【第11話:欠陥水道の破裂と、谷底の「無限天然水」】
第2章開幕!
高台のニュータウンでついに大事件が発生します。
バブルのツケが回ってきた金剛寺たちに対し、我らが黒谷ベースの二人は相変わらずのマイペース。
でも周囲の目は激変していきます!
平成元年の冬、日本中が狂乱のバブル景気に浮かれ、
実体のないカネの数字に踊らされていた。
地価は天井知らずに跳ね上がり、
テレビからは24時間戦うビジネスマンを讃える
栄養ドリンクのCMがけたたましく流れている。
そんな狂熱の都市部から遠く離れた、
東京郊外の高台に位置する『青葉の森ニュータウン』。
そこは、大手の新興デベロッパー「帝都アーバニティ」が
総力を挙げて売り出した、
中産階級の憧れを具現化したような最新のモダン住宅地だった。
しかし、その華やかな表舞台の裏側は、
容赦のない酷寒の自然環境にさらされていた。
標高の高いこの地は、夜ともなれば牙を剥くような
冷気が容赦なく吹きつける。
瀟洒な外観を誇り、最新のシステムキッチンや水洗トイレを
完備した家々は、一見すれば未来の理想郷のようだった。
だが、その足元には、利益最優先の突貫工事、お粗末な資材調達、
そして工期短縮のしわ寄せという、
バブルのツケが生み出した致命的な歪みが、
誰にも気づかれぬまま深く深く隠し持たれていたのである。
その異変は、夜明け前の、
一日の中で最も気温が低くなる時間帯に起きた。
しんと静まり返ったニュータウンの地下深くで、鈍く、
しかし確実に大地を揺らすような破裂音が響いた。
原因は単純にして最悪だった。
帝都アーバニティの指示のもとで
下請け業者が行ったずさんな埋設工事。
「重機が入らない」と見捨てられた
最奥の谷底『黒谷』の手前で、十分な深さも確保されず、
ただ土を被せただけの配管。
日陰になりやすい寒冷な高台の冬を舐めきった、
まともな凍結対策を施されていなかったメインの水道管が、
内部の水ごと完全にカチコチに凍りついたのだ。
膨張する氷の圧力に、手抜きの塩ビ管や接合部は
耐えられるはずもなかった。
容赦のない凍てつきの前に、街の生命線たる大動脈が、
悲鳴を上げて激しくへし折れたのである。
「おい、冗談だろ……水が出ないぞ!」
「ちょっと、あなた! こっちの洗面所もよ! トイレも全く流れないわ!」
朝、いつも通りの豊かで快適な目覚めを迎えるはずだった
新住民たちを待っていたのは、凄まじい大断水という無慈悲な現実だった。
寝ぼけ眼をこすりながら洗面所の最新式の蛇口をひねっても、
聞こえてくるのは「プシュー、ゴボッ」という、
不気味に空気が抜ける乾いた音だけ。
透明な水は一滴たりとも落ちてこない。
昨日まであれほど誇らしかったきらびやかなシステムキッチンも、
ボタン一つで洗浄してくれる最新式の水洗トイレも、
水という根源的なインフラが絶たれてしまえば、
ただの場所を取る無機質なプラスチックと陶器の箱に過ぎなかった。
朝食の支度もできず、顔を洗うこともできない。
喉の渇きを訴えて泣き出す子供たちの声と、
どうしていいか分からずパニックに陥った大人たちの怒号や悲鳴が、
またたく間に冷え切った高台の住宅街を埋め尽くしていった。
住民たちは、自分たちが買い求めたパンフレットの謳い文句通りの
「未来の暮らし」が、いかに脆い砂上の楼閣であったかを、
この時初めて思い知らされることになった。
*
一方その頃、高台の狂騒から遮絶された、
見下ろすような深い谷底――通称「黒谷ベース」では、
全く異なる穏やかな時間が流れていた。
そこはバブルの恩恵とも、
大企業の管理体制とも無縁の、剥き出しの自然が残る場所だった。
「よし、鉄蔵さん。
これでバッチリですね。
ズレもありません」
桐生は額ににじんだ汗を古い手ぬぐいで拭いながら、
裏山の斜面からベースの敷地内へと伸びる、
見事な木と竹の構造物を見上げて満足げに微笑んだ。
その隣では、年季の入った防寒着に
身を包んだ職人気質の老人・鉄蔵が、頑丈に手で編み込んだワラを、
最後の配管の継ぎ目に手際よく巻きつけているところだった。
「おう、完璧だ。竹の節を一本ずつノミで
くり抜いていくのはさすがに骨が折れたが、
こうして並べてみると見栄えも悪くない。
むしろ見事なもんだ」
二人が数日前からコツコツと作業を続け、
今まさに完成させたもの。
それこそが、厳しい冬の本格的な冷え込みを予測し、
備えておいた新たな配管工作――「特製・黒谷竹水道」であった。
水源は、誰の所有物でもない裏山の奥深くにある、
一年中涸れることのない豊かな湧水源。
そこから、敷地内に生い茂っていた太い竹を切り出し、
節を丁寧にくり抜いて長いパイプを作った。
それを幾重にも繋ぎ合わせ、凍結防止のために
鉄蔵特製のワラを厳重に巻きつけた、
完全自家製・完全独立型の水路インフラである。
桐生が竹の先端に取り付けた、
堅木を削り出して作ったお手製の栓を「くい」とひねった。
一瞬の間を置いて、竹の筒の奥からゴボゴボと小気味よい、
生命感に溢れた音が響いてくる。
直後、透き通った清らかな水が、
冬の朝日を浴びてキラキラと輝きながら、
勢いよく噴き出した。
地熱によって程よく守られていたその天然水は、
冷たすぎず、冬の凍えた手のひらを優しく包み込むような、
仄かな温かさすら感じられた。
大企業の送電網や水道網がどうなろうと関係ない。
24時間いつでも、濁ることなく、
止まることなく流れ続ける無限の水源が、
この谷底には最初から完成していたのだ。
「いい水だ。
不純物がねえから、これで美味いコーヒーが飲めるな」
鉄蔵が満足そうに目を細めて笑うと、
桐生はさっそく、愛用の手回しミルで自家焙煎の珈琲豆を挽き始めた。
ガリガリと小気味よい音が静かな谷底に響き渡り、
やがて、薪ストーブの熱で沸かした天然水が注がれると、
香ばしく深い珈琲の香りがゆっくりと、周囲の澄んだ空気に満ちていった。
*
その時、静かな谷底の結界を破るように、
がさがさと容赦なく草を分ける無粋な足音が響いた。
現れたのは、高台のニュータウンに住む数人の住民たちだった。
彼らは最新のダウンジャケットを着込んでいたが、
その襟元は乱れ、顔は泥と寒さで青ざめている。
水道が止まってから数時間、喉の渇きに耐えかね、
大企業の遅い窓口対応に見切りをつけ、
湧水が出ると噂のあった谷底を目指して、
文字通り這うようにして険しい坂を下りてきたのだった。
彼らは手に手に、空になったプラスチックのペットボトルや、
プラスチック製の安っぽいバケツを抱え、
疲れ果てた表情で黒谷ベースの敷地へ足を踏み入れた。
しかし、次の瞬間、全員が言葉を失い、
まるで時間が止まったかのようにその場に立ち尽くした。
彼らの目に飛び込んできたのは、あまりにも信じがたい、
そして残酷なほどの格差だった。
自分たちが全財産を投げ打って購入した、
最先端のはずのモダンな街では、
水が一滴も出ずにトイレすら使えない
地獄のような大騒ぎになっている。
大企業の社員たちは現地事務所で右往左往するばかりで、
何の役にも立っていない。
それなのに、自分たちが「文明の遅れた谷底の変わり者」と
見下していたはずのこの場所では、
信じられないほど清らかな水が、竹の管からドバドバと贅沢に、
湯気を立てながら溢れ出しているのだ。
しかも、その傍らで二人の男が、
何とも優雅に朝の煎りたてコーヒーを淹れ、
息を吹きかけながらその高貴な香りを味わっている。
「な、なんだ、あれは……夢を見てるんじゃないのか……」
「水が……この寒さの中で凍りもせずに、
あんなに勢いよく流れているなんて……!」
住民の一人が、驚きと極限の興奮でガタガタと膝を震わせながら、
見事な黒谷竹水道と、カップを持つ桐生の姿を交互に見つめた。
彼の混乱した脳内で、切羽詰まった状況も手伝って、
ある劇的な誤解が凄まじいスピードで、
パズルのピースが嵌まるように形作られていく。
(そうか……そういうことだったのか……!)
彼はハッと目を見開いた。
(この桐生という男は……ただの風変わりな若者なんかじゃない。
帝都アーバニティの手抜き工事を、あの大企業の脆弱なシステムが
いずれ冬の寒さで崩壊することを、最初からすべて予見していたんだ!
だからこそ、巨大な資本や組織のインフラに依存しない、
自分たちだけの独自の防衛手段を、
あらかじめこの谷底に完備していたんだ。
なんて恐ろしい先見の明、なんて圧倒的な知略だ……!)
震える住民たちの間に、
言葉にならない畏怖の念が波のように広がっていく。
彼らにとって桐生は、もはやただの土地の住人ではなく、
大企業の欺瞞を見抜き、巨大な資本に単身で立ち向かう
孤高の「異端の仕掛け人」のように見えていた。
そんな住民たちの、殺気すら孕んだ尋常ならざる熱い視線に気づき、
桐生はコーヒーカップを片手に持ったまま、
不思議そうに首を傾げた。
そして、いつもの穏やかな、
下心のまったくない親切心から、屈託のない笑顔を向けた。
「あ、おはようございます。
そんなところで立ち尽くしてどうしたんですか?
水なら裏山からいくらでも湧いてるんで、
欲しければいくらでも持ってっていいですよ。
そこに器もありますし、どうぞ、好きなだけ汲んでください」
その、あまりにもあっけらかんとした、
そして絶対的な余裕を感じさせる言葉を聞いた瞬間、
先頭にいた住民の目から、堰を切ったように熱い涙が溢れ出した。
「なんという……なんという慈悲深いお方だ……っ!
私たちの無知を責めもせず、命の水を分け与えてくれるなんて……!」
水を配っただけで完璧な予言者扱いされてしまった桐生。
でも、困っている人を放っておけないのが彼の良いところです。
次回、集まってくる住民たちのために、さらに快適な装置をDIYしちゃいます!




