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第五章 三

 夢を見た。

 絶え間なく列車が滑り込む地下鉄のホームで、わたしはどこに行こうとしているのかわからなくなっていた。人々が排水溝へ落ちていく水のように、開閉するドアに吸い込まれていく。それは列車が到着するたびに繰り返されていた。

 気付くとわたしは列車の中にいた。屋根や車両の仕切りはいつの間にか消え、まわりの乗客とともにジェットコースターさながら、加速する列車から振り落とされないよう必死にしがみついていた。しばらくすると、その速さが心地よく思えてきた。このスピードになにもかもゆだねてしまえばいいだけなのかもしれない。眠るようにその速さに溶け込んでいこうとしたとき、聞き覚えのある弦の音が聞こえてきた。風に吹かれる葦のような旋律はアジーズだとわかった。結婚式で演奏すると言っていたが、それにしてはもの悲しすぎる。そう思ったとき目が覚めた。

 昼食後ベッドに横になったまま眠り込んでしまっていたようだ。音は兵舎の外から聞こえていた。出ていくと、兵舎に隣接するランドリー用のプレハブの前でアジーズがいつかとおなじ楽器を抱えて座っているのが見えた。たしかウードという名前だ。アジーズはわたしに気付いて微笑んだ。

 いまはちょうど兵舎で洗濯物を集めている時間だ。そばのカートが空になっているところを見ると、洗濯物はランドリーで回しているところなのだろう。マーパットをひっかけずに出てきたせいで、半袖から下の剥き出しの腕に太陽光がじりじりと照りつける。取りに戻ろうかと思ったが、離れるあいだに演奏が終わってしまいそうな気がしてしばらくじっと聞いていた。

 茶色く節くれ立ったアジーズの指から流れるように音が生みだされていく。少し難解だがノスタルジックでもの悲しい旋律が響く。わたしは再び、結婚式にしては暗すぎると思ったが、これが彼らの伝統なのかもしれないと口は出さなかった。そういえば結婚式はまだなのだろうか。わたしが聞くとアジースは首を振っただけで、弦に指を合わせ始めた。

 襟からのぞくアジーズの首筋が日に焼けて光っている。長い腕には薄いディスターシャ越しに硬い筋肉が浮いていた。引き締まったいい腕をしている。徴兵制の名残か、それとも洗濯業という何百人もの人間の洗濯物を一手に引き受ける職業の賜物なのかもしれない。よく考えてみれば大変な力仕事だが、いつもひとりでこなしている。洗濯業はここに来る以前からだと聞いたことがあるが、家族はいないのだろうか。

 空が飲みこまれたような低い轟音に、ウードの音が聞こえなくなった。見上げるとAC130が頭上を横切って街のほうへ飛んでいった。現在出動中の小隊の応援だろう。

「あんたは乗らないのか」

 アジーズが顔を上げる。

「乗らないってAC130にか」

 アジーズは「バーン、バーン」と言って銃を構えるまねをする。「上から敵をたくさんやっつける。爆弾落とす」

「上から爆弾を落とすのは空軍の仕事だよ。おれは歩兵だからな」

 アジーズにはわかりやすく空軍といったが、厳密に言えばわれわれ海兵隊は陸海空すべての面で他軍に頼らずとも即時展開できるよう戦闘機や輸送機など一通りは配備している。空の仕事が花形なのは軍隊でも変わらないし、いっぺんに手っ取り早く敵を片付けられるのは便利で羨ましくもあるが、わたしには興味がなかった。

「おれたち歩兵の仕事はこの銃で目の前の敵をやっつけることだよ」

 目を細めわたしを見上げていたアジーズは、満足そうに微笑んで再びウードに手を添わせた。

2004年、イラク戦争が舞台のフィクションです。

アメリカ在住時に退役現役軍人の方々への取材をもとに、兵士の目線で現代の「戦争」を描いてみました。面白いと思ってくれた方は、評価やブックマークをしていただけると励みになります。

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