第62話 本物はいつだってここにある
「龍」
龍が腰を落ち着けたカウンター席に、牛乳を注いだグラスを差し出す。
無言でそれを受け取る龍を見て、ほんの少し陰った瞳に気づいた。
「……離れるのが寂しい?」
「別に。そんなんじゃねぇ」
「そう。龍がいないとタキ止める人がいなくなるね」
「りんごがやれよ」
「無理。みーくんで手一杯」
「久住か酒田にやらせろ」
「――ねぇ、龍」
「あ?」
「再来週からね、ナギサちゃんが好きそうな……ちょっと可愛いお菓子を作ることにしたんだよね」
ナギサちゃんが釣れたら、龍も釣れそうだ。
そんな下心丸出しで出した企画案。
カフェなんだから、お菓子があっても別段おかしくない。むしろ、ない方が変だ。
「カラフルなマカロンとか、キャラクターもののアイシングクッキーとか」
「俺にナギサを連れて来いって言ってんのか」
「週一で色々変える予定だから、楽しめると思うんだけど」
プライドの高そうな龍を釣るには、こういう方法しかないんじゃないかと思った。
久住さんは売り上げになるなら何でもいいと言ったし、コストの計算もちゃんとしてある。
このまま離れるのは、どうにも寂しい。
ただ繋がりをどこかで持ちたいと、しがみついた私の案だった。
龍はなぜか一歩引いて見ていた。
タキとみーくんが落ち着いたら、それで役目は終わりとばかりに離れてしまいそうな気がした。
「……来りゃいいんだろーが」
「強制はしないけど」
「どうだかな」
ふっと笑って視線を窓の外へ向けた龍を見て、なんとなく、本当になんとなくだけれど、ちゃんと来てくれそうな気がした。
「自分も食べに来ます!」
はい! と手を挙げてくれた槙原さんに、軽く噴き出しながらも頷く。
この人とは、あまり深く付き合えなかったなと少ししんみり思った。
まぁ、入院させたタキのせいだけど。
少しずつ、少しずつ大人になっていく。
好き放題していたこの時期を、思い出に変えるときが来る。
誰しも過去を悔やんだり、懐かしく思ったりしながら、ゆっくりとしたペースで変わっていく。
良くも悪くも正直で、ありのままに生きてきたみーくんたちが、これからどうなるのかは分からない。
でも――
次第に大人に……
「あー! みっつん俺のコーラに牛乳入れただろ! なんてことすんだよ! わざわざ不味いもん作んなよ!」
「おい、タキ。牛乳馬鹿にしてんのかテメェ……ミツルも余計なことすんじゃねぇ!」
「んー……間違えちゃった。槙原のだと思ったからさぁ」
「自分、飲みます、飲めます!」
「いや無理だろ……羽柴さん、さすがにそれはちょっと危ないと思います」
……やっぱり変わらないかもしれない。
「久住さん、どうにかしてください」
「……ジョーカーの出番だろ」
「恥ずかしいんで言わないでください……」
「止めてこい。店が汚れる」
他人任せな久住さんに言われ、渋々喧騒に突っ込んでいく。
「今日くらい静かに過ごして。槙原さん、それ飲まなくていいです。ほら、新しいの出すからタキも文句言わないで」
「うっせー! りんごはまったく分かってねぇ! 見ろこのコーヒーみたいな色!」
「……みーくん」
「はぁーい」
心得た、とばかりに緩く手を挙げて笑うみーくんは、タキの首根っこを掴む。
「――リンに迷惑掛けんな」
いやいや、みーくんから始まったんですけどね。
犯人、あなたですけどね。
簡単に飛ばされたタキを拾うため、龍が立ち上がる。
全員の目線がタキへ向いた隙に、みーくんが私へ顔を寄せた。
「みーくん」
「なぁに?」
「……あーもう、何でもない。卒業祝いってことにしてあげる」
「――かわいいなぁもう」
過去の私に教えてあげる。
実家で俯いて、寂しさに震えていた私に。
みーくんと出逢う前の私に。
あと少し。
もう少し、頑張れ。
明けない夜はないってよく言うし、トンネルは永遠には続かないとも言う。
もうちょっとだけ、耐えてみて。
手を掴んで引き上げてくれる、なんて表現が生易しいくらいに、ぎゅっと抱き締めて離さないでくれる人が現れるから。
もう大丈夫だって全身で教えてくれる、軽薄で怪しい人が私を待ってる。
恭平と別れた直後。
コンビニのカウンターの向こうで、にやりと笑った危ない人。
その人が、私を抱き締めてくれる。
過去に手紙は届かない。
だから、未来に手紙を書こうと思う。
――笑えるよね。
私が自分に手紙を書く。
そんな道徳的なこと、大嫌いだったはずなのに。
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拝啓、柏木鈴子。
みーくんが働き始めて1か月。
何事もそつなくこなすって……やっぱりみーくんはずるいと思う。
私の方が先に研修も終えたのに、簡単に負けるなんて絶対に嫌だ。
だけど正直、森のカフェで働く姿はすごくさまになってる。
手際もよくて、何より佇まいが綺麗でムカつく。
お客さんからは人気だし、ナンパされたりなんかもする。
本人には絶対に言ってやらないけど、仕事中のみーくんは、見惚れてしまいそうなくらいに格好いい。
オーナーになった久住さんは、いっそバリスタを目指すなんて言って頑張ってる。
タキとの仲は、わりと順調だと思う。
そういえば、タキの調子のいいお喋りは営業向きだったのかもって、最近気づいた。
OLを引っ掛けて夜な夜な遊ぶタキさんは、なるべく視界に入れないようにしてる。
龍もナギサちゃんを連れて、先週来たばっかり。
みーくんから久住さんに婚約者が変わったんだけど、そのときの龍の慌てぶりは一生忘れられそうにない。
森のカフェが、使い道を持て余していた溜まり場から普通のカフェへと変わって、客層も少しずつ変わってきた。
若い女の子のお客さんは、確実にみーくん狙いだと思う。
近況は大体こんなところ。
この手紙は、1年後くらいに開けるつもり。
みーくんと別れてないと、いいんだけど。
それでも少しだけ不安があるから、言っておく。
今、私は確かに愛されてると思う。
先のことは分からない。
だけど、この手紙を書いてる今は、ちゃんとみーくんに愛されてるよ。
だから疑わないで。
なかったものにしようとしないで。
この手紙を読んだとき、もしみーくんと別れてたら、そのときは――
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「――愛されたという事実を忘れないで。卑屈にならずに、また新しく頑張って。……別れる前提で書くってのはどうなのかなぁ」
苦々しい表情で、羽柴充は便箋を畳んだ。
読んだと鈴子に知られたら、大目玉を食らうこと間違いなしだ。
偶然見つけた愛らしい手紙を、丁寧に元の場所へしまう。
「みーくん? そっち片付け終わった?」
「んー……もうちょっとかなぁ」
「そんなに散らかしてたっけ?」
がちゃりと寝室のドアが開き、鈴子が不思議そうに顔を出した。
まるで何事もなかったかのように、充はにっこりと笑ってみせる。
「りんちゃんがなんかもう可愛すぎて、俺ヤバいかもしんない……」
「……なに?」
唐突な言葉に、鈴子は訝しげに眉を寄せた。
「掃除ちょっと中断――相手して」
「え? ……ちょ、意味わかんなっ……」
「俺にはリンしかいねぇ。別れるとかそういうのは……見なかったことにして」
「は?」
「とりあえず食っていい?」
「どういう、……みーくん! なにっ?」
「ナンパとかどうでもいい。リンが居たらそれだけで……」
「掃除! みーくん! 手のけて!」
「無理だろ。可愛いリンのせい」
「――もしかして、読んだ?」
「えー……何のハナシ?」
「絶対読んだよね! ……別れるとかナンパとか!」
「だったらどうする?」
「……どうも、しないけど」
りんごのように赤く染めた頬が逆効果になるとは露知らず、鈴子は目付きを鋭くしながら拗ねたように顔を逸らした。
充の瞳が狂喜に染まり、ベッドの上で柔肌に触れる。
日を追うごとに募る想いは、今溢れ出して本物を紡ぐ。
「――リン。愛し、」
一瞬のためらい。過去の呪縛。
偽りにしか聞こえなかった、最上級のその言葉。
「大丈夫、わかってる。他とは『違う』んでしょう?」
言えなかった言葉を鈴子が先導して紡ぐ。
「みーくん、……愛してるよ」
もう十分だ。
欲しかった人は、もうここにいる。
「俺も……リンを愛してる」
本物はいつだってここにある。
ただ一つだけの、ありのまま。
飾らないまっさらな、愛の塊がここにはある。




