消える物語(後編)
しかし、この場にいた誰の物でもない声が、束の間の静寂を切り裂いた。
こんな状況で首を突っ込むなんて、よほど正義感が強いのか、おせっかいなのか。
全員が声の主を探すと、すぐそこの曲がり角に見知らぬ少年が立っていた。
自信なさげで憂いた雰囲気は、面倒ごとに関わってしまった……という後ろめたさに苛まれてる様な表情からくる。
本当……なんだって声をかけてきたんだろうか。
——いや、それより。似ても似つかないのに、どうして?
この不思議な少年は、更に奇妙なところがあった。
彼からは——。
否、一番に行動を再開したのは、微塵の隙も見逃さなかった彼女の方。
「ジャ……マ、スルナ……!」
彼女はそう叫びながら、何の躊躇もなく少年めがけて鈍器を振り下ろすが、意外にも彼の細腕は、怒号ごとそれを受け止めてしまった。
「……っな、危ないだろ、そんなもの振り回して!」
更には武器を軽々と取り上げ、容赦無く彼女の鳩尾を蹴り飛ばしたことで、二人の間に物理的な距離が生まれる。
彼女の方はすぐには起き上がれないようで、地面に蹲り咽せ続けていた。
一瞬で形勢逆転に持っていった少年に目を奪われていると、彼はこちらへ振り返り、声を張り上げる。
「おい、そこのあんたら! 逃げるなら早くしてくれ」
「どうして、助けてくれたの……?」
「……いつもの悪癖だ。気にしないで欲しい」
「それなら……?!」
突然、ふわりと地面から体が浮き上がり、頬の辺りを少し冷たい狐面がかする。
そのまま露命はしっかりと私を抱え込み、一歩、また一歩と後退を始めたのだ。
「栞恩。残念だが、今の彼女にはもう……ワタシ達の声は届かない。ならば、ここは引くべきです」
「でも、」
「それに気付いてないようだがね、貴方の方がきっともう限界だ。けれどワタシとて、ただ貴方がここで消えるのを、黙って見ていることも出来ない。……すまないが、任せても良いだろうか?」
「あぁ、別に俺は構わないから……それよりあんた、早くした方がいい。消えかけてる」
二人に指摘され、私は初めて体の異変を思い知る。
先ほど貫通された腹部から、ハラハラと、崩壊が始まっていたのだ。
……あの一撃を受けていながら、全くの無傷なはずもなかったらしい。
露命の何かを堪える様な息遣いが、胸を刺す。
「……この近くに『鞠月神社』という信頼出来る神社があるらしい。俺も行く途中なんだ。当てがないなら其処に向かうといい」
「すまない、先に行かせてもらうとする」
「ま、待って! 最後に名前、教えてくれない? 私は、シオン」
「ユメビシ、そう呼ばれてる」
「そっか……ありがとう、ユメビシ君」
お礼を言い終えると、露命は私を抱えたまま走り出す。
私は見えなくなるまで、少年の背中を見つめていた。
遠ざかるあの場所で、彼は最後まで、もう一人の栞恩を足止めしていたのだ。
……そんな義理なんて微塵もない、ただの通りすがりの筈なのに。
少年は自身をユメビシと名乗った。
当たり前だ、あの人のはずがない。
なのにずっと後ろ髪を引かれてるのは、どうしようもなくあの少年の中に、××の存在を感じてしまったからだ。
それはなんの根拠もない、ただの違和感だった。
***
——知らないことが多すぎる。
しかし残された時間はあまりに僅かで、知る術も、その意欲も、とうに失った。
今更知ったところで、彼女の消失は恐らく免れない。
……それでも、望みがあるとすれば。
皮肉にも、これまで幽閉されていた、あの場所しかなかったのだ。
かつて栞恩を回復に導いた空間——だが、あそこにはもう、戻れない。
栞恩が出ることを決めた際、役目を果たした様に消滅していくのを、この目で確認した。
その上で、露命は来た道を引き返していた。
あんな寂しい野晒しの道端ではなく、せめてあの方との思い出の神社で、最期の瞬間を迎えさせたかったからだ。
少年に言われるまでもなく、あの時も、そして恐らく今回も——我々はかつて『鞠月さん』と呼ばれていた、山深い辺境の神社を経由したのだ。
だがどういった訳か、先ほどは境内を経由せず、いきなり周辺何処かの林に放り出されていた。
つまり逆に考えれば、正規の手順を踏んでいない道順は、記憶に新しい。
だからこそ今度はなるべく先程とは別の、主要そうな道を使い、無事境内に辿り着けるよう祈るしか無かった。
「おや? キミ達は……」
それでも所詮、我々は招かれざる存在。
境内に辿り着いたのも束の間、見覚えのある一人の男に見つかってしまった。
最後に会ったのは——そう、栞恩が捕えられた直後だろうか。
あれから実に半世紀ぶりの遭遇だったが、見た目に全く老いが見られず、あの時同様、若い姿のまま。
この男も……やはりというべきか、只者ではなかったらしい。
長い白髪の髪を揺らし、薄っすら口元に微笑を浮かべながら、こちらに迫り来る。
片目が髪で隠れているのも相まって、真意の読み取れない表情だ。
瞳の奥は笑っておらず、鋭い眼光を光らせこちらを見定めるような、それでいて面白そうな玩具を見つけた子供の様な無邪気さも垣間見える。
ワタシはいつでも逃げられる様、彼——ヨミトの言動に警戒した。
「……再び、栞恩を捕らえますか?」
「ん? あぁ……いいんだ。そうか、コレの事だったのかなぁ。いやね、ボクはただ神域の揺らぎを感じて、様子を見に来ただけなんだ。今更キミ達をどうこうするつもりはないよ」
「……キクゴロウさんは、ご健在か?」
「死んだよ」
そのあまりに淡々とした回答に、面食らってしまうが……冷静に考えれば、至極当然のことだ。
半世紀前の時点で翁だったキクゴロウさんが、今も変わらずご存命なはずがない。
しかし、あの恩人がもうこの世にはいないという事実は、ワタシの胸に重くのしかかった。
また助けて貰おうなどと、都合の良いことは考えていない。
ただ……もう一度、礼を尽くしたかった、それだけのこと。
「キクはね、最期までキミ達二人の行方を秘密にしていたんだ。律儀な男だよね? ……故にボクも、追求はしない事とするよ」
「そう、だったのか……」
「だからキクに代わって、せめてもの手向けだ。その娘を助ける術は、生憎持ち合わせていないんだけどね、この先に特別な神域がある。そこで残りの時間を過ごすといい」
それは、思いもよらぬ申し出だった。
彼は我々のここに至る経緯を知らぬまま、キクゴロウさんの意思を継いでくれようとしているのだ。
「……いいのか?」
「大丈夫、中立の番人としてワタシが許可しよう。ただし、どんな結末を辿るかは、分かりかねるけどね」
「それでも有難い」
「そう? ならよかったよ。その後ろを左に、道なりに突き進んだ先だからね。それじゃ、ボクはこれで」
手短にそれだけ告げると、ヨミトは踵を返す。
自分は何も見なかったという名目で、後腐れなく、この場から立ち去ろうとしているらしい。
だからワタシは、慌ててその背中に向かって、最後の心残りを口にした。
「あと、もう一つ頼まれて欲しい! もし、ユメビシと名乗る少年が此処を訪れたら、礼を伝えてくれないか」
「……へ、なんだって? ユメビシ?」
——ユメビシ。
その名前を出した途端、彼は肩を跳ね上げ、髪を豪快に翻しながら振り返り、どこか不自然なくらいの反応を示した。
明らかに、これまで抱いていた……悠然とした姿が印象的な彼とは、かけ離れた動揺の仕方だ。
「知り合いだったか? 彼もこの神社へ向かう道中だったらしく、我々を手助けしてくれた」
「あの子が、ねぇ……うんうん、興味深いな。そっちも任せてくれていいよ」
こうして意外な人物の助力を得て、人ならざる二人の長い長い旅路は、終わりを告げようとしていた。
ある——61年後。
邂逅の真相は、闇に葬られた。
当事者の誰もが、繋がりに気づけぬまま。
こうして一つの物語は、伝わる手段を持たず消えてしまった。
……消えるはずだった。




