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夫の功績にされていた天才錬金術師ですが、妻を辞めたのでポーションも魔導具も作りません  作者: 小竹X


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第21話 もう遅いという言葉

審問のあと、エドガーはわたしを呼び止めた。宮廷の廊下は、審問場の熱が嘘のように冷えていた。石の壁に足音が響き、窓の外では夕暮れの光が細く差している。セドリック様は少し離れた場所で、わたしが返事をするかどうかを待っていた。


「少し、話せないか」


 エドガーの声は掠れていた。以前のような自信はない。礼服の襟も少し乱れ、手袋は外されている。青い染みはもう見えないが、その手は落ち着きなく動いていた。


「短くなら」


 わたしは答えた。彼は苦笑した。


「君は、本当に変わったな」


「何度も聞きました」


「前は、もっと僕を見ていた」


 その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。見ていた。確かに、見ていた。夫の表情、機嫌、言葉の端、疲れたふり、喜ぶ仕草。彼が何を望んでいるのかを探し、先回りして動いた。自分の手元より、夫の顔を見ていた。


「見すぎていました」


 わたしは言った。


「薬を見るべき時も、あなたの顔を見ていました」


 エドガーは黙った。廊下の向こうで、審問を終えた人々の声が遠ざかっていく。


「僕は、君の才能が羨ましかった」


 彼は、ぽつりと言った。


「最初は、本当に共同研究だと思っていた。君が作り、僕が発表する。夫婦なら、それでいいと。皆が僕を褒めると、気持ちよかった。いつか自分でも作れると思っていた」


 言い訳に聞こえる。同時に、少しだけ本心にも聞こえた。


「でも、君の記録は細かすぎた。読んでも分からない。分からないと言えば、僕が劣っているみたいで嫌だった。だから、細かすぎると言った」


 彼は自分の手を見た。


「情けないな」


 わたしは、すぐには答えなかった。彼の情けなさは、彼だけの問題ではなかった。わたしも、それを支える形で黙っていた。妻だから。夫婦だから。いつか分かってくれるから。


 でも、分かる努力をしなかった人を、こちらの我慢で成長させることはできない。


「謝りたい」


 エドガーが言った。


「君を軽く扱った。君の名を奪った。危険な薬も出した。今さらだと分かっている。でも」


 今さら。もう遅い。ざまぁの物語なら、その言葉で終わるのかもしれない。けれど、目の前の人に向かって言うには、あまりに簡単すぎた。


「謝罪は受け取ります」


 わたしは静かに言った。エドガーが顔を上げる。


「でも、戻りません。あなたの仕事を手伝うこともありません。あなたの失敗を、わたしの名前で直すこともしません」


「分かっている」


「賠償は、最後までしてください。被害に遭った人へ。ローウェル家の使用人へ。オスカーさんにも」


 彼は苦しそうに頷いた。


「そうする」


「それが、あなたの謝罪です」


 泣くかと思った。怒りが爆発するかもしれないとも思った。けれど、実際には静かだった。心の中で何かが終わる時、音はしないのかもしれない。エドガーは、最後に言った。


「君は、幸せになれるのか」


 意地悪ではない声だった。不安そうな声だった。わたしは少し考えた。


「なります」


 願望ではなく、予定として言った。


「薬を作ります。魔導具も作ります。わたしの名で。わたしの条件で。人を守るために」


 エドガーは、目を伏せた。


「そうか」


 それだけ言って、彼は廊下の反対側へ歩いていった。背中は、以前より小さく見えた。少し離れた場所で待っていたセドリック様が、近づいてくる。


「大丈夫か」


「はい」


「無理は」


「しています。でも、必要な無理でした」


 彼は少しだけ眉を寄せたが、何も言わなかった。代わりに、窓の外へ視線を向ける。


「北へ帰ろう」


「はい」


 もう遅いという言葉を、わたしは口にしなかった。遅かったことは、たくさんある。でも、今から作れるものもある。その方へ歩きたかった。


 ◇


コレット様は、王都に残ることを選んだ。審問の翌日、アーヴェン家の王都屋敷で彼女はそう告げた。顔色はまだ悪いが、背筋は伸びている。青いリボンは、鞄の中にしまわれたままだった。


「ダリアス家の商会で、薬と美容品の取り扱い基準を見直します」


 彼女は言った。


「父は最初、私を叱りました。余計な証言をしたと。でも、審問のあと、青雫の被害者が商会へ押しかけてきて……父も、もう見ないふりはできないと」


「ご自身は、大丈夫ですか」


「大丈夫ではありません。でも、逃げると、また誰かに見えないものを押しつけます」


 その言葉は、彼女自身へ向けられているようだった。舞踏会の時、彼女はわたしに「妻なら支えるべき」と言った。今、その彼女が、自分の家の商会に向き合おうとしている。人は変わる。変わるためには、見たくない記録を見る必要がある。


「星濾工房の条件書を、商会の参考にしてもよろしいでしょうか」


「もちろんです。ただし、そのまま使うより、商会の仕事に合わせてください」


「分かっています。名だけ借りることはしません」


 彼女は少し苦笑した。その表情には、以前の華やかさとは違う強さがあった。ビアンカが茶を運んできた。コレット様は礼を言い、両手で杯を包む。王都の令嬢としては少し無作法かもしれないが、今の彼女には似合っていた。


「リリアナ様」


「ヴェルネで構いません」


「では、ヴェルネ様。私は、あなたに許されたいと思っていました」


 素直な言葉だった。


「でも、許していただくことより、同じことをしない方が大事なのだと、審問で分かりました」


「許すかどうかは、時間がかかります」


「はい」


「でも、あなたが証言したことで止まったものがあります。それは事実です」


 コレット様の目に、涙が浮かんだ。彼女はすぐに拭った。


「それで、十分です」


 昼過ぎ、彼女はダリアス家の馬車へ乗った。見送りに出ると、王都の通りは相変わらず賑やかだった。青雫の件で少し騒がしくなっても、街全体は止まらない。人は噂をし、買い物をし、次の流行を探す。その中で、誰かが小さな基準を変える。


 派手ではないが、意味はある。


「いつか、北へ正式に伺います」


 コレット様は馬車の窓から言った。


「その時は、美容薬ではなく、商会の検品帳を持って」


「それなら歓迎します」


「厳しく見てくださいませ」


「厳しくします」


 彼女は少し怯えた顔をして、それから笑った。馬車が走り出す。青いリボンの令嬢は、もう夫の隣に飾られる人ではなかった。自分の家の帳簿を見に行く人になった。わたしはその背を見送りながら、舞踏会の夜を思い出した。


 あの夜、すべてが敵に見えた。けれど、敵だと思った人の中にも、変わる人がいる。それを知ると、怒りの置き場所が少し変わる。怒りは消えない。でも、燃やすだけではなく、灯にできる。

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