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夫の功績にされていた天才錬金術師ですが、妻を辞めたのでポーションも魔導具も作りません  作者: 小竹X


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第16話 黒い荷馬車

灰冠熱疑いの騒ぎが四日目に入った朝、黒い荷馬車が城門へ来た。荷台には、王都宮廷錬金局の印が付いた木箱が積まれている。御者は誇らしげな顔で、緊急支援薬だと告げた。南区の患者が増えていると聞き、王都から急ぎ送られたという。


 良い知らせのはずだった。けれど、木箱の封蝋を見た瞬間、わたしは胸がざわついた。宮廷錬金局の印の横に、別の小さな印がある。ローウェル家の古い在庫印だ。


「開けます」


 セドリック様が頷く。城門前で箱を開けると、強い薬草の匂いが広がった。中には解熱薬と書かれた瓶が並んでいる。見た目は整っている。札もある。けれど、使用量の記載が曖昧だった。大人一回分。それだけ。


 子どもにも、年寄りにも、体重にも触れていない。


「検査します」


 御者が不満そうな顔をした。


「宮廷錬金局の支援薬ですぞ。すぐ患者へ届けるべきでは」


「だから検査します」


 わたしは一本を取り、工房へ運んだ。検査結果は悪かった。


 薬そのものは、青雫ほど危険ではない。けれど濃すぎる。灰塩で喉を傷めた患者には刺激が強く、子どもに使えば嘔吐を起こす可能性がある。短時間で熱は下がるかもしれないが、そのあと体力を奪う。


「使えません」


 マリウスさんは、苦い顔で頷いた。


「王都は熱だけを見ていますな」


「喉と胃を見ていません」


「しかし、薬が足りないのも事実です」


 それが問題だった。使えない薬を前にして、薬が足りない。この状況は、人の判断を鈍らせる。


 御者は城門で待っている。王都からの支援を拒否すれば、アーヴェンが意地を張って患者を危険に晒したと言われるだろう。受け取れば、患者の体に負担をかける。どちらも、嫌な選択だった。


「希釈して外用に回せますか」


 セドリック様が尋ねる。


「一部は可能です。ただ、内服用としては使いません。説明札をすべて貼り替える必要があります」


「やろう」


「王都から抗議が来ます」


「患者が吐くよりましだ」


 セドリック様は、迷わなかった。わたしはその判断に支えられ、すぐ作業を始めた。


 黒い荷馬車の木箱は、星濾工房へ運ばれた。瓶を一本ずつ開け、濃度を測り、使えるものと捨てるものを分ける。内服禁止の赤札を貼る。外用に回す瓶には、希釈量を大きく書く。ノラは赤札を書きながら、怒った顔をしていた。


「支援薬なのに、どうしてこんなに使いにくいんですか」


「王都で想定している患者と、今ここにいる患者が違うからです」


「じゃあ、患者を見ないで作ったんですか」


「そういうことになります」


 言葉にすると、改めて重い。薬は、誰に使うかで変わる。その当たり前が、宮廷の机の上では抜け落ちる。午後、御者は不満を残して去った。


 彼が持ち帰る報告には、アーヴェンが宮廷支援薬の使用を制限したと書かれるだろう。こちらも正式な検査報告を添える。記録の勝負になる。夕方、レナードさんが別の知らせを持ってきた。


「王都の商人が、南区で灰塩粉を売った件ですが、流通元が判明しました。ローウェル家の関連倉庫です」


 工房の音が止まった。失敗した青雫の材料。余った灰塩。使い道を失ったものが、織物用の安価な加工粉として流された。


「エドガー様が指示したのですか」


「現時点では不明です。ただ、倉庫の処分許可にローウェル家の印があります」


 わたしは目を閉じた。失敗品を捨てなかった結果が、ここまで来た。夫が直接知っていたかどうかは、まだ分からない。けれど、ローウェル家の工房で「もったいない」と戻されたものが、別の場所で町の喉を傷つけた。怒りより先に、疲れが来た。


 それでも、手は止められない。


「灰塩粉の回収を急ぎましょう。南区以外にも出ている可能性があります」


「手配する」


 セドリック様が言った。黒い荷馬車は、支援ではなく新しい問題を運んできた。けれど、問題が木箱に入っているなら、開けて中身を見ることができる。見えるものは、対処できる。わたしは赤札の束を手に取り、次の瓶へ貼った。


 ◇


灰塩粉の回収が始まると、別の不足が見えてきた。空気だった。南区の織物工房は、どこも換気が悪い。冬の寒さを避けるため窓を小さくし、粉が舞っても外へ逃げにくい。作業を止めれば収入が絶える。続ければ喉を傷める。薬だけでは足りない。


 粉を吸わない仕組みが必要だった。


「換気用の魔導具があります」


 南区の職人が、倉庫から古い箱を出してきた。中には、円形の羽根がついた魔導具が入っている。王都で作られた換気扇だ。見た目は立派だが、核石が割れ、羽根には粉がこびりついている。


「いつから使っていませんか」


「三年前からです。動かすと音が大きくて、糸が乱れるので」


 使えない魔導具。王都には、こういうものが多い。発表会では綺麗に動く。けれど、現場の音、粉、寒さ、修理費を考えていない。使う人が少しでも不便を感じれば、倉庫へ入る。わたしは羽根を外し、粉を拭き取った。


「完全に直すには時間がかかります。ただ、弱い風で粉を外へ出すだけなら、改造できます」


「弱い風で足りますか」


「強い風だと糸が乱れます。粉を吸う位置を下げて、作業台の横から流す方がいい」


 職人たちは顔を見合わせた。魔導具は強く動くほど良いと思われがちだ。けれど、使う場所に合わせなければ意味がない。星濾工房へ持ち帰り、分解した。ノラは初めて見る換気魔導具に興味津々だったが、すぐに顔をしかめた。


「中まで粉だらけです」


「だから動きが悪くなったのでしょう」


「王都の人、掃除しやすく作ってないんですね」


「発表台では、掃除のしやすさは見えませんから」


 それを言うと、ビアンカが少し笑った。


「奥様――ヴェルネ様は、発表台への恨みが深いですね」


「恨みというより、発表台だけでは薬も魔導具も完成しないという事実です」


「それを恨みと言うのでは」


 言い返せなかった。魔導具の改造には、古い濾過技術が役に立った。粉を外へ出す前に、粗い布で受ける。布は取り外して洗えるようにする。核石の出力は弱くし、代わりに羽根の角度を変える。音を減らすため、木枠には羊毛を挟む。


 地味な改造ばかりだ。けれど、使う人にとっては地味な部分こそ大事だった。夕方、試作品を南区の織物工房へ取り付けた。羽根がゆっくり回る。


 強い風は起きない。糸も乱れない。けれど、作業台の横に舞っていた灰色の粉が、布の方へ少しずつ引かれていく。職人の一人が、驚いたように言った。


「静かだ」


 別の職人が作業台の上を見た。


「糸が揺れない」


 しばらくして、年配の女性が咳をせずに深く息を吸った。その姿を見た時、胸の奥が熱くなった。派手ではない。けれど、これで明日の喉が少し守られる。


「この布は一日二回洗ってください。粉が溜まると逆に危険です。洗う時は手袋を」


「手袋代がかかるね」


 職人が苦笑する。セドリック様が、すぐに答えた。


「南区の隔離対策費から出す」


「よろしいのですか」


「病人が増えるより安い」


 その言い方に、職人たちが安心した顔をした。費用もまた、医療の一部なのだと思う。夜、工房へ戻ると、ノラが魔導具の図面を見ていた。


「これ、他の工房にも作れますか」


「材料があれば」


「名前、つけます?」


「換気補助具でいいです」


「また地味です」


「地味でも分かりやすい方が」


「星風濾過器はどうですか」


 ノラは真剣だった。少し考えて、わたしは図面の端に書いた。星風濾過器。南区用試作一号。調整者、リリアナ・ヴェルネ。補助者、ノラ、ゲイル。ノラの顔がぱっと明るくなる。名前には、やはり力がある。


 使えなかった魔導具も、現場に合わせればもう一度働ける。人も、たぶん同じだ。

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