表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

白姫

 白姫は、自分が笑えているのか分からなかった。


「ご苦労だった」


 役人の男にそう言われ、白姫は小さく頭を下げる。


「……ありがとうございます」


 言ってから、少しだけ不安になる。


 こういう時、人間は笑うべきなのだろうか。


 以前、町娘が嬉しそうに笑っているのを見たことがある。


 だから白姫も、少しだけ口元を動かしてみた。


 けれど上手くできない。


 ぎこちなく頬が引きつるだけだった。


 男たちは気づかない。


 もう妖怪の死体を見下ろして話し始めている。


 白姫はそっと口元を戻した。


 路地裏には、まだ血の匂いが残っていた。


 足元には妖怪の死体が転がっている。


 猪のような顔に、人間の腕が何本も生えた異形だった。


 つい先ほどまで暴れていたが、今はもう動かない。


 死んだからだ。


 白姫は、死というものをよく知っていた。


 妖怪を斬れば死ぬ。


 人間も斬れば死ぬ。


 死んだものは動かなくなる。


 それだけだった。


「やはりお前は便利だな」


 役人の男は当然のように言った。


 褒めているつもりなのだろう。


 白姫も、そう理解している。


 だから小さく頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 男は続ける。


「被害を出さずに妖怪を斬れるんだ。便利な存在だよ」


 周囲の男たちが苦笑する。


 白姫もまた、笑うべきなのかと思った。


 けれど、どういう顔をすれば自然なのか分からない。


 だから黙っていた。


「どうした?」


「あ……いえ」


「まあいい。次の任務だ」


 白姫は小さくうなずく。


 任務。


 その言葉を聞くと安心した。


 何をすればいいのか分かるから。


 何も考えなくて済むから。


 白姫は、自分の中に“役目”しかないことを、薄々知っていた。


「深川の外れで、西洋妖怪が目撃された」


「西洋妖怪……」


「黒い糸を張る蜘蛛の妖らしい。斥候が三人消えた」


 白姫は静かに話を聞いていた。


 西洋妖怪。


 海の向こうから来た異国の妖。


 日本の妖怪とも違う、人間とも違う存在。


 白姫は実際に見たことがなかった。


 だが、人間たちは彼らを恐れていた。


 だから斬る。


 恐れられるものを斬る。


 それが白姫の役目だった。


「お前なら問題ないだろう」


 男は当然のように言う。


「どんな妖怪だろうと、お前の刀なら斬れる」


 白姫は答えた。


「……承知しました」


 男たちはもう白姫を見ていなかった。


 死体をどう処理するかを話している。


 白姫はその場を離れた。


 別に嫌だったわけではない。


 慣れている。


 人間はいつもそうだった。


 必要な時だけ白姫を見る。


 終われば、いなくなる。


 白姫も、自分がそういうものだと思っていた。


 夜風が吹く。


 白姫は歩きながら、自分の腕を見た。


 白い肌。


 細い腕。


 そこに、薄い桜色の亀裂が入っている。


 妖力を使うたびに増える傷。


 初めは小さかった。


 今では手首から肩近くまで伸びている。


 痛みは、もう慣れてしまった。


 痛いことが普通になっている。


 それが少し怖かった。


 白姫は袖を戻す。


 考えないようにした。


 考えると、胸の奥が重くなる。


 自分が何なのか、分からなくなる。


 半妖。


 人間でも妖怪でもない。


 だから白姫は、“役目”に縋っていた。


 役に立っている間だけは、ここにいていい気がした。


 白姫は人気の無い道を歩く。


 夜の町は静かだった。


 遠くから聞こえる話し声も、白姫が近づくと少しだけ遠ざかる。


 気づかないふりをして、白姫は歩き続けた。


 やがて町並みが途切れ、深川の外れへ近づく頃には、空には雲が広がっていた。


 月明かりも薄い。


 森の中には、黒い糸が張り巡らされていた。


 細く、美しく、闇に溶けるような糸。


 白姫は小さな刃を腕から生み出す。


 肉が裂け、白い刀身が現れる。


 そのまま糸へ刃を当てた。


 止まる。


「……え」


 白姫は目を瞬かせた。


 初めてだった。


 刀が抵抗された。


 不思議だった。


 今まで、自分の刀で斬れないものなど無かった。


 だから少しだけ思う。


 この糸を作った妖怪は、どんな存在なのだろう。


 そんな風に考えたのも、初めてだった。


 やがて開けた場所へ出る。


 そこで、白姫はその女を見た。


 黒い女だった。


 綺麗な黒髪。


 白い肌。


 紫の瞳。


 背中から生えている虫のような巨大な足。


 異国の黒衣をまとい、巨大な糸の上に腰掛けている。


 まるで蜘蛛の巣の中央で獲物を待つ蜘蛛そのものだった。


 だが白姫が最初に思ったのは、


 綺麗。


 妖怪を見て、そんなことを思ったのは初めてだった。


 一方で。


 黒い女は、白姫を見た瞬間に理解した。


 この子は、もう半分壊れている。


 人間のふりをしているだけだ。


 痛みに慣れすぎている。


 傷つくことを受け入れている。


 まるで昔の自分を見ているみたいだった。


 だから放っておけないと思ってしまった。


「あなたが、私を殺しに来たの?」


 静かな声だった。


 白姫は刀を構える。


「私は白姫。妖怪討伐の命を受けています」


「命令だから来たのね」


「……それが役目ですから」


 黒い女は少し黙った。


 それから、小さく笑った。


「かわいそう」


 白姫の眉がわずかに動く。


 その言葉を向けられたことがなかった。


 人間たちは白姫を怖がった。


 便利だと言った。


 化け物だと言った。


 でも。


 そんな風に、悲しそうな目で見られたことは無かった。


「なぜ、そんなことを言うのですか」


「痛いことに慣れてる顔をしてる」


 白姫は言葉を失う。


 黒い女は立ち上がる。


 黒い糸が静かに揺れた。


「私はアラクネア」


 黒い女は名乗った。


「蜘蛛の怪物。あなたたちの言葉で言うなら、西洋妖怪よ」


 白姫は刀を握る。


 だが、不思議だった。


 目の前にいるのは討伐対象のはずなのに、すぐには斬れなかった。


 アラクネアが、自分を見る目が嫌ではなかったから。


 恐怖でも嫌悪でもなく。


 まるで“同じもの”を見るような目だったから。


「人間が好き?」


 突然、アラクネアが聞いた。


 白姫は困った。


 考えたことがなかった。


 好き。


 嫌い。


 そういう感情を、白姫はよく知らない。


「……分かりません」


 正直に答える。


 アラクネアは少し驚いたように目を細めた。


「分からないの」


「でも、人を守るのが役目です」


「役目がなかったら?」


 白姫は答えられなかった。


 役目がなければ。


 妖怪を斬らなければ。


 自分には何が残るのだろう。


 考えた瞬間、息が少し苦しくなった。


 アラクネアはその顔を見て、静かに目を伏せた。


「やっぱり、放っておけない」


 その言葉は、なぜか胸に刺さった。


 白姫は少し戸惑う。


 怖がられることには慣れている。


 気味悪がられることにも。


 けれど。


 そんな風に見られたことは無かった。


 だから白姫は逃げるように刀を振るった。


 白い刃が夜を裂く。


 同時に、黒い糸が空を走った。


 刃と糸がぶつかる。


 火花が散る。


 だが白姫は驚いていた。


 アラクネアの糸は、ただ硬いだけではない。


 優しかった。


 まるで白姫を傷つけないように絡みつく。


 拘束するように。


 止めるように。


 アラクネアは静かに言った。


「そんな顔で戦わないで」


「……え」


「壊れそうな顔してる」


 白姫は自分の顔が分からない。


 今、自分がどんな顔をしているのか知らない。


 でもその瞬間。


 白姫は初めて思った。


 この妖怪は、自分を見ている。


 “半妖”でも、“駒”でもなく。


 白姫自身を。


 胸の奥が、少しだけざわついた。


 知らない感情だった。


 怖いはずなのに。


 白姫は、その感覚をすぐには嫌いになれなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ