はじめての熱
団子は、甘かった。
白姫はそれを知らなかった。
口の中に残る柔らかな甘みを、白姫は黙って味わっていた。
小さな団子屋の軒先。
夕暮れが町を赤く染めている。
白姫は串を両手で持ったまま、じっと固まっていた。
アラクネアがその様子を見て、小さく笑う。
「そんな顔するほど?」
「……変な味がします」
「ふふ。美味しいって意味?」
白姫は少し考えてから、小さくうなずいた。
「多分」
その答えがおかしかったのか、アラクネアは肩を揺らして笑った。
白姫はまた困る。
何か変なことを言ったのだろうか。
でも、アラクネアは馬鹿にしているわけではない。
その笑い方は優しかった。
白姫はそれが少し不思議だった。
「本当に、何も知らないのね」
アラクネアは団子を一つ口に運びながら言う。
「今まで何して生きてきたの?」
白姫は答える。
「妖怪を斬っていました」
「それ以外は?」
白姫は答えられなかった。
それ以外、と言われても思いつかなかった。
アラクネアはしばらく黙った。
それからぽつりと言う。
「ずっと、そうやって生きてきたのね」
白姫の指が少し止まる。
そうやって。
その言葉の意味は、白姫にも何となく分かった。
言われたことに従う。
斬れと言われれば斬る。
傷ついても、何も言わない。
それだけで生きてきた。
食事は与えられた。
剣の使い方も教えられた。
傷の処置も。
でも、それだけだ。
褒められた記憶は少ない。
抱きしめられた記憶はない。
白姫は、それが普通だと思っていた。
だからアラクネアが少し悲しそうな顔をした理由が分からなかった。
「アラクネアは?」
気づけば白姫は聞いていた。
「アラクネアは、どうだったんですか」
アラクネアが少し驚く。
白姫から質問されたのが意外だったらしい。
「私?」
「……はい」
アラクネアは少し空を見る。
夕暮れが終わりかけている。
「昔は、人間の中で暮らしてた」
白姫は目を瞬かせた。
「西洋妖怪なのに?」
「ここ以外にも人間はいるもの」
アラクネアは苦笑する。
「信じていた人もいたわ」
その瞬間。
白姫の胸が妙にざわついた。
その人のことを、あまり聞きたくないと思った。
けれど、なぜそう思うのかは分からなかった。
「でも最後は、私を化け物として見た」
白姫の目がわずかに開く。
アラクネアは静かだった。
怒っているようには見えない。
でも、その声は少しだけ冷えていた。
「だから私は、人間を信用してない」
アラクネアはそう言って笑う。
けれどその笑顔は、とても寂しかった。
白姫は胸の奥が痛くなる。
アラクネアが傷ついているのが分かったから。
どうしてそんな風に思うのか、自分でも分からない。
でも嫌だった。
アラクネアが悲しそうなのが。
「……でも」
アラクネアは白姫を見る。
「白姫は少し違う」
「私が?」
「ええ」
アラクネアは手を伸ばし、白姫の頬に触れる。
白姫の身体がびくりと震えた。
「人を憎めないもの」
白姫は言い返せなかった。
確かに、人間は怖い。
冷たい。
時々、自分を物みたいに扱う。
でも、それでも。
白姫は人間を嫌いになれなかった。
なぜなのかは分からない。
役目だからかもしれない。
それとも。
本当は、誰かに必要とされたかっただけなのかもしれない。
「本当に変な子」
アラクネアは少し笑う。
白姫はまた胸の奥が落ち着かなくなる。
最近ずっとおかしい。
アラクネアといると、知らない感情ばかり増えていく。
けれど、アラクネアもまた少しだけ困っていた。
白姫を見ていると、自分の中に閉じ込めていたものまで揺れる。
見捨てれば楽になるはずなのに。
そうできない自分が、アラクネアには少し怖かった。
「……アラクネア」
白姫はおそるおそる名前を呼ぶ。
アラクネアが少し目を丸くした。
「なに?」
「アラクネアといると、変になります」
一瞬。
アラクネアは目を丸くしたあと、静かに笑った。
「本当に変な子」
「でも、本当です」
白姫は真剣だった。
「胸が痛くなります。苦しくもなります。でも、嫌ではないです」
アラクネアはしばらく白姫を見つめていた。
その紫の瞳が、少しだけ揺れる。
「……そんな顔で言わないで」
白姫は意味が分からず、小さく首を傾げた。
その時だった。
夕暮れのざわめきが、ふと遠のいた。
人々の声が消えたわけではない。
ただ、町の空気だけが冷えた。
アラクネアの表情が変わる。
白姫も気配に気づいた。
妖力。
しかも複数。
次の瞬間。
屋根の上に影が降り立った。
狐面をつけた細身の男。
その背後には数体の妖怪が並んでいる。
「ようやく見つけたぞ、蜘蛛女」
男は低く笑う。
「随分と楽しそうじゃねぇか」
アラクネアの目が冷える。
「……この土地の妖ね」
「てめぇら異国の妖がここを荒らすせいで、こっちも迷惑してんだよ」
男の視線が白姫へ向く。
「しかも半妖まで誑かしてるとはな」
白姫は反射的に刀へ手を伸ばす。
だが、その前に。
アラクネアが白姫を後ろへ引いた。
庇うように。
白姫は目を見開く。
アラクネアは前へ出る。
その背から、黒い糸がゆっくり広がっていく。
狐面の男が笑う。
「へぇ。随分お気に入りじゃねぇか」
アラクネアは答えない。
代わりに、夜のような黒い糸が空中に張り巡らされる。
白姫は、その背中を見ていた。
自分を守ろうとしている。
それが信じられなかった。
今まで、誰かが白姫を守ろうとしたことなんて、一度も無かったから。




