エルラドの遺言
エルラド逝去の知らせは、ルナからの手紙によるものだった。エルラドがルナの家に逗留するようになって以来、リュミエールはルナから近況報告の手紙を3日おきぐらいに受け取っていた。しばらくは順調とのことで、ルナの家にある温泉やサラの作る料理にはとても満足している様子が書かれていたのだが、最後の手紙には、エルラドの容体が急変し緊急の対応に全力を尽くしたにもかかわらず残念な結果に終わったことが、ルナの悲痛な想いとともに綴られていた。エルラドの遺体は防腐処理を施した後、10月9日の昼頃に、ルナ自身がテレーゼ・テルメの教会まで送り届けるとのことだった。ルナの手紙には、エルラドが死の床で書いたと思われるメモが一緒に入っており、そこには震える文字で次のようなことが記されていた。
1.自分は何よりも娘のリュミエールを心より愛しており、ファルファレッテ家がどうなろうと、リュミエールが幸福であることを切に願うこと。そして、これ以降何ががあろうとも、この想いを信じて欲しいこと。
2.自分の死は突発的な不可抗力であり、全力を尽くしてくれたルナを決して恨まざること。
3.後継者と相続に関する遺言書を大地聖教会テレーゼ・テルメ支部のルッキオ司祭に預けてあること。
4.遺言書の開封は、関係者全員及び立会人の前で行うこと。関係者とは、リュミエール、ティベリオ、メイド長のファビオラ、農園長のリオネッロ、そしてラウル・トリスターノであること。立会人はルッキオ司祭とルナ・ミラーダ・イスルギとすること。
5.遺言書を開封するまでは、エルラドの死は家内だけの周知とし、外部には秘すること。
6.国への報告と正式の葬儀は、遺言書の内容が実行され、死亡証明書の作成がなされた時点で行うこと。
7.国に提出するエルラドの死亡証明書は、教会王都本部のソフィア大司教がここまでの経緯を理解してくれているので、彼女に依頼すること。
リュミエールは涙を流しながらこのメモを読み、リュミエールの幸せを願う気持ちがこのファルファレッテ家よりも重いのだという父の気持ちに、深く心を打たれた。それと共に、エルラドの最期を看取れなかったことを心から残念に思ったのだった。
リュミエールはひとしきり泣いたあと、ファルファレッテ家の使用人全員を集めて、エルラドの容態が急変し亡くなったことを伝え、良いと言うまでそのことを秘するように指示した。葬儀については、エルラドの遺体が戻ったら略式で内々に執り行い、その際に開示される遺言書の履行が完了したら、正式な葬儀を改めて行う旨を伝えた。
リュミエールは、エルラドのメモに書かれたことを履行するため、沈む心を自ら叱咤して関係者に手紙を出すことにした。その内容はおおよそ次のようなものである。まずルッキオ司祭には、エルラドが亡くなった事実と内内の葬儀を10月9日に執り行いたいとの意向を伝えることとした。また、ルッキオ司祭がエルラドの遺言書を預かっていることを父から聞いたため、内々の葬儀の翌日に関係者全員の前で遺言書を開示して欲しいとの要望も伝えることとした。次にラウルには、父の急逝と、重要な話し合いがあるため10月10日にテレーゼ・テルメの教会に来て欲しい旨を伝えることとした。内々の葬儀のことはあえて言及しないこととした。そして教会王都本部のソフィア大司教には、エルラドが亡くなった事情を知っているかどうかを尋ね、もし事情がわかっているのであれば、死亡証明書を書いて欲しい旨を伝えることとした。以上3通の手紙の文面作成は家令のティベリオに依頼した。さすがに、手紙の文面を自分で考えるのは辛かったためである。
エルラドの訃報が届いてから、テレーゼ・テルメ領主館は沈痛な雰囲気に覆われたまま、エルラドの遺体が到着するのを静かに待っていた。10月7日にルナからの先触れがあり、10月9日には予定どおりに、ルナがエルラドの遺体が入った棺を馬車で運んでテレーゼ・テルメの教会にやって来た。ファルファレッテ家の面々は既に全員が集まっており、ルナが礼拝堂の入り口で馬車を停めた際には、彼らが手伝ってエルラドの棺を祭壇前に運んだ。棺を受け取ったルッキオ司祭は、棺に設けられた両開きの覗き窓を開いてエルラドの顔を確認した。そこには、苦しみとは無縁の静謐な顔があり、故人が苦しんで亡くなったのではないことが見てとれた。どういう仕組みなのか、棺の内部は冷やされているようで、開いた覗き窓からはひんやりとした冷気が流れ出していた。司祭は皆を先導する形で故人と女神アスタルテに対して祈りを捧げ、参列者全員がエルラドの顔の周りに花びらを撒いた。祈りが終わると、覗き窓を閉じた棺をファルファレッテ家の主だった者が教会裏手の墓地に運び、予め掘られていた墓穴に棺を安置して、全員が祈りを捧げる中で皆が棺の周りに花を投げ入れ、土を被せて略式の葬儀を終えたのだった。葬儀の間中リュミエールは涙を堪えていたが、父の棺が土に隠れる頃には、涙を溢れさせて嗚咽を漏らし、お父様お父様と何度も小さく父に呼びかけていた。そんなリュミエールに、ルナはそっと声をかけた。
「リュミエールさん。お父様のことで二人だけで話したいことがあるの。司祭様にお願いして応接室をお借りしたから、そこに行きましょう。」
ルナとリュミエールは二人きりで30分ほど話をした。葬儀に参列したファルファレッテ家の面々は皆、エルラドの最後の様子やメモには書かれていなかったメッセージが伝えられたのではないかと考え、そのことがリュミエールの悲しみをいくらかでも和らげてくれることを願った。応接室から出てきた時のリュミエールの表情は、実際、いくぶん明るさを取り戻した様子だったので、皆は悲しみの中にも少し安堵の気持ちを感じたのだった。
さて、略式の葬儀が終わった翌日の朝、関係者全員が教会に集まった。
ここにはラウルも来ていたが、ルナの顔を見た途端に噛みついてきた。
「おい、お前!お前がエルラド様を連れ去ったんだってな?その挙句がこの結末。どう責任を…」
だがここまで言って、ラウルはハッとした表情を浮かべ、ルナから顔を背けてしまった。ルナはこの様子を見て、これは酒場で叩きのめされた相手が私だって気づいたみたいねと思い、からかってやろうと、逆にラウルに声をかけた。
「あら、ラウル様って貴方でしたの。ほら、王都でお会いしましたでしょう。夜の酒場で。こんなところでお会いできるなんて、奇遇ですわね。」
「いや、人違いだと思う。」
ラウルがさも嫌そうにボソリと答えると、私は笠にかかって追い討ちをかけた。
「さっきのラウル様の言葉は、『どう責任を取るつもりなんだ?』と続くのかしら?」
するとラウルは強く反発して言った。
「当たり前だろう!エルラド様が僕の薬を服用していればこんなことにはならなかったはず。それをあんたが無理やり連れ去って、薬を止めたからこうなったんだ。違うか?」
「まぁ、あきれた。私のせいにしようっていうのね?でもね。貴方の薬が麻薬の一種だってことはわかっているのよ?ご領主様の急逝はあなたの薬の影響です。」
「ふん。責任転嫁か。証拠でもあるのか?」
「典型的的な悪役セリフね。面白いわ。まぁ、この場は貴方を糾弾する場ではないから、追求は許してあげる。でもね、いずれ場を改めて決着をつけますから。」
するとルッキオ司祭が、口を挟んできた。
「ルナ様のおっしゃるとおり、そのお話は別にやってくださいん。今はエルラド様の遺言を共有したいと思います。」
ルナは素直に自分の非を詫びた。ルッキオ司祭は関係者を応接室へと案内し、全員がテーブルの周りに着席するのを待って、保管していたエルラドの遺言書を取り出し話し始めた。
「まず、この遺言書は、エルラド様が直接私に手渡されたもので、関係者及び立会人全員の前で開示するように指示されました。今ここに全員が揃っているものと認めます。遺言書の日付は9月17日。はエルラド様がルナ様のお屋敷に向けて出立された日の前日です。これ以降の日付の遺言書がない限りこの遺言書が有効です。」
彼は、良いですね?というように、そこにいる皆の顔を見回してから封を開けた。
「では…1.私ことエルラド・ファルファレッテが死亡した場合のファルファレッテ家の次期当主は…え、何だこれは…」
「どうしたの?続けて。」
ルナが促した。
「は、はい。1.私ことエルラド・ファルファレッテが死亡した場合のファルファレッテ家の次期当主は、第一子である娘のオリンピアとする。但し、オリンピアは現在行方不明であるため、遺言書の開示日から2ヶ月のうちにオリンピア本人が領主館に来訪し当主となる意思を示すことをその条件とする。この条件を満足できなかった場合、次期党首は第二子のリュミエールとする。」
この最初の文言は皆のどよめきを誘ったが、リュミエールは心なしか青い顔をしながら、静かにルッキオ司祭の言葉を聞いていた。
「2.ファルファレッテ家の資産は全て次期党首が相続することとする。なお、誰が次期当主となるかにかかわらず、オリンピア及びリュミエールは、領主館内に自室を持ち、ファルファレッテ家が提供する衣食住を享受する権利を有するものとする。また、個人資産として2000万ルークをそれぞれに贈るものとする。
3.家令のティベリオ、メイド長のファビオラ、農園長のリオネッロについては、長年のファルファレッテ家への貢献に感謝し、それぞれ1000万ルークを贈るものとする。
4.行方不明のオリンピアについては、皆で協力して領主館へ迎え入れて欲しい。オリンピア捜索の功労者またはグループに対し、迎え入れの時期を問わず1000万ルークを贈呈する。ラウル・トリスターノ君には、交友と活動範囲の広さを活かして、領地外でのオリンピア捜索に協力して欲しい。協力してもらえる場合は、活動費として500万ルークを支給する。
なお、捜索の手がかりとなるよう、オリンピアについてわかっていることを別紙に示す。
5.オリンピアが当主となった場合の領地の経営は、リュミエールとティベリオに託すものとする。二人はオリンピアに経営の知識を伝授し、オリンピアは領地経営の十分な知識を習得した時点で、領地経営権を回復できるものする。なお、オリンピアの習得した領地経営の知識が十分であるかどうかは、国の認定によるものとする。
6.最後に我が娘リュミエールへ。お前にとってこの遺言は思ってもみない内容だったと思う。お前にはこれまでファルファレッテ家の次期当主として教育を施し、お前も私の期待に応えて最大限の努力をしてくれたことを理解している。しかし、オリンピアが私の娘として生まれながらこれまで不遇の人生を送ってきたであろうことを考えたとき、私は、それを埋め合わせる最高の扱いをしてやりたいと考えた。どうか私のこの思いを理解し、これまで習得した領地経営の知識を活かしてオリンピアに協力して欲しい。お前のことは、本当に愛している。」
この遺言を聞いたあと、応接室には何とも気まずい雰囲気が漂った。メイド長のファビオラが、ポツリと言った。
「旦那様のこの遺言は、お嬢様には厳し過ぎます…」
この言葉に、家令のティベリオも農園長のリオネッロも深く頷いた。
「オリンピア様とはどのような方なのですか。旦那様とは長い付き合いでしたが、ついぞ伺ったことがなかったのですが。」
ティベリオが尋ねた。
「オリンピア様については、この別紙に説明がございます。」
ルッキオ司祭が説明したことは、おおよそ以下のようなことであった。
・オリンピアは、エルラドがリリアーナと結婚する前に、ファルファレッテ家の奉公人であったシルヴィアとの間にできた子である。
・母親のシルヴィアは、自分が妊娠したことを知ると、妊娠の事実を周囲に知らせないまま、ファルファレッテ家を辞し姿を消した。
・シルヴィアは、オリンピアを出産した後、少し前に退職したファルファレッテ家の料理長であった老ヴィオレッタに、元気でやっているから安心して欲しい旨の手紙をよこした。この時には、ナポリエール王国の北東に隣接するロマーノ王国の首都ル・エテルニアにある料理店に勤めているとのことであった。
・老ヴィオレッタは、シルヴィアの希望もあってこのことを長く秘密にしていたが、シルヴィアが最近亡くなったことを知って、オリンピアのことをエルラドに伝えた。
この説明を聞くとティベリオがため息をついて言った。
「なるほど。そんな事情があったのですね。シルヴィアのことは覚えておりますとも。ヴィオレッタはシルヴィアのことを我が子のように可愛がっておりました。」
ファルファレッテ家の者たちが深い感慨に浸る中、場違いな感じでラウルが声を出した。
「さすがエルラド様だ。辛かったであろうオリンピア様の生い立ちを勘案されて、このような遺言書を残されたのですね。なんて思いやり深い。遺言書からすれば、エルラド様は僕にオリンピア様を捜索することを期待されているようですから、最大限努力してできるだけ早くオリンピア様を見つけ出してお連れしましょう。」
このラウルの言葉に、ティベリオが即座に反応した。
「確かにオリンピア様は苦労されてきたのだと思います。ですが、リュミエール様もこれまで多くの時間を次期当主となるための勉学にに費やされていらっしゃったのです。貴方はリュミエール様との婚約を申し込まれていたのですから、リュミエール様のお立場も十分に配慮していたでけると嬉しいです。」
「はい、そうですね。ですが、エルラド様のご遺志を忠実にこなすことも、僕の務めかと思いますので、ひとまず捜索は始めようと思います。司祭さま。まだ何かございますか?よろしければ僕はこれでお暇し、オリンピア様捜索の手筈を整えようと思います。」
必要なことは全て伝えたとのルッキオ司祭の答に、ラウルは教会を辞去しファルファレッテ家の者たちも、リュミエールを残して領主館へと戻っていった。




