【第9話:土の貯蔵庫(アースオーブン)と「地下核シェルター」】
高台の自滅をよそに、黒谷の食生活はさらに進化します。
今回は、美味しいパンを焼くための「窯」と食料保存庫のDIY。
しかし、その掘削規模が尾根の上からは不穏に映り……。
自家製の瑞々しい野菜、そして警察官たちをも一瞬で虜にした
黄金の絶品ベーコン。
これだけの極上食材が揃えば、
人間の欲望が次の贅沢へと向かうのは極めて自然な流れだった。
「鉄蔵さん、これだけ美味いおかずがあるなら、
やっぱり主食にもこだわりたいですよね。
それこそ、焼きたての香ばしいパンとか」
「ほう、パンか。いいな。
だが、うちにはオーブンなんてハイカラなもんはないぞ」
「なければ作ればいいんです。
僕らの日曜大工を甘く見てもらっちゃ困りますよ」
桐生が不敵に笑うと、鉄蔵も「違いない」と快く応じた。
二人が目をつけたのは、裏庭の隅にある粘土質の豊かな土壌だった。
桐生はバケツに汲んだ水と細かく刻んだ藁を土に混ぜ合わせ、
手足で何度も踏み固めていく。
「藁を入れることでひび割れを防ぎ、
土の保温性を極限まで高めるんです」
そう言いながら、
粘土をドーム状に積み上げて即席の「アースオーブン(土のパン窯)」の
骨組みを築いていく。
さらに、桐生の計画はそれだけに留まらなかった。
「冬の野菜や、鉄蔵さんが漬けた大事な漬物樽。
これらを凍らせずに一定の温度で長期保存するため、
このオーブンの下を大きく掘り下げて、
地下の温度が安定する貯蔵庫も一緒に作りましょう」
「なるほどな。穴掘りなら俺の十八番だ」
こうして、夜の帳が下りる頃には、
裏庭で二人の豪快な土木作業が始まっていた。
ヘッドライトの明かりが妖しく揺れる中、
鉄蔵は手慣れたクワさばきで「ガン! ガン!」と
小気味よい音を立てて硬い地面を猛烈な勢いで掘り進めていく。
その掘削能力は、老人のそれとは到底思えないほど凄まじいものだった。
掘り出された大量の土砂が山をなす横で、
桐生は裏山から切り出してきた頑丈な丸太を加工し、
素早く梁を組んで地下空間に固定していく。
「これで崩落対策は万全です!
素晴らしい土の貯蔵庫になりますよ!」
「おう、これで漬物もバッチリだな!」
二人にとっては、明日の美味しい食事とお手製の貯蔵庫のための、
ただただ楽しい深夜の大工仕事だった。
しかし、この深く、
頑丈に補強されながら拡大していく地下空洞の様子を、
尾根の上から高性能の暗視スコープで
血眼になって観察していた帝都アーバニティの調査員は、
恐怖で生唾を飲み込んだ。
緑色に染まるレンズの向こう側。
深夜、暗闇の中で激しく飛び散る土砂。
そして、都市工学の粋を集めたかのように整然と組まれていく、
丸太の強固な構造フレーム。
調査員は顔面を蒼白にさせ、
ガタガタと震える手で無線機のボタンを押した。
「金、金剛寺部長……!
緊急報告です!
谷底の地下組織が……とんでもないものを構築しています!」
「どうした!
音声会話は禁止のはずだろ、筆談しろ!」
「筆談なんて言ってる場合じゃありません!
桐生たちが、黒谷の地下に大規模な防空壕
……いや、丸太による耐震補強の堅固さから見て、
爆撃にも耐えうる『地下核シェルター』および
隠密要塞陣地を掘削しています!
これは間違いなく
……我が社との全面戦争の準備、あるいは数ヶ月に及ぶ
長期の籠城戦を想定しているのは確実です!!」
「な、何だとおぉぉっ!?」
高台の仮設オフィスで報告を受けた金剛寺部長は、
ガタガタと全身を激しく震わせた。
その衝撃で、デスクの上に置かれていたバブルの
栄華の象徴である、
数十万円の高級ブランデーのボトルが派手にひっくり返り、
琥珀色の液体が書類を容赦なく汚していく。
だが、金剛寺はそれを拭おうともしなかった。
「核シェルターだと……!?
あいつら、一体何を始める気だ……。
ニュータウンのライフラインを
麻痺させるだけじゃ飽き足らず、
街ごと我々を跡形もなく吹き飛ばす気か!?」
金剛寺は窓にすがりつき、
漆黒の谷底を見下ろして歯をガタガタと鳴らした。
地中からいつ世界の終わりが湧き出してくるか分からないという極限の恐怖が、
高台の幹部たちの脳髄を完全に破壊していた。
翌朝。
澄み渡る冬の朝の光が黒谷を優しく照らし出す。
完成したばかりの土のアースオーブンの中では、
薪の炎が心地よい熱気を放ち、
その奥でふっくらと膨らんだ自家製の丸パンが綺麗に並んでいた。
パチパチという薪の音とともに、焼き上がりの扉を開けると、
黒谷ベース一帯に、お腹を猛烈に刺激する小麦の香ばしい、
甘やかな香りが爆発的に広がった。
「よし、最高の焼き加減だ!」
桐生がミトンをはめた手で、
こんがりと黄金色に焼けたふっくら香ばしい出来立てのパンを取り出す。
鉄蔵がナイフを入れると、
パリッという素晴らしい音が響き、
中から真っ白な湯気が立ち上った。
そこへ、昨日完成したあのツヤツヤのベーコンを
贅沢に挟み、豪快に口へと運ぶ。
カリッ、ジュワァ……!
「外はカリカリ、中はモチモチで最高に美味いですね、鉄蔵さん!」
「おう、これならいくらでも食えるわ!
タダのオーブン万歳だな!」
二人は縁側に腰掛け、眩しい朝日に目を細めながら、
自分たちの手で生み出した最高の朝食を大笑いしながら堪能していた。
その頃、遥か頭上の高台では。
「いつだ……いつ全面戦争のカウントダウンがゼロになるんだ……」
一晩中、核攻撃の深読み恐怖に怯え続けた金剛寺をはじめとする
帝都アーバニティの幹部たちが、一睡もできぬまま、
目の下にドス黒いクマを作って、生きた心地のしない最悪の朝を迎えていた。
情報のギャップが生み出す大爆笑の勘違い神話は、
ただのパン窯を恐るべき終末兵器へと変貌させ、
黒谷ベースをさらなる「無敵の聖地」へと神格化していくのだった。
美味しいパンを焼くための穴が、まさかの核シェルター認定。
金剛寺たちの恐怖心はもう限界寸前です。
次回第1章の締めくくり!リンゴから作るシュワシュワの「お酒」が、ロケット燃料に大化けします!




