タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~② 江戸のストーカー、麦をくれる 其ノ壱
下の町の朝は早く、日の出と共に人々は動き始める。朝の澄んだ空気の中に上る、飯炊きの煙。そして響きわたる豆腐売りや納豆売りなどといった物売りの声。
しかし直には関係なかった。ごそごそと布団を頭まで引き上げると、二度寝の体制に入る。
昨夜は結局遅くまで喜兵寿と飲み明かしてしまった。というかお互いに飲まずにはいられなかった。一体どれだけ飲んだのかは覚えていないが、酒は身体にたっぷりと染み込んでいて、脳みそはゆらゆらと重たい。直は水を飲みたい欲求と戦いながら、ゆっくりと眠りの中に沈み込んでいった。しかしそんなまどろみをドシドシという大きな足音が破る。
「おい、直!起きろ!」
掛け布団が勢いよく剥がされる。
「ちょ……」
見上げると、煙管をくわえた喜兵寿が呆れ顔で立っていた。
「さっさと顔を洗ってこい。朝飯ついでに市を見に行くぞ」
「まじかよ。俺まだ酒残ってんだけど……」
「そんなもん蕎麦でも食えば治るだろ」
そう言うと喜兵寿は着物を放り投げてよこした。
「その格好じゃ目立つ。着替えろ」
直は着物を手に取り、しばらく固まった。
「……なあ喜兵寿」
「なんだ」
「俺、着物の着方わかんねぇんだけど」
その言葉に、喜兵寿が目を見開いた。
「……なら仕方ない。俺が着せる」
次の瞬間には直の腕を掴んでいた。
「いやいやいや!」
抵抗もむなしく、直はあっという間に着付けられ、髪までまとめられてしまった。帯を締められると、不思議と眠気が引いていく。
「これでよし。顔を洗ってこい」
「おう!なんだか腹が減ってきた気がする。朝飯食いにいこうぜ!」
「現金なやつだな」
喜兵寿は肩をすくめると、煙を吐き出した。
下の町の朝市といえば、近隣の商人たちもこぞって足を運ぶほどの活気溢れる市。とれたての野菜や魚、日用品、そして仕事にでるものたちの腹を満たす屋台がずらりと並ぶ。
「まるで祭りみたいだな!」
直は興奮した面持ちで、あちらこちらの軒先に顔を突っ込んでいた。
「なあ喜兵寿、これはなんだ?」「お、なんだこれ?ちょっと喜兵寿見てみろよ」そんな風にして立ち止まるので、遅々として進まない。それも「なんだ?!」とキラキラ顔を輝かせて指さすものが、ただの人参だったり、大根を干したものだったり、煮つけた豆だったりするので、喜兵寿はいい加減うんざりしていた。
「お前の国ではいったい何を食べているんだ?」
「なにって、大体ここと同じもんだよ。ちょっと料理法は変わったりしてるだろうけどさ」
そう答えた直は、今度は甘酒の行商人の前で立ち止まり、物珍しそうに甘酒が入った樽を覗き込んでいる。
「喜兵寿、これは?」
「……なにって、甘酒だろ」
「甘酒を樽で持ち運んで売ってんのか!」
甘酒の樽には冷めないように大きな蓋がしてあり、その上には器が入った箱が乗っている。行商人はその箱を肩に担いだまま甘酒を器に注ぐのだが、直はその様子を食い入るように見つめていた。
「器用だな。でも甘酒って冬の飲み物だろ。こんな暑い時期に売れるのか?」
直の言葉に喜兵寿は目を丸くした。
「いやいや、甘酒は夏の飲み物だろ。1日1杯飲めば医者いらずだ」
「あーなるほどな、夏場の栄養補給か……なるほどなあ!」
ふむふむと頷きながら歩きだした直に、喜兵寿は話しかけた。
「なあ、なお。お前の国の文化はずいぶんここと異なるようだが、一体どこから来たんだ?」
「うーん、たぶん未来から来たんだと思うよ」
直はぐうっと伸びをしながら答える。
「『未来』から来たということは、昨晩酔っぱらったお前から聞いている。だからその『未来』とはどこの国だと聞いておるのだ」
「どこって言われてもなあ……」
なおは頭をかいた。
「ここだよ」
「は?」
「だから、ここ。喜兵寿が子どもを産んで、その子がまた子どもを産んで、そのまた子どもが生きてるくらい先の時代」
喜兵寿はしばらく黙り込んだ。
「意味がわからん」
「だよなぁ。俺もよくわからないんだけど、とにかく未来からきたんだよ」
「だからその未来とは……」
「なぁ、それより蕎麦食いたい!」
喜兵寿の言葉を遮るように、直は勢いよく手をあげた。
「まあ細かいことは追々で!どこから来たかは置いといて、まずは腹ごしらえしようぜ」
なおはそう言うと、さっさと蕎麦屋台の方へ走っていった。
どうにもこうにも、あっけらかんとした男だ。喜兵寿は額を押さえる。
自分の意思でここへ来たわけでもないだろうに、そんなことはどうでもいい、と言わんばかりにこの状況を楽しんでいる。
「まったく……期日までに「びいる」を造らなければ、どのような目にあうかわからないというのに」
喜兵寿は口に出した自分の言葉に、ぶるりと身を震わせた。小伝馬町の牢屋敷に入れられ、無事出てきたという話はいまだ聞いたことがない。命あって出てこれたとしても両腕を失っていたり、声を失っていたり。心神喪失した状態から戻らず、そのまま社会に復帰できないものが多いと聞く。
それでも。
喜兵寿は自分が薄く笑っているのに気づき、きゅっと下唇を噛んだ。胸の高鳴りを抑えることができなかった。
いままで嗅いだことのないような香り。口にいれた瞬間の跳ね回る感覚。
あの酒をどのように生み出すのかをこの男は知っていて、それをいまからこの目で見ることができるかもしれない。その事実は喜兵寿をたまらなく興奮させていた。死が身近に迫ってくるかもしれないというのに、それすらもびいる造りのいいきっかけと思ってしまうとは。
「あやつもおかしな奴だが、俺も俺だな」
喜兵寿はふふっと笑うと、「蕎麦あったぞ!蕎麦」と叫ぶ直の声が聞こえてきた。
朝市にはたくさんの屋台があるが、なかでも「二八蕎麦 やまき」は一番人気の店だ。
「きっちゃん!いらっしゃい」
屋台の中を覗き込むと、忙しそうに立ち回る店主が笑みを向けてきた。
「おやじ、邪魔するよ。いつもの1つね」
「あいよ!お、そっちはお連れさんかい?」
直の方に目を向けると、予想通り屋台の周りをちょこまかと動き回っていた。
「こんなに小さな店なのに、メニューいっぱいあるんだな!あんかけ、あられ、しっぽく、花まき……やべえ全然どんな味かわかんねえ」
「あんかけはトロミのある餡が乗った蕎麦、あられは貝柱、しっぽくは蒲鉾や野菜、花巻は海苔だよ!」
直の独り言に対し、店主が威勢のいい声で答える。ぐつぐつと湯気を立てる釜の中をかき回しながら、ネギを刻みながら、そばつゆの火加減を調整しながら、ここの店主は本当によく動く。そしていつだってにこにこと客のことに気を配っていた。味もうまけりゃ人柄もいいとくれば、人気が出るのは当たり前だ。喜兵寿もここの蕎麦のことを気に入っており、三日にあげずに通っていた。
「うっわ、迷うな……あられかあんかけか……喜兵寿はなににするんだ?」
「きっちゃんはいつだって『ざる』だよな!はいよ、いつもの。海苔多め、ネギ多め!」
喜兵寿が答える前に、店主がざる蕎麦を差し出してきた。少し白みがかった蕎麦はつやつやで、その上にふんわりと刻み海苔がのっている。
「うっわ。うまそうだな、これ!おやじ、俺も同じので!」
「あいよ!」
店主は答えると、一瞬の後になおの前にもざる蕎麦を差し出した。
「え!?おれ今頼んだばっかなんだけど!」
「お連れさん『ざる』食べるだろうな、と思ったからさ。一緒に茹でといたよ」
「やば!ここのおやじ超能力者だ」
直は大爆笑しながら、箸を割り「いただきます」と大きな口で蕎麦をすすった。ズズ、ズズズっとすする音だけが静かに響く。いままでの直の言動から、「なんだこれ」とか「うまい」とか騒がしく食べるのだろうと警戒していた喜兵寿は、肩透かしをくらったような気持ちで自分の蕎麦に手をつけた。
「二八蕎麦 やまき」の蕎麦は、つゆもさることながらその蕎麦が抜群にうまい。しなやかでなめらか。でも噛みしめるとその中にキリっとしたコシがあるのだ。喉を心地よく滑り落ちていきつつも、その繊細なうまみを口の中にしっかりと残していってくれる。下の町に二八蕎麦の店は多々あれど、こんなにもうまい蕎麦を出す店は他になかった。
下の町一番の蕎麦。かつて喜兵寿は、「この蕎麦をうちの店でも出したい」と交渉したことがあったが「うちに伝わる門外不出だから」とあっさり断られてしまった。噂には多くの店がこの蕎麦の作り方を探ろうとしているらしい。中にはその秘密を探ろうと、隠密を雇ったものもいるとかいないとか。とにかく「二八蕎麦 やまき」は遠方にまでその噂が広まるような店なのだった。
直は蕎麦をきれいにたいらげ、蕎麦つゆの最後の一滴まで飲み切ると「ふうっ」と小さく息をついた。そして宙をぼんやり見つめると、人差し指で何かを書き出す。
「蕎麦は二八蕎麦。蕎麦粉に小麦粉、あとは……山芋に、この少し香る感じは、布海苔か。小麦粉がつなぎなんだろうけど、それに少しだけ加えてるこいつらがいい味出してんだなあ!」
「!?」
直のひとり言に、喜兵寿は驚いて蕎麦を喉に詰まらせる。
「げほげほっ…!ちょ、お前なにを…げほ」
「なにってこの蕎麦についてだよ。ってか喜兵寿大丈夫か?」
直は笑いながら喜兵寿の背中をたたく。
「それにしても蕎麦つゆに味噌が入ってるのはびっくりしたよ。出汁は鰹節にしいたけか。材料はそんなに珍しいもんじゃないけど、おっちゃんは火の入れかたが最高にうまいんだな。それぞれのうまみが全部出てる」
「なんでそんなことがわかるんだ?あてずっぽうで言ってるんじゃ……」
喜兵寿がハッと店主の方を見ると、茫然と直を見つめていた。その表情から直の言葉が間違っていないことがわかる。
「食ったんだからわかるっつーの。ほら、俺は舌はいいからさ!」
驚いて言葉が出ない店主と喜兵寿を前に、直はどや顔で胸を叩いた。
下の町の多くの店、そして金儲けをしようとしていた商人たちがずっとずっと知りたがっていた門外不出の作り方を、なおはさらっと言い当てたのだ。喜兵寿が口をぱくぱくとしていると、店主が大きな声で笑い出した。
「生きてきて40数年。こんなにびっくりしたのは初めてだ!まさかこんな人間がいるなんてな……すごいこった!でもお連れさん、申し訳ねえんだが、今の話は黙っといちゃもらえないか?作り方がバレちまったら商売あがったりだからよ」
店主の拝むような仕草に、なおはひらひらと手を振った。
「料理人の宝もんはベラベラしゃべるもんじゃないってことくらい、俺にもわかってるよ。ってかさ、いまさらだけど小麦粉あるんだな!」
店主や喜兵寿の驚きなんて、どうでもいいというように直は話題を変えた。
「ところで小麦粉があるってことはさ、大麦もあるのか?!」
「大麦って……麦めしにしたり、飴にしたり茶にするあの大麦か?」
店主が答えると、直は「その大麦だよ!」と大きな声で叫んだ。
「ビールは大麦から造るんだよ!」
と再び大きな声で叫んだ。その一言に喜兵寿も「おおっ」と唸る。
「大麦か!」
「大麦だよ!」
「びいるは大麦なのか!」
「ビールは大麦なんだよ!」
店主はというと、自分の感情の置き場がわからずに、ただただぼんやりと二人のやりとりを見ていた。
「おやじ、お勘定!」
「お、おお……まいど」
直と喜兵寿。ふたりは「大麦だ!」と叫びながら朝市へと戻っていったのであった。




