↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/3

第1章 [1]異能の眷族

「集中、途切れてる」

 ひんやりとした氷の声が、雹のように芦原壱吾の鼓膜を震わせた。刺すような視線を背中に感じるが、振り向くことなど許されない。集中が途切れて叱責を受けているのに、更に自分で叱責の種を増やす真似が壱吾にできる筈もなかった。

 こん、と咳き込む声が演習場に響く。それで、完全に壱吾の集中は散った。振り向くと、師匠であり上官――そして兄の葵が膝をついてしゃがみ込み、口に手を当てて苦しげに咳を繰り返していた。

「兄さん!」

 葵は応えられず、また苦しげに咳をこぼした。壱吾は堪らず葵の腕を取り、無理やり立ち上がらせる。そうして草場まで歩かせ、座らせた。

「お水か何か、持ってきます。楽にしててください」

 頷くのを待たずに壱吾は背を向け、水場まで走った。ペットボトルに水を汲んで戻ると、葵は精魂尽き果てたようにぐったりと横に倒れ込んでいた。咳は少し治まっていたが、顔色が随分と悪かった。

「兄さん、動けますか」

 瞼が震え、濃い色の瞳が壱吾を認める。

「救護室でベッドを借りましょう。鍵は兄さんが管理していますよね?」

 応える代わりに葵は壱吾の手からペットボトルを受け取り、喉を湿らす程度に水を含んだ。そうして、呼吸を落ち着けた後にかぶりを振る。

「いい。もう、落ち着いた」

「ですが、念の為にきちんと休まれた方が……。昨日も夜遅くまで、研究を続けてらしたようですし」

「それをわかっていて早朝稽古を頼む奴も居るしな」

 冷たく言われた言葉に、壱吾が身を竦ませた。だが、葵の目は咎める色はなく、寧ろ壱吾をからかって遊んでいるような色がある。また遊ばれた、とすぐに気付いて壱吾はつんとそっぽを向く。

「……兄さんは少し、意地悪が過ぎます」

 本気で案じていただけに、壱吾は拗ねるのも本気だった。

「身体が弱いくせに、こんな戦闘職種やってるし、結構無茶するし、俺も雅紀さんも散々言ってるじゃないですか。事務職やってろって」

「……病弱ではなく、血液細胞が常に破壊され続けるだけの『体質』なのだが」

「それを世の中では病弱、虚弱、もう一歩進むと病人と言うんですよ? 兄さん」

 心底困ったように溜息を吐いて葵の顔を見ると、少し血色が戻っていた。葵が自分で説明したように、彼のそれは病の類ではなく、あくまでもそういう『体質』である。肌色が常に青白いのも全て、慢性的な貧血によるもので、治療法はない。それを行いたくば、それこそ遺伝子レベルの情報改竄が必要になり――幾ら医学が進歩したと言っても、そこまで踏み込んだ治療などできないのが現実だ。

 ハッと思い当たる筋を見付け、壱吾は再度葵を睨んだ。そう、あくまで貧血である。

「兄さん、昨晩に雅紀さんにちゃんと頂きましたか」

「忘れた」

 壱吾は一瞬、眩暈を覚えた。がっしと葵の肩を掴む。

「忘れた、じゃないでしょう! 幾ら兄さんが人間離れして頑丈でスパコン要らずの有り得ない演算領域を持ってて国内でも十指に入る『魔力持ち』の霊媒師でも! 栄養は摂らなきゃ命に関わるんですよっ」

「褒めてるのか怒ってるのかどっちだ、お前」

 呆れたように葵が言うが、呆れたいのは壱吾の方だった。

「心配なんです。……思い出すからっ……!」

「わかったよ。課業前にはちゃんと雅紀に貰ってくる。……でも、やはり一代限りの特異体質なのかね、俺のこの体質は。壱吾はそんなことないだろう?」

 断定してはいるが、少し疑うような表情だった。もし壱吾が頷けば、それこそ何をするかわからないので、壱吾は大人しく首を振る。罷り間違っても、葵にだけは言えない。もし、そんな症状が発現すればの話だが。

「特異体質でしょう。高位霊媒師にはそういう異常性が現れるのは珍しくない、と教わりました」

「まあ、こんな体質の奴ばかりじゃ仕事にならないな」

 少し自嘲気味に葵は苦笑し、腰を上げた。どちらへ、と問うと深紅の双眸が壱吾を見下ろす。

「昨日雅紀に貰うって言っといてすっぽかしたからな、お前の言う通り。寮に一度戻って貰ってくるよ。午前中の課業は確か事務が机の上に溜まってたから、それをこなさないといけないし」

「はい。……また、鍛錬にお付き合いして頂けますか?」

「ああ。また時間を見て、な」

 じゃあ、と葵が軽く手を振り、背を向ける。その足取りがしっかりとしたものだったので、壱吾は安堵の息を吐いた。

(きょうだい……か。あの人にも、居たんだろうな……ずっと昔には)

 その、どうにもならない現実を思う度、壱吾の胸は痛み、軋んだ。

 泣きそうになる顔を無理やり上げ、壱吾はもう一度、霊媒式を構築し始める。


 警察庁公安部第零番書庫――通称『コード・Z』。勿論公的書類内での記名は第零番書庫の方である。

 警察庁はよく警視庁と混同されるが、その実意味合いは全く違う。警視庁が所謂一般警察であるのに対して、警察署はその上位組織であり――俗な言い方をすればキャリア持ちだ。その中で公安部と言えば、出世街道驀進できるに間違いなしのエリート・コースなのだが――現実は少しばかり違う。

 第零番書庫は、東海地方近海の孤島に本部を置く。その理由は、この部署に属する者は良くも悪くも人格破綻者と見做された霊媒師だからだ。実力はあるが、あまりに軍事方面に偏っているため、彼らは政府専属の私兵として扱われている。非戦を謳う国内では唯一無二の、政府の軍だ。主にその卓越した戦闘異能は政府の敵を始末するのに使われ、そしてその任務中にアクシデントが起こっても政府はノータッチという、中々の無茶振りである。冷やかに言えばいつでも捨て駒にできる。

 島の内部は創設初期にかなり改変したらしく、以前は草ぼうぼうの無法地帯だったのが、今では演習場に始まる軍事施設や男子女子寮、そして職場である本棟に至るまできちんと完備されている。だが、生憎と娯楽施設の類はなく、コンビニさえない。

 葵と別れて、壱吾は執務室に顔を出した。そこには既に、良く知った顔がぽつぽつとある。

「お、芦原。葵先輩にしごかれてたのか?」

「いや、途中で兄さんは具合を悪くして……途中でおじゃん、かな」

 黒が基調のビジネス・スーツが主に課業中は制服となる。壱吾の眼に入ったのも、白黒のスーツだった。地味な色合いのネクタイを緩く締め、ピンで留めて事務作業の邪魔にならないようにするのは誰もが同じだ。

 霊媒師だ、と言っても、見た目は普通の人間と何ら変わらない。よく、霊媒師は霊媒術の構成に欠かせない霊子を視認できていると言われるが、それは誤りだ。独自の『目』を持つ異能者を除く一般の術師は、殆ど感覚で霊子制御を行っている。見えれば便利な事には違いないが、霊子は不可視物質であり、視認することは熟練の術師でも難しい。

 ただ、室内をよく見渡せば難解そうな霊媒書や、研究材料に使うのか、和紙などが散らばっている。

 中世の錬金術で羊皮紙を使ったように、日本式の霊媒術は呪法を記すのに、和紙を多用する。古来から伝わる道具を扱うことが心身的な安定を術師に齎すとのことで、どんなに科学が発達しても、プリンタ用紙に陣を描いたりすることは決してない。霊媒師の世界はかなりアナログである。退化している、と揶揄されるほどに。

 呪文や呪布の使用も珍しくなく、多くの若手霊媒師は父祖が遺した霊媒書や、術法の描かれた和紙を引用したり自分用にアレンジを加えたりして研究を重ねている。

 ただ、喩え無意識化であろうとも、霊媒術に手を出す以上、自然と脳内で膨大な量の演算を行い、術式を発動する。霊媒師の特徴として、脳の記憶容量の使い方が卓越しているというものがあり、常人が必死で脳に情報を叩き込んでも四分の一も使えていないのに対し、霊媒師は脳の全てを惜しみなく使って術式や演算に使い込む。

 日常的に高度な演算や難解な術式を記憶して構成を解読する為、オカルトの領域だと言っても科学的な解析方法を多用するので、霊媒師の素質としてはそれらの演算を難なくこなせる程の数学力が必要だと言われることもある。コンピュータで喩えるならば、膨大な量のプログラムの実行を機械任せにせず、全て自分で解析し、理解した上で実行するということになる。現代風に言えば、霊媒術の構成式は難解なプログラムだ。

 そういった一面を見れば、霊媒術は新たな科学と言えた。

「芦原。葵先輩、具合悪いのか、やっぱり」

 心配そうに囁くのは、理知的な、いかにも『科学者』といった印象を受ける男だ。年の頃は壱吾と対して変わらない。

「七瀬が心配するようなことじゃないだろ。でも、ありがとな」

「あの人も気苦労が多そうだからな。いつも真っ先に身体壊すのを何度も見てるんだ、心配にもなる」

 心底からの言葉だと、壱吾はもう確信できていた。その程度には、七瀬のことを信用している。

「仕方ないよ。兄さんは、国内でも十指に入る――どころか、世界で充分過ぎる程に通用する霊媒師だ。だからこそ、若槻長官の補佐を任されているし、お忙しい。でも、どんなに忙しくても時間を作ってくれるんだ。本来なら、俺なんかに構う暇などない筈なのに」

 自然と、壱吾の言葉には熱が入る。芦原葵と言えば、知らぬ者はないと言える程の凄腕の霊媒師だ。その能力を手中に収めたいと願う者は後を絶たない。壱吾にとっては自慢してもしきれぬ程の自慢の兄である。--病弱であるという、唯一の欠点を除けば。

「はいはい、芦原は兄貴大好きっ子だもんなー。でもさあ、あんな完璧超人見てると自分が嫌になったりしないのか?」

「どうして?」

 きょとん、として壱吾が返した変化球に、七瀬は今度こそ沈黙した。

 七瀬の言うように、壱吾は葵を尊敬している。が、周りが唖然とする程の無自覚な為に、こういった反応を受けることが多い。

 通常、兄弟で片方だけが突出した才を持って生まれれば、それを嫌に思う者が多い。だが、壱吾にはそういったところがない。最早兄には適わないと達観しているのか、単純に葵を尊敬しているだけなのかは、長い付き合いの長瀬にもわからない。

 そして事実、壱吾の言うように、霊媒師の中でも葵の才は頭一つ抜きん出ていた。そして相反するかのように、壱吾に霊媒師としての素養はまるでない。

「羨ましいねえ、そのお気楽な思考回路は。あの芦原葵の弟子でもあるし」

「〝弟〟だからだろ、それは」

「それだけかな。葵先輩には、もっと別の思惑があるような気がするんだけど」

 壱吾は今度こそ黙り込んだ。血縁関係があるというだけで壱吾の面倒を細かく見てくれるようなお人好しではないことは、長年共に居る壱吾が誰より知っている。

 国内では敵なしと言われる程の葵に師事したいと願う霊媒師はそれこそ、星の数程居る。が、彼が術を見てくれるのは壱吾だけだ。七瀬を初めとする面々が羨んでも仕方のないことだ。

「でも多分、葵先輩も暫くはお前を見てられないんじゃないかな」

「どうして?」

「どうしてって、それはお前……ほら」

 七瀬が言い難そうに言葉を濁す。壱吾が怪訝に思っていると、荒々しい足音が廊下で響いた。

「七瀬、芦原! 長官を見ませんでしたか!?」

 怒り心頭、という言葉がこれ以上似合う顔はないと思える程に怒った顔をして扉を開けたのは、丁度話の話題に上がっていた青年、芦原葵だった。突然の長官補佐の来室にも戸惑うことなく二人は席を立ち、上官に対する礼をとる。

 葵は完全に怒った様子で、室内を見回し――やがて溜息を吐く。

「あの馬鹿長官……一体どこへ行ったんだ」

 ぶつぶつとぼやきながら葵は踵を返して部屋を出ていく。

「な? あの様子じゃ、お前の鍛錬を見る余裕などないんじゃないか?」

「……だな」

 葵は明らかに苛々しており、壱吾の良く知る冷静沈着さは欠片程も存在していなかった。

「長官絡みのことになると、兄さんは人が変わるから」

「だよなあ。……お前も葵先輩のことになると人が変わるけど」

 窓際に等しい部署とは言え、壱吾や七瀬ら、属する官僚達を纏める長官職は存在する。ただ、普通の部署と違うのは、第零番書庫は完全に実力主義という点だ。賄賂を送ろうとする不埒な輩があれば、寧ろ全力で排除する傾向がある。その為、長官職に就くのも、その補佐官も国内では知らぬ者はない程の凄腕の霊媒師だ。

 純粋な戦闘能力ならば芦原葵が間違いなくトップに立てるのだが、彼はそれを辞退している。壱吾や七瀬からしてみれば何故、と言いたくなるのだが、補佐くらいなら良いということで手打ちとなった次第だ。その代わりに、葵に匹敵する頭脳の持ち主が第零番書庫の長官を務めている。若槻という名の四十を越えたばかりの男だ。

 ただ、若槻は特に異能を持っていないし、実戦に赴いたこともない。彼はどちらかと言えば研究者であり、新しい術式の開発を行う。事実、第零番書庫の霊媒師達は若槻が生み出した術式を試験的に扱うことが多い。だが若槻は決して、葵にだけはそれをさせない。

 だが困ったことに、若槻は事務仕事が大嫌いらしく、全てを副官の葵に丸投げするという悪癖がある。その為、葵は若槻が逃げる度に若槻を捜して島中を走り回るという、無駄なことをしなければならない。

 二人が談笑しつつ書簡に眼を通していると、躊躇いがちに声が掛かった。

「芦原さん、七瀬さん。本土からお客人が来ておりますが」

 何も、この孤島に住まうのは霊媒師ばかりではない。彼らの身の周りの世話をする――古風な言い方をするならば、使用人のような存在も居る。食事の支度をしてくれる調理師や掃除婦も。

「本土から?」

「何でも、警察庁から出向なされた有坂と申される方で。依頼があるので、とのことです。お通ししても良いでしょうか?」

「構わない。通してください」

 壱吾らの立場は、一応警察庁与りとなっている為、霊媒師としての依頼もまた、警察庁経由で来ることが多い。だから本土からの客人と言えば、まず間違いなく依頼だった。

 仕事を無理やり中断させられることに多少の苛立ちを感じたものの、仕方なしと断じて壱吾は席を立った。行くのか、と七瀬が目で問い掛けてくる。

「呼ばれたのは俺だけじゃないだろ。お前も来い」

 渋々七瀬も席を立ち、ずるずると壱吾に引っ張られる形で部屋を出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。