第20話 エドガーの最後の納品
エドガーが北へ来るとは思っていなかった。宮廷納品を停止され、青雫の霊薬の調査が続き、法務院では離縁も成立した。普通なら、しばらく王都で弁明に追われるはずだ。だが彼は、荷馬車三台を連れてアーヴェンの城門へ現れた。
名目は、宮廷錬金局への追加納品。中身は、青星式喉薬の代替品だという。門番から知らせを受けた時、セドリック様は執務室にいた。わたしは南区の経過表を報告しているところだった。
「入れるか」
彼が尋ねる。
「入れてください。門前で追い返すと、中身を確認できません」
「分かった。城の検査庭へ」
検査庭は、城内の荷受け場に隣接した石敷きの広場だった。エドガーはそこで待っていた。以前よりさらに痩せ、目の下に隈がある。それでも服装は整えており、胸にはローウェル家の徽章を付けている。
「リリアナ」
彼はわたしを見るなり、勝ち誇ったように笑った。
「君が北で苦労していると聞いて、助けに来た。宮廷錬金局からも、私の薬を使うよう勧められている」
「納品書を見せてください」
「相変わらず書類か」
「薬を運ぶなら必要です」
エドガーは不満そうに書類を出した。納品書には、青星式改良薬と書かれていた。胸の奥で、冷たいものが広がる。青星式。その名を、彼が使っている。
「この名称の使用許可は出していません」
「君の薬を改良したのだから、分かりやすくしただけだ」
「改良内容は」
「効き目を強めた。君の薬は穏やかすぎる。王都の患者にはもっと劇的なものが必要だ」
劇的。その言葉を聞いた瞬間、検査する前から危険だと分かった。木箱を開ける。瓶の液体は鮮やかな青だった。青星式の淡い銀青ではない。香りも強い。瓶底にはわずかな沈殿がある。
「使用しません」
「検査もせずに?」
「検査はします。使用はしません」
エドガーの顔が歪んだ。
「君はいつもそうだ。僕の努力を認めない」
「努力の有無は、薬の安全性と関係ありません」
「君が僕を見捨てたから、私は一人で」
「一人で作ることを選んだのは、あなたです」
その言葉に、彼は一瞬黙った。検査は、公開で行った。月苔粉。銀葉試験紙。濃度測定。結果は悪い。青晶草が多すぎる。熱を下げる成分も強く、回復期の患者には危険だった。効き目は劇的かもしれないが、体力を奪う。エドガーは必死に弁明した。
「これは試作品だ。現地で調整するつもりだった」
「では、なぜ納品書に完成品として記載したのですか」
レナードさんが問う。
「宮廷錬金局の指示で」
「指示書はありますか」
「口頭だ」
口頭。わたしは、かつてその言葉に何度も縛られた。口頭で命じられ、記録には残らず、失敗した時だけ責任が来る。
「口頭の指示では、薬は出せません」
わたしは言った。
「この薬は全量使用停止です。青星式の名を使うことも認めません」
「君にそんな権限はない」
「星濾工房の責任者としてあります」
セドリック様が、静かに続けた。
「アーヴェン領主としても、この薬の使用を禁じる。荷は封印し、王都へ報告する」
エドガーの顔から血の気が引いた。
「待ってくれ。これが通らなければ、私は」
彼は言葉を切った。失脚する。そう言いたかったのだろう。わたしは彼を見た。かつて愛そうとした夫。わたしの夜を奪い、名を奪い、それでも最後には助けてくれると信じていた人。その人が今、わたしの名を使って自分を救おうとしている。
「エドガー様」
もう夫ではない名を、静かに呼んだ。
「わたしは、あなたのためにポーションも魔導具も作りません。あなたの失敗を、わたしの名前で包むこともしません」
彼は何も言えなかった。検査庭に、北風が吹いた。荷馬車三台分の薬は、封印された。エドガーの最後の納品は、一本も患者に届かなかった。
◇
王都で公開審問が開かれることになった。青雫の霊薬、灰塩粉、宮廷支援薬、そしてエドガーの青星式改良薬。別々に見えていた問題が、同じ糸で結ばれ始めたからだ。宮廷錬金局は、最初は内部調査で済ませようとしたらしい。
だが、貴族の肌被害が表に出た。北砦の兵士たちが証言した。南区の職人たちの記録が王都商人の倉庫へつながった。ダリアス家は商会の名を守るため、エドガーとの取引記録を提出した。そして、星濾工房の報告書があった。
紙束は、時に鐘より大きな音を立てる。審問の日、わたしは再び王都へ向かった。今度は、セドリック様の腕の包帯も取れていた。コレット様はダリアス家の保護下へ戻ったが、証言のために出席する。オスカーさんも、処罰覚悟で来るという。
宮廷の審問場には、大きな鐘があった。開始を告げる鐘が鳴ると、広い室内が静まる。前回の聴取室よりも傍聴人が多い。貴族、商人、錬金術師、軍関係者。誰もが、この問題の決着を見ようとしていた。エドガーは、中央の席に座っていた。
ガルヴァン局長もいる。彼の顔には、以前の余裕がない。宮廷錬金局が監督責任を問われている以上、彼も安全な場所にはいない。審問は、淡々と進んだ。まず、青雫の霊薬の不正表示。効能を根拠なく広げたこと。
外用試験薬を内服、美容、老化防止にまで宣伝したこと。次に、不良品の流通。失敗した保存料を織物用の加工粉として処分し、灰塩粉による健康被害を招いたこと。さらに、星濾工房の名を無断で使った納品未遂。エドガーは何度も言い訳をした。
「宮廷の期待に応えようとしただけです」
「妻が突然去り、記録が失われたため」
「局長から急ぐようにと言われ」
言葉は多かった。けれど、そのどれにも、薬を使った人の顔はなかった。わたしの証言の番が来た。壇上へ立つと、以前のように足がすくむかと思った。だが、視線の多さより、机の上の記録の方が強かった。
「リリアナ・ヴェルネです。星濾工房の責任者として証言します」
まず、青雫の元になった試験記録を示した。用途が外用であること。濃度が低いこと。内服試験をしていないこと。美容効果を示す記録がないこと。次に、灰塩粉の検査結果を示した。
青雫の失敗品に使われた保存料と同じ成分であること。織物工房の喉症状と一致すること。南区での対策により患者増加が止まったこと。最後に、星濾工房の条件を述べた。
「薬と魔導具は、名前だけでは安全になりません。誰が作り、どの手順で、誰に使い、どう変わったか。その道筋が必要です。わたしは、名を貸すだけの監修を拒否します」
審問場は静かだった。ガルヴァン局長が、苦々しい顔で言った。
「では、宮廷錬金局の規格をすべて君のように細かくしろと言うのか」
「すべてではありません。けれど、命に関わる薬については細かくしてください」
「普及が遅れる」
「危険なものが早く広がるより、必要なものが少し遅れて安全に届く方がいいです」
誰かが小さく頷いた。それが誰かは分からない。審問の終盤、オスカーさんが改竄命令の記録を提出した。コレット様は、販売計画を証言した。ダリアス商会の帳簿も出された。エドガーの肩が、少しずつ下がっていく。鐘が二度鳴った。
判定は、その場で言い渡された。ローウェル子爵家の宮廷納品資格を剥奪。エドガー・ローウェルの宮廷錬金術師称号を停止。被害者への賠償。宮廷錬金局には監督不備として査察。青雫の霊薬および関連品の回収。審問場がざわめく。
わたしは目を閉じた。勝った、とは思わなかった。ただ、危険な瓶が止まった。それで、十分だった。
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