幽霊掲示板の最後の返事
インターネットには、幽霊が出るらしい。
……いや。
いきなり何を言っているんだと思うかもしれないが、俺だって別に信じているわけじゃない。
ただ、そういう噂があるのだ。
誰も更新していないホームページ。
何年も動いていないアクセスカウンター。
管理人がいなくなったはずの掲示板。
そんな場所に、ある日突然、新しい書き込みが現れる。
それも、昔の管理人と同じ名前で。
いったい誰が書いているのか。
どこから書き込んでいるのか。
それを知る者は誰もいない。
……という話を。
「昨日の夜、ネットで見つけたんだよ!」
七月二十一日、木曜日。
夏休みに入ったばかりの旧パソコン室で、久世リョウが得意げに語っていた。
「……で?」
俺は扇風機の前に座りながら尋ねた。
「それがどうした?」
「どうした、ではない!」
久世は眼鏡を押し上げた。
「ネット上に存在する謎の現象だぞ! 興味深いと思わんのか!」
「普通に誰かが書き込んだだけだろ」
「夢がないな、葛城!」
「現実的と言ってくれ」
俺たちのやり取りを聞いて、朝比奈ナツキが目を輝かせた。
「何それ! 面白そう!」
「だろう!」
「幽霊掲示板?」
「そうだ!」
「見たい見たい!」
……駄目だ。
こういう話題で朝比奈と久世を一緒にすると、面倒なことになる。
絶対に。
「ねえ、久世くん。そのホームページ、今も見られるの?」
「いや、俺が見つけたのは噂を紹介したページだ。肝心の掲示板は分からん」
「えー」
朝比奈が残念そうに肩を落とした。
「じゃあ、探してみようよ!」
「ふっ。いいだろう」
「おい」
俺は慌てて口を挟んだ。
「夏休み初日から何をするつもりだ、お前ら」
「幽霊探し!」
「電脳捜査だ!」
見事に声が重なった。
……仲がいいことで。
俺は大きくため息をついた。
◇ ◇ ◇
夏休みに入っても、夕焼け電脳クラブの活動は続いていた。
もっとも、正式な部活動として認められたわけではない。
今のところは、旧校舎の資料整理を手伝うという形で、学校に出入りさせてもらっている。
そのあたりの話をまとめたのは、白河スズネ先輩だった。
普段はのんびりしているくせに、こういうときは妙に頼りになる。
「先生に相談したら、掃除も手伝うならいいって」
数日前、先輩はそんなことを言っていた。
おかげで俺たちは、夏休み中も旧パソコン室を使えることになった。
……ただし。
「ユウマくん、そこにある段ボール、ちょっと持ってくれる?」
「はい」
俺は言われたとおり、足元の段ボールを持ち上げた。
意外と重い。
「……何が入ってるんですか、これ」
「古い参考書と、パソコンの説明書かな」
「説明書?」
「うん。もう使わないみたいだから、片付けておこうと思って」
スズネ先輩は、別の段ボールを抱えながら笑った。
「あとで忘れ物博物館にも寄ろうね」
「……また物が増えるんじゃないですか?」
「大丈夫、大丈夫」
「本当ですか?」
「たぶん」
「そこは言い切ってください!」
スズネ先輩は、くすくす笑っていた。
……まったく。
この人も、この人で変わっている。
ただ、こうして片付けていると、古い校舎には本当にいろいろな物が残っていることが分かる。
フロッピーディスク。
黄ばんだプリント。
昔のパソコン雑誌。
使い道の分からないケーブル。
そして、何年前のものかも分からないマウスパッド。
「おおっ!」
久世が、棚から何かを取り出した。
「これは!」
「今度は何だ?」
「懐かしい!」
久世が手にしていたのは、古いパソコン雑誌だった。
表紙には、今となっては少し時代遅れに見えるパソコンが大きく載っている。
「こういう雑誌、昔はよく読んだものだ」
「お前、いくつだよ」
「十七だ!」
「知ってるよ!」
朝比奈が、雑誌をのぞき込んだ。
「へえー。昔のパソコンって、こんな感じなんだ」
「この頃はな、まだ通信速度も――」
「はいはい」
俺は久世の説明を遮った。
「続きは片付けが終わってからにしてくれ」
「何だと!?」
「先生に掃除も手伝うって約束したんだろ」
「……む」
久世は渋々、雑誌を段ボールへ戻した。
珍しく俺の言うことを聞いたな。
そう思っていたら。
「……あとで持って帰ってもいいだろうか」
「先生に聞けよ」
やっぱり諦めていなかった。
◇ ◇ ◇
片付けが終わったのは、午後四時過ぎだった。
窓の外では、セミがうるさいくらいに鳴いている。
スズネ先輩が持ってきた麦茶を飲みながら、俺たちはようやく一息ついた。
「いやー、働いたねえ」
朝比奈が机に突っ伏す。
「お前、途中で古い漫画を読み始めてただろ」
「だって面白かったんだもん」
「掃除中に読むな」
「葛城くんだって、昔のゲーム雑誌見てたじゃん!」
「……」
言い返せなかった。
確かに、少し見た。
懐かしいゲームの広告が載っていたから、つい。
「まあまあ」
スズネ先輩が、のんびり笑った。
「ちゃんと片付いたんだから、いいんじゃない?」
「先輩が言うなら……」
「葛城。お前、先輩には甘いな」
久世が横から言ってきた。
「うるさい」
俺は麦茶を飲み干した。
冷たくて、うまい。
こういう暑い日に飲む麦茶は、やっぱりいい。
そのとき。
ぴこん。
聞き覚えのある電子音が鳴った。
「……あ」
朝比奈が顔を上げる。
旧パソコンの画面に、小さな通知が表示されていた。
『新しいファイルを受信しました。』
「来たーっ!」
朝比奈が勢いよく立ち上がる。
「新しい依頼!」
「お前、さっきまで疲れたって言ってなかったか?」
「それとこれとは別!」
「便利な身体だな」
久世は、すでにパソコンの前へ移動していた。
「ふっ。五件目か」
画面には、新しいファイルが表示されている。
『REQUEST_005.LZH』
「今度は何だろうねえ」
スズネ先輩が、俺の隣から画面をのぞき込んだ。
「また写真かな?」
朝比奈が言う。
「それともメール?」
「……できれば、もう少し簡単なやつがいいな」
俺は呟いた。
だが。
その願いは、残念ながら叶わなかった。
久世が圧縮ファイルを解凍する。
中から現れたのは、二つのファイルだった。
『ONEGAI_005.TXT』
『BBS_LOG.TXT』
「……BBS?」
朝比奈が首をかしげた。
「何それ?」
「掲示板だ」
久世が答えた。
「インターネット上で、利用者が文章を書き込んだり、返事をしたりできる場所だな」
「ああ、掲示板!」
朝比奈は頷いた。
「知ってる知ってる!」
「なら最初からそう言え」
「略されると、ちょっと分かんなくなるんだよ!」
久世は、先に依頼文を開いた。
そこには、短い文章が書かれていた。
『閉鎖されたホームページの掲示板を調べてください。』
『最後の書き込みを、待っている人に届けてほしいのです。』
『ホームページの名前は「放課後の窓」。』
『よろしくお願いします。』
「……放課後の窓?」
俺は呟いた。
どこかで聞いたような、聞いていないような名前だ。
朝比奈が目を輝かせる。
「これって、さっきの幽霊掲示板みたいじゃない!?」
久世も興奮した様子で頷いた。
「まさか、このタイミングで掲示板の依頼が来るとは!」
「……偶然だろ」
俺はそう言った。
ただ、少しだけ気にはなった。
閉鎖されたホームページ。
最後の書き込み。
そして、待っている人。
いったい、どういうことなのだろう。
「とりあえず、もう一つのファイルを見てみるか」
久世は頷き、BBS_LOG.TXTを開いた。
画面には、昔の掲示板の記録らしい文章が並んでいた。
『放課後の窓 交流掲示板』
『管理人:SORA/NAMI』
『開設:2002年4月』
その下には、いくつもの書き込みが残されていた。
『2002/05/18 投稿者:SORA』
『今日は商店街で写真を撮った。明日アップする予定。』
『2002/05/18 投稿者:NAMI』
『また私の変な顔を載せないでよ!』
『2002/05/19 投稿者:SORA』
『じゃあ次はもっと変な顔を撮る。』
『2002/05/19 投稿者:NAMI』
『やめろ!』
「……何だこれ」
俺は思わず笑ってしまった。
どうやら、仲のいい二人だったらしい。
さらに画面を下へスクロールする。
『2002/07/21 投稿者:NAMI』
『夏休みだー! 今年もいっぱい更新するぞ!』
『2002/07/21 投稿者:SORA』
『お前、先に宿題やれよ。』
『2002/07/21 投稿者:NAMI』
『うるさい!』
「……何だか、俺たちみたいだね」
朝比奈が笑った。
「どこがだよ」
「こういうくだらない会話!」
「自覚はあるんだな」
「あるよ!」
久世は、さらに記録を読み進めた。
書き込みは、二〇〇二年の夏から秋にかけて続いている。
写真を撮った話。
文化祭の準備。
好きなゲーム。
学校の帰りに食べたアイス。
そんな、何でもない日常の話ばかりだった。
しかし。
二〇〇二年の秋を過ぎたあたりから、書き込みの数が急に減っていた。
そして、最後のほう。
『2002/11/03 投稿者:NAMI』
『最近、全然更新してないね。』
『2002/11/05 投稿者:SORA』
『ごめん。ちょっと忙しくて。』
『2002/11/06 投稿者:NAMI』
『まあ、仕方ないか。』
そこで、一度記録が途切れる。
「……終わり?」
朝比奈が首をかしげる。
「いや」
久世は首を横に振った。
「まだ続きがある」
画面の一番下に、さらに書き込みが残されていた。
ただし、日付が違う。
『2005/07/20 投稿者:SORA』
『久しぶり。』
『まだ、この掲示板が残っていたので書き込んでみた。』
『もし見ていたら、返事をください。』
『NAMIへ。』
『あのホームページ、一緒に作れて楽しかったよ。』
……。
俺たちは、しばらく黙って画面を見ていた。
三年前に更新が止まった掲示板。
そこへ、今になって書き込まれた文章。
しかも、昔の管理人と同じ名前。
「……これか?」
俺が呟くと、久世が頷いた。
「おそらくな」
朝比奈は、少しだけ真面目な顔になった。
「……最後の書き込みを、待っている人に届けてほしい」
依頼文を読み上げる。
「ってことは、このNAMIって人を探せばいいのかな?」
「そういうことだろうな」
俺は頷いた。
だが、問題がある。
SORA。
NAMI。
どちらもハンドルネームだ。
本名も住所も分からない。
この広い町の中から、どうやって探せばいいのだろう。
「……難しくないか、これ」
俺が呟くと。
「ふっふっふ」
久世が不敵に笑った。
「葛城よ」
「……何だ?」
「ついに、俺の専門分野が来たようだな」
久世は眼鏡を押し上げた。
「任せろ。この電脳魔術師に不可能はない!」
……ああ。
そういえば、さっきも似たようなことを言っていたな。
◇ ◇ ◇
翌日。
七月二十二日、金曜日。
俺たちは、久世の調査結果を聞くために再び学校へ集まった。
「結論から言おう」
旧パソコン室の中央で、久世が腕を組んだ。
「『放課後の窓』というホームページは、今も一部だけ残っている」
「……本当か?」
「ああ」
久世は、一枚の紙を机へ置いた。
そこには、古いホームページの画面が印刷されていた。
青い背景。
大きなタイトル。
妙に派手な星の飾り。
そして、画面の端には小さな文字。
『あなたは0002846人目のお客様です!』
「うわあ、懐かしい!」
朝比奈が声を上げた。
「こういうホームページあるよね!」
「あるな」
俺も頷いた。
昔の個人ホームページには、こういうアクセスカウンターがよくついていた。
何人目の訪問者かを数える数字だ。
キリのいい番号を踏んだら、掲示板で報告してくれ、なんて書いてあるところも多い。
……俺も小学生の頃、意味も分からず数字を更新して遊んだことがある。
「で、肝心の掲示板は?」
俺が尋ねると、久世は次の紙を取り出した。
「こっちだ」
そこには、例の掲示板の画面が印刷されていた。
『放課後の窓 交流掲示板』
そして、一番新しい書き込み。
『2005/07/20 投稿者:SORA』
『久しぶり。』
『まだ、この掲示板が残っていたので書き込んでみた。』
『もし見ていたら、返事をください。』
『NAMIへ。』
『あのホームページ、一緒に作れて楽しかったよ。』
「……本当にあるんだ」
朝比奈が呟いた。
「どうしてホームページが閉鎖されたのに、掲示板だけ残ってるんだ?」
俺が聞くと、久世は説明を始めた。
「個人ホームページでは、トップページと掲示板を別の場所に置くことがある」
「別の場所?」
「ああ。掲示板だけ、別のサービスを借りている場合もあるんだ」
「へえー」
朝比奈が感心した。
「つまり、ホームページの更新をやめても、掲示板だけ残ってることがあるってこと?」
「そのとおり」
久世は満足そうに頷いた。
「だから、管理人がいなくなったと思われている掲示板にも、新しい書き込みができる場合がある」
「……じゃあ、幽霊じゃないのか」
朝比奈が少し残念そうに言った。
「当然だ。インターネット上の幽霊など――」
久世は、そこで一度言葉を切った。
そして、得意げに眼鏡を押し上げる。
「……いや、まだ分からんがな」
「何でだよ!」
俺は思わず突っ込んだ。
朝比奈は大笑いしていた。
スズネ先輩も、楽しそうに紙を眺めている。
「でも、いいねえ」
「何がですか?」
俺が聞くと、先輩は少しだけ笑った。
「こういうホームページ」
「……そうですか?」
「うん」
スズネ先輩は、印刷された画面の端を指さした。
「『工事中』って書いてあるでしょ」
「ああ、本当だ」
ページの下のほうに、小さな文字があった。
『写真コーナー 工事中!』
その横には、工事用のヘルメットをかぶった小さなキャラクターが描かれている。
「これ、ずっと工事中だったのかな」
スズネ先輩が笑う。
「たぶん」
久世が答えた。
「最後の更新日から考えると、三年近く工事中だったことになるな」
「……長い工事だな」
俺が言うと、朝比奈が吹き出した。
「完成予定はいつなんだろ!」
……誰も知らない。
きっと、作った本人たちも忘れてしまったのだろう。
そう考えると、少しおかしかった。
でも。
少しだけ、寂しい気もした。
◇ ◇ ◇
「さて」
久世が、話を戻した。
「問題はNAMIという人物だ」
「うん」
朝比奈が頷いた。
「本名は分かったの?」
「いや。ホームページには書かれていない」
「じゃあ、どうする?」
久世は、少し考えた。
「学校関係の資料を調べるのがよさそうだな」
「学校?」
「ああ。このホームページには、夕凪高校の文化祭についての記録が残っている」
「……なるほど」
俺は頷いた。
確かに、書き込みの中には文化祭の話が何度も出てきた。
もしかすると、SORAとNAMIはこの学校の卒業生なのかもしれない。
そこで。
「じゃあ、忘れ物博物館に行ってみようか」
スズネ先輩が、のんびりした声で言った。
朝比奈が目を輝かせる。
「おおっ!」
「昔の文化祭のパンフレット、何冊か残してあるよ」
「本当ですか!?」
「うん。たぶん」
……また、たぶんか。
俺は少し不安になった。
しかし、今のところほかに手掛かりはない。
「……行ってみますか」
俺が言うと、スズネ先輩は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、案内するね」
◇ ◇ ◇
忘れ物博物館。
その名前を初めて聞いたとき、俺は正直、もっと怪しい場所を想像していた。
埃だらけの倉庫。
天井まで積まれた段ボール。
どこから持ってきたのか分からない謎の物体。
……いや。
実際、だいたい合っていた。
「……先輩」
「ん?」
「これ、博物館というより倉庫じゃないですか?」
「えへへ」
スズネ先輩は、ちっとも悪びれずに笑った。
旧校舎の二階。
使われなくなった小さな準備室。
その中には、古いものが山ほど置かれていた。
教科書。
卒業アルバム。
使いかけのノート。
小さなぬいぐるみ。
壊れたラジオ。
古いカセットテープ。
そして、なぜか片方だけのスリッパ。
「……これ、何ですか」
俺はスリッパを指さした。
「スリッパだよ」
「それは分かります」
「片方しかないの」
「見れば分かります!」
朝比奈が笑い出す。
久世は、棚に置かれた古い機械を見つめていた。
「おお……これは!」
「……お前、またか」
「ポータブルCDプレーヤーだ!」
「あるだろ、そのくらい」
「いや、これは初期の――」
「説明はあとで頼む」
俺は久世を引っ張った。
この部屋にいると、いつまでたっても目的を忘れそうだ。
スズネ先輩は、棚の奥から大きなファイルを取り出した。
「これかなあ」
表紙には、こう書かれている。
『夕凪祭 過去資料』
「おおっ!」
朝比奈が身を乗り出した。
「それです!」
俺たちは机の上にファイルを広げた。
古いパンフレット。
模擬店の案内。
文化祭のポスター。
何年分もの記録が、丁寧に保存されていた。
「……ちゃんと整理してるんですね」
俺が言うと、スズネ先輩は嬉しそうに笑った。
「でしょ?」
「少し意外でした」
「ユウマくん、ひどいなあ」
……すみません。
でも、あの部屋を見たら、誰だってそう思うはずだ。
俺たちは、二〇〇二年の文化祭パンフレットを探した。
しばらくして。
「あった!」
朝比奈が声を上げた。
「これ!」
彼女が開いたページには、当時の生徒たちが作った展示の一覧が載っていた。
写真部。
文芸部。
美術部。
そして、その隅に小さな項目。
『有志展示 放課後の窓』
「……これだ」
俺は思わず呟いた。
そこには、こう書かれていた。
『学校生活や商店街の日常を紹介する個人ホームページを展示します。』
『制作:小松千春・宮崎奏』
「……二人の名前が載ってる!」
朝比奈が嬉しそうに言った。
「これで、SORAとNAMIの正体が分かるかも!」
「可能性は高いな」
久世が頷いた。
スズネ先輩は、名前を見つめて少し考えた。
「……あれ?」
「どうしたんですか?」
俺が尋ねる。
「小松千春さんって……」
先輩は、首をかしげた。
「どこかで聞いたことあるなあ」
「知り合いですか?」
「うーん……」
しばらく考える。
そして。
「あっ」
スズネ先輩が、ぽんと手を打った。
「商店街の文具屋さん!」
「……文具屋?」
「うん。『さくら文具』で働いてる人じゃないかな」
朝比奈の目が輝いた。
「本当ですか!?」
「たぶん。名前が同じだけかもしれないけど」
……なるほど。
少なくとも、確かめる価値はありそうだ。
俺たちは、もう一度パンフレットを見た。
小さな写真が載っている。
二人の生徒が、古いパソコンの前で笑っていた。
画面には、『放課後の窓』という文字。
その下に、手書きの説明が貼られている。
『まだまだ工事中ですが、よろしくお願いします!』
……三年前から工事中だったのか。
俺は、少しだけ笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
商店街の『さくら文具』は、駅前から少し歩いたところにある小さな店だった。
店先には、色とりどりのノートやボールペンが並んでいる。
ガラスケースの中には、万年筆や高そうな文房具。
入口の横には、子供向けのシールや消しゴムが置かれていた。
「懐かしいなあ、ここ」
朝比奈が言った。
「小学生の頃、よく来たんだよね」
「俺も何回か来たことある」
「ね! この辺の子なら、一度は来るよね!」
スズネ先輩は、慣れた様子で店へ入った。
「こんにちはー」
カラン。
入口の小さなベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
奥から、若い女性が顔を出した。
肩まで伸びた黒髪。
落ち着いた雰囲気。
年齢は、二十歳くらいだろうか。
「あ、白河さん」
女性はスズネ先輩を見て微笑んだ。
「こんにちは。今日は何を探してるの?」
「今日はねえ、ちょっと人を探してて」
「人?」
俺たちは、互いに顔を見合わせた。
そして、朝比奈が一歩前に出た。
「あの!」
「はい?」
「小松千春さんって、こちらにいますか?」
女性は、少し驚いた顔をした。
「……私ですけど」
「えっ!」
朝比奈が声を上げる。
「本当ですか!?」
「え、ええ……」
女性は、少し戸惑った様子だった。
……まあ、突然高校生が四人も押しかけてきたら、そうなるよな。
俺は慌てて説明した。
「すみません。ちょっと昔のホームページについて調べていて……」
「ホームページ?」
「はい。『放課後の窓』っていう名前なんですけど」
その瞬間。
女性の表情が変わった。
「……え?」
俺たちは、顔を見合わせた。
どうやら、当たりらしい。
「……それ」
女性は、少しだけ声を落とした。
「どうして知ってるの?」
◇ ◇ ◇
小松千春さんは、昔のホームページのことを覚えていた。
というより。
その名前を聞いた瞬間、かなり懐かしそうな顔をしていた。
「……まだ残ってたんだ」
千春さんは、俺たちが持ってきた印刷物を見つめながら呟いた。
「これ、私が高校生の頃に作ったやつ」
「やっぱり!」
朝比奈が嬉しそうに言った。
「じゃあ、千春さんがNAMIさんですか?」
「……うん」
千春さんは頷いた。
「そう。昔、そういう名前で書き込んでた」
……なるほど。
ようやく一人、見つかった。
「SORAさんっていうのは?」
俺が尋ねると、千春さんは少しだけ笑った。
「宮崎奏。高校の頃の友達だよ」
「……今は?」
「さあ……」
千春さんは首を横に振った。
「卒業してから、ほとんど連絡してなくて」
少し、寂しそうな声だった。
「昔は、すごく仲良かったんだけどね」
「そうなんですか」
「うん」
千春さんは、印刷されたホームページを指でなぞった。
「私たち、二人で何か作るのが好きだったの」
写真を撮ったり。
学校の帰りに寄ったお店を紹介したり。
変なイラストを描いたり。
くだらない日記を書いたり。
そういうものを、少しずつホームページへ載せていたらしい。
「アクセスカウンターが一つ増えただけで、大騒ぎしてたなあ」
千春さんが笑う。
「『今日、知らない人が来てくれた!』って」
「……分かります」
久世が突然、真剣な顔で頷いた。
「何が?」
俺が尋ねると、久世は腕を組んだ。
「俺のホームページも、アクセス数が一つ増えるだけで嬉しいからな」
「……お前、ホームページ持ってるのか?」
「当然だ!」
久世は得意げに言った。
「電脳魔術師の研究所だ!」
「……どんな内容なんだ」
「パソコンの改造記録、ゲームの感想、その他さまざまな情報を掲載している」
「へえ」
朝比奈が目を輝かせた。
「見たい見たい!」
「ふっ。いいだろう」
「アクセス数、どれくらい?」
俺が何気なく尋ねると、久世は少し黙った。
「……昨日は三人だ」
「おお」
「そのうち二人は俺だがな」
「ほとんどお前じゃねえか!」
朝比奈が大笑いした。
千春さんも、思わず吹き出した。
さっきまで少し緊張していた空気が、ようやく柔らかくなった。
「……でも」
千春さんは、もう一度印刷物を見た。
「懐かしいなあ」
その声には、少しだけ寂しさが混じっていた。
「卒業してから、お互い忙しくなっちゃって」
携帯電話を替えた。
メールアドレスも変わった。
昔みたいに毎日顔を合わせることもなくなった。
そうしているうちに、連絡するきっかけを失ってしまったのだという。
「別に喧嘩したわけじゃないんだけどね」
千春さんは苦笑した。
「何となく、今さら連絡するのも変かなって」
……ああ。
何となく、分かる気がした。
別に嫌いになったわけじゃない。
ただ、少しずつ生活が変わっていく。
気づいた頃には、昔みたいに話せなくなっている。
そんなことも、あるのだろう。
「……あの」
朝比奈が、少し遠慮がちに口を開いた。
「実は、見てほしいものがあるんです」
「何?」
朝比奈は、久世が印刷した掲示板の紙を差し出した。
「これです」
千春さんは、紙を受け取った。
そして、ゆっくりと文章を読んだ。
『2005/07/20 投稿者:SORA』
『久しぶり。』
『まだ、この掲示板が残っていたので書き込んでみた。』
『もし見ていたら、返事をください。』
『NAMIへ。』
『あのホームページ、一緒に作れて楽しかったよ。』
……。
千春さんは、しばらく何も言わなかった。
ただ、紙を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……そっか」
その声は、とても静かだった。
「奏、まだ覚えてたんだ」
「……はい」
朝比奈が頷いた。
「たぶん、千春さんに伝えたかったんだと思います」
千春さんは、少しだけ笑った。
「……そうだね」
そして、もう一度紙を見た。
「私も、楽しかったなあ」
ぽつりと呟く。
「ホームページ作ってた頃」
俺たちは、何も言わずに聞いていた。
「別に、すごいものを作ってたわけじゃないの」
千春さんは笑った。
「写真も下手だったし、文章も変だったし。今見たら恥ずかしいものばっかり」
それでも。
「毎日、次は何を載せようって考えるのが楽しかった」
千春さんは、少しだけ遠くを見るような目をした。
「学校の帰りに写真を撮って、夜にパソコンを開いて、掲示板でくだらない話をして……」
そこで、言葉を切った。
「……そういう時間って、ずっと続くような気がしてたんだよね」
……。
俺は、何となく胸の奥が少しだけ静かになるのを感じた。
今の俺たちも、似たようなことをしている。
放課後に集まって。
変なパソコンを囲んで。
くだらないことで笑って。
たまに、誰かの困りごとを解決して。
そんな時間が、当たり前のように続いている。
でも。
いつかは、変わるのだろうか。
……いや。
今は、そんなことを考えても仕方がない。
「……あの」
俺は千春さんへ言った。
「返事、してみませんか?」
「……え?」
「掲示板に」
千春さんは、少し驚いた顔をした。
「でも……今さら」
「今さらでも、いいんじゃないですか」
俺は、少しだけ考えてから続けた。
「向こうも、今さら書き込んでるんですし」
千春さんは、ぽかんとした顔で俺を見た。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「確かに、そうかも」
朝比奈も笑顔になった。
「そうですよ!」
久世が頷く。
「掲示板なら、まだ使えるはずだ」
「……本当?」
「ああ」
久世は眼鏡を押し上げた。
「少なくとも、昨日の時点では正常に動作していた」
千春さんは、しばらく考えていた。
そして。
「……じゃあ」
少し照れくさそうに笑った。
「久しぶりに、書いてみようかな」
◇ ◇ ◇
文具店の奥には、小さな事務用パソコンが置かれていた。
千春さんは店長さんに声をかけ、少しだけ使わせてもらうことにした。
久世が、昔の掲示板のアドレスを入力する。
しばらくして、画面に懐かしいページが表示された。
『放課後の窓 交流掲示板』
青い背景。
小さな星の飾り。
昔のままの文字。
千春さんは、思わず笑った。
「……変わってない」
「そうですね」
朝比奈が頷く。
「ずっと、このままだったんですね」
千春さんは、マウスを操作して書き込み欄を開いた。
名前の欄に、ゆっくりと文字を入力する。
『NAMI』
「……これ、まだ使う日が来るとは思わなかったな」
小さく呟いて、本文を書き始める。
俺たちは、少し離れたところで待っていた。
久世は、画面をのぞき込まないように後ろを向いている。
朝比奈は、何だか嬉しそうだった。
スズネ先輩は、のんびり店内の文房具を眺めている。
やがて。
「……できた」
千春さんが、ぽつりと言った。
画面には、短い文章が書かれていた。
『2005/07/22 投稿者:NAMI』
『見たよ。』
『まさか、まだここが残ってるなんて思わなかった。』
『こっちこそ、あの頃は楽しかったよ。』
『そういえば、写真コーナーってまだ工事中なんだね。』
『いつ完成するの?』
……。
俺は思わず笑ってしまった。
千春さんも、くすくす笑っている。
「……これでいいかな」
「いいと思います!」
朝比奈が笑顔で頷いた。
千春さんは、送信ボタンにマウスを合わせた。
そして。
カチッ。
小さな音がした。
画面が切り替わる。
掲示板の一番上に、新しい書き込みが表示された。
『投稿が完了しました。』
「……あ」
千春さんは、しばらく画面を見つめていた。
それから。
「……送れた」
少しだけ、嬉しそうに笑った。
俺たちは顔を見合わせた。
朝比奈が小さく拳を握る。
「……よしっ!」
久世も満足そうに頷いていた。
スズネ先輩は、にっこり笑った。
「よかったねえ」
……うん。
何だか、いい気分だった。
たった一つの書き込み。
それだけで、三年間止まっていた会話が、また少しだけ動き始めた。
そう思うと。
インターネットも、悪くないものだと思った。
◇ ◇ ◇
午後五時五十分。
俺たちは旧パソコン室へ戻ってきた。
「さて!」
朝比奈が、いつもの席へ座る。
「結果発表!」
「……それ、毎回言うのか?」
俺が尋ねると、朝比奈は力強く頷いた。
「もちろん!」
「……そうか」
もう、何も言うまい。
久世がYUYAKE MAIL SYSTEMを開く。
受信一覧には、五件目の依頼が表示されていた。
『REQUEST_005 COMPLETE』
「やったー!」
朝比奈が両手を上げる。
「五件目も成功!」
「……今回は、少し変わった依頼だったな」
俺は呟いた。
落とし物でもない。
事故を防ぐわけでもない。
ただ、昔の掲示板に残された言葉を、相手に届けただけ。
それでも。
ちゃんと喜んでもらえた。
久世は、少しだけ満足そうだった。
「ふっ。今回は俺の技術が役に立ったな」
「まあな」
俺は素直に頷いた。
「お前がいなかったら、掲示板を見つけられなかったかもしれない」
「……む」
久世は一瞬黙った。
そして、少しだけ視線をそらした。
「……当然だ」
「照れてる?」
朝比奈が笑った。
「照れていない!」
「顔赤いよー!」
「室温が高いだけだ!」
「扇風機、回ってるけどな」
「葛城!」
俺は思わず笑ってしまった。
……本当に、分かりやすいやつだ。
画面の隅では、ミナセが小さく首をかしげていた。
『皆さん、楽しそうですね。』
「楽しいよ!」
朝比奈が答える。
『それは何よりです。』
「ねえ、ミナセちゃん」
『はい。』
「幽霊って、いると思う?」
突然の質問だった。
ミナセは、少しだけ間を置いた。
『私には判断できません。』
「そっかあ」
『ですが。』
「ん?」
『誰かが残した言葉が、長い時間を経て別の誰かに届くことはあります。』
……。
俺は、少しだけ画面を見つめた。
『それを幽霊と呼ぶかどうかは、皆さん次第ではないでしょうか。』
「……何だそれ」
俺が言うと、ミナセは首をかしげた。
『不適切な回答でしたか?』
「いや」
俺は小さく笑った。
「悪くないと思う」
『ありがとうございます。』
朝比奈が、嬉しそうに頷いた。
「いいこと言うね、ミナセちゃん!」
『褒めていただき、ありがとうございます。』
久世は、腕を組んでいた。
「……なるほど」
「何が?」
俺が尋ねる。
「つまり、電子の海には記憶が残るということだな」
「……まあ、そういうことかもな」
「ふっ。やはりインターネットは奥が深い」
「お前、何でもそれでまとめるな」
朝比奈が笑い出す。
スズネ先輩も、楽しそうに肩を震わせていた。
窓の外では、夕日がゆっくりと沈んでいる。
古いパソコン。
回り続ける扇風機。
机の上に広げられた活動日誌。
そして、いつもの四人と一人。
……変な部活だ。
けれど。
今日も、悪くない一日だった。
◇ ◇ ◇
帰り際。
朝比奈が、ふと俺へ尋ねた。
「ねえ、葛城くん」
「ん?」
「もしさ」
「何だよ」
「二十五年くらい経って、私たちのことを誰かが思い出したら、どんな感じなんだろうね」
……。
俺は少し考えた。
「……さあな」
「えー、考えてよ」
「急に言われても困るだろ」
「じゃあ、例えば!」
朝比奈は、旧パソコン室を見回した。
「この部屋とか、あのパソコンとか」
「……うん」
「ずっと残ってたら、面白くない?」
俺は、窓際の古いパソコンを見た。
黄ばんだ本体。
分厚いブラウン管。
小さな夕焼け色の封筒アイコン。
何年も前から、ここに置かれていたらしい機械。
「……まあ」
俺は頷いた。
「面白いかもな」
朝比奈は、にっこり笑った。
「でしょ!」
そして、何でもないことのように言った。
「じゃあ、私たちも何か残そうよ」
「何を?」
「うーん……」
朝比奈は少し考えた。
それから、鞄から例の活動日誌を取り出した。
「これ!」
「……ノート?」
「うん!」
彼女は嬉しそうに笑った。
「夕焼け電脳クラブの活動記録!」
「……そんなもの、誰が読むんだよ」
「分かんない!」
「おい」
「でも、誰かが読んでくれたら嬉しいじゃん!」
……。
俺は、少しだけ考えた。
今日見た、古いホームページ。
三年間止まっていた掲示板。
そこに残されていた、くだらないやり取り。
それが、何年も経ってから誰かに届いた。
……確かに。
そんなことも、あるのかもしれない。
「……まあ、好きにすれば」
俺が言うと、朝比奈は嬉しそうに笑った。
「うん!」
そして、活動日誌の最後に一行を書き加えた。
『七月二十二日、金曜日。』
『幽霊掲示板の依頼、完了!』
『三年前の言葉が、ちゃんと届いた。』
『いつか私たちの言葉も、誰かに届くといいな。』
……なるほど。
悪くない。
俺は、少しだけ笑った。
「……帰るぞ、朝比奈」
「はーい!」
俺たちは、旧パソコン室の電気を消した。
扇風機が止まる。
ブラウン管の画面が暗くなる。
夕焼けの光だけが、部屋の中に残っていた。
廊下へ出ると、遠くでヒグラシが鳴いている。
夏休みは、まだ始まったばかりだ。
きっと、明日も何かあるのだろう。
変な依頼とか。
くだらない騒動とか。
それから、少しだけ嬉しい出来事とか。
……まあ。
そういう夏休みも、悪くないかもしれない。
俺はそんなことを考えながら、朝比奈たちの後ろを歩いていった。




