第22話 罰金では治らない
エドガーへの処分は、正式に公布された。宮廷錬金術師称号の停止。納品資格の剥奪。被害者への賠償。ローウェル家倉庫の査察。宮廷錬金局の監督不備に対する改善命令。紙の上では、重い処分だった。
だが、紙を読みながら、わたしは南区の年配の女性を思い出した。喉を痛め、星風濾過器の布を替えながら、それでも明日の仕事を心配していた人。北砦で熱を出したイーサン。美容薬だと信じて手を腫らしたコレット様。罰金は必要だ。
責任を問うことも必要だ。けれど、罰金では喉は治らない。被害に遭った人が明日どう働き、何を飲み、何を信じればいいのか。そこまで届かなければ、処分は紙の上で終わる。
「賠償金の一部を、南区の換気設備に充てる提案を出します」
王都屋敷の会議室で、わたしは言った。レナードさんが眼鏡を光らせる。
「良いですね。罰を使える形へ変える。王都側も面子を保ちやすい」
「面子は副産物です」
「分かっております。しかし、副産物も利用できます」
彼は本当に文官らしい。セドリック様は、提案書を読みながら頷いた。
「南区だけでなく、北砦の医療棚の更新も入れよう。王都薬で被害を受けた兵がいる」
「はい。あと、薬の使用説明を読む訓練も必要です。札を貼っても、読まれなければ意味がありません」
「兵と職人向けに講習を組む」
処分のあとの仕事は、地味だった。お金をどこへ使うか。誰が管理するか。どの設備を優先するか。どの村へ先に薬を送るか。こういう話は、物語の山場には見えにくい。けれど、審問で勝ったあとにこれをしなければ、また同じ穴が開く。
昼過ぎ、オスカーさんが屋敷を訪ねてきた。ローウェル家の事務係としての職は失うことになるが、改竄命令を告発したことで重い処分は免れたらしい。彼は深く頭を下げた。
「ヴェルネ様。私は、王都の錬金師組合で記録係として働くことになりました」
「よかったです」
「記録を捨てなかったことが、初めて評価されました」
彼の目元には疲れが残っている。それでも、声には少しだけ力があった。
「今後、宮廷納品の記録形式を見直すそうです。ヴェルネ様の記録を参考にしたいと」
「形式だけ真似ても意味がありません。使う人が読める形にしてください」
「はい。そこを、学びたいです」
彼はそう言って、古い手帳を出した。ローウェル家で使っていた手帳だ。改竄されなかった記録が、まだ残っている。
「これは、証拠として提出した写しの原本です。返却されました。私が持つより、星濾工房で保管していただいた方が良いと思いまして」
わたしは手帳を受け取った。紙の端は擦り切れ、インクはところどころ滲んでいる。それでも、捨てられなかった記録だ。
「預かります。ただし、あなたの名も記録します」
「私の名を?」
「記録を残した人の名です」
オスカーさんは、少し泣きそうな顔をした。記録する人も、仕事の道筋にいる。そのことを、王都も少しずつ知ればいい。夕方、北へ帰る支度を始めた。罰金、処分、改善命令。王都ではまだ騒ぎが続くだろう。
でも、わたしの工房では明日の薬が待っている。南区の換気布も、北砦の棚も、まだ整えなければならない。罰金では治らないものを、治す仕事へ戻る。それが、審問の先にある本当の仕事だった。
◇
王都から北へ帰る馬車は、最初の旅より静かだった。誰も大きな話をしない。疲れているからでもあり、考えることが多いからでもある。窓の外の景色は、豊かな畑から固い土へ変わり、やがて針葉樹の影が道に落ち始めた。
王都の尖塔が見えなくなった時、胸の奥から長い息が出た。セドリック様が向かいの席で書類を読んでいた。彼は旅の間も仕事をする。以前なら、それを当然だと思ったかもしれない。今は、包帯が取れたばかりの腕を見てしまう。
「休憩時間です」
わたしが言うと、彼は書類から目を上げた。
「馬車は止まっていない」
「腕の休憩です」
「腕は治った」
「治りかけです」
セドリック様は少し黙り、書類を閉じた。
「君に言われると、反論しにくい」
「では、反論しないでください」
ビアンカが隣で笑いをこらえている。馬車の空気が少し柔らかくなった。途中の宿場では、以前と同じ食堂に寄った。青雫の霊薬の噂をしていた商人たちはいなかったが、別の客が審問の話をしていた。
「ローウェル卿も落ちたものだな」
「奥方に逃げられたのが運の尽きだ」
「いや、あの奥方が本物だったらしいぞ」
本物。その言葉に、少し居心地が悪くなった。本物か偽物かで語られると、また発表台に乗せられる気がする。わたしは天才として飾られたいのではない。薬を必要な人へ届けたいだけだ。でも、噂を完全に止めることはできない。
ならば、噂の向きを仕事で少しずつ変えていくしかない。食堂を出る時、店の娘がわたしを見て言った。
「あの、星濾工房の方ですか」
「はい」
「うちの弟が喉を悪くしていて。北へ行けば薬を買えますか」
王都と北の間の宿場にも、薬を必要とする人がいる。わたしは、簡易の相談先と使用できる薬舗の名を書いた紙を渡した。正式な診察ではない。けれど、何もしないよりはいい。
「ありがとうございます。名前が分かる薬って、安心します」
娘の言葉に、胸が温まった。名前は、噂にもなる。でも、安心にもなる。馬車へ戻ると、セドリック様が静かに言った。
「工房を広げる必要があるな」
「今の規模では、領内だけで手一杯です」
「だから、広げる。人を育てる。無理をしない仕組みで」
広げる。その言葉は、怖かった。王都で夫の名を支えた時、仕事が広がるほど自分が削られた。注文が増え、徹夜が増え、名前は薄まった。けれど、星濾工房で広げるなら、違う形にできるかもしれない。
「弟子を取る必要があります」
「ノラが喜ぶ」
「ノラはまだ見習いです」
「だからこそ、下ができると伸びる」
そういうものだろうか。ノラが偉そうに後輩へ札の色を教える姿を想像して、少し笑ってしまった。北へ近づくにつれ、空気は冷たくなった。夕暮れ、遠くにアーヴェンの城壁が見えた。黒い石の壁、銀鷹の旗、そして城下の灯。帰ってきた。
今度は、はっきりそう思った。城門の前には、ノラが立っていた。待ちきれなかったのだろう。外套の裾を揺らしながら、こちらへ大きく手を振っている。隣にはマリウスさんとゲイル老兵、南区の職人たちまでいた。
「ヴェルネさーん!」
ノラの声が、冷たい空気を飛び越えてきた。馬車が止まる。扉を開ける前に、ビアンカが小さく言った。
「お帰りなさいませ、ヴェルネ様」
その言葉に、目の奥が少し熱くなった。王都へ戻る時は怖かった。北へ帰る道は、重かった。けれど、帰る場所に名前を呼んでくれる人がいる。それだけで、馬車を降りる足は軽かった。




