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「聖女様に温室をお譲りして」と婚約者に命じられましたので、冬薔薇の育成契約ごと王立植物院へ移ります  作者: むむさん


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7/10

第7話 公開予備審査

 白い薔薇が二鉢、同じ審査台へ運ばれた。


 一方の札には、聖女マリエッタの祝福による『聖恵の白薔薇』。


 もう一方には、育成者エレシア・ノルト、品種名『白燈』と記されている。


 エレシアは自分の札を見た後で、鉢の花を見た。


 予備審査へ出したのは母株ではない。半年前に預けていた四鉢の基準挿し木のうち、最初に蕾をほどいた一鉢だ。植物院の変わらない温度の中で育った枝は、ここへ母株が運ばれてからの数週間でゆっくりと蕾を膨らませ、昨日の夜、固い花弁の先をほんの少し開いた。


 母株が身を軽くして新芽を守っている間、先に預けていた子株が花を引き受けてくれた。


 それを都合のよい奇跡とは呼ばない。日付の並んだ保管記録と、半年前に迷わず一本を預けた自分の判断が、今ここにあるだけだ。


「間もなく開場いたします」


 審査補助員の声で、外廊下のざわめきが大きくなる。予備審査は王家の献花候補を選ぶため、希望者に公開される。今年は聖女の発表で注目を集め、普段より多くの見物人と新聞記者が来ていた。


「ノルト令嬢」


 セドリックが、距離を置いた場所から声をかけた。今日は作業着の上に植物院の灰色の式服を着ているが、胸元にはいつもの管理官札が付いたままだ。


「保管記録と接触記録を、審査員三名及び双方の提出台へ置きました。私は採点席には着きません。温度変更の操作のみ、審査員の指示を受けて行います」


「承知しております。ありがとうございます、ヴァレル管理官」


 きちんと言えた。彼が側にいないからこそ、公正なのだ。少し寂しいと思った自分を、エレシアは胸の内で静かにたしなめた。


 正面の扉が開き、人々が入る。


 最後に、ラウルとマリエッタが姿を現した。ラウルは濃紺の礼服を整え、顔色も戻している。マリエッタは純白の聖衣を纏い、祈りの珠を握っていた。


 彼らの鉢には大ぶりな花が一輪咲いている。遠目には見事だった。けれど、茎が細く、花首がわずかに前へ倒れている。暖かな控室を出たばかりで、もう支えを欲しがっている。


 エレシアは視線を外した。


 審査長である老女が、杖で床を一度鳴らす。王立植物院の品種認証委員長、オレリア夫人だった。


「本日は、冬至献花式の候補となる耐寒花の予備審査を行う。評判、身分、祈りの尊さは、花の品種判定には含めない。確認するのは、提出された由来、再現可能性、低温下での性質である」


 場内が一瞬、静まり返った。


 マリエッタの指が珠を強く握るのが見えた。


「第一提出者、聖女マリエッタ。提出株の由来を説明されよ」


 マリエッタは立ち上がった。声は整っていたが、語尾がわずかに急いでいる。


「こちらは、アーデン家の温室にて育まれた白薔薇でございます。冬の救貧院に希望を届けたいと祈り、わたくしが聖恵の白薔薇と名づけました。管理にはアーデン家の皆様が尽力くださいました」


「交配及び選抜を行った者は」


「……アーデン家の温室でございます」


 人ではなく場所を答えた。


 オレリア夫人は何も批評せず、書記へ記録を命じた。


「第二提出者、エレシア・ノルト」


 エレシアは立ち上がった。膝の裏に力が入りすぎ、椅子が少し鳴った。


「白燈は、亡母より譲り受けた耐寒性の原株を基に、三冬にわたりわたくしが選抜した株でございます。冬期に低温へ置かれたまま花弁の変色を抑え、香りを残すことを目的といたしました。提出株は半年前より植物院へ寄託した基準挿し木四鉢のうちの一鉢であり、母株は移送負荷からの回復を優先し、本日の開花提出には用いておりません」


 記者のペンが動く音がした。


「母株が咲いていないことは、不利ではないと考えるか」


「不利であるかは審査へ委ねます。ただ、弱った母株へ開花を急がせて性質を損なう方が、育成者として不誠実だと判断いたしました」


 オレリア夫人は、わずかに顎を引いた。


「試験へ移る。室温を十二度から六度まで、段階的に下げよ」


 セドリックと補助員が温室の通気窓を開け、冷気を導く装置の弁を回した。足元から冷たい風が滑り、見物人たちが外套を寄せる。


 白燈の小さな花は、細かく震えながらも上を向いていた。乳白色の花弁は固く重なり、中心の淡い金が少しだけ見える。冷気が増すほど、香りはかすかに甘くなった。冬の朝、凍った土を掘ったときにだけ立つ匂いに似ている。


 一方、聖恵の白薔薇は、温度が八度を切る頃から花弁の縁が透けた。大きく開かせるために吸い上げた水分が、冷気を受けて重くなっていく。


 ラウルが立ち上がった。


「待ってください。この試験は急激すぎる。我が家の株は献花式の室内展示を目的としており、ここまで冷やす必要はない」


「提出区分は耐寒花である」


 オレリア夫人の声は変わらない。


「救貧院の温室は、王宮の舞踏室ほど燃料を使えぬ。低温へ耐えられぬ花を、冬の希望として配るのかね」


 ラウルは口を閉じた。


 七度。


 聖恵の白薔薇の花首が、ゆっくりと折れるように下がった。


 見物人の間から、小さなどよめきが上がる。マリエッタの顔が真っ白になる。


「加えて、特徴の照合を行う」


 審査員の一人が、提出された基準記録と花弁を比べた。白燈は外側の花弁が九枚、先端が細く反り返り、低温で香りが立つ。アーデン側の花は大輪だが、外弁は丸く、香りは暖気で強く冷気で消える。


「第一提出株は、第二提出株及び寄託記録に示された白燈と同一品種とは認められない」


 書記が読み上げる。


「よって第一提出株を、白燈の名または同株由来の奇跡として献花候補へ置くことは一時差し止める。聖恵の白薔薇としての独立審査については、耐寒性能不足により本年度の献花候補から除外する」


 一時差し止め。除外。


 声高な罵声は一つもなかった。ただ、ラウルの前に置かれていた献花候補札が、補助員の手で伏せられた。


 それだけで、彼が広場で約束した華やかな話は支えを失った。


「異議があります!」


 ラウルが声を張った。


「本来、最も良い母株はエレシアが持ち去ったのです。アーデン家の温室で育った株を、契約の隙を突いて奪った。それで我が家の提出花が不利になったのなら、審査より先に搬出の不正を問うべきだ!」


 場内の視線がエレシアへ集まる。


 怖くないと言えば嘘になる。けれど、彼女の作業机には、契約の写しも、立会い記録も、ミカエルの署名もある。


 エレシアは立ち上がった。


「審理を望まれるのでしたら、受けます。母株は誰にも隠さず、契約に定めた手続きと立会いの下で搬出いたしました」


「君は私の家を裏切った!」


「わたくしの名を先に外された方へ、返す言葉はそれだけです」


 オレリア夫人の杖が再び床を鳴らした。


「権利審理は三日後に開く。感情ではなく、契約と証拠を持参せよ。本日の花の判定は変わらない」


 ラウルはなお何か言いかけたが、マリエッタが袖を掴んで止めた。彼女は折れた白薔薇を見つめ、声も出せないようだった。


 審査が終了し、見物人が少しずつ動き始める。


 エレシアの名札の前に、一人の少女が立った。植物院の見習いらしく、袖に葉の刺繍がある。


「あの、白燈って、こちらの小さなお花ですか」


「ええ」


「寒いのに、いい匂いがします」


 少女は嬉しそうに笑って、名札の文字をそっと読んだ。


「育成者、エレシア・ノルト様」


 名前は、誰かを押し退けなくても、花の側に立っていた。


 人波が引いてから、セドリックが接触記録の綴りを抱えて近づいた。


「保管担当として、審理へ記録を提出します。私が提出株へ行った作業と、行っていない作業のすべてです」


「ご迷惑をおかけします」


「迷惑ではありません。記録は、こういう日のために付けるものです」


 そして、ごく職務的な顔のまま、声だけを少し柔らかくした。


「説明は明瞭でした、ノルト令嬢」


 それだけなのに、エレシアの手の冷たさが少しほどけた。


「ありがとうございます。次は、契約の説明をしなければなりませんね」


「審理室でお待ちしています。今度も、あなたの言葉で」


 白燈は冷気の中で、まだ顔を上げていた。


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