第19話 青星式の調合
灰冠熱は、八日目に山を迎えた。患者数は増え止まり、重症者の容態も少しずつ安定してきた。だが、安心するには早い。熱が下がったあと、喉の炎症が残る人が多い。体力の弱い子どもは、再び熱を出す可能性があった。必要なのは、回復期の薬だった。
強い解熱ではなく、喉を守り、胃を傷めず、眠れるようにする薬。灰塩で荒れた粘膜にも使え、保存がきき、町の配布所で間違えずに渡せるもの。単純なようで、難しい。わたしは工房の作業台に材料を並べた。
銀葉草、雪まめ草、月苔、蜂蜜、少量の青晶草。青晶草は刺激が強いが、ほんの少し使えば回復を助ける。問題は濃度だ。
「青晶草を使うんですか」
ノラが不安そうに言った。
「使います。危険だから避けるのではなく、危険を測って使います」
「エドガー様の薬と違うんですよね」
「違うものにします」
そう言いながら、自分にも言い聞かせた。青晶草そのものが悪いわけではない。雑に扱い、効能を盛り、失敗を隠すことが悪い。嫌な記憶のある材料でも、正しく使えば人を助ける。それを証明したかった。調合は、工房全員で行った。
ノラが雪まめ草を選別し、ビアンカが瓶を煮沸し、マリウスさんが患者の経過表を読み上げる。セドリック様はまだ治療室で休んでいるはずだったが、入口から指示書だけが届いた。休む人も、治す人。
ノラの札の言葉通り、彼は休みながら仕事を渡してきた。低温で銀葉草を抽出し、雪まめ草を加える。月苔で刺激を抑え、最後に青晶草を一滴ずつ落とす。色は淡い青ではなく、夜明け前の星のような薄い銀青になった。
「綺麗です」
ノラが呟いた。
「綺麗だから効くわけではありません」
「分かってます。でも、綺麗です」
わたしも、少しだけ頷いた。検査をする。月苔粉に反応しない。銀葉試験紙も黒くならない。匂いは軽く、喉への刺激も少ない。試飲は、わたしとマリウスさんが行った。苦みはあるが、蜂蜜で丸くなっている。
「名前は」
ビアンカが聞いた。
「回復期用喉薬です」
ノラが、即座に首を振った。
「駄目です」
「分かりやすいですが」
「星濾工房の薬です。ちゃんとした名前を付けましょう」
マリウスさんも頷く。
「配布時に呼びやすい名は必要ですな。青雫と混同されないように」
青雫。その名が出ると、工房の空気が少し硬くなった。わたしは試作瓶を光に透かした。青ではない。雫でもない。濾過を重ね、危険を沈め、必要な光だけを残した薬。
「青星」
口から、自然に言葉が出た。
「青星回復薬。いえ、青星式喉薬」
「青星式」
ノラが繰り返す。
「いいです。星濾工房っぽいです」
ビアンカが札に書いた。青星式喉薬。調合責任者、リリアナ・ヴェルネ。補助者、ノラ、ビアンカ、マリウス。使用対象、灰塩粉および灰冠熱回復期の喉症状。内服量、年齢別。禁止事項、青晶草過敏症、急性高熱時の単独使用。説明は長い。
だが、必要な長さだった。最初の患者は、南区の母親だった。喉の痛みで眠れないと言っていた彼女は、青星式を飲むと少し驚いた顔をした。
「苦いけど、痛くない」
「眠れそうですか」
「たぶん。子どもたちにも使えますか」
「量を変えれば。札の黄色い線を見てください」
彼女は瓶を両手で包み、何度も礼を言った。その夜、青星式は二十本配られた。大きな奇跡は起きない。けれど、眠れた人がいた。咳が減った子どもがいた。朝まで水を飲めた老人がいた。薬は、そういう小さな回復を積み重ねる。
工房へ戻ると、セドリック様が椅子に座って待っていた。休んでいるはずなのに、包帯を巻いた腕で報告書を持っている。
「使えましたか」
「使えた」
彼は短く答えた。
「君の名前で、領内標準薬にする手続きを始める」
「まだ早いです。経過を見てから」
「では、経過を見たあとだ」
訂正は早かった。わたしは少し笑った。青星式の瓶を一本、記録棚の上に置いた。青雫の霊薬ではない。人を守るために、みんなで作った薬だ。
◇
灰冠熱騒ぎが落ち着く頃、王都へ送る報告書は三束になっていた。一つは、灰塩粉の流通経路。一つは、宮廷支援薬の検査結果。そして一つは、青星式喉薬と星風濾過器の使用報告。レナードさんは、三束の紙を前にして満足そうだった。
「これだけあれば、王都の机も少しは沈むでしょう」
「重さで説得するのですか」
「時には有効です」
彼は冗談のように言ったが、内容は冗談ではない。報告書には、患者数の推移、薬の使用量、副作用の有無、隔離区の運用、休憩所の効果まで入っている。南区の職人たちの証言もある。支援薬の一部を内服禁止にした理由も、検査手順つきで書いた。
王都は、これをどう読むだろう。読む前に面倒だと投げる人もいるかもしれない。だが、投げるには少し重すぎる紙束になった。
「星濾工房の名で出すのですね」
コレット様が、説明札の写しを整えながら聞いた。
「はい。アーヴェン辺境伯家の添え状もありますが、技術報告は工房名で」
「王都は、また反発します」
「するでしょう」
「怖くありませんか」
わたしは少し考えた。
「怖いです。でも、今は怖い相手がはっきりしています」
「はっきり?」
「以前は、何が怖いのか分かりませんでした。夫の不機嫌、家の体面、宮廷の噂。全部が混ざっていて、ただ息苦しかった。今は、相手の言葉とこちらの記録を分けられます」
コレット様は、静かに頷いた。
「私も、少し分かります」
彼女はダリアス家へ何通も手紙を書いていた。父親は怒り、最初は彼女を連れ戻そうとした。しかし青雫の霊薬の被害が広がり、ダリアス商会の名が出る前に関係を切るべきだと、家の側も判断を変え始めている。打算でも、止まるなら意味がある。
昼過ぎ、セドリック様が添え状を持って工房へ来た。腕の傷はまだ包帯が必要だが、熱は下がっている。無理をしようとするたび、マリウスさんとわたしに止められるため、最近は少しだけ素直になった。
「添え状を確認してくれ」
彼の文面は簡潔だった。アーヴェン領では、宮廷支援薬の一部を安全上の理由で用途変更した。灰塩粉の流通元にローウェル家関連倉庫があるため、王都での調査を求める。星濾工房の技術については、工房の条件を満たす場合のみ共有可能。
最後に、こう書かれていた。リリアナ・ヴェルネの名を無断で用いることを、アーヴェン辺境伯家は認めない。その一文を読んだ時、胸の奥が熱くなった。
「強すぎませんか」
「弱いかもしれない」
「十分です」
「なら、よかった」
短いやり取りだった。けれど、王都で夫の肩越しに立っていた頃のわたしには、想像できない会話だった。夕方、報告書を封じた。
封蝋には、アーヴェンの銀鷹と、星濾工房の小さな星印が並ぶ。二つの印が同じ紙に押されているのを見ると、不思議な気持ちになった。守られるだけではない。並んで責任を持つ。その形が、少しずつ紙の上にも現れている。
報告書を運ぶ早馬が出る前、ノラが封筒を見て言った。
「これ、王都の人がちゃんと読むといいですね」
「読ませるために、目次を付けました」
「目次」
「長い書類には必要です」
ノラは感心したように頷いた。
「目次も薬みたいですね。迷子にならないようにする」
その表現が気に入り、わたしは記録帳の端に小さく書いた。目次は、迷子にならない薬。王都へ向かう報告書の束は、馬の背に積まれた。青雫の霊薬の時、わたしの記録は夫の机の引き出しに隠された。
今度の記録は、封をして、名を付けて、王都へ向かう。読まれるかどうかは、まだ分からない。けれど、隠れてはいない。




