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夫の功績にされていた天才錬金術師ですが、妻を辞めたのでポーションも魔導具も作りません  作者: 小竹X


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第46話 一周年の点検

星濾工房の一周年は、祭りではなく点検から始まった。棚、炉、廃棄箱、記録板、休業表、基金帳、移動工房馬車、港連絡所の試験記録。一年で増えたものは多い。増えたものは、点検しなければ危険にもなる。


 ノラが炉の温度石を確認し、ラナが湿気のある棚を拭き、ヨルクが馬車の瓶止めを締める。テオは札を全部外し、古くなったものを作り直していた。わたしは一年分の苦情記録を読み返した。効きすぎる疲労回復薬。焦げた喉薬。凍傷札の絵。


 井戸水の濁り。誤飲事故。どれも、嫌な記録だ。でも、隠していないから、改善の跡も一緒に残っている。午後、領主館と診療所、商人組合の代表が点検に来た。セドリック様も領主として参加する。夫だから甘く見る、ということはしない。


 彼は基金帳を開き、支出と監査印を確認した。


「奨学箱の規約は、次回までにもう少し明確にしたほうがいい」


「はい」


 指摘はその場で記録する。診療所の医師は、誤飲防止の赤布を評価したが、外用薬の置き場がまだ分かりにくいと言った。それも書く。点検が終わる頃、工房員たちは少し疲れていた。だが、顔は明るい。ノラが言った。


「お祝いって、これで終わりですか」


「このあと、少しだけ菓子があります」


「少しだけ?」


「十分な量です」


 菓子の箱を出すと、テオが歓声を上げた。一周年の祝いは、工房の奥で行われた。派手な飾りはない。白い工房着を着たまま、皆で蜂蜜菓子を食べる。母が送ってくれた蜂蜜を使ったものだ。わたしは皆を見回した。


 一年前、こんな人数で同じ作業台を囲む未来は想像できなかった。工房は、点検して、直して、また続く。その地味な継続こそ、一周年のいちばん大きな祝いだった。


 ◇


一周年の翌週、町では小さな星祭りが開かれた。本来は夏の夜に子どもたちが星形の灯りを持って歩く古い祭りだという。今年は、星濾工房の一周年と重なり、少しだけ賑やかになった。


 工房として屋台を出すことになったが、薬を売る屋台にはしなかった。出したのは、手洗い体験、説明札作り、誤飲防止の赤布巻き、凍傷札の読み方。祭りらしくない。けれど、子どもたちは意外と楽しんだ。


 テオは札作りの先生になり、ラナは匂い当てを担当した。安全な薬草を並べ、健康な葉と傷んだ葉の匂いを比べさせる。ヨルクは水濾過の実演をした。濁った水が少しずつ澄むと、子どもたちが歓声を上げた。


「飲める?」


「煮てからです」


 ヨルクは札を指す。子どもたちは声をそろえた。


「煮てから!」


 ノラはそれを聞いて満足そうだった。夜、星形の灯りが通りに並ぶ。工房の前にも、小さな灯りを一つ置いた。古い鍵の呼び鈴が、夜風でかすかに鳴る。セドリック様が隣に立った。


「町の祭りに、工房の仕事が混ざったな」


「混ざりすぎていませんか」


「子どもが煮沸を覚えて帰る祭りは、悪くない」


 確かに、いい形かもしれない。祭りの終わりに、東門の革職人が来た。最初の苦情を持ってきた人だ。


「一周年、おめでとう」


「ありがとうございます。飲む時間の札は、まだ読みやすいですか」


「読みやすい。夜に飲まない。覚えた」


 彼は笑って、星形の小さな木札をくれた。


『苦情も聞く工房』と彫られている。


 少し変な祝い札だ。でも、星濾工房にはふさわしい。わたしはそれを入口の内側に掛けた。町の灯りが、工房の窓に映っている。星は空だけでなく、手元にもある。そう思える夜だった。


 ◇


星祭りの翌日、一人の少女が工房を訪ねてきた。王都講習の裏廊下で相談してきた、あの若い女性だった。彼女は以前より顔色が良く、鞄から一冊の帳面を出した。


「名前を書きました」


 表紙には、二つの名が並んでいた。彼女の名と、婚約者の名。共同研究記録。わたしはゆっくり開いた。処方、日付、材料、作業者、検品者、発表時の署名欄。どれも整っている。


「婚約者は、最初は驚きました。でも、話しました。わたしの名が載ると困るなら、その困りごとは私のものではないと」


 彼女は少し笑った。


「リリアナ様の言葉を、そのまま使いました」


「怒られませんでしたか」


「少し気まずくなりました。でも、彼は考えて、共同署名にすると言いました」


 すべてがうまくいったわけではないだろう。それでも、彼女は名を書いた。それが大きい。ノラが帳面を覗き込み、頷いた。


「署名欄、見やすいです」


 テオも言った。


「説明札の字は、もう少し大きいほうがいいです」


 少女は真剣にメモを取った。わたしは改善点をいくつか伝えた。責任欄を増やすこと。原本と写しを分けること。発表前に確認印を入れること。彼女は何度も頷いた。帰り際、彼女は工房の看板を見上げた。


「わたしも、いつか自分の工房を持ちたいです」


「持てます。急がず、記録を残してください」


「はい」


 彼女が去ったあと、わたしはしばらく扉の前に立っていた。わたしの過去は、変わらない。けれど、誰かが同じ場所で少し早く立ち止まれるなら、過去の痛みにも別の使い道がある。名前を書いた少女の帳面は、王都へ戻る。


 そこからまた、別の誰かに届くかもしれない。星濾工房の仕事は、瓶に入らない形でも広がっていた。


 ◇


婚姻後、書類の署名は少し長くなった。リリアナ・ヴェルネ・アーヴェン。最初は、手が少し迷った。名が増えたことで、また何かが飲み込まれるのではないかと、体の奥が警戒していたのだと思う。


 けれど、一年分の書類を見返すと、署名の下に必ず役職が続いていた。星濾工房主。その言葉が、名を支えている。今日の書類は、港連絡所の正式開始申請だった。急がず試験し、湿気対策と責任者訓練が整ったため、月四日の受け渡し窓口として始める。


 責任者はラナ。補助は港の診療所。調合は本工房。署名欄には、ラナの名もある。彼女は緊張しながら筆を握った。


「字、曲がりませんか」


「少し曲がっても、読めれば大丈夫です」


「でも、正式な書類です」


「正式な書類だから、自分の手で書く意味があります」


 ラナは深呼吸し、名前を書いた。少し右上がりだが、はっきりしている。ヨルクが覗き込み、感心した。


「きれいだ」


「練習したから」


 ノラが満足そうに頷く。


「次はあなたです」


 ヨルクは顔を引きつらせた。署名は、ただの文字ではない。自分が関わったと認め、責任を持ち、次に改善できる場所を残す印だ。昔のわたしには、その署名欄がなかった。今、工房の書類には、たくさんの署名欄がある。多すぎるくらいだ。


 でも、多くていい。人の手が多く関わった仕事なら、人の名も多く残るべきだ。最後に、わたしも署名した。リリアナ・ヴェルネ・アーヴェン。星濾工房主。もう迷わなかった。この名は、誰かに奪われた名の代わりではない。


 わたしが選び、書き続ける名だった。

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