第16話 ある家の食卓
公国の外れ。
街道から少し外れた、小さな集落。
特別なものは何もない。
畑があり、家があり、人が暮らしている。
「……ここですわね」
アリアベルは足を止めた。
「はい」
レオニードが周囲を確認する。
「典型的な一般家庭の分布地域にございます」
「そうですの」
アリアベルは軽く頷いた。
そして。
一軒の家に視線を向ける。
「……あちらにいたしましょうか」
「承知いたしました」
扉を叩く。
数秒。
中から、女性が顔を出した。
「……はい?」
そして、固まる。
「……」
言葉が出ない。
「……突然で申し訳ありません」
レオニードが一歩前に出る。
「少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「え、ええ……」
戸惑いながらも、道を開ける。
室内。
簡素な空間。
生活の匂い。
「……良いお家ですわね」
「……ありがとうございます」
女性はまだ緊張している。
「……あの、ご用件は……?」
「ええ」
アリアベルは穏やかに答える。
「お食事を、いただけませんかしら」
一拍。
「家庭の味を、試してみたいのですわ」
「……は、はい!」
女性は慌てて台所へ向かう。
火が入り、鍋が温まる。
包丁の音。
日常の音。
特別ではない、普通の調理。
「……一般的な工程です」
レオニードが静かに言う。
「再現可能な範囲の技術のみで構成されています」
「そうですの」
アリアベルは静かに待つ。
数分後。
「……できました」
差し出される皿。
素朴な料理。
「……いただきますわ」
一口。
ゆっくりと味わう。
そして。
「……」
言葉が止まる。
「……いかがでございますか」
「……美味しいですわね」
静かな言葉。
だが。
どこか違う。
「……評価の性質が異なります」
レオニードが分析する。
「絶対評価ではなく、“感情依存評価”」
「……不思議ですわね」
アリアベルは小さく笑う。
「特別ではありませんのに」
「はい」
「ですが、再現不可能です」
女性が恐る恐る問う。
「……お口に合いましたか?」
「ええ」
アリアベルは穏やかに答える。
「とても美味しいですわ」
その瞬間。
女性の表情が崩れる。
「……良かった……」
小さな声。
「……これですわね」
アリアベルが静かに言う。
「家庭の味ですわ」
「……」
レオニードは沈黙する。
理解ではなく、記録に徹する。
「……良いものですわ」
それが結論だった。
少女は立ち上がる。
「ありがとうございました」
女性は何度も頭を下げる。
外に出る。
「……どう扱いますか」
レオニードが問う。
「扱いませんわ」
即答だった。
「これは、決めるものではありませんもの」
その日。
何も決まらなかった。
だが。
確かに何かが残った。
数年後。
この家は、静かに知られるようになる。
誰が広めたのかは分からない。
だが、人は集まり始める。
「……あの方が“美味しい”と言った家」
ただ、それだけの理由で。
やがて。
この場所はこう呼ばれる。
公国家庭料理の聖地。
そして。
名家。
少女は歩く。
何も残さないつもりで。
だが。
確実に、すべてを残しながら。




