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化け物の居場所

 白姫は、しばらく動けなかった。


 アラクネアの背中が、自分の前にあったからだ。


 守られている。


 その事実が理解できなかった。


 今まで白姫は、誰かを守る側だった。


 傷つく側だった。


 使われる側だった。


 だから、自分が庇われるという感覚を知らない。


 胸の奥がざわつく。


 苦しい。


 でも嫌ではない。


 むしろ――安心していた。


「退きな、蜘蛛女」


 狐面の男が屋根の上で笑う。


「その半妖は人間側の犬だろ?」


 アラクネアは答えない。


 ただ静かに糸を張り巡らせていく。


 黒い糸が夕闇へ溶ける。


 空気が張り詰める。


 狐面の男は肩をすくめた。


「異国の妖が勝手にこの土地を歩き回ってりゃ、警戒もされる」


 男は鼻で笑う。


「海の向こうで人間に追われた連中が、最近ずいぶん流れ込んできてるからな」


 白姫はわずかに目を見開いた。


 アラクネアは黙ったまま糸を張る。


「だから襲うの?」


「縄張りってもんがあるんだよ。居場所を奪われりゃ、こっちだって黙ってられねぇ」


 アラクネアの目が細くなる。


 白姫は、その横顔を見ていた。


 怒っている。


 でも、それだけじゃない。


 疲れているように見えた。


 ずっと戦い続けてきた顔だった。


 人間とも。


 妖とも。


 どこにも居場所がないまま。


「……アラクネア」


 白姫が小さく呼ぶ。


 アラクネアは振り返らない。


「下がってて」


「でも」


「優しすぎるのよ」


 その言葉に、白姫は息を呑む。


 優しい。


 そんなことを言われたことがなかった。


 役人たちは白姫を“便利な半妖”と言った。


 妖怪たちは“裏切り者”と言った。


 でも優しいとは言わなかった。


 白姫は、自分が優しいのか分からない。


 だって、たくさん斬ってきたから。


 たくさん殺してきたから。


「人を傷つけるの、向いてないもの」


 アラクネアは静かに言った。


「だから、苦しそうな顔をする」


 白姫は、自分の顔を触る。


 どんな顔をしているのか分からなかった。


 でも狐面の男は、それを見て鼻で笑った。


「気色悪ぃな」


 その声には嫌悪が混じっていた。


「異国の妖と馴れ合う半妖か。ほんと化け物同士お似合いだぜ」


 その瞬間。


 白姫の胸がちくりと痛んだ。


 化け物。


 聞き慣れた言葉。


 何度も言われてきた。


 今までは、自分に向けられる言葉だった。


 でも今は違う。


 アラクネアまで同じ場所へ引きずり込まれた気がした。


 白姫は刀を生み出す。


 腕が裂ける。


 白い刃が夕闇に現れる。


 狐面の男が笑う。


「おっかねぇなぁ。図星か?」


「……やめてください」


「あ?」


「アラクネアは、そんな風に言われる方じゃありません」


 一瞬、静かになる。


 アラクネアが少しだけ目を見開いた。


 白姫自身も驚いていた。


 自分から誰かを庇うような言葉が出たことがなかったから。


 狐面の男はすぐに下品に笑った。


「はは、完全に誑かされてんじゃねぇか」


 次の瞬間。


 空気が裂けた。


 黒い糸だった。


 男の頬を掠め、狐面を真っ二つに切断する。


 割れた面が地面へ落ちる。


 アラクネアの目は冷え切っていた。


「次、この子を侮辱したら許さない」


 白姫は息を呑む。


 アラクネアが怒っている。


 自分のために。


 胸の奥がまた落ち着かなくなる。


 狐面の男は舌打ちした。


「……異国の妖風情が」


 妖力が膨れ上がる。


 背後の妖怪たちも牙を剥いた。


 戦いになる。


 白姫はそう思った。


 だが、その時だった。


 突然。


 白姫の視界が揺れる。


「……っ」


 膝が崩れた。


 腕の亀裂が熱い。


 痛い。


 いや、熱い。


 焼けるみたいだった。


 桜色の亀裂が、首元まで広がっている。


「白姫!?」


 アラクネアが振り返る。


 白姫は呼吸がうまくできない。


 視界がぼやける。


 胸の奥で、何かが脈打っている。


 皮膚の下を何かが蠢く。


 ぞわぞわする。


 斬りたい。


 壊したい。


 一瞬だけ、そんな感覚が頭を過った。


 白姫ははっとする。


 今、自分は何を考えた?


 狐面の男が顔をしかめる。


「おい……妖化か?」


 その言葉に、周囲の空気が変わった。


 妖怪たちが距離を取る。


 恐れている。


 白姫を。


 白姫は震える。


 怖かった。


 人に恐れられることじゃない。


 自分自身が怖かった。


 もし本当に化け物になったら。


 もし理性を失ったら。


 アラクネアまで傷つけたら。


「いや……」


 白姫は小さく呟く。


「嫌……です……」


 初めてだった。


 白姫が、自分の意思で何かを拒絶した。


 アラクネアの目が揺れる。


 白姫は苦しそうに自分の腕を押さえていた。


 まるで壊れかけの子供みたいに。


 アラクネアは静かに白姫を抱き寄せる。


 黒い糸が優しく身体を包む。


「大丈夫」


 白姫は震えていた。


「私……怖いです……」


 アラクネアは目を細める。


 その言葉を聞けたことが、少し嬉しかった。


 白姫が初めて、自分の感情を口にしたから。


 同時に、少し怖かった。


 白姫が自分に縋るほど、アラクネアもまた離れられなくなっていく気がした。


「怖がれるうちは、まだ大丈夫」


 アラクネアは白姫の頭を撫でる。


 白姫は目を見開く。


 頭を撫でられたことが、ほとんど無かった。


 優しく触れられることに慣れていない。


 だから涙が出そうになる。


 理由は分からない。


 でも苦しかった。


 温かかった。


 狐面の男は、その光景を黙って見ていた。


 やがて吐き捨てるように言う。


「……馬鹿らしい」


 そして背を向けた。


「半妖も異国の妖も、まとめて滅びりゃいい」


 妖怪たちも去っていく。


 その場には白姫とアラクネアだけが残った。


 夜風が吹く。


 白姫はまだ震えていた。


 アラクネアは静かに白姫を抱いている。


 まるで壊れ物を扱うみたいに。


「……どうして」


 白姫が小さく聞く。


「どうして、こんなに優しくするんですか」


 アラクネアは少し黙る。


 それから、困ったように笑った。


「見ていると、昔の自分を思い出すから」


 白姫はその言葉を、胸の奥でゆっくり受け止めていた。


 化け物。


 空っぽ。


 居場所がない。


 きっと二人は似ている。


 だから。


 一緒にいるだけで、こんなにも苦しくて、温かいのかもしれなかった。

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