第27話 花と薬草の求婚
セドリック様の正式な求婚は、薬草畑で行われた。予告通りだった。ただし、花束は予想より大きかった。白い春花と、薬草の小さな葉が一緒に束ねられている。実用的すぎないようにしたのだろうが、よく見ると半分以上が薬草だった。
「これは、花束ですか。薬草束ですか」
「両方だ」
彼は真面目に答えた。その真面目さに、胸がいっぱいになる前に笑ってしまった。
薬草畑の端には、ビアンカとノラが隠れている気配がする。隠れているつもりなのだろうが、ノラの靴が見えている。テオまでいるらしく、小声で叱られているのが聞こえた。セドリック様も気づいているはずだ。けれど、何も言わなかった。
「リリアナ・ヴェルネ」
彼は、いつものようにわたしの名を呼んだ。
「君と婚姻を結びたい。領主としてではなく、セドリック・アーヴェンとして」
風が、薬草の葉を揺らした。
「君の工房を、君の名を、君の仕事を尊重すると約束する。だが、それだけでは足りない。俺は、君と食事をし、疲れた時に休めと言われ、俺が無理をした時に怒られたい。君が失敗を捨てる時、隣で必要な次の手を考えたい」
不思議な求婚だった。でも、どの言葉も彼らしかった。
「君の未来に、俺の席を一つ置いてほしい」
胸の奥が、熱くなった。以前の結婚では、わたしは夫の後ろに立っていた。席があるようで、なかった。名も仕事も、夫の影に混ざっていた。この人は、わたしの未来の中に席を置いてほしいと言う。奪うのではなく、置いてほしいと。
「セドリック様」
声が震えた。
「わたしは、あなたを好きです」
言えた。それだけで、目の奥が熱くなる。
「でも、好きだからこそ、条件を守ります。わたしはわたしの名で仕事をします。あなたの家のものにはなりません。あなたにも、わたしのために自分を削ってほしくありません」
「分かっている」
「分かっていない時は、言います」
「言ってくれ」
「わたしも、分からなくなったら言ってください」
「必ず」
わたしは花束を受け取った。薬草の香りがした。
「お受けします」
その瞬間、薬草畑の陰から小さな歓声が上がった。隠れていた人たちは、隠れるのを諦めたらしい。ノラが飛び出し、ビアンカが涙ぐみ、テオは何をしていいか分からず拍手している。マリウスさんまで少し離れた場所にいた。
「皆、仕事はどうしたの」
わたしが言うと、ノラが胸を張った。
「休憩も仕事の一部です」
自分の言葉が、こういう形で返ってくるとは思わなかった。セドリック様が、少しだけ照れたように花束の薬草を指した。
「この葉は、君の好きな銀葉草だと聞いた」
「好きですが、求婚の花束に入るとは思いませんでした」
「使える」
「使いません」
「なぜ」
「これは、飾ります」
そう言うと、彼の目元が柔らかくなった。薬草を使わずに飾る。それもまた、少し贅沢で、少し幸せな選択だった。夕方、花束は工房の記録机に置いた。銀葉草は乾燥させれば薬になる。でも、今回はそのまま花瓶に挿す。
仕事のためではなく、嬉しかったことを忘れないために。
◇
求婚を受けた翌日、工房では返事の文書化が始まった。ノラは不満そうだった。
「普通、求婚の返事って『はい』で終わるんじゃないんですか」
「物語ではそうかもしれません」
「これは物語じゃないんですか」
「現実の工房です」
テオが隣で真面目に頷いた。
「書類があった方が、あとで確認できます」
「テオまで」
ノラは嘆いたが、すぐに婚姻条件書の控えに興味を示した。
正式な婚約契約には、以前作った共同契約案が反映された。姓の扱いは、リリアナ・ヴェルネを基本とし、社交上必要な場合にアーヴェン姓を併記する。工房の責任者名は変えない。研究記録は工房の管理下に置き、領主家の所有物にしない。
そこまで読んで、ノラが首を傾げた。
「結婚しても、ヴェルネさんはヴェルネさんなんですね」
「はい」
「じゃあ、何が変わるんですか」
素朴な問いだった。わたしは少し考えた。
「一緒に食事をする日が増えます。困った時に相談する相手が増えます。互いの仕事を、家族としても支えることになります」
「でも、工房は工房」
「そうです」
ノラは満足そうに頷いた。
「いいですね。結婚で看板が変わったら、私、書き直すの大変だと思ってました」
現実的な心配だった。婚約の知らせは、町にもすぐ広がった。祝福の言葉は嬉しかったが、中には「これで星濾工房も領主家直営になるのか」と聞く人もいた。そのたびに、わたしは説明した。星濾工房は、契約工房として独立した運営を続ける。
領主家の依頼も、他の依頼と同じ基準で受ける。婚姻は、仕事の所有権を移すものではない。説明は少し面倒だった。けれど、面倒だからこそ最初に言う必要がある。夕方、セドリック様が工房へ来た。彼は町で同じ質問を受けたらしい。
「星濾工房は領主家のものになるのかと聞かれた」
「こちらでも聞かれました」
「面倒だな」
「はい」
「だが、今言わないと後でもっと面倒になる」
「その通りです」
わたしたちは、同時にため息をついた。ビアンカがそれを見て笑う。
「お二人は、甘い会話より先に運営方針の確認をなさるのですね」
言われて、少し頬が熱くなった。セドリック様も、珍しく視線を逸らした。
「甘い会話は」
彼が途中で止まる。
「あとで」
そう言ったので、工房中が妙に静かになった。ノラが耳まで赤くして、テオは意味が分からない顔をしている。ビアンカは非常に満足そうだった。わたしは咳払いをした。
「では、運営方針の確認を続けます」
「そうしよう」
逃げたような気もする。けれど、甘い会話だけでなく、運営方針も必要だ。返事は「はい」だけではない。はい、そして、わたしの名前は残します。はい、そして、工房は続けます。はい、そして、互いに無理をしたら止めます。
そういう返事が、わたしには必要だった。夜、婚約契約書の控えを記録棚へしまった。恋の書類を棚に入れるのは少し変かもしれない。でも、その紙は、わたしが幸せになるための大切な道具だった。




