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夫の功績にされていた天才錬金術師ですが、妻を辞めたのでポーションも魔導具も作りません  作者: 小竹X


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第52話 セドリック様の視察

港連絡所の改善が進んだ頃、セドリック様が正式な視察を行った。夫としてではなく、領主としてである。だから、わたしも工房主として同行した。港の人々は、領主が来ると少し緊張する。ラナも背筋を伸ばし、ミリヤは記録机の上を何度も整えた。


 セドリック様は、最初に薬棚ではなく掲示板を見た。


「見分け方の札が、かなり減っているな」


 ラナが答える。


「最初は多すぎました。今は、港の人がよく見る三点に絞っています。詳しいものは連絡所の中に」


「理由は」


「多すぎると読まれません」


「良い判断だ」


 ラナの顔が少し明るくなった。次に、小分け袋の保管箱を見る。湿気対策、青い糸、油に強い糸の試作品。彼は一つずつ確認し、質問をした。厳しいが、意地悪ではない。視察の最後、セドリック様は港の組合長に言った。


「星濾工房の名を使う場所では、記録と休息の条件も守る。売上だけを求めるなら、連絡所は閉じる」


 組合長は真剣に頷いた。わたしは隣で、その言葉を聞いていた。彼は工房を守っている。ただし、わたしの代わりに話すのではなく、領主として条件を示している。帰り道、潮風の中で彼が聞いた。


「口を出しすぎたか」


「いいえ。領主の仕事でした」


「夫としては?」


「少し誇らしかったです」


 言ってから、少し照れた。彼は珍しく、すぐには返事をしなかった。港の波音が間を埋める。やがて、静かに言った。


「それは嬉しいな」


 共同者としての一年は、こういう距離の取り方も育ててくれた。


 ◇


夏の終わり、星濾工房には新しい扉が付いた。大きな改装ではない。見習いが増えたため、裏口を作業者用に分けただけだ。薬を受け取る人と、材料を運ぶ人と、工房員の動線を分ける。事故を減らすための小さな扉である。


 その扉にも、呼び鈴を付けることになった。古い鍵の星は正面の扉にある。裏口には、新しい星を付けた。ただし、材料は皆で少しずつ出した。ノラの焦げた鍋の削り片。テオが使い切った赤鉛筆の金具。ラナの青い糸の留め具。


 ヨルクの冬地図を留めた古い釘。ビアンカの壊れた帳面金具。小さなものを溶かし、星の形にした。新しい鈴は、正面の鈴より少し軽い音がする。扉を開けるたび、工房員の手が集まった音が鳴った。ノラが言った。


「先生の鍵の鈴と、私たちの鈴ですね」


「わたしの鍵の鈴も、今は工房のものです」


「でも、始まりは先生です」


 その言葉に、少し胸が熱くなった。始まりは、確かにわたしの離縁だった。だが、今の工房は、もうわたし一人ではない。正面の扉には、閉じた過去から作った鈴。裏の扉には、皆の仕事から作った鈴。二つの音が、同じ工房に響く。


 夕方、最後の確認を終え、わたしは正面扉の前に立った。明日も誰かが来る。相談、苦情、注文、失敗、礼、迷い。そのたびに鈴が鳴る。扉の音を怖がらなくなったことに気づき、わたしは静かに笑った。次の扉も、きっと開けられる。


 ◇


王都から、薬剤規格書の第二版が届いた。今回は、港の偽造事件が反映されている。製造番号だけでなく、地域ごとの触覚印、保管場所の表示、偽造品を見つけた時の回収手順が追加されていた。


 参考資料欄には、港連絡所の検品会と、ラナの報告書が載っている。ラナはその欄を見て、しばらく黙った。


「私の名前、王都の紙に」


「はい」


「港の匂いの話まで」


「大事な技術ですから」


 彼女は目を潤ませたが、泣く前に記録帳を開いた。


「泣くのは後で。修正点を読みます」


 ノラが小さく笑う。


「工房員ですね」


 規格第二版には、まだ硬すぎる表現もあった。例えば『触覚印』という言葉は、港の人には伝わりにくい。テオはすぐに赤鉛筆を持った。


「手で分かる印、のほうがいいです」


「王都の書類には触覚印、掲示には手で分かる印。両方使いましょう」


 言葉は、場所によって着替える必要がある。意味を変えず、届き方を変える。マリウスからの短い手紙も同封されていた。


『港の件で、王都側も印の考え方を改めました。星濾工房の名を囲わない方針は、議事録に残りました』


 わたしは手紙を読み、静かに息を吐いた。囲わない。でも、無防備にもしない。その難しい線が、少しずつ王都の紙にも移っている。規格第二版は、工房の手前の棚に置いた。過去の証明ではなく、これから使う道具として。


 ◇


規格第二版に合わせて、町で星印講習を開いた。薬剤の講習というより、見分け方の講習だ。正規の袋、偽の袋、番号の位置、触って分かる糸、飲用禁止の赤布。机の上には、薬よりも札と袋が多く並んだ。最初に説明したのはテオだった。


「星だけ見ないでください。番号、名前、相談先も見ます」


 子どもの声は、思ったよりよく届く。大人たちは少し笑いながらも、手元の袋を確認した。次にラナが、港の偽袋の匂いを説明した。ノラは、見つけた時に恥ずかしがらず持ってくることを話す。


 ヨルクは、冬の巡回地図を使って、遠い村へ偽物が入り込んだ場合の連絡経路を示した。わたしは最後に、名の話をした。


「名前は、信用を集めます。だから偽られることがあります。名前を守るには、名前の周りに手順を置いてください」


 講習のあと、老婆が袋を持ってきた。


「これは本物かい」


 テオが番号を確認し、ラナが糸を触り、ノラが相談先を読む。


「本物です」


 老婆は安心したように笑った。


「星だけじゃ足りないんだね」


「はい」


 テオが真面目に答える。その日の講習で、偽袋がさらに二つ回収された。責める場にしなかったから、持ってきてもらえたのだと思う。講習記録の最後に、ビアンカが書いた。


『見分け方は、配るだけでなく練習する必要がある』


 その通りだった。安全は、紙に書いた瞬間ではなく、人の手が動いた瞬間に始まる。

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