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花暦の妃たち−寵愛を失った妃の宮で、花売り娘は後宮の季節を書き換える−  作者: 明石竜


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第十八章 秋の花籠

 十月の半ば、花殿への花籠づくりが、小鈴の日課になっていた。

 日課、というほど大げさなものではない。毎朝花寮で仕事をしながら、今日花殿へ持っていく花を選んで、籠に入れて持っていく。それだけのことだった。でもその選び方が、最初の頃とはずいぶん変わっていた。

 最初は、花寮にある花の中から状態のよいものを選んでいた。傷のないもの、水揚げのよいもの、香りの整っているもの。それが届け役の仕事だと思っていたから。

 今は、蘭妃のことを思いながら選ぶ。

 今日の蘭妃に、どの花が合うか。今週は気温が下がってきているから、温かみのある色の花がいいかもしれない。先週の花暦に、橙色への言及があったから、今日は山茱萸の実を添えようか。曜様が今日来るなら、曜様が喜ぶものも一緒に入れたい。

 そうやって選んだ花籠は、最初に作っていたものより少し複雑だった。花の種類が多くなったわけではなく、一つ一つに理由が生まれていた。誰かのために選ぶということが、花籠に入るようになっていた。

 十月の花殿には、萩と菊が加わっていた。

 先月植えた萩が、台風のあとも根を張って、小さいながら花を咲かせていた。薄紫の小さな花が、細い枝に連なっている。華やかではないが、秋の光の中で見ると、控えめな美しさがあった。小菊はまだ蕾が多かったが、一番日当たりのよいものが、黄色い花を三輪開かせていた。

 花殿で育った花が、花殿の花籠に入るようになった。


 ある朝、花寮で花籠の準備をしていると、沈女官長が声をかけてきた。

「花殿用の籠は、毎日自分で選んでいるのですか」

「はい。蘭妃様の体質もありますので、わたしが選んだ方がよいかと思って」

「花寮の記録に、選んだ花の記録も残しなさい。どの花を、いつ、どこへ届けたか。あとで確認できるように」

「はい」

「それから」と沈女官長は続けた。「今月から、花殿の花の予算を少し増やします。秋は花の種類が増える。余裕を持って選びなさい」

 予算を増やす。小鈴は少し驚いた。花殿への花の予算は、最初から決まっていて、それ以上でも以下でもなかった。それが増えるということは、沈女官長が花殿の花に、正式に重きを置くということだった。

「ありがとうございます」

「礼はいりません。花が適切に届いていれば、それでいい」

 沈女官長はそれだけ言って、仕事に戻った。

 小鈴は今日の花籠を抱えて、花殿への道を歩いた。

 沈女官長の言い方はいつも実務的で、感情を表に出さない。でもその実務的な言葉の下に、何かが隠れていることを、小鈴は最近よく分かるようになっていた。予算を増やすということは、花殿を大切にするということだ。花が適切に届いていれば、と言いながら、適切以上のものを渡しているのが沈女官長だった。


 花殿では、その日珍しいことが起きた。

 曜様が、花籠を作りたいと言い出したのだ。

 縁側で小鈴が今日の花を花入れに入れていると、曜様がやってきて「わたくしも作る」と言った。いつもの勝ち気な言い方だったが、目には本気が見えた。

「籠はありますか」と小鈴が聞くと、曜様は「ない」と言った。

「では、花寮から余った籠を一つ持ってきます。次に来る日に」

「今日作りたい」

「今日は籠がないので、今日は花の選び方だけ教えます」

 曜様は少し不満そうだったが、「分かった」と言った。

 小鈴は今日持ってきた花を使って、花の選び方を教えた。まず、花の状態を確かめること。花びらの傷み、茎の固さ、水揚げの具合。それから、一緒に入れる花との相性。色と色の合わせ方、香りと香りの重なり方、形と形のバランス。

「一つ一つがよくても、全部を一緒に入れるとうるさくなる時があります。引き算が大事で」

「引き算?」

「入れないことも、選ぶ、ということです。この花をこの籠に入れるより、入れない方がいいと判断することが、うまい花籠になる近道だったりします」

 曜様は「難しい」と言いながら、花を一本ずつ手に取って確かめていた。真剣な顔だった。遊びではなく、本気で覚えようとしていた。

「これはどう?」と曜様が小菊を持ち上げた。

「黄色は秋らしいですし、香りも淡いので、蘭妃様に合います。よい選択です」

「これは?」と今度は山茱萸の実を持った。

「実ものは色がきれいですね。ただじつは香りがないので、花との組み合わせ次第です。一緒に何を入れますか」

「…桔梗はまだありますか」

「あります」

「じゃあ桔梗と山茱萸。同じ紫と橙で、秋らしい」

 小鈴は少し驚いた。色の合わせ方が、センスよかった。教えていないのに、紫と橙の補色関係を直感的に選んでいた。

「曜様、花の合わせ方が上手ですね」

「母が、衣の色合わせが好きだったから。小さい頃から一緒に見ていた」

 曜様の母は早くに亡くなっている、と聞いていた。それ以上は聞けなかったが、その話し方は静かで、悲しいというより、大切に持っているものを見せてくれたような感じがした。


 翌日、小鈴は花寮から余った小籠を一つ持ってきた。

 曜様は来るなり「籠、来た?」と言って、目を輝かせた。

 二人で縁側に並んで、花籠の作り方を最初からやった。籠の底に濡らした布を敷くこと、水揚げを確認してから入れること、花の向きを揃えること。

 曜様は昨日教えた通り、桔梗と山茱萸の実を選んでいた。それに今日は菊の小さな白いものを一本加えた。白を足すと、紫と橙の対比が締まる。その判断も、自分でしていた。

 花籠が出来上がった。

 曜様は完成した籠を両手で持って、少し離れて眺めた。

「どう?」

「きれいです」

小鈴は本当にそう思った。初めて作ったとは思えない、落ち着いた花籠だった。

「蘭妃様に見せますか」

「見せる」

 曜様は籠を持って部屋へ入った。蘭妃に「作った」と言って、差し出した。蘭妃は受け取って、丁寧に見た。花の選び方、向きの揃え方、色の合わせ方。

「よく出来ています」

「小鈴が教えてくれた」

「あなたが選んだのでしょう」

「うん。母が衣の色合わせをしていたから、それを思い出しながら」

 蘭妃が少しの間、曜様を見た。それから籠を縁側の端に置いて、「ここに飾りましょう」と言った。曜様が作った花籠が、花殿に飾られた。

 杏華が横から見ていて、「よく出来ました」と言った。言い方はぶっきらぼうだったが、否定ではなかった。杏華が曜様の仕事を認めた、ということだった。曜様は「ありがとう」と言った。杏華への「ありがとう」は、いつも少し素直だった。


 その日の夕方、蘭妃が花暦を開いた。

 今日の記録をつける前に、小鈴が選んできた花籠と、曜様が作った花籠を、交互に見た。

「花籠を二つ、記録します」

「どう書きますか」

「小鈴の籠と、曜様の籠。並べて飾るとどちらも秋らしいが、選ぶ理由がそれぞれ違う、と書きます」

「どう違うのですか」

「小鈴の籠は、この宮の誰かのことを思って選んである。曜様の籠は、自分の中にある色の記憶から選んである。どちらも花籠ですが、来ているところが違う」

 小鈴は少し考えた。

「どちらがよいですか」

「どちらもよいです。来ているところが違うだけで、花は正直に咲いている」

 来ているところが違うだけで、花は正直に咲いている。蘭妃の言い方は、いつもこういうところがあった。花の話をしながら、人の話をしている。花籠の話をしながら、人の在り方の話をしている。

 小鈴はその言葉を、帳面に書き留めようと思った。


 十月の終わりに、白蘭の水挿しの様子を確かめた。

 台風の翌日から水に挿して、三週間が経っていた。

 花入れから枝を取り出して、切り口を確かめると、白い小さな突起が出ていた。根の始まりだった。まだ細くて弱いが、確かに出ていた。

「出ています」

小鈴は伝える。

 杏華が覗き込んで、「本当ですか」と言った。声に、いつもにない驚きが混じっていた。

「まだ小さいですが。もう少し根が伸びたら、土に植え替えられます。今月いっぱいはこのまま水で育てて、来月に植え替えましょう」

「来春、花が咲きますか」

「最初の年に花が咲くかは分かりません。でも株が育てば、再来年には咲くと思います」

 杏華はしばらく、根の出た切り口を見ていた。それから「蘭妃様に報告します」と言って、部屋の中へ入っていった。

 小鈴は枝を水に戻しながら、少しだけ息をついた。

 根が出た。台風で折れた枝から、新しい根が出た。うまくいかないかもしれないと思っていた。でも出た。

 花寮の棚に発根促進剤を取りに走ったこと、切り口を丁寧に整えたこと、毎日水を替えながら様子を見てきたこと。それが今日、報われた気がした。


 蘭妃に報告すると、蘭妃は部屋から縁側へ出てきて、花入れの枝を自分で確かめた。

 根の出た切り口を、静かに見た。

「出ましたね」

「はい」

「よかった」

 その二文字が、今日の蘭妃の言葉の中でいちばん重かった。よかった、という言葉を、蘭妃がこんなにまっすぐ言うのを、小鈴は久しぶりに聞いた気がした。

「来春、植え替えて、ここに置きます。古木のそばに、新しい株を」

「古木と並べて」

「はい。同じ木から来た株ですから」

 蘭妃は古木の方を見た。台風の傷口には、保護剤が乾いて固まっていた。その周りの皮が、少しずつ傷口に向かって伸び始めているのが、よく見ると分かった。自分で癒えようとしていた。

「古木も、来春咲くと思います。傷口の周りから、新しい皮が出てきています」

「見ていました」

「気づいていましたか」

「毎日見ています、この木は。五年間」

 そうだった。蘭妃はずっとここにいた。この木が台風で傷を受けたことも、その傷が少しずつ癒えていくことも、毎日見ていた。

「来春は、古木と新しい株と、両方から白蘭が咲くといいですね」

「そうですね」

蘭妃はそれから少し間を置いて言う。

「そういう春が来るとは、思っていなかった。今年の春も、来年の春も、来るのですね」

「来ます。毎年来ます。白蘭は毎年咲きます。古木が咲いて、新しい株が育って、また来年咲く」

小鈴は迷わずに言えた。

 蘭妃は枝を花入れに戻した。小さな根が、また水の中へ戻った。


 帰り道、秋の夕方の光が石畳を照らしていた。

 花殿の塀の向こうに、庭の木々の梢が見えた。白蘭の古木の枝が、夕光の中で静かにある。台風で一本折れたが、他の枝はまだ力を持っている。来春、また白い花を開く。

 今日の花殿を思い返した。

 曜様が作った花籠が縁側に飾られていた。杏華が予想外の驚きを見せた。蘭妃が「よかった」とまっすぐ言った。白蘭に根が出た。

 全部、今日起きたことだった。

 特別なことは何もなかった。でも、今日のすべてが、花暦に残るだろうと思った。蘭妃が今夜、花暦を開いて、今日のことを書き留める。小鈴の籠と曜様の籠のこと、白蘭に根が出たこと、古木が来春咲くだろうこと。

 小鈴も今夜、帳面を開こうと思った。

 蘭妃の言葉を書き留めたかった。来ているところが違うだけで、花は正直に咲いている。その言葉が、今日の夕方の光の中でも、まだ温かかった。

 秋が深まっていく。

 花籠の花が、週ごとに変わっていく。萩が終われば菊が咲いて、菊が終われば水仙の球根が冬を待つ。その繰り返しの中に、花殿がある。蘭妃がいる。杏華がいる。曜様が来る。

 そしてその全部が、花暦と小鈴の帳面に、少しずつ残っていく。

 名前をつけることで、過ぎていく季節がそこに留まる。

 それを蘭妃に教えてもらった。だから小鈴も今夜、書く。

 今日の白蘭の根のことを。秋の花籠のことを。四人でいた、今日の花殿の時間のことを。

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