↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/19

【第18話:手作り石鹸と「環境浄化作戦」の誤解】

温泉が湧いて大賑わいの黒谷ベース。

今回は、温泉街に欠かせない「石鹸」をDIY。

エコ精神で作った100%天然の石鹸が、

なぜか化学戦の対抗手段に深読みされてしまいます。

地下から勢いよく噴き出した漆黒の黒湯温泉。

手作りの巨大な野天風呂が完成したことで、

最奥の谷底「黒谷ベース」は、


極寒の断水と大停電に震えていたニュータウン住民たちの救済の地として、

連日まるでお祭りのような大盛況を見せていた。


 しかし、その賑わいが絶頂を迎えた頃、誰よりもお人好しで、

同時に誰よりも繊細な観察眼を持つ桐生は、

湯船の傍らで新たな、そして看過できない問題に気づいていた。


 温泉の心地よさに歓喜した高台の住民たちが、

自宅の棚から持ち込んできた市販のきらびやかな高級シャンプーや、

海外製の合成洗剤を次々と使い始めたのだ。


彼らが体を洗うたびに、人工的な強い香料の匂いと共に、

白く不自然な化学物質の泡が、黒谷ベースの傍らを流れるあの澄み切った

小川へと流れ込んでいく。

冬の澄んだ水面が、油膜と泡でじわじわと濁り始めていた。


「うーん……。

せっかく大自然が恵んでくれた極上の温泉なのに、

これじゃあ黒谷の美しい川が汚れて、

お魚や山の生き物たちが住めなくなっちゃうな」


 桐生は小川の淀みを悲しげに見つめ、ぽつりと呟いた。

その隣で、湯上がりの煙管に火を点けていた鉄蔵が、

紫煙を燻らせながら呆れたように言った。


「だから言ったろ。

高台の文明にどっぷり浸かった連中は、目先の快適さのためなら、

足元の自然を平気で汚しちまうんだ。


いっそ『湯に入るなら身一つで洗うな』と

突っぱねちまえばいいのさ」


「いや、せっかく気持ちよくお風呂に入ってもらっているんですから。

それなら、環境に優しくて、

川に流れてもすぐに自然に還る石鹸を、

自分たちの手で今から作っちゃえばいいんですよ」


 桐生はおおらかな笑みを浮かべると、

さっそく鉄蔵を巻き込んでガレージへと向かった。


彼が目をつけたのは、鉄蔵の家の台所で何年も眠っていた、

真っ黒に酸化して使い古された古い天ぷら油の入った缶

――いわゆる「廃油」だった。


「桐生、そんな汚ねえ油の燃えカスが、

本当に石鹸になんのかよ?」


「大丈夫です、鉄蔵さん。

ここに、この前ロケットストーブを掃除したときに出た、

良質な薪の灰がありますよね」


 桐生は、薪の灰に水を注ぎ、丁寧に漉して強いアルカリ性を持つ

「木灰水(もくはいすい)」を抽出した。


それを大きな鉄鍋に入れ、集めてきた廃油と慎重に混ぜ合わせる。

ここからの作業には、じっくりとした根気が必要だった。


桐生は薪ストーブの柔らかな熱で鍋を湯煎にかけながら、

木製のヘラを使って、文字通りつきっきりでじわじわと

中身を練り上げていった。


油とアルカリが反応し、

ドロリとした飴色の不透明な液体へと変化していく。


「よし、そろそろ良い状態ですね。

あとは型に流し込んで、冷暗所で数週間、

じっくりと乾燥させれば完成です」


 そうして出来上がったのは、

決して市販品のように洗練された四角形でもなければ、

華やかな香料の匂いもしない、どこか無骨で無臭の、

茶褐色をした塊。


大自然の微生物の力によって百パーセント分解され、

小川の水質を一切損なうことのない「手作り黒谷無公害石鹸」の誕生であった。


 数週間後、桐生は完成した石鹸を、

野天風呂の入り口に置いた簡素な木箱の中に並べた。


そして、湯へと向かう住民たちに、

いつもの屈託のない笑顔でそれを一つずつ手渡していった。


「皆さん、こんにちは。

黒谷の美しい川を守るために、今日からは体を洗うときは、

この僕たちが作った手作りの石鹸を使ってくださいね。


泡立ちは少し控えめですけど、肌にはすごく優しいですから」


 住民たちは、手渡された妙に重みのある無骨な石鹸を

不思議そうに見つめながら、漆黒の湯船へと入っていった。


 湯気が立ち上る黒湯に浸かり、その手作り石鹸を手のひらで

転がしていた一人の男がいた。


彼は、高台の高級エリアに住む、

日本の高度経済成長を牽引してきた大手化学メーカーの

高名な主任研究員であった。


男が何気なく石鹸を濡らし、肌に滑らせた、その刹那だった。

彼はハッと目を見開き、息を呑んでその場に硬直した。


(な……なんだ、この感触は……!?)


 男は、己の皮膚に触れた泡の化学組成を、

長年の経験から直感的に理解した。


市販の洗剤のような、肌の脂分を根こそぎ奪う

冷酷な界面活性剤の感触が、これっぽっちも存在しない。


大地の油と木の灰、その純粋な天然成分だけが、

驚くほど滑らかに、そして完璧に肌の汚れだけを

包み込んで洗い流していく。


「間違いない……。

これは、そういうことだったのか……!」


 男は全身を震わせ、湯船から飛び起きると、

周囲の住民たちに向かって狂ったような熱量で大声を張り上げた。


「皆、聞くんだ!

私たちは今、桐生氏の驚くべき『防衛戦略』の

全貌を目の当たりにしている!」


「どうことですか、博士!?」


 突然の叫び声に、湯に浸かっていた住民たちが

一斉に男に注目する。


男は手の中の無骨な石鹸を、まるで聖物のように高く掲げた。


「あの帝都アーバニティが、我が社の住民を奪い返そうと、

今後どれほど卑劣な化学物質や都市の汚染物質を

この谷底にばら撒いてくるか分からない。


この石鹸は、合成化学物質を一切排除し、

大自然の純粋な循環系だけを利用して、

それらの外敵からの汚染をすべて無効化・中和するために

計算され尽くした『環境浄化作戦』の結晶なのだ!」


 男の、専門家ゆえのあまりにも理路整然とした大真面目な熱弁は、

湯気の立ち上る野天風呂を一瞬にして爆発的な興奮へと導いた。

エリート住民たちの脳内で、凄まじい深読みのシナリオが完成していく。


「……なるほど! 帝都アーバニティによる環境テロに対する、

非の打ち所がない対抗手段ということか!」


「ただ温泉を掘るだけでなく、その後の大企業の卑劣な報復まで予測して、

完璧な防壁を先手を打って構築していたなんて……。

桐生さん、どこまで恐ろしい軍師んだ……!」


 野天風呂は瞬く間に、桐生への圧倒的な大感動と崇拝の歓声に包まれた。


「いや、あの……本当にそんな大袈裟なものじゃなくて、

ただ川を汚したくなかったから、鉄蔵さんの家の

古い廃油を再利用しただけなんですけど……」


 温泉の軒先で、住民たちのあまりの熱狂ぶりに

置いてけぼりを食らった桐生が、両手を振って必死に弁明しようとした。


しかし、そのお人好しで素朴な呟きは、

脱衣所にまで響き渡る住民たちの熱烈な「桐生賛歌」の

大歓声にかき消されて、誰の耳にも届くことはなかった。


「……おい、環境の救世主様」 湯上がりに冷たい天然水を飲みながら、

鉄蔵がクスクスと意地の悪い笑い声を漏らした。


「ただの天ぷらの残り油で、あそこまで大企業の陰謀を

阻止したって騒がれる奴を、俺は初めて見たぜ」


「鉄蔵さん、本当にもう勘弁してください……」


 桐生は心底情けなさそうな声を上げ、

手の中の石鹸を見つめて深くため息をつくのだった。

ただの優しさが、巨大な反逆の要塞の壁を、また一枚厚くしていく。

環境に優しいエコ石鹸が、まさかの化学防護兵器扱いに。

住民たちの深読みはもう誰にも止められません。

次回、黒谷ベースに新しい仲間が加わります。

それは、草刈り担当の可愛い「彼女」です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。