリバルカン砲やGBU44誘導弾を搭載した改良型のAC130は、地上部隊を掩護する局地制圧用攻撃機として頼もしい威力を備えている。

 比較的裕福な家の集まるB地区に来るのは初めてだった。各家の敷地は広く、高い外壁は白やクリーム色に塗装されており、壁から覗く建物にも、街のモスクと似たような装飾が施されていた。静かというより、生活音がまったくないのは住民がほとんどいないからだ。街の治安が悪化し始めると、金に余裕のある住民は早々に他の街や隣国に脱出する。放棄された民家は抵抗勢力の格好の拠点になる。

 道路では車が黒焦げになって止まっていた。タイヤのゴムの焼ける臭いがしたが、その部分は煤だらけのホイールだけが残り、タクシーか乗用車かの判断もつかなかった。かろうじて閉じているボンネットには大きな隙間が生じ、ドアも外れかけていた。

 ボンネットにある無数の弾痕の大きさから、五〇口径の重機関銃だとわかる。窓ガラスはすべて吹き飛んでおり、運転席と助手席に黒炭のようになった死体があった。運転手は運転席ごと後ろに薙ぎ倒されていた。助手席の人物も両腕がもげた状態でシートに体が釘付けのようになっている。開いた口から白い歯が覗いているほかは、赤黒い塊になっていた。われわれのハンビーに搭載されているブローニングも五〇口径だが、ルーフにも同様の弾痕があることから空からの攻撃によるものだとわかる。逃げようとしたところを、AC130と共に出動していた武装ヘリに前方から掃射されたのだろう。

「へっ、いいざまじゃねえかこのハジ野郎が」

 ボブが唾を吐いた。ハジとは本来ムスリムの言葉で、メッカの巡礼を終えた者を指す尊称だが、わたしたちはこの言葉を、住民や抵抗勢力たちすべてのムスリムを指す手軽な総称として使用していた。ボブが蹴りを入れるとドアが落ち、衝撃で運転席の死体の頭部がもげて転がり落ちた。

「うわっ、やめろよなあ。爆弾でも仕掛けてあったらどうすんだよ」

 片足をあげてフィグが飛びのいた。

「昨日の今日でいつ仕掛けるってんだよ、それにその張本人はこうやって黒焦げだ」

 ボブは頭を力任せに踏みつぶした。頭は乾いた音を立てて砕けた。ボブは何かを思い出したように何度も踏みつけた。

 目標の家はほとんど家屋の原形をとどめていなかった。玄関から半分はすっかり消え、中央の部屋が丸見えになっている。二階へ続く階段と壁の断面が、医療用CTスキャンの断層画像のように剥き出しになっていた。

 無数の弾痕がついた壁はすすで真っ黒だった。中庭とおぼしき小さな敷地には、破壊を免れたナツメヤシの木が一本、忘れられたように伸びていた。それにもたれるようにして、この家の住人なのか、チャドルとよばれる黒い布で全身を覆った女が途方にくれたように座り込んでいた。

 女はわたしたちを見つけると立ち上がり、この世の終わりのようにむせび泣きながら何かを訴えはじめた。女がいちばん近くにいたステイシーに向かって来たとき、AK47の銃撃がステイシーをかすめ、女の背中がはげしく仰け反った。

「敵の銃撃(コンタクト)、三時の方向」

 崩壊した家屋に飛び込みながら、ステイシーが二〇メートルほど離れた隣の民家へM16を放った。

 女はうつ伏せに倒れていた。二つあるうち右側の窓に人影が見え、屋根からもAK47の銃撃があった。茂みのそばにいたフィグが門柱の陰に飛び込んだ直後、その茂みがずたずたになった。ロドリゲスのM240軽機関銃が屋根の一部ごと射手を粉々にしたが、別の方向から飛んできた銃弾が、女のすぐそばの地面を抉った。女の体がかすかに動いた。死んだと思っていたが生きているようだ。わたしは銃撃の合間を見計らって飛び出すと、女を肩に担ぎ、もう片方の手でM16を射ちながら家屋に飛び込んだ。

 キッチンとおぼしき部屋では、ステイシーがシンクの上でガラスの砕けた窓枠からM16で狙いを定めていた。フォークやスプーンの入った引き出しがぶら下がり、床にはガラスの破片に混じってお玉や鍋、アルミ缶から飛び出た小麦粉のようなものが散乱している。

 女が呻き声をあげた。弾は抜けているが肺をやられているようだ。壁際に横たわらせてからも、痛みに顔をゆがめ、わたしたちを責め立てるようにおなじ言葉を繰り返し続けている。

 隣家の抵抗勢力は休むことなく銃撃を浴びせ続けてくる。その規模から少なくとも六、七人はいるようだった。大した人数ではないが、壁や塀をほとんど破壊された家屋に身を隠すこちらとしては骨が折れる。

 聞き覚えのある銃声が聞こえた。いまのはアキラのSAM-R(分隊上級射手ライフル)だ。騒ぎに気付いた小隊が隣家に攻撃を加えはじめていた。河岸にホワイト中尉率いる残り部隊が展開しているのが見えた。

「気付くのが遅えんだよ、ホワイトの間抜けが」

 ボブが吐き捨てながらM16を撃ち込んで屋根の一人を倒し、アキラのSAM-Rがこちら側の死角に隠れていた敵を仕留めた。

 アキラは少し特殊なマークスマンという役割を担っている。彼らの仕事は射程八〇〇メートル以内の精密射撃だ。精密射撃といえば狙撃手だが、通常、単独で小隊に配置される狙撃手に対し、マークスマンはわれわれ歩兵と行動を共にしている。射程一〇〇〇メートルを越える狙撃銃はボルトアクションで大口径の弾薬を使用するが、彼らが使用するSAM-Rは、オートマチックで弾薬もM16と同口径の五・五六ミリを用いる。彼らはいま一〇〇メートルと離れていない距離にいるが、あの位置からならこちらの死角もじゅうぶんカバーしてくれる。

 それにしても抵抗勢力どもは昨日の爆撃の中をどうやって生き延びたのだろうか。運よく爆撃から逃れることができてもターゲットの周囲には二〇ミリ機関砲やヘルファイアを備えたコブラやカイオワ攻撃ヘリが旋回していたはずだ。それにいつも積極的にわたしたちを狙いにくる抵抗勢力たちが、まるで家を守ろうとでもするように隣家にたてこもったまま攻撃してきている。

 家屋の壁の一部が崩れ落ちた。わたしたちが身を隠している方にも亀裂が生じ始めており、これが崩れると、わたしたちの姿は完全に向こうに曝されてしまう。小隊の援護でこちらへの攻撃は大幅に減ったものの、隣家からはしつこく銃撃が続いていた。

「二階から狙ってみよう」

 ロドリゲスがフィグをともなって半壊した階段を駆け上がった。階段も二階もほぼ剥き出しだが、一部の壁は無傷で窓には白いカーテンまで揺れている。駆け上がる彼らの横をAK47がかすめた。ステイシーがシンクの上から撃ち返しているが、相手は完全に身を隠しながら撃ってきており、その前にはヤシの木も茂っていて視界がききにくい。

 角度を変えるため移動しようとしたとき何かが足に引っかかった。見ると、女がわたしのマーパットの裾を掴んでいた。哀願するような眼が潤いをおびて光っている。無数に刻まれた深い皺で女が年老いていることが分かった。

 激しく咳込みながらおなじ言葉を繰り返している。それは理解不能ながら、なぜ我が家をめちゃくちゃにしたのかという呪いのように聞こえた。掴んだ手を引き剥がそうとしたが老女の力とは思えないほど強く、無理やり引っ張ると体ごとこちらに倒れ、叫び声をあげてまた喚き始めた。

「うるせえぞアーニー! そいつを静かにさせろ」 

 ボブが怒鳴った。

「何て言ってるんだ、わからない。わからないんだったら」

 ロドリゲスたちは無事二階に上がったようだが、わたしの焦りは怒りに変わっていった。言葉がわからなくてもわたしたちのようすを見れば自分の言っていることを理解していないことぐらいわかるはずだ。なぜこうも相手の立場を無視した振る舞いができるのか。わたしは女の胸倉を掴んでいた。

「いい加減にしろ! ここはお前の家だろう、こんなにされるのが嫌なら、なぜやつらに手なんか貸したんだ」

 そのとき誰かがわたしの名を呼んだ。振り向くと、フォックスが頭を低くしながらこちらへにじり寄ってきた。

「女の怪我を見よう」

 わたしは思わずチャドルから手を放した。チャドルにあいた黒々とした穴。女が咳込むと、泡になった血が噴き出し、口からも血が飛び出した。もう少しでわたしはこの女を殴るところだった。わたしを見上げる女の眸は濃い茶色をしていた。

 フォックスは身を低くしたまま救急キットを取り出すと手当てを始めた。その間も女は先ほどとおなじ言葉を訴え続け、今度はフォックスの腕をつかんだ。

「わかったよ。わかったから、静かに。喋るんじゃない」

 そしてフォックスがアラビア語で何か言うと女の口調が落ち着いた。母親の腕の中で聞き分けのよくなった赤ん坊のように静かになった。

 「アラビア語がわかるのか」

 フォックスは上目でわたしを見ると肩をすくめた。

 隣家の二階の一部がはじけ飛んだ。別分隊のM203グリネードランチャーだ。粉々になった日干し煉瓦やコンクリートと一緒に落下する白いディスターシャが見えた。そこめがけて二階のロドリゲスたちが銃撃を加えたが、庭のヤシの後ろに身を隠してしまった。女から解放されたわたしは、より視界の効きやすい位置へ移動するとM16の照準を定めた。ヤシの陰からAK47と白いディスターシャが覗いたとき、引き金を引き絞った。

 指に伝わるなめらかな衝撃に、からだが正しい位置に引き戻されたようだった。爽快感と強烈な懐かしさに泣きたくなる。ディスターシャがはじけたように翻って倒れた。その直後、別の方向からAK47が撃ちだされ、わたしは壁に身を引っ込めた。

 あと一人。銃撃はやはり二階の別の窓からで、外を固めるアキラたちからも届かないようだ。もうすぐ突入の準備が整うと無線が入ったが、壁の亀裂は先ほどより目に見えて大きくなっており、細かい破片がしきりに剥がれ落ちてきている。二階に向けて照準を覗き続けたが十分な角度は得られない。わたしは窓に足を掛けると庭に飛び出した。要するに相手より先に弾をぶち込めばいいのだ。

「アーニー!」

 ステイシーの声と、苛立ったようなボブの怒号とともに援護射撃が飛んだ。

 庭には主だった障害物はない。新鮮な視界にうれしくなったわたしは、照準を二階の窓に定め相手の姿が現れるのを待った。窓に影が揺らいだすぐ後に鋭い風圧が頬をかすめ、ブーツの脇の地面が抉れたが、当たる気はしなかった。土埃の向こうに照準を絞り込むごとに意識は鮮明になり、強張っていた肩や呼吸が鎮まっていく。久しぶりの感覚に体の奥からよろこびが込みあげる。意識はどこまでも澄み渡っていた。引き金にかけた指からグリップを包む手の平がひとつになる。窓枠に再び影が揺らいだとき、ゆっくり引金を引くと、ひとすじの糸は弧を描きながら標的へ向かう。その景色をわたしはこの世でいちばん美しいと思う。

 影が跳ね上がり、カフィエがひらめくのが見えた。AK47の銃撃がなくなった。

「やった。すげえ!」

 歓声をあげ、フィグが二階から飛び降りて駆けてきた。

「無茶なことしやがるぜまったく」

 キッチンの窓からボブとステイシーが這い出てきた。河辺から鳥の声が聞こえる。隣家は爆撃の後のように静まり返っていた。壁が思い出したように音を立てて崩れ落ちた。

 手の中のグリップの硬さが先ほどの出来事を伝えていた。本当に久ぶりだった。時間も場所も痛みも忘れて、わたしは朝陽を浴びた草のように新鮮な幸福を感じていた。


「しかし久しぶりだな。軍曹がいたときはあんなまねできなかったからな」

 ステイシーがハンドルに手を掛けながら言った。

 ハンビーに戻るころには陽は西に傾き始めていた。それにしても、爆撃の後になぜあれだけの数の抵抗勢力が残っていたのだろう。小隊長にたずねても、抵抗勢力は全員片付けたのだし、終わった事に時間を無駄に費やしている暇があったら先のことを考えろと言われただけだった。

 基地への帰路、フィグは興奮したようすでしきりにわたしの行動を賛嘆した。

「これからはずっと見られるんだな」

 うれしげに言ったフィグにボブが反論した。

「なに言ってんだ。新兵じゃあるまいし、あんな無防備に体をさらして、撃ってくれって言ってるようなもんだ。危なっかしいったらねえぜ」

「そりゃそうかもしれないけどさ。いままでずっと無事だったんだからな」

「だからってこれからもそうとは限らねえだろ。そんな不確かなもんを頼りにしてる余裕はおれたちにはねえんだからな」

 ボブはわたしの顔に指をつきつけた。たしかにそのとおりだった。M16にはセミオート(単発)のほかにフルオート(連射)、もしくはバースト(三連発)の切り替えがある。わたしの撃ち方はセミオートしか使わないもので、さらに十分な視界が得られないと、さっきのように飛び出してしまうことがあった。軍曹がいたころは、死にたくなかったらそんなバカみたいな撃ち方はやめろと言われていた。

 フルオートはわたしに言わせれば弾の無駄だった。敵に撃たせる隙を与えないという点は同意できるが、連続して撃ち出したところで、ターゲットが照準から外れれば毎分八百発の速さも意味がない。たとえ単発でもちゃんとした箇所に撃ち込むことができれば、じゅうぶん敵を無力化できる。一発を確実にヒットさせるほうが射撃の理にかなっているように思えたし、弾倉を余分に持ち運ばなくてすむぶん身軽に動ける。なにより戦っているという実感がある。

 やられる前にやる。という教義の軍曹にとって、わたしのやり方はさぞ目障りだったろう。見つかるときまって罵声が飛んできたので、わたしも自然と自粛するようになっていた。常にフルオートで撃ちまくるというやり方は、いまではもう癖みたいにわたしたちのからだに染みついているが、なつかしい風に吹かれたみたいに思い出した。ボブの言うように、それでわたしが負傷したり死んだりして、仲間を守れなくなるのはいやだったが、このやり方で弾を食らったことは一度もないし、今後もそんなことはないだろう。それは、いまここでこうして生きているわたしの体が裏付けている。

「でも、おれアーニーがああやって撃つところを見るの好きなんだ。天国みたいにまっすぐで、腹の底から自信が湧いてくる」

 フィグがボブをはばかるように耳うちした。

 基地に到着し、装備を片付けて兵舎に戻る途中、フォックスがハンビーに再び乗り込もうとしているのが見えた。

「なにをやってるんです」

「ちょっとさっきの家へ、気になることがあってね」

「また戻ろうってんですか? 今日の任務はもう終わってるんですよ」

 フォックスはわたしには目もくれず、肩にかけていたM4を助手席に投げ入れた。

 基地を出るときは最低でもハンビー二台以上でなければならないという決まりがある。まして単身で乗り込むなど、抵抗勢力だけでなく、われわれを憎む住民の恰好の標的になる。運良く戻れたとしても、それが上に明るみになればわたしたちまでただでは済まない。わたしは慌ててヘルメットを被り直した。

「夕暮れ前には戻るよ」

 フォックスは運転席に乗り込みドアを閉めた。

 むちゃくちゃだ。究極的に自分勝手な性格なのか、一人で手柄を立ててヒーローにでもなろうとしているんなら救いようのない馬鹿だ。あるいはこいつは、前線でしばしば見られる戦闘狂の一人なのかもしれない。小隊を全滅させたというボブの話が頭をよぎり、わたしの苛立ちは頂点に達した。

「行方不明になられて捜索するハメになるのはおれたちなんだからな」

「その心配はない」

 エンジンキーに手を伸ばそうとしていたフォックスが初めてわたしを見た。フォックスの眸は哀しみを水底に湛えた泉のような、深い青色をしていた。

「何か聞かれても知らないと言えばいい。おれが勝手にやっていることだからな。二時間後には戻る。だがもし帰らなければ、わたしの{認識票|ドッグ・タグ}は気が向いたときにでも回収しに来てくれればいい」

 わたしは何も言えなくなった。それは純粋な望みという以外、わたしを欺こうとか丸めこもうとかいった気配は微塵も含まれていなかった。一か月ぶりの出動による緊張と疲労のせいか、優男の想定外の言動にまんまと取り込まれたようでひどく納得がいかない。

「とにかく、ちょっと待って下さい」

 片付けた装備を取り直して戻ったが、ハンビーはどこにも見当たらなかった。

イラク戦争が舞台のフィクションです。

アメリカ在住時に退役現役軍人の方々への取材をもとに、兵士の目線で現代の「戦争」を描いてみました。面白いと思ってくれた方は、評価やブックマークをしていただけると励みになります。

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