薄桃色の青年と警報(3)
すっかりやる気を失くした彼が、抑揚のない声で宣告した直後。
ピューーーーーーーーーーーーーーー。
甲高い笛の音が、この修羅場を切り裂いた。
次いで、また階段の方からだ。
ドタドタと響く賑やかな足音が、喰い姫の注意を惹きつける。
「おぉーい、シュンセーー! お待たせ、無事かな?」
この殺伐とした現場とは不釣り合いなほど、明るく、はつらつとした声が驚く。
「トキノコ! 三時の方角だ、急いでくれ」
「まかせて!」
男の声に応じたのは、まさかの増援だった。
幸運にもこのやりとりを合図に、喰い姫は撤退を余儀なくされたらしい。
俺には目もくれず、長い髪を翻し、元来た道を引き返していく。
「あ、ちょっとどこ行くの! もーーっやっぱりここだった! ソウヒ、そっち行ったよ!」
その叫びに呼応するかの如く、ドッカン、ドッカンと物騒な音と連動した揺れが、地響きの様に伝わってくる。
果たして、下ではなにが繰り広げられているのか……想像すると、忘れかけていた鈍痛に襲われた。
——そうだった、どこかで、一人にならなくては。
これから起きる事を、あまり他人に見られたくないのだ。
しかし、どうしたものかと考えあぐねているうちに、ひょっこりと一人の少女が姿を現す。
声からして、増援が女の子であると分かっていたが、まさかこんな小さな子だったとは。
「元気そうで良かったよシュンセー。……あれ? そこの子だあれ?」
しかし不思議そうに見上げる瞳の奥には、こちらが何者かを見定める鋭さがあった。
背丈は俺の胸元くらいだろうか。
長い髪を頭上で一つに束ねており、動くたび、背中から見え隠れする毛先が尻尾のようで愛らしい。
清楚な桃色のワンピースに飛散する、なんらかの青黒い液体に目を瞑ればの話ではあるが……。
「あぁー、正直よく分からん」
「それは俺が聞きた…………いっ……」
——きた。それにしたって、いつもより性急じゃないか?
緊張の糸が解けたせいか、丁度両手の繋ぎ目を中心に激痛が駆け巡る。
例えるなら、沸騰した血液中に無数の針を流し込み、肘から指先までの距離を突き刺さりながら、循環していくようなもの。
「……え、ちょっと! 大丈夫?!」
「さっき直に蹴りを受けたんだ。診てやってくれ」
ダラダラと汗が吹き出し、滲む視界が駆け寄る二人の姿を、ぼんやり捉える。
彼らからすれば、俺は急に容態が悪化した患者に見えているだろう。
けど実際は……その真逆だった。
「痛めてる所見せて。この手袋、一旦外すよ……?!」
親切心で触れようとした少女の手を、反射的に振り払ってしまう。
そう、真逆なのだ。
俺の意思とは関係なく、また道理もなく。
この身体を修復しようとする、自動装置みたいな物が起動しただけに過ぎないのだ。
「いや……大……丈夫なんだ、少し休めば……治る、から」
「強がってんなよ、この阿呆。ここで死なれても迷惑なだけだ」
「死な、ないから……平気だ。放っておいてくれ」
「…………」
俺らのやり取りと、俺に振り払われた手の平を交互に見ていた少女だったが、ふと静かにニコリと微笑んだ。
「ふーん、そっか。ごめんね?」
ドスっ。
慣れた手つきで素早く、的確に、鳩尾へ深い一撃。
それを隣の大の男ではなく、小柄な少女がやってのけたことに、困惑を隠せない。
……そうだこの子、あの喰い姫に対する増援としてやってきたんだった、どおりで——。
加えて、疲労困憊の俺が意識を落とすには充分過ぎる威力だった。
***
「相変わらず手際がいいな」
可愛らしい姿こそしているが、流石あの女の眷属だ。
シンプルな肉弾戦ならば普通に俺より強いのだ、この子らは。
改めて感心していると、トキノコは頬を膨らませながら抗議してくる。
「んもー、少しは手伝ってよね」
「はいはい」
彼女が処置しやすいよう、少年の袖を捲りあげる。
現代でもこの場所じゃ、好んで着るやつが多いとはいえ、だ。
今の季節には珍しい薄手の和装に身を包み、やたら紐やボタンが多い、使い勝手の悪そうな手袋。
「つくづく怪しいなこのガキ」
「うーん、なんだろ。まるで……とても厳重に保護してるみたいな。やっぱり手を見られたくないのかな?」
「さあな……よし、解けたぞ」
これだけ苦労して、ようやく片方。
ガチガチに固まったボタンを外し、硬く縛られた紐を解き、手袋を引き剥がす。
すると……中から予想だにしなかった可能性が暴かれ、二人はしばし絶句してしまう。
少年が必死に隠そうとした物の正体——。
彼の外見から想像される、歳相応な若い皮膚は、途中で切り替わっていたのだ。
具体的には、肘と手首の中間に繋ぎ目があり、指先に向かうほど、骨と皮からなる老人特有の——シワだらけの手が存在感を放つ。
明らかに少年本人の物ではなく、別人の一部と言える異物。
更に言えば、中指に掘られた——季楼庵において、とある役職を示す刻印。
そこから導かれる答えに、この二人が辿り着けないはずなかった。
「………………なあ、おい。冗談だろ」
「シュンセイ。もしかして、この子」
「……ユメビシ、なのか?」
——それは約70年前、俺の部下共々、消息を絶っている少年の名だった。




