青い封筒と放課後の秘密
人間には、他人に知られたくない秘密というものがある。
例えば、好きな人の名前。
例えば、テストの点数。
例えば、机の引き出しの奥に隠してある、ちょっと恥ずかしいノート。
誰にだって、一つや二つはあるだろう。
ちなみに俺の場合は、去年の文化祭で買った変なキーホルダーを、いまだに捨てられずにいることだ。
……いや、別に大した秘密でもないな。
とにかく。
そんな他人の秘密というものは、できることならそっとしておくべきだと思う。
思うのだが。
「葛城くん! 青い封筒を探すよ!」
朝っぱらから元気いっぱいの朝比奈ナツキを見ていると、そんな常識が通用する気がしなかった。
「……おはよう」
「おはよう!」
「で、今の話は聞かなかったことにしていいか?」
「駄目!」
即答だった。
七月十三日、水曜日。
夏休みまで、あと一週間ほど。
いつもなら、この時期の俺は期末試験が終わった解放感に浸りながら、夏休みのゲーム計画でも考えているはずだった。
なのに、どうして朝から他人の封筒を探すことになっているのだろう。
原因は分かっている。
昨日、旧校舎のパソコンに届いた謎の依頼だ。
『二年三組の教室に、届けてほしいものがあります。』
『青い封筒を探してください。』
『中身は、持ち主以外には見せないでください。』
……これだけ。
送り主も分からない。
持ち主も分からない。
そもそも封筒がどこにあるのかすら書いていない。
普通に考えれば、探しようがない依頼だった。
「で、朝比奈。どうやって探すつもりなんだ?」
「ふっふっふ」
朝比奈は不敵に笑った。
この笑い方をするとき、だいたいろくなことにならない。
「作戦があります!」
「聞くだけ聞いてやろう」
「名付けて――」
朝比奈は両手を広げた。
「青い封筒大捜索作戦!」
「そのまんまじゃねえか!」
「分かりやすさって大事だよ?」
「作戦の内容を聞いてるんだよ!」
「みんなに聞いて回る!」
「……」
「どう?」
「どうって言われてもな」
思わず頭を抱える。
青い封筒を持っているかどうか、クラスメイト全員に質問する。
確かに、それは一つの方法だろう。
ただし、依頼文には「中身は持ち主以外には見せないでください」とある。
わざわざそんな注意書きがあるのだから、あまり人前で騒ぐのもよくない気がした。
「もう少し慎重に探せないのか?」
「慎重に?」
「例えば、落とし物として届いてないか確認するとか」
「なるほど!」
朝比奈はぽん、と手を打った。
「さすが葛城くん!」
「これくらい普通だろ」
「じゃあまず、落とし物係に聞いてみよう!」
「そんな係あったか?」
「ない!」
「おい!」
「でも日直ならいる!」
……今日は朝から疲れそうだ。
◇ ◇ ◇
結局、青い封筒はなかなか見つからなかった。
教室の落とし物箱。
教卓の引き出し。
窓際の棚。
担任が預かっている忘れ物。
一通り確認してみたが、それらしいものはない。
もちろん、勝手に他人の机を開けるようなことはしていない。
そこまでやったら、ただの不審者である。
「うーん……ないねえ」
昼休み。
朝比奈は机に突っ伏していた。
「やっぱり誰かが持ってるのかな」
「かもしれないな」
「でも、持ち主を聞いて回ったら秘密がばれちゃうかもしれないし」
「お、ちゃんと分かってるじゃないか」
「葛城くん、私を何だと思ってるの?」
「校内の噂を全部集めようとしてる人間」
「だいたい合ってる!」
否定しないのかよ。
俺は購買で買ってきた焼きそばパンの袋を開けた。
朝比奈は自分の弁当箱を取り出している。
ふと、彼女が俺の手元を見た。
「あ、それおいしいやつだ」
「そうなのか?」
「うん。購買で人気あるんだよ。いつもすぐ売り切れちゃう」
「たまたま残ってた」
「いいなあ」
「……半分いるか?」
「えっ、いいの?」
「そんなに見られたら食いづらい」
「やった!」
朝比奈は嬉しそうに受け取った。
……まあ、半分くらいならいいだろう。
そのとき。
「ふっ。どうやら捜査は難航しているようだな」
背後から、やけに気取った声がした。
振り返るまでもない。
「……久世か」
「その通り!」
久世リョウ。
昨日、夕焼け電脳クラブへ半ば強制的に加入させられた、自称・電脳魔術師である。
黒縁眼鏡を押し上げながら、俺たちの机へやってきた。
「青い封筒の件、進展はあったか?」
「残念ながらゼロ」
俺が答えると、久世は腕を組んだ。
「ふむ。やはり素人の捜査には限界があるようだ」
「じゃあ玄人の意見を聞かせてもらおうか」
「いいだろう」
久世は得意げに言った。
「まず必要なのは、情報の整理だ」
「ほう」
「青い封筒。二年三組。持ち主以外には中身を見せるな。この三つの条件から推測するに――」
「推測するに?」
「中身は手紙だ!」
「……」
「……」
俺と朝比奈は顔を見合わせた。
「それ、封筒だからじゃない?」
朝比奈が言った。
「いや、待て。請求書という可能性もあるぞ!」
「高校生の教室に?」
「……」
久世は一瞬黙った。
「可能性はゼロではない」
「苦しいなあ」
朝比奈が笑った。
久世は咳払いをして話を続ける。
「とにかく、闇雲に探すのは非効率だ。まずは封筒がいつ、どういう理由で教室に置かれたのかを考えるべきだろう」
「でも、それが分からないんだってば」
「だから情報を集めるのだ」
久世はそう言って、鞄から一冊のノートを取り出した。
表紙には、銀色のペンで大きく文字が書かれている。
『電脳魔術師 極秘調査記録』
……こいつもノートを作ってたのか。
「お前ら、やたらノートを作りたがるな」
「お前ら?」
久世が首をかしげる。
「朝比奈も活動日誌を作ってた」
「ほう。活動日誌か」
「えへへ。見たい?」
朝比奈が鞄から例のノートを取り出す。
久世は表紙を眺めて、少し感心したように頷いた。
「なかなか悪くない」
「でしょ!」
「だが、もう少し装飾に魔術的な要素が欲しいな」
「魔術的?」
「例えば、背景に魔法陣を――」
「いらない」
俺は即座に遮った。
これ以上、変な方向へ進んでもらっては困る。
◇ ◇ ◇
放課後。
俺たちは再び、二年三組の教室を調べることにした。
朝比奈は、今朝からずっと考えていたらしい。
「ねえ、ひとつ気になることがあるんだけど」
「何だ?」
「封筒ってさ、普通は誰かに渡すために使うものだよね」
「まあな」
「だったら、最初から落とし物じゃない可能性もあるんじゃない?」
俺は少し考えた。
「……なるほど」
確かにそうだ。
昨日の依頼には、青い封筒を探せとしか書かれていない。
誰かが落としたとは一言も書いていない。
「つまり、誰かがわざと置いたのかもしれないってことか」
「そうそう!」
「ほう」
久世も頷いた。
「ならば、置き場所に意味がある可能性もあるな」
「置き場所?」
「特定の誰かに見つけてもらうための場所だ」
その言葉を聞いて、俺は教室を見回した。
窓際の席。
黒板。
教卓。
掃除用具入れ。
後ろの掲示板。
誰かが特定の人物へ何かを渡したいなら、どこへ置くだろうか。
「……あ」
朝比奈が小さく声を上げた。
「どうした?」
「あそこ」
彼女が指さしたのは、教室の後ろにある掲示板だった。
そこには、時間割や連絡事項のプリントが貼られている。
さらに端のほうには、係活動のお知らせや、クラスで作った掲示物が並んでいた。
「あの掲示板、昨日から変わってない?」
「そうか?」
「ほら、あの青い紙!」
言われて見ると、掲示板の下のほうに青い紙が挟まっていた。
いや。
紙ではない。
少し厚みがある。
「……封筒?」
俺が呟くと、朝比奈は嬉しそうに頷いた。
「たぶん!」
俺たちは掲示板へ近づいた。
青い封筒は、掲示物の裏側に半分ほど隠れていた。
誰かが意図的にそこへ差し込んだように見える。
「……あったな」
「やったー!」
朝比奈が思わず声を上げた。
「しっ!」
俺は慌てて人差し指を口元へ当てる。
「まだ誰かのものか分からないだろ」
「あ、そっか」
朝比奈は慌てて口を押さえた。
久世が封筒を慎重に取り出す。
表面には、何も書かれていなかった。
宛名も差出人もない。
ただ、裏側には小さな丸いシールが貼られていた。
「……なるほど」
久世が呟く。
「確かに、青い封筒だ」
「それ以外に何か言うことないのか?」
「……発見を祝おう」
「普通に喜べよ」
朝比奈が笑った。
俺は封筒を受け取り、軽く指で触れてみる。
中には、薄い紙が一枚入っているようだった。
「さて、問題は持ち主だな」
「開けちゃ駄目なんだよね」
「ああ」
昨日の依頼には、そう書かれていた。
俺たちは封筒を開けずに、持ち主を探さなければならない。
……また面倒なことになった。
◇ ◇ ◇
「とりあえず、誰かが困ってないか調べよう」
俺がそう言うと、朝比奈はすぐに頷いた。
「うん!」
「ただし、封筒を見せびらかすのはなし」
「分かってるって!」
「本当だな?」
「信用ないなあ」
「日頃の行いを振り返れ」
「うぐっ」
朝比奈は胸を押さえた。
……いちいち反応が大げさである。
俺たちは、教室に残っている生徒たちの様子をさりげなく確認することにした。
放課後の教室には、まだ数人の生徒が残っていた。
友達と話している女子。
机に突っ伏して寝ている男子。
黒板の前で文化祭の相談をしている委員。
その中に、一人だけ、何かを探しているような女子生徒がいた。
窓際の席。
小さな鞄を開き、中身を何度も確認している。
「あれ……?」
朝比奈が小声で言った。
「どうした?」
「あの子、さっきからずっと探し物してる」
確かに。
女子生徒は机の中を確認し、鞄を開け、また机を見ている。
何かなくしたらしい。
「声かけてみるか」
「うん」
朝比奈が近づいた。
「ねえ、ちょっといい?」
女子生徒が顔を上げる。
「あ、朝比奈さん」
小柄で、おとなしそうな女の子だった。
確か、名前は相原だったはずだ。
同じクラスではあるが、俺はあまり話したことがない。
「何か探してるの?」
「えっ……」
相原は少し驚いた顔をした。
そして、困ったように笑う。
「うん。でも、大丈夫だから」
「そう?」
「うん。たぶん、家に忘れただけだと思う」
朝比奈はちらりと俺を見た。
俺は小さく頷く。
ここで無理に聞き出すのはよくない。
「そっか。見つかるといいね」
「ありがとう」
朝比奈はそれ以上何も聞かず、戻ってきた。
「……どう思う?」
小声で尋ねてくる。
「分からん」
「でも、何か探してたよね」
「ああ」
久世が腕を組んだ。
「ここは、一度封筒について尋ねてもよいのではないか?」
「……そうだな」
俺は封筒を持ち直した。
ただし、中身については触れない。
再び相原の席へ近づく。
「あのさ、相原」
「え?」
「ちょっと確認したいんだけど」
俺は青い封筒を、表側だけ見えるように持ち上げた。
「これ、見覚えないか?」
その瞬間。
相原の表情が変わった。
「……あっ」
小さく声を上げる。
それから、慌てて周囲を見回した。
「それ……どこにあったの?」
「後ろの掲示板」
「掲示板……?」
「そう。プリントの裏に挟まってた」
相原は、しばらく封筒を見つめていた。
それから、ほっとしたように息を吐く。
「……よかった」
「やっぱり、相原の?」
「うん」
彼女は小さく頷いた。
「私のです」
朝比奈が嬉しそうに笑った。
「見つかってよかったね!」
相原は、少し照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとう。本当に助かった」
俺は封筒を差し出そうとした。
けれど、そのとき。
相原が急に手を引っ込めた。
「……あの」
「ん?」
「中、見た?」
俺は首を横に振った。
「いや。開けてない」
相原の表情が、少しだけ緩んだ。
「……よかった」
その声が、妙に小さかった。
◇ ◇ ◇
「実はね」
相原は、封筒を両手で持ちながら話し始めた。
「これ、友達に渡そうと思ってた手紙なの」
「手紙?」
朝比奈が首をかしげる。
「うん。でも、なかなか渡せなくて」
相原は苦笑した。
「書いては消して、また書いて……。やっとできたんだけど、昨日、教室に置き忘れちゃったみたいで」
「そっかあ」
「しかも、誰かに読まれたらどうしようって思って……」
「大丈夫。私たち、見てないよ!」
朝比奈が力強く言った。
「ね、葛城くん!」
「ああ」
久世も頷く。
「個人情報の保護は重要だからな」
「久世くん、急に真面目だね」
「俺はいつでも真面目だ!」
「そうだったっけ?」
相原が、くすりと笑った。
少し緊張がほぐれたらしい。
「……ありがとう」
彼女は封筒を鞄へしまった。
しかし、どこか迷っているようにも見えた。
朝比奈が尋ねる。
「その手紙、今日渡すの?」
「……ううん」
相原は首を横に振った。
「まだ、ちょっと勇気が出なくて」
「そっか」
朝比奈はそれ以上、無理に聞かなかった。
俺も何も言わない。
本人が渡すかどうか決めることだ。
ただ。
相原は、帰り際にぽつりと言った。
「でも、なくしたままじゃなくてよかった」
「……ん?」
「渡すかどうか、まだ決められるから」
そう言って、彼女は笑った。
俺は少しだけ、その言葉が気になった。
渡すかどうか、まだ決められる。
なるほど。
手紙がなくなってしまえば、渡すという選択肢そのものが消えてしまう。
けれど、手元に戻れば、渡すことも、渡さないこともできる。
それだけのことだ。
……それだけのことなのだが。
なんとなく、悪くない話だと思った。
◇ ◇ ◇
午後五時過ぎ。
俺たちは旧校舎の第二情報処理室へ戻ってきた。
「いやー、今日も無事解決!」
朝比奈が両手を上げる。
「まだパソコンがどう判断するか分からないだろ」
「でも封筒は返せたじゃん!」
「まあな」
久世はノートPCを机に置きながら言った。
「さて、確認といこうか」
旧PCの電源を入れる。
ぶうん、とブラウン管モニターが唸る。
やがてデスクトップ画面が表示された。
夕焼け色の封筒アイコン。
YUYAKE MAIL SYSTEM。
受信一覧を開く。
そこには、予想どおりの表示があった。
『REQUEST_002 COMPLETE』
「やった!」
朝比奈が声を上げる。
「二件目も成功!」
「……本当に、どういう仕組みなんだろうな」
俺が呟くと、画面の隅に小さなウィンドウが開いた。
『お帰りなさい。』
ミナセだった。
青みがかった髪をした、ドット絵の少女。
『本日の活動、お疲れさまでした。』
「ただいま、ミナセちゃん!」
朝比奈が笑顔で手を振る。
『ナツキさんは、今日も元気ですね。』
「うん!」
『少し音量を下げていただけると助かります。』
「えー!」
俺は思わず笑ってしまった。
相変わらず遠慮のないプログラムだ。
久世が画面へ顔を近づける。
「ミナセ。ひとつ質問がある」
『どうぞ。』
「依頼が完了したと判断する基準は何だ?」
『依頼に設定された条件が満たされた場合、完了として処理されます。』
「その条件は、誰が設定している?」
『私には分かりません。』
「では、今回の条件は?」
『青い封筒が持ち主に返却されたことです。』
「……ふむ」
久世は腕を組んだ。
「つまり、封筒を返すこと自体が目的だったわけか」
『その認識で問題ありません。』
「じゃあ」
朝比奈が口を挟んだ。
「相原さんが手紙を渡すかどうかは、関係ないってこと?」
『はい。』
「そっかあ」
朝比奈は、少し嬉しそうに笑った。
「なんか、それでいい気がする」
「どういうことだ?」
俺が尋ねると、彼女は肩をすくめた。
「だって、渡すかどうかは相原さんが決めることじゃん」
「……まあな」
「私たちは、その手紙を返しただけ」
朝比奈は画面を見た。
「それで依頼が終わりなら、十分じゃない?」
俺は、少しだけ考えた。
確かに。
昨日の赤い傘も、今日の青い封筒も。
俺たちは誰かの人生を大きく変えたわけじゃない。
なくしたものを探して、持ち主へ返しただけだ。
でも。
それで喜んでもらえるなら、悪くないのかもしれない。
「……そうだな」
俺が答えると、朝比奈はにっこり笑った。
「でしょ!」
その笑顔を見ていると、なんとなく否定する気になれなかった。
◇ ◇ ◇
「さて!」
朝比奈が活動日誌を机に広げた。
「本日の活動報告を書きます!」
「おう」
久世がなぜか張り切っている。
「記録は重要だ。俺も手伝おう」
「じゃあ久世くん、昨日調べたパソコンのことを書いて!」
「任せろ」
「葛城くんは?」
「俺?」
「今日の感想!」
「感想って……」
俺は少し考えた。
「青い封筒が見つかってよかった、でいいだろ」
「短っ!」
「日記じゃないんだから」
「活動日誌だよ!」
「似たようなもんだろ」
朝比奈は頬を膨らませた。
「もっとこう、感動的なこと書けないの?」
「お前が書けばいいだろ」
「じゃあ書く!」
彼女はシャープペンを握り、勢いよくノートに文字を書き始めた。
その横で、久世も別の紙に何かを書いている。
俺は暇になったので、旧パソコン室を見回した。
古い机。
黄ばんだキーボード。
窓際のブラウン管モニター。
棚に積まれたフロッピーディスク。
窓の外では、夕日が校庭を赤く染めていた。
何年も使われていなかったはずの部屋。
それが、ここ数日で妙に賑やかになっている。
……不思議なものだ。
つい二日前までは、こんな場所があることすら知らなかったのに。
「できた!」
朝比奈がノートを持ち上げた。
「本日の活動報告!」
そこには、こう書かれていた。
『七月十三日、水曜日。』
『青い封筒を持ち主へ返却。依頼達成!』
『手紙の中身は秘密。』
『誰かの秘密を守ることも、立派な人助けだと思いました。』
……なるほど。
案外、いいことを書くじゃないか。
「どう?」
朝比奈が俺を見る。
「まあ、悪くない」
「えへへ」
嬉しそうに笑った。
久世も頷いていた。
「ふむ。悪くないな」
「でしょ!」
しかし、その直後。
「ただし、一つ問題がある」
久世が真面目な顔で言った。
「何?」
「我々は、まだ正式な部活動として認められていない」
「……あ」
朝比奈が固まった。
俺は思わず笑った。
「今さら気づいたのかよ」
「だ、だって! 活動はしてるじゃん!」
「活動してるだけじゃ部活とは言えないだろ」
「じゃあ、どうすればいいの?」
久世が眼鏡を押し上げる。
「まずは顧問の教師と、活動場所の使用許可が必要だな」
「……顧問」
朝比奈は腕を組んだ。
「誰か引き受けてくれそうな先生、いるかなあ」
「知らん」
「葛城くん、探してよ」
「なんで俺なんだよ!」
「だって副部長でしょ?」
「いつ決まった!?」
「今!」
「勝手に決めるな!」
朝比奈は楽しそうに笑っている。
久世まで、なぜか頷いていた。
「なるほど。ならば俺は技術部長だな」
「そんな役職あるのか?」
「今作った」
「お前もか!」
……駄目だ。
この連中、誰もまともに話を聞かない。
俺は深いため息をついた。
しかし、そのとき。
がらがらっ。
突然、教室の扉が開いた。
「……あれ?」
のんびりした声が響く。
俺たちは一斉に振り返った。
扉のところに、一人の女子生徒が立っていた。
少し長めの黒髪を、ゆるく後ろでまとめている。
制服の上には薄いカーディガン。
片手には、大きな鍵束。
もう片方の手には、なぜか古い扇風機を抱えていた。
「おかしいなあ」
女子生徒は部屋を見回し、首をかしげる。
「ここ、使ってる人いたんだ」
俺は思わず立ち上がった。
「あの……どちらさまで?」
女子生徒は、きょとんとした顔でこちらを見る。
それから、にっこり笑った。
「あ、私?」
鍵束が、じゃらりと音を立てた。
「白河スズネ。三年生だよ」
「あっ!」
朝比奈が声を上げた。
「白河先輩!」
「ん? ナツキちゃん?」
スズネ先輩は、少し驚いたように目を丸くした。
「鍵、ちゃんと使えた?」
「はい!」
「よかったよかった」
……待て。
鍵?
俺は朝比奈を見る。
「お前が昨日借りた鍵って……」
「うん。白河先輩に借りたやつ」
「……」
なるほど。
この人が、旧校舎の鍵を貸してくれた先輩か。
それにしても。
「……なんで扇風機持ってるんですか?」
俺が尋ねると、スズネ先輩は少し考えた。
そして、あっさり答えた。
「拾ったから」
「……拾った?」
「うん。廊下に置いてあったの」
「いや、廊下に置いてあったからって……」
「まだ使えそうだったし」
スズネ先輩は、扇風機を机の上へ置いた。
「捨てるの、もったいないでしょ?」
俺は久世を見た。
久世は真剣な顔で扇風機を眺めていた。
「……なかなか古い型だな」
「そこに食いつくのかよ」
朝比奈が笑う。
「白河先輩って、古いもの集めるのが好きなんだよ!」
「へえ……」
「旧校舎に、先輩専用の部屋もあるんだって!」
「専用の部屋?」
俺が聞き返すと、スズネ先輩は頷いた。
「うん。忘れ物博物館」
「……は?」
「誰かが忘れていったものを、いろいろ集めてるの」
スズネ先輩は、楽しそうに笑った。
「よかったら、今度見に来る?」
……忘れ物博物館。
名前からして、嫌な予感しかしない。
俺は朝比奈を見る。
案の定。
彼女の目は、きらきらと輝いていた。
「行きたいです!」
「即答かよ!」
スズネ先輩は、くすくす笑っていた。
「じゃあ、今度案内するね」
そのとき。
『新しい利用者を確認しました。』
突然、パソコンのスピーカーから声が流れた。
「わっ」
スズネ先輩が驚いて振り返る。
画面の隅には、ミナセが表示されていた。
『はじめまして。案内プログラム、ミナセです。』
「……へえ」
スズネ先輩は、しばらく画面を見つめていた。
それから、少し嬉しそうに笑った。
「可愛いね、この子」
『ありがとうございます。』
「お返事もできるんだ」
『はい。』
「ふふ。面白いなあ」
……なんだろう。
この人も、朝比奈と同じ種類の人間かもしれない。
面白そうなものを見つけると、あまり深く考えずに近づいていく。
俺は頭を抱えた。
また一人、面倒な人間が増えそうな気がする。
そして、その予感は。
たぶん、外れない。
◇ ◇ ◇
結局、その日の活動は、予定より三十分も長引いた。
スズネ先輩が持ち込んだ扇風機が動くかどうかを、久世がどうしても確かめたいと言い出したからだ。
結果。
扇風機は動いた。
ただし、異様な音を立てながら。
ぶおおおおおおっ!
「うわっ!?」
朝比奈が飛び上がった。
「何この音!」
「軸受けが傷んでいるのかもしれん!」
久世はなぜか楽しそうだった。
「直せそうか?」
俺が聞くと、久世は力強く頷いた。
「任せろ!」
「……本当だな?」
「電脳魔術師に不可能はない!」
「扇風機は電脳じゃないだろ!」
スズネ先輩は、そんな俺たちを見ながら、のんびり笑っていた。
「なんか、いいねえ」
「何がですか?」
俺が尋ねる。
「こういうの」
先輩は、窓の外を見た。
夕焼けが、旧校舎の壁を赤く染めている。
「放課後って感じがする」
その言葉に、朝比奈が嬉しそうに頷いた。
「そうですよね!」
「うん」
「じゃあ先輩も、夕焼け電脳クラブに入りませんか?」
「……おい」
俺は慌てて口を挟んだ。
「また勝手に勧誘するな!」
しかし、スズネ先輩は少し考えたあと、にっこり笑った。
「いいよ」
「いいんですか!?」
「うん。楽しそうだし」
……軽い。
軽すぎる。
こうして、夕焼け電脳クラブは。
また一人、変な部員が増えることになった。
俺の平穏な放課後は、ますます遠ざかっていくらしい。
……まあ。
そんなに悪い気は、しなかったけれど。




