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亡き婚約者に似ていると言われた私を、年下男子が本気で愛してくれました  作者: ちょこまろ


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第4話 さよならを言うための告白

好きだから、伝える。


でもこれは、恋を始めるための告白ではありません。


誰かの代わりではなく、自分自身として前へ進むために。


奈々はついに、黒瀬への気持ちに自分の言葉で決着をつけます。


第4話「さよならを言うための告白」。


お楽しみください。

 黒瀬さんに話をする日、朝から空は曇っていた。


 雨が降りそうで降らない。

 そんな中途半端な天気が、今の私にはよく似合っていると思った。


 会社に着いて、いつものようにタイムカードを押す。

 その音が、やけに大きく聞こえた。


 今日で終わる。


 そう思うと、デスクの上の書類も、パソコンの画面も、いつもと違って見えた。


「奈々さん」


 俊介が声をかけてきた。


「おはよう」

「おはようございます」


 彼は私の顔を見て、少しだけ眉を寄せた。


「寝てないですね」

「少しは寝たよ」

「少しだけでしょう」

「俊介くん、ほんとに何でも分かるね」

「奈々さんのことだけです」


 今なら、その言葉の意味を逃げずに受け止められる。

 でも、まだ返事はできない。


 私は小さく笑った。


「今日、行ってくるね」

「はい」

「俊介くんに、たくさん心配かけた」

「心配するくらい、させてください」

「……うん」


 俊介は何か言いかけて、やめた。


「本当は、行ってほしくないです」

「え」

「黒瀬さんに会って、奈々さんがまた傷つくのを見たくない」


 俊介の声は静かだった。

 でも、指先に力が入っているのが分かった。


「……うん」

「でも、行かないと奈々さんはずっと自分を責めると思うから、止めません」


 胸が痛くなった。


 俊介は、いつも正しいから黙っているわけじゃない。

 言いたいことを飲み込んで、私の選択を尊重してくれている。


「ありがとう」

「ちゃんと帰ってきてください」

「会社に?」

「俺のところに」


 心臓が、ぎゅっとつかまれたように痛くなった。


 ずるい。

 そんな言い方をされたら、私は帰る場所があるような気持ちになってしまう。


「……うん」


 私はそれだけ返した。


 午後二時。

 黒瀬さんとの打ち合わせは、いつもより早く終わった。


 佐伯さんたちが会議室を出たあと、黒瀬さんは私を見た。


「奈々さん、少し外で話しますか」

「はい」


 会社の近くに、小さな公園があった。


 昼間でも人は少なく、ベンチと数本の木があるだけの場所だ。

 私たちは会社を出て、その公園へ向かった。


 曇り空の下、冷たい風が吹いていた。


「すみません。お忙しいのに」

「いえ。奈々さんが改まって話したいというのは、珍しいと思ったので」


 黒瀬さんは穏やかに言った。


 その優しさに、また胸が苦しくなる。


 私はベンチの前で立ち止まった。


「座りますか」

「いえ、このままで大丈夫です」


 座ったら、立てなくなりそうだった。


 私は両手を前で握った。

 指先が冷たい。


「あの」

「はい」

「こんなことを言われても、ご迷惑だと思います」


 声が震えた。


 黒瀬さんは黙って聞いていた。


「でも、言わないままだと、自分の中で終われないと思ったので……少しだけ、聞いてください」


 風が髪を揺らした。


 私は顔を上げた。


「黒瀬さんのことが、好きでした」


 言った。


 ついに、言ってしまった。


 胸の中で大切にしていたものを、自分の手で外に出した瞬間、涙がこみ上げてきた。


 でも、泣きたくなかった。


 これは、奪うための告白じゃない。

 終わらせるための告白だ。


「最初は、お茶を褒めてもらえたことが嬉しかっただけでした。名前を呼んでもらえるのが嬉しくて、会社に来るのが楽しみになって……気づいたら、黒瀬さんの言葉一つで一日中浮かれたり、落ち込んだりしていました」


 黒瀬さんは、何も言わなかった。


「でも、黒瀬さんに大切な人がいることも知っています。亡くなった婚約者さんのことを、今でも大事にされていることも」


 黒瀬さんの目が少し揺れた。


「盗み聞きみたいになってしまって、すみません。聞くつもりはなかったんです。でも、知ってしまいました」


 私は小さく息を吸った。


「それでも、すぐには諦められませんでした。最低だと思います。会ったこともない方に嫉妬して、黒瀬さんの過去にまで焼きもちを焼いて。そんな自分が嫌でした」


「奈々さん」


 黒瀬さんが静かに私の名前を呼んだ。


 私は首を振った。


「最後まで言わせてください」


 ここで止まったら、もう言えなくなる。


「私は、黒瀬さんの心を奪いたいわけではありません。困らせたいわけでもありません。ただ、好きだった気持ちを、なかったことにしたくなかったんです」


 涙が一粒、頬を落ちた。


「黒瀬さんを好きになって、私は初めて、自分にもこんなに誰かを想う気持ちがあるんだって知りました。苦しかったけど、嬉しかったです。明るいだけじゃない自分を知れた気がしました」


 黒瀬さんの表情が、少し切なくなった。


「だから、ありがとうございました」


 私は深く頭を下げた。


「好きでした。これで、終わりにします」


 沈黙が落ちた。


 遠くで車の音がした。

 木の枝が揺れる音がした。


 私は頭を上げられなかった。


 怖かった。

 黒瀬さんがどんな顔をしているのか、見るのが怖かった。


 やがて、彼の声がした。


「奈々さん」


 私はゆっくり顔を上げた。


 黒瀬さんは、とても穏やかな顔をしていた。

 けれど、その目には確かな痛みがあった。


「話してくれて、ありがとうございます」


 その一言で、また泣きそうになった。


「迷惑ではありません。あなたの気持ちは、とてもまっすぐで、ありがたいものです」


「……はい」


「でも、僕はあなたの気持ちに応えることはできません」


 分かっていた。

 それを聞くために来た。


 それでも、胸が痛かった。


「僕は、今でも彼女を大切に思っています。それは、過去に縛られているというより、彼女と過ごした時間が、僕の一部になっているからです」


 黒瀬さんは少し空を見上げた。


「誰かと新しく歩くことが悪いとは思っていません。でも、今の僕には、その覚悟がありません。奈々さんのように明るくて温かい人を、中途半端に傷つけることはしたくない」


 その言葉に、私は唇を噛んだ。


 最後まで優しい。


 だから、好きだった。


「はい」

「それと……以前、あなたを見て彼女を思い出すと言いましたね」

「……はい」

「あの言葉で、あなたを傷つけたかもしれません。すみません」


 黒瀬さんは、静かに頭を下げた。


 その謝罪を聞いて、胸の奥で何かがほどけた。


 黒瀬さんは悪い人ではない。

 でも、やはり私はこの人の隣では幸せになれなかった。


 私は彼の大切な過去を消せない。

 彼も、私をまっさらな私として見続けることは、まだできなかった。


「大丈夫です」

「奈々さん」

「少し傷つきました。でも、それで分かったこともあります」


 私は涙を拭いた。


「私は、誰かの代わりにはなりたくないんだって」

「……そうですね」

「だから、ちゃんと終われます」


 黒瀬さんは静かに頷いた。


「あなたは、自分を脇役のように扱うところがありますね」

「え」

「何度か、そんなふうに感じました」


 黒瀬さんは柔らかく微笑んだ。


「でも、奈々さんは脇役ではありません。少なくとも、あなたの明るさに救われた人は、僕を含めてたくさんいると思います」

「……ありがとうございます」


「だから、どうか自分を小さく扱わないでください」


 涙が止まらなかった。


 黒瀬さんはハンカチを差し出しかけて、少し迷い、手を下ろした。


 その距離が、答えだった。


 彼は私に優しい。

 でも、踏み込まない。


 私は泣きながら笑った。


「黒瀬さんは、最後までずるいです」

「すみません」

「そんなに優しくされたら、もっと好きになっちゃうじゃないですか」

「……すみません」


 本当に困ったように謝るから、私は少し笑ってしまった。


「でも、大丈夫です。今日で終わりにします」

「奈々さんなら、きっと大丈夫です」

「はい」


 私はハンカチを取り出して涙を拭いた。


 曇っていた空から、ぽつりと雨が落ちてきた。


「あ、降ってきましたね」

「会社に戻りましょう」

「いえ」


 私は首を振った。


「少し、一人で帰ります」

「でも」

「大丈夫です。本当に」


 黒瀬さんは少し迷ったあと、頷いた。


「分かりました。気をつけて」

「はい」


 私は頭を下げ、背を向けた。


 数歩歩いたところで、黒瀬さんの声がした。


「奈々さん」


 振り返る。


「あなたに好きだと言ってもらえて、嬉しかったです」


 その言葉は、残酷なくらい優しかった。


 私は泣きながら笑った。


「私も、黒瀬さんを好きになれてよかったです」


 今度こそ、私は歩き出した。


 雨は少しずつ強くなった。


 傘は持っていた。

 でも、開く気になれなかった。


 冷たい雨が髪を濡らし、頬の涙と混ざる。


 駅までの道を歩きながら、私は何度も胸を押さえた。


 痛い。

 苦しい。

 でも、不思議と息はできた。


 ちゃんと言えた。

 ちゃんと振られた。

 ちゃんと、終わった。


 駅前に着くころには、雨は本降りになっていた。


 そのとき、改札の近くに立つ人影が見えた。


 黒い傘。

 濡れたスーツの肩。

 まっすぐこちらを見る目。


「俊介くん……」


 俊介が、そこにいた。


 私は立ち止まった。


 彼はゆっくり近づいてきて、私の上に傘を差し出した。


「濡れすぎです」

「……どうして」

「待ってるって言いました」

「会社で?」

「俺のところに、って言いました」


 その言葉を聞いた瞬間、我慢していたものが壊れた。


「俊介くん」


 名前を呼んだだけで、涙があふれた。


 俊介は傘を持ったまま、少しだけ困った顔をした。


「抱きしめてもいいですか」

「……今聞くの、ずるい」

「勝手にしたら、もっとずるいので」


 私は泣きながら頷いた。


 次の瞬間、俊介の腕がそっと私を包んだ。


 強くはなかった。

 逃げようと思えば逃げられるくらいの、優しい抱きしめ方だった。


 でも、私は逃げなかった。


 俊介の胸に額を預けて、声を殺して泣いた。


「終わった」

「はい」

「ちゃんと、振られた」

「はい」

「痛い」

「はい」


 俊介は、ただ聞いてくれた。


「私、やっぱり選ばれなかった」

「違います」


 俊介の声が、少しだけ強くなった。


「それだけは違います」

「でも」

「黒瀬さんが選べなかっただけです。奈々さんに価値がないわけじゃない」


 俊介は私を少し離し、目を見た。


「俺は、奈々さんを選んでます」

「……」

「ずっと」


 胸が熱くなった。


 でも、今はまだ、その言葉に返せない。


「ごめん」

「今は返事いりません」

「俊介くん」

「今日は、泣いてください」


 俊介はもう一度、私を抱きしめた。


「奈々さんが誰かの代わりじゃないことくらい、俺がずっと知ってます」


 雨の音が、傘を叩いていた。


 私は俊介の腕の中で、失恋の痛みと、別の温かさに包まれていた。


 この恋は終わった。


 でも、何かが始まろうとしている。


 まだ名前をつけられない気持ちが、雨の中で静かに息をし始めていた。

第4話をお読みいただき、ありがとうございます。


「好きでした。これで、終わりにします」


奈々は逃げずに想いを伝え、きちんと振られ、きちんと一つの恋を終わらせました。


苦しくても、その恋をなかったことにはしない。


そして雨の中、そんな奈々を待っていた俊介。


「俺は、奈々さんを選んでます」

「ずっと」


終わった恋の痛みが、すぐに消えるわけではありません。


それでも奈々の中には、まだ名前のつかない新しい気持ちが生まれ始めています。


次はいよいよ最終話「私を主役にしてくれた人」。


奈々が「誰かの恋の脇役」ではなく、自分自身の恋を選ぶまでを見届けていただけましたら嬉しいです。

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