1954年
花が咲くような笑顔をこちらに向け、少女は走り出す。
——母親が迎えに来た、と。
この辺りは昼間だというのに薄暗く、人通りも少ない。
雑木林が陽の光を、大いに遮っているせいだ。
自分はまだ朝だと呼べる時間帯からここに滞在し、少女はそれからしばらく経った頃に現れた。
不安そうに辺りを見渡し、やっと見つけた大人が、俺だったらしい。
少女には同情するが、頼りになるどころか……まさかの同じ迷子仲間である。
その虚しい真実を、包み隠さず告げれば「お友達ができた!」と、喜ばれてしまった。
それは、ひょんな巡り合わせから始まった、小一時間ほどの交流。
内容といえば、他愛のない、ただの雑談である。
俺に気の利いた子守は向かないのだが、そんな不安は杞憂に終わった。
少女は背丈こそ五つか、六つといった所だが、精神的に随分と大人びていた。
受け答えがしっかりしているのは勿論、愛嬌があり、コロコロと表情を変えながら楽しげに話し、話題を引き出す。
非常に話し上手で、聞き上手。
それでつい、色々と話し過ぎた気もするが……。
「お母さんが、迎えにきたの!」
そんな少女が跳ねるように、今日一番の笑みを浮かべて、駆け出した。
せめて彼女達の再会を見届けようと、俺も立ち上がる。
……しかし次に顔を上げると、該当する親子の姿どころか、周辺には誰の姿も見受けられない。
狐にでも化かされたか、あるいは神隠し——なんて不穏な単語がよぎる中、四方を見渡していると、見覚えのある物が目に入る。
それは少女が駆け出した方角に落ちており、弱々しく太陽の光を反射させていた。
俺達が腰掛けていた倒木から、少し離れた場所にある木陰まで移動し、そっと手を伸ばす。
三つの鈴が連なる、小さな装飾品——見間違う訳がない。
今まさに俺を探しているであろう、恩師の私物。
彼女がいつも肌身離さず付けている、髪飾りだった。
しかし拾い上げたことで、初めて異変に気づく。
今朝まではなかったであろう——鈴に付着した、赤黒い液体の存在。
指で拭ってみるが、完全には拭いきれないその粘り気に、嫌な予感がついて回る。
「まさか、アサギの血痕……なのか?」
迫り来る胸騒ぎを押し留め、今朝方の忠告を思い返す。
数刻前、師であるアサギは柄にも無く、真剣な声色で告げたのだ。
『いいかい? もし私とはぐれてしまったら、無闇に動かずその場に留まること。けどそれが困難な状況や、日暮れまでに私と合流出来なかった場合。予定通りに鞠月神社を目指すんだ。結局、あそこが一番安全だから。ただね、ユメビシ一人では、辿り着くことが困難だろう。……それでも諦めず、あの場所に行きたいと、心から願うんだよ』
——そうすれば、神社は現れるから。




