第五章 一
「違う?」
SAM-Rの部品を広げてクリーニングをしていたアキラがわたしを見上げた。
ムスタファのクラスを重ねるにつれ、あいさつや簡単な単語ならほぼ正確に発音でき、聞き取りもずいぶんできるようになってきた。別の言語で話すのは、例えば使い慣れた筆を取り上げられた絵描きが、手触りも書き心地も異なる筆で続きを描かされるようなものだ。言語が変わると身振りや態度まで変わってしまう。母国語ではうまく表現できずにいたものが驚くほど容易に表現できることがある一方で、本来伝えようとしていた目的とは別の仕上がりになってしまうこともあった。話すほどに別の人間になっていくような感覚に、わたしは相手が自分とは異質だと感じさせる要素の大部分は言葉にあるのではないかと感じるようになった。
「この小隊でアジアンはアキラひとりだろ。自分の母国語と違う言葉を話すおれたちのことをどう思ってるのかと思って。なんていうか、違うって感じたことはないか」
ロドリゲスのように英語以外の母国語を持つ者は何人かいるが、英語とおなじヨーロッパ言語以外を母国語とするのはアキラだけだった。アキラはなぜいまになってそんなことを聞くのかわからないという顔をしたが、
「さあな、おれの英語は中途半端なままだからな。だがいまのところ軍の任務に支障はねえし、あとはおまえらと馬鹿話してるぐらいだしな」
と言って笑った。
小隊で顔を合わせたとき、初めて見るアジア人にフィグなどはどぎまぎしていたようだ。その名が子供の頃に流行った日本のサイバーパンクアニメとおなじと知ってからは、オズワルトやステイシーも飛びついた。映画に出てきた近未来型のバイクの話題で興奮を高めた三人が、映画のタイトルは主人公の名をとったものだ、いや主人公は別の名でタイトルは超能力者の名前だといいはじめた。正確な答えを求めて詰め寄った三人を前に、映画をいちども観たことがなかったアキラの困惑した顔を覚えている。
「違うといえば」アキラが顔をあげた。「ニューヨークにいる頃、ばあさんに道を聞かれたんだ。なんてことない黒人のばあさんなんだけど、おれの説明にばあさんが難しい顔をするたびに怖くなるんだ。単に説明を聞き逃さないようにしてるだけだってことぐらいわかるんだけど、何か叱られてるような気分でさ。チャイナタウンで見るアジア人のばあさんならどうってことないんだけどな。けどそれ以外だとどうもダメなんだ。まあ合衆国に来るまでずっとアジア人しか見てこなかったからかもしれないが。合衆国にはずいぶん長くいるがその感覚だけはなくならないな。それを取り除くには、そのばあさんと友達になるところまでいかなきゃならならねえんだ」
わたしにはわからない感覚だった。それはわたしが人種と民族が混在するニューヨークという土地で育ったせいなのかもしれない。だとしたら日本という比較的限定された民族と人種の中でしか育ったことのないアキラは、とても損をしているのではないだろうか。
だが、正確だと思っていたアラビア語が通じていなかったと知ってから、なんの疑問ももたず頼りにしてきた物差しや基準といったものは案外いい加減なものなのかもしれないと感じ始めていたわたしにとって、アキラの話もそれを裏付けているようで落ち着かない気持ちになった。
「じゃあおれのことも怖いのか、フィグやアーニーのことも」
いつの間にかそばで聞いていたステイシーが不満げに言ったが、「何か月おまえらとここでクソして寝てると思ってんだ」
アキラは笑った。SAM-Rを組み立てる手を止めて言った。
「だけどそのとき、なんとなくわかったんだ。やっぱりおれはアジアンなんだなってな。あたりまえのことかもしれないけど、なんだか世界は一つじゃないってわかったみたいで、ほっとしてうれしかったよ」
そう言って笑うと、日焼けしたアジア人特有の張りのあるなめらかな頬に海兵隊特有の線が入った。実年齢よりはるかに若く見える面差しがムスタファの幼い笑顔と重なり、アラブ人はもしかするとアジアにより濃いつながりがあるのかもしれないと思った。
「こんなこともある」アキラは言った。「ニューヨークの郊外に遊びに行ったときなんだが、おなじ州とは思えないくらい緑がひしめいていて空気もすごくきれいなんだ。だけど落ち着かなかった。なんていうか親近感がないんだ。いい天気なのに森に一歩入ると暗くて寒いし、あまりに深くて、景色の中に閉じ込められてしまうような、一度入ったら出てこられないんじゃないかっていうようなさ」
ステイシーは同調しかねるように眉間に皺を寄せた。故郷のジョージアの森を思い出しているのだろう。アキラが言った。
「おまえらからすれば変わりないかもしれないがな。それに合衆国はおまえらの育った土地だ。でもおまえが日本の森を見たらきっとおれとおなじように思うだろうよ。いや、おまえならそんなふうには感じないかなステイシー。違っていてもおなじ森なんだからな。けどおれはそう感じたんだ」
見たこともない異国の森を思い浮かべようと、ステイシーは眉間に皺をよせ、腕を組んで天井を上目に振り仰いでいる。その隣で、わたしは日頃の苛立ちや、この国をどうしても好きになれない理由がなんとなくわかったような気がした。
2004年、イラク戦争が舞台のフィクションです。
アメリカ在住時に退役現役軍人の方々への取材をもとに、兵士の目線で現代の「戦争」を描いてみました。面白いと思ってくれた方は、評価やブックマークをしていただけると励みになります。




