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幽縁ノ季楼守  作者: 儚方ノ堂
断章 61年後の香調
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消える物語(前編)

 

 空気が澄んでいて、静寂に包まれた夜。

 夜空にたった一人浮き出た丸い月だけが、私達を見下ろす。

 冷たい風は容赦なく身体をすり抜けていき、思わず足が(すく)んだ。


 けれど、私は露命(ろめい)の提案を断り、自分の足で進む事にこだわった。

 そうして木々の間を通り抜け、いくつかの朽ちた鳥居を通り過ぎ、やがては広い通りに降り立つ。

 ——外の世界は、すっかり様変わりしていた。

 

 それもそのはずだ。

 露命曰く、私は半世紀以上に渡り眠っていた、とのこと。

 そして今の実体を持たない——栞恩(しおん)()()()()()()()()では、活動時間に限界があることも。

 ……よって、最悪の場合。

 ()()と再会するより早く、私が消失する可能性だって……十分にあり得るのだ。

 これが正真正銘、最後の機会——必ず決着をつけ、清算する。

 

 そもそも彼女は、この栞恩(わたし)を心底憎んでいるはず。

 だから諸悪の根源が、ノコノコと安全地帯から出てきたなんて事は、あちらにとっても絶好の機会に違いない。

 気配を辿って、復讐しにやってくるだろう……私が逆の立場なら必ずそうする。

 結局は同じ栞恩なのだ。

 自分の思考と気配を信じ、終幕の舞台へと赴く。

 

 ——貴方も私の一つなのに、辛いものを一人背負わせてしまって、本当にごめんなさい。


 都合よく切り離したのに、呼び戻そうとしているなんて。

 身勝手なのはよく分かってる……それでも、戻ってきて一緒に居よう。

 長い時間をかけてようやく理解したんだ。

 辛い気持ちも、憎い気持ちもすら、栞恩の歩んだ道筋を彩る大切な記憶だと——。


「……オ、マエ……」

 

 焦る気持ちを前に、ふと、一つの大きく歪んだ影が地面に伸びる。

 待ち侘びた瞬間が訪れ、私達は再会を果たす……はずだった。


「……え」

 

 しかし、私の背よりもずっと高い塀の上からこちらを見下ろしていたのは、想像とは異なる姿をしたもう一人の栞恩。

 自分から弾き出された、同じく実体を持たないはずの存在は、どういう訳か……確かな()()を得て、全く別の在り方へと変貌を遂げていたのだ。  

 

 私が懺悔の気持ちから行動を起こしたのとは対照的に、彼女はただひたすらに復讐の鬼と化し、私を探していたのだろう。

 その怨念を、決して甘く見ていた訳じゃないが……理解が追いつかなかった。

 月明かりを反射する勢いの滑らかな肌、作り物が如く異様に真っ直ぐな銀の髪、瞬きを忘れたかの様に一点を凝視する大きな瞳。

 紛れもなく、この世に在るものとして現界した、質感を伴う姿だ。

 うっすら透けてしまっている今の私とは、比べ物にならないほど、一種の生命力に満ちている。

 顔の造形は少しだけ私に似ているが——尚のこと、あの体をどうやって……?

 

 ……多くの言葉を交わした訳ではない。

 けれどそう、ただ単純に。

 対峙したこの瞬間、『これで全て元通り』なんて甘い幻想は、呆気なく打ち砕かれた。


「ユルサナイ……ッ!」   

 

 小さく吐き出された言葉を皮切りに、殺意のこもった眼差しで、彼女は塀から飛び跳ねる。

 その手には、瓦礫を寄せ集めて造った様な、不恰好な鈍器を振りかざしながら——。

 

 恨みや怒りの原動力は凄まじい。

 それは私が一番承知していることだ、力の差は歴然だろう。

 しかし私は何があっても、彼女を受け入れるために来たんだ。

 逃げも、隠れも、するつもりは毛頭ない。

 

 ——だからこそ、一緒についてきてくれた露命だけは、絶対傷つけさせない。

 

 私を庇おうとした彼を手で制して、その前に一歩踏み込む。

 彼女との距離は目前まで迫っており、一際大きく、感情任せに振り下ろそうとする一連の動作を、やたらゆっくりと視界が捉える。

 その背後で宙に靡く毛束は大蛇の様にうねり、不気味な輪郭を模っていた。

 私は最後に深く深呼吸をして、真正面から……ただ、彼女渾身の一撃を受け入れる為に瞳を閉ざした。



 

 

 …………衝撃は、いつまで経っても訪れなかった。


 まるで宙を斬るような、手応えの無さ。

 そんな筈は……と視線を下に向けて、理解した。

 彼女の動きは、私の腹に鈍器を突き刺したまま、停止していたのだ。

 恐らくは、想定していた手応えがなかったのだろう——だって現に、貫かれている私にも痛みどころか、何の感触も伝達されていない。

 

 その代わり、なんとも例え難い悲しみが、胸いっぱいに広がった。

 それは自分の肉体がもう無いことを改めて痛感した為か、接触したことで彼女の苦しみが伝わったからか……またはその両方なのか。

 

「……ごめんなさい……」

 

 謝罪の言葉は、却って逆鱗に触れたらしい。

 彼女は私に突き刺さっていた物を乱雑に引き抜くと、もう用済みだと言わんばかりに、今度はすぐ後ろの露命を標的にした。

 その真っ赤に揺らめく瞳が、彼の姿を瞳に写してしまっている。

 

 ——露命は、ダメだ。

 彼は何があっても栞恩(わたし)を絶対に傷つけない。

 襲っている方も、襲われている方も、結局は栞恩(わたし)なのだから、彼は何も出来ないだろう。

 

「嫌だ、逃げて……!」

 

 その悲痛な嘆きは、私の姿ごと露命の背中によって隠されてしまう。

 更には「貴方も、先程したでしょう?」……なんて、困ったように微笑むのだ。

 

 ……あぁ、結局は何も変わらない。

 大切なものを守ろうとして、いつも最後は守られ……そして失うんだ。

 私にもっと力があればよかったのに。そうすれば××のことも——。

 

 

 ——いや、過去はもう変えられない。変えるなら……後悔するくらいなら、今動け!

 

 

「させない……っ、その危なっかしいの、今すぐ降ろしなさい!」

「…………ッ!?」 

 

 懇願なんか生ぬるい、語気を強めた叫び。

 別個体になったとはいえ、元は同じ栞恩だ。

 まだどこか深いところで、結びつきがあるのだろうか。

 強い意思で静止を念じると、彼女の動きが一瞬止まり、頭を抱え苦しみ出した。

 

「貴方の怒りはごもっともだけど、その感情は私だけに向けなさい。彼に手を出すことは、そっちだって望んでないはずよ」

「……イ…………テ」


 ようやく一歩通行ではない、会話の成立しそうな雰囲気が生まれた。

 しかし、途切れ途切れの吐息からは絶えず激情が滲み出ており、その表情にもどこか泣き出しそうな危うさがある。

 

「カ……エシ……、テ」

「なに、を」

「アノ……バショ、ガ…………オマエ、ガ……ニク……イ!」


 ——憎い。

 それが彼女の平常を取り戻す呪文となり、再び敵意がこちらに向けられる。

 痛々しいその姿に、強い既視感を抱いた。

 こうなってしまえば、もう誰の声も届かないだろう。

 ……かつての自分がそうであったように。

 

 

 「何してるんだ、あんたら」



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