三章 操りの糸
初代天照大鏡は、グロウタース・八百万でどちらかが根絶やしになるくらい争っていた、神とあやかしの争いを平定した。人族を間に入れ、陰陽師を橋渡し役として3種族が必要以上に交わらないように均衡と保つように国を作った。
陽の側を神に、陰の側をあやかしに、陰陽を人族に治めさせたのだ。
そして、最後の仕上げとして、焼け野原となった八百万のすべてを蘇らせるため、粉々に割れたのだ。粉々となった彼女はこの八百万に降り注ぎ、すべてが夢だったかのように元通りにしてしまった。
その後、陰を任されたあやかしと陰陽を任された人族の陰陽師のみが知る異界・地獄ができた。
その地には、餓鬼と呼ばれる不浄の者が巣くい、地獄を治める神の名を、伊邪那美という。
ギンヨウが、得体の知れない者に攫われたとノインが聞いたのは、風の副官・インファからだった。すぐに戻ってこいと言われ風の城へとって返すと、風四天王が全員揃っていて、ペオニサとセリアが怒りの形相で、風の王の妃、花の姫・シェラは感情を見せなかった。いつもならやんわりと間を取り持つシェラが、今回は黙すらしい。それほどの事態が起きているとノインは察した。
「なぜ、ギンヨウに会いに行ったんですか?」
こちらの帰りを待っていたらしいインファが、感情のこもらない声でリティルを詰問した。
「ギンヨウがあなたを警戒し、感情では嫌っていると伝えたはずです。シャナインの妊娠の継続、出産に影響があるからと八百万に行ってもらったというのに、何をしでかしているのか、弁明をお願いします。風の王」
どうやら、インファも把握していなかった訪問らしい。あれだけ避けられ、ラスに攻撃されても無自覚とは、リティルはどうしてしまったのだろうか?
それよりも、ギンヨウが攫われてしまうなど、いったいどんな状況で?と情報の欲しかったノインは、背後に音もなく立ったラスに耳打ちされた。
要約すると、リティルは森の中に1人でいたギンヨウに接触。話をしていると、彼の背後、足下かもしれないが、突如巨大な白い手が現れてギンヨウを包み込んで消えてしまったという。八百万は、あやかしと神のいる地。どちらかがギンヨウを攫ったのだろうか?とギンヨウに関してはここまでのようだ。
「1ついいか?」
ノインは声を上げた。副官の詰問は続いていたが、リティルは何も答えない。なぜこんなに頑ななのだろうか?ノインも、ギンヨウには避けられている。大地の城でのあの発言があっても、顔を見せれば嫌な顔をされ、避けられ、声すらかけさせてもらえない。あの発言こそが偽りなのでは?と思えるほどに徹底している。同じ行動を取られているのは、ノインの他には風四天王の全員。他の一家は殆ど顔も名前も覚えてもらえない。かろうじて、付き合いのあったレイシ、シャナインの母親であるシェラ、一緒にいてギンヨウに話しかけ続けたセリアが認識されている程度だ。ギンヨウとの連絡は唯一近づけるペオニサがしていた。
「おまえは、ギンヨウに好かれていると思っているのか?」
「それはそうだろ!あいつが、オレを嫌うわけがねーんだ」
……そんなに思い込めるのは羨ましい。リフラクが「ギンヨウは君が好きだよ?」と言ってくれても、彼の態度を前に心が沈む。オレを本当は嫌っていてもいい。だが、危険に晒されないでほしい。このままでは、本当に死んでしまいそうだ。気が気ではない。
「あいつは、オレ達を守ってくれてるんだぜ?嫌いな奴の事なんて、守るかよ!」
至宝の精霊は不自由だ。道具の性からは逃れられない。鏡であるギンヨウの性は、自分が認識した縁ある者を守ること。なのだろう。どうにも、風一家と一括りなのが気に掛かるが、不信感を抱いている彼が、不信感を持っている者を因果分岐することは、相当に苦痛なのではないか?と思わなくもない。現にインファは因果分岐を止めさせられないかとアシュデルと情報交換しているようだ。
「犠牲の鏡の性だ。それよりもおまえは、ギンヨウに因果分岐させているのか?」
ノインは、1度もギンヨウが戦場に飛び込んできたことはない。インファの采配なら、そうそう大怪我を負うことはないはずだった。だが、不測の事態以外で、何人かは故意にさせているような気が、ノインにはしている。
「させていますね。それもどういうつもりか、聞きたいところです」
リティルは強い。しかし、ギンヨウがデリケートな今、インファはリティルを強力な魔物狩りから外した。その分ノインが狩っているのだが、それはギンヨウにリティルを因果分岐させない処置だ。だというのに、格下の魔物狩りで、1人でないというのに因果分岐させている。ギンヨウとの接点の為にわざとやっていると思われてもしかたがない。
「でも、ギンヨウ君って、風の王の犠牲の鏡なんでしょう?だったら、風の王を嫌うの……は、不自然、なんじゃ……」
ペオニサとセリアの強烈な睨みが、風の補佐官、煌帝・インジュを射貫いた。女性的な美形の彼が怯みながらも言い切った。そこで「だろ?」という顔ができるリティルが信じられない。何かがおかしい。ギンヨウに固執するリティルが、異様に見える。
ノインは、皆をそっと見回した。インジュは目の前の人物を分析することは得意だが、広い範囲での認識は甘い。ギンヨウとは、シャナインを巡っての事案で一緒に生活した経験があり、彼の人となりを知っていると思い込んでいるところがある。今はインファに近づくな!と睨まれているので、不用意に近づいてはいないようだ。しかし、彼がリティルを嫌っているという点には懐疑的だ。それはなぜか?それは、リティルが嫌われていないと信じ切っているからだ。なぜ、そこまで信用できる?リティルが信じ切っている根拠は何だろうか?
ノインの思考は、インファの苛立った声に中断されていた。
「そのあたりの認識から、変えてもらいましょう。リフラク!お願いします」
いったい何が始まるのか?とノインのみならず皆思っている様子だった。
城の奥へ続く扉が開き、着流し姿のリフラクが姿を現した。なぜ着物?と思う間もなくノインは、その後ろに続いた2人の人物に目を奪われた。金色の雄々しきオオタカの翼を持つ彼らは――
「6代目・インリタ。8代目・ヤンイン……か?」
ノインの呟きに、リフラク、インファ、リティル以外の皆が驚いた。ノインとリティルは彼らを知っている。ある儀式で歴代風の王と戦わねばならず、ノインは長らくリティルの補佐をしているのだから。
「両王は、天照大鏡と出会った風の王です」
風の城の地下には、鬼籍の納められた書庫がある。その書庫の番人の固有魔法で、鬼籍から本人を呼び出せるのだ。
研ぎ澄まされた槍のような鋭い雰囲気を纏った細身の美しい男性、ヤンインは不機嫌そうだ。彼とは対照的な逞しい体躯の美丈夫、インリタも友好的な態度とは言えない。リティルの向かいに腰を下ろしていたノインとセリアは席を空けた。そこへ、両王が座る。
「なぜ、天照大鏡を手に入れた!15代目!」
開口一番だった。ヤンインの怒りは真っ直ぐにリティルを襲っていた。リティルはいきなり攻撃されるとは思っていなかったようだが、かろうじて風の障壁が間に合って隣に座っていたシェラと自分を守っていた。
「ヤンイン、いきなりはどうだろうか?オレも、あれを好き好んで手に入れたがる風の王がいるとは思わなかったけどな」
インリタはヤンインの肩に手を置いて、ため息をついた。2人の態度にはずいぶん温度差がある。
「発言を許してほしい。オレは2代目力の精霊・ノインという。インリタ殿、貴殿にとって天照大鏡とはどんな至宝だった?」
ノインが問うと、彼は一瞬リティルに険しい視線を送った後、ノインに視線を戻してくれた。
「力の精霊までこちらに引き入れているのか?なんともな……。オレも使える奴は使う主義だったが、貴殿と、さらにあの鏡か……。節操がないか、強欲なのかどちらだろうな?」
あまりの言い草だった。だが、彼もまた風の王だ。リティルとは違い、上級精霊でしかなかったとしても、風の王だ。
「天照大鏡は、不可解で不快な至宝だった。ヤンイン殿、初めは大いに警戒したんじゃないか?」
ヤンインは2代目天照大鏡と婚姻を結んでいる。そんな彼に言うには喧嘩を売っているのでは?と思える発言だった。しかしヤンインは、冷静その者だった。
「……ああ。確かにな。彼女は、目覚めたばかり、初対面だというのにわたしを愛していると言った。さすがにどんな思惑で近づいてきたのかと、警戒した」
「最後まで、あの女はそうだったな。オレのためだと愛に溢れた瞳で、オレが受けるべき傷を引き受け、最後には自身を粉々にしてすべての命を蘇らせた。度の越えた博愛と、自己中心の極みだったな」
インリタは、天照大鏡にいい印象はないらしい。
「オレが思うに、彼女には遙か未来が見えていたのだと思う。人族に嬲り殺された妖孤の頭領の妹と頭領を癒合させ、オレに刀に作り替えさせたとき、違和感を感じたな。彼女には、妹の死が見えていたと思うのだが、回避せず死ぬに任せた」
「わざとだって言うのかよ?天照も万能じゃないんだぜ?」
リティルが初代天照を庇うような発言をすると、インリタは嫌な顔をした。
「あれの行いは独善的だ。オレの利益になるか、遙か未来の何かの為にしか動いてはいなかったな。しかし、オレではできないことをやってのけ、八百万を消滅から救っている。それだけは評価する。だが、あれがもし普通の精霊で永遠の命だったとしたら、オレは間違いなく討伐したな」
インリタの苦虫を噛み潰したよう顔を前に、リティルは閉口した。確かにギンヨウにも独善的な一面がある。望まれていないのに一家を救っている行いがそれだ。そして目覚めた時には、命を落としたあやかしを1人生き返らせ、過去に死んだあやかしまでをも蘇らせようとした。
「ヤンイン殿にはどうだった?おかしな行動をとっていなかったか?」
インリタに問われ、ヤンインも頷いた。
「彼女には確かに遙か未来が見えていた節がある。それを見たが為に、それまで必死に変えようとしていたことを諦めたように見えた。だが、わたしは彼女を愛していた!健気で思慮深い女性だった」
ヤンインは辛そうに、胸に手を当てて俯いた。彼は崩御の時まで、二代目天照大鏡の魂を共にあった。本当に愛していたのだとその悲痛な声からも察することができる。
そんな彼が、風の王の犠牲の鏡などという異名を残すはずがない。ギンヨウは「犠牲の鏡」だが「風の王の」ではないとノインは確信した。
「それは辛かったな。そこまで愛せる女に出会えた幸運、羨ましいな。オレにとっては気味の悪い女でしかなかったが。3代目はどうだ?従順で御しやすいのか?だから、風の王の犠牲の鏡などという巫山戯た2つ名で呼ばせているんだろうけどな」
両王の目が、リティルを睨んだ。インリタも、天照大鏡にいい感情はなくとも「風の王の犠牲の鏡」という呼ばれ方には大いに嫌悪感があるようだ。
「彼女を用いるとは最低な行いだな、15代目。盲目的に愛してくる女を、よくもそんな扱いができるな。ああ、王妃がいるのか。だから、奴隷のように扱っていいってことか?」
さらに畳みかけるインリタの瞳が、侮蔑に歪められながらシェラを見た。
「オレは、そんなつもりじゃ――」
「わたしは……3代目が彼女や初代のように盲目的な愛に囚われないようにしたかった。わたしには得がたい女性だったが、彼女の献身は彼女自身を殺してしまう。彼女の欠片と鬼籍を持った3代目が、不本意な使われ方で割れてしまわないように、預言書と眠れる至宝を預けたというのに……」
反論しかけたリティルだったが、ヤンインのやるせない哀しそうな声に閉口してしまった。あまりの痛ましい姿に、ノインはギンヨウと言う男のことを口にしていた。
「……ギンヨウは、3代目天照大鏡は男性だ。公平な目を持つ、優れた御仁だとオレは思う。インリタ殿、ヤンイン殿、天照大鏡とは、風の王の為の鏡ではないという認識か?」
ノインの問いに、インリタはため息と共に頭を不機嫌に掻いた。
「グロウタース・八百万に残る伝説を見たか?オレはまったく伝説には登場しない。主役はあの女で、オレは名もなき端役だ。風の王の犠牲の鏡?オレからすれば、風の王を利用して大義をなす神鏡だ。愛している。あなたのためという薄っぺらな言葉は、オレを丸め込む方便だったんだろう。腹立たしいが、あの女がいなければ、今、八百万という特殊な場所はなくなっていただろうな。あれは、風の王が御せる至宝じゃない」
ヤンインはインリタの言葉が途切れるのを待って、口を開いた。
「わたしが名付けていいのならば、天照大鏡とは、導きの神鏡だ。風の王が世界の刃であるから、手を貸してくれたにすぎないと思っている。わたしには……わたしを愛していると言ってくれた彼女は、儚い命を愛してほしかったのでは?と思えてならない。共に生きることができなくてすみませんと、言わせてしまったことが、最後まで心残りだった……」
「オレの時よりずいぶん人になっているな。おまえと2代目が目をかけた3代目は、さぞかしいい鏡になっているだろう。男だったか?それはそれは、使うのに心は痛まなさそうだ。それで、3代目はどこだ?囲っているんだろう?そこのおまえ!治癒師だな?しかも花か。殺さず使う術もあるようだ。15代目の治世、安泰じゃないか!」
ペオニサが治癒師だと見抜いたインリタは、大仰に両手を広げて嗤った。
花の精霊であることにも触れたということは、彼らが持つ魅了の力を使っているとも思ったのかもしれない。彼にもまた、天照大鏡をこき下ろしたが、犠牲にしてしまったという無念の思いがあるようだ。割れないことはいいことだが、天照大鏡が犠牲をいとわないことを身に染みて知っているインリタからすれば、重傷を負っても治療し、永遠に使い倒す魂胆だと見えるらしい。それほど、天照大鏡を手にしていることに疑問がある様子だ。ノインには、インファよ、どんな説明をしたんだ?と思わずにはいられない。
「グロウタース・八百万に隔離していました。仕方なく因果分岐しているようだったので、どうしたものかと思ったんです」
インファは、リティルに接触されたギンヨウが攫われて行方不明だということは伏せた。
「3代目に、初代と2代目のように、風の王を盲目的に愛するような感情はないと思われます。ヤンイン、あなたの想いは成就されていますよ」
インファの説明にヤンインは、心の底から安堵したような顔をした。
「そうか……。だとするならば、不当に3代目は囲われているということだな?」
「違う!あいつが、入りてーって言ってきたんだ!」
「入り込まれたの間違いさ」
ヤンインの殺気を前に、リティルは慌てた。そこに、ずっと両王の背後に立っていたリフラクが爆弾を投下した。
「犠牲の因果分岐で、3代目は何度も「今」を繰り返したそうだよぉ?その時の経験が、風の王、風の精霊への不信になった。リティル様……見えていないのかい?因果分岐は至宝の性でも、心は真逆かもしれないよぉ?恨む心で自分を犠牲にしていった先に、何があるのかなぁ?」
「あいつに恨まれるとは、何をしでかしたんだ?オレが覚えている限り、オレが何をしても許し、擁護するような奴だったんだが?」
「天照の精神は博愛だ。それを逆手にとり、自ら邪精霊に堕ちるつもりか!?そうまでして、3代目は何をなそうと……?ハッ、誰を守ろうという?」
ヤンインが青くなって立ち上がる。その体が、分解を始めた。具現化できる時間を過ぎたようだ。
「15代目、悪いことは言わない。あの鏡は手放した方がいい。関わりを断てないのなら、どこかに手頃な家をやって、この城から出せ。あれは手に負えない宝だ。3代目に風の王に対する愛がないなら、破滅させられるぞ?それができる至宝だ」
ヤンインと同じく、インリタの身体も分解していく。
「天照には誰も敵わない。傲るな!15代目!」
両王の姿は、消えたなくなった。
「――以上です。父さん、彼らの話を聞いても、ギンヨウはオレの物だといいますか?」
「ギンヨウ君……本当に風の精霊を恨んでるんです?」
圧倒されていたのか、インジュが青ざめてインファに問うた。交流のあったインジュには、信じがたい事だったようだ。
「ああそうだった。ギンヨウが行方不明だって話だけれど、吹雪丸と八尾狐に攫った者の特徴を言ったら、心当たりがありそうだったよぉ?」
「!本当かよ!」
リティルが即座に反応した。自分の目の前で攫われてしまったことにプライドを傷つけられているようだが、2王の話を聞いても尻込み1つしないとは羨ましい限りだ。
「八百万で、1番安全な場所にいるって言っていたねぇ。リティル様、彼らは怒っていたよぉ?あの神を引っ張り出すなんて、風の王は天照大御神に何をしたんだ?とねぇ?」
「何もしてねーよ!ただ、話をしただけだ」
「それが問題なんですよ?インジュでさえ、ギンヨウに一切接触していないというのに、王のあなたがそんなことでは一家の誰も止められません。リフラク、ギンヨウが命を賭けてまで守ろうとしている人物に、心当たりはありませんか?」
ノインはリフラクを見た。彼は視線に気がついているだろうに、インファから視線をそらさない。
だが、命がけで守ろうとしている人物に、シャナインの名が上がらないのはなぜなのだろうか?花の精霊でもあるギンヨウが選んだ妻だ。最愛だろうという認識のはずだ。
「さあてねぇ。君がわからないなら、ボクにわかるはずがないじゃないかい?」
同意を求めるように、リフラクがこちらに視線を寄越して微笑んだ。いや、オレには自覚がないのだが……。としか思えない。ギンヨウは本当に辛辣で、ノインとは一切目も合わせてくれないのだ。怒鳴られて追い出される以前のように、人目を忍んで会いに行ったことはない。接触して、またあんな壊れそうな目をされたくはないのだ。だがこれでいいのか?自己満足で守られたままでいるほど、ノインは強くはないのだ。
「フフフ。シャナインなんだけれど、このままいくと多分、子供を取り上げられて離婚になるだろうねぇ」
リフラク……次々爆弾を投下していくな。と呆れたが、リフラクは呼び止める声を無視して城の奥へ続く扉にアッシュの鍵を使用して行ってしまった。
「ちょっと、これ、どうするんですかぁ?ギンヨウ君を捕まえないと、よくわからないうちに復讐されちゃいますよぉ?」
「インジュ、おまえはギンヨウを討伐したいのか?」
手の平を返したようなインジュの言に呆れつつ、ノインは問うた。しかしながら、インジュは至宝・原初の風の精霊だ。原初の風は風の王・リティルに心酔してインジュをインファとセリアの子として生まれさせた。彼の根幹にあるのは、リティル至上主義だ。原初の風の4分の1はリティルが持っていて、インジュにはリティルの望みが本能的にわかるらしい。
「でも、リティルが狙われてるんでしょう?」
ギンヨウは戦闘能力皆無だ。その力は、犠牲を払い縁ある者の危機を回避するものだ。その彼が手を下すはずがない。ギンヨウにその気があるのならば、もうすでに、風の城に入り込んだその時には終わっていただろう。ギンヨウにはリフラクという、諜報に長けた暗殺もお手の物という友がいるのだから。
「ギンヨウにこれ以上関わることを禁じます」
「お父さん!」
インファの言葉にインジュは声を上げた。
「ギンヨウが誰を守りたいのか、その人の身の安全を確保すればと思いましたが、インジュ、あなたのような人のいるこの城に戻すわけにはいきません。ギンヨウは白虎野島に帰します。……こちら側に、戻ってきてくれるのならばですが……」
八百万の民の力は、精霊に匹敵する。彼らがギンヨウに賛同すれば、ギンヨウはとてつもない兵力を得ることができる。未来視の至宝を相手に、風の一家は分が悪い。大した争いもなく、直接リティルの首は飛ぶだろう。と、インファは最悪を想定しているようだ。
「ギンヨウ君……どうしちゃったんですか……?ボクは、信じられないんですよぉ。ギンヨウ君は、偏見のない目を持ってる人なんですよぉ。自分が見たままが真実で、誰かから植え付けられるような先入観に囚われないんです。凄い目の持ち主ですよぉ。ボク、ギンヨウ君が風一家に来てくれて、嬉しかったんです。ギンヨウ君の目があれば、リティルもお父さんも楽になるって、そう思ってました。お父さん、ギンヨウ君が疑ってるのは本当は誰なんですかぁ?本当に、リティルなんですかぁ?」
インジュの訴えにインファは明らかに困って見えた。そして、縋るような目をこちらに向けてきた。ノインは小さくため息をついた。
「ギンヨウが信じていないのは、この風一家だ。もっと言えば、風一家を動かしている者。風四天王だということなのだとオレは思っている」
「なんでですかぁ?ボク達、ギンヨウ君に何をしたっていうんですかぁ?」
「失われた未来で何があったのかわからないが、彼の守ろうとした者が、彼の目からは不当に、風一家によって殺されたのだと思っている。なかったことにするしか、解決方法がないと思い詰めての結末がこの「今」だ。実際には起こっていないことを謝罪することは不可能だ。これは、そういうことなのだと思う」
「ノイン、あなたも含まれているんですか?」
「さて、な。オレもおまえ達と同じように避けられているからな」
ギンヨウ……本当にオレを守っているとするのならば、揺さぶられるオレの気持ちはどうなる?だが、動けない。ギンヨウがノインを守っているのだと知らしめ、なおかつ穏便にノインがギンヨウを主君にできなければ、彼は未来を変え続ける。孤独な戦いだ。ノインは無理をして、ギンヨウを傷つけたくはない。よって動けない。ギンヨウの術中だ。ノインが動かなければ、ノインの身の安全は保証されるのだ。しかし、風一家によってギンヨウの身は危険に晒され続ける。
許せない。歯がゆい。なのに、何もできない。なんとよくできた拷問だろうか。
だからこれは、ちょっとした抵抗だった。自分もギンヨウに復讐される側だと明言しないこと。インファがノインに光明を見れば、ノインをギンヨウの騎士にと動き出すかもしれない。根回しが進めば、ノインも動きやすくなる。
「ノイン、でも、ノインなら」
ラスよ、余計なことを言うな。リティルがノインをギンヨウにつけると言ってくれなければ、ギンヨウに未練のあるリティルの素振りに一家は動かされる。インファではダメなのだ。リティルが何も言えなくなるくらい、厳重な根回しが必要なのだ。
「オレには守れない」
「ノイン……それじゃ、ギンヨウが報われない」
「ラス、おまえ何を知ってるんだよ?」
ラスは口を割らないでいる。ラスに対してもよどみなく嘘を連発したギンヨウの徹底した態度に、主君であるリティルに対しても言えないでいるのだ。
しかし、ラスは何事かを知っている素振りを見せてしまった。口の軽いことだ。仕方ない。誤魔化すか。ノインは全力でラスの言を誤魔化すことにした。
「ギンヨウが……言っていたんだ。自分を守らせる騎士の役をやらせるために、ノインに近づこうとしていたって」
!?待て、初耳なのだが?と思って、ラスのでっち上げだと気がついた。まずい。ギンヨウと口裏を合わせていなければ、ラスの嘘がばれてしまう。リティルに手を上げてしまって、ただでさえ四天王としてのラスの立ち位置は危ういのに、これでは……。
「オレとギンヨウに接点はない。知っているだろう?ギンヨウには避けられている」
どう擁護する?慎重に言葉を選ばなければ。そう思った矢先、ラスには珍しく感情的な瞳で睨まれていた。
「あんたは誰にもなびかない!リティルにだって、意見が言えるじゃないか。それを知ってギンヨウは、巻き込むことを諦めたんだ。……ずいぶんな言い方だったよ。でも、ギンヨウはオレ達では見えない何かと戦っているんだろう?味方がほしいのは本当だと思う。リティル、ギンヨウにノインを騎士としてつけるのはダメなのか?」
ラスの必死な進言に、リティルは悩んだのだろう。答えられなかった。リティルは何とかして、自分がギンヨウの護衛につきたいと考えているはずだ。そこへ、ノインをつけては、その役目を永遠に奪われるとわかっている。許可できるわけがない。
「ノインが橋渡ししてくれたら、ボクもまた話せるようになりますかぁ?風一家から抜けちゃうとしても、ギンヨウ君の手料理がまた食べたいですぅ」
インジュは手料理が目当てのようだ。ギンヨウ好みの平和的な理由だ。もしも、ノインが排除される事がなければ、ギンヨウは笑って料理を提供してこの応接間にもいたことだろう。怒鳴られて叩き出される前、確かにギンヨウは穏やかに笑っていた。誰のことも疑問には思っていなかったのだ。
オレが、ここに風一家にいることこそが、原因だったのでは?ノインは唐突に思ってしまった。
「……オレが、この城に、風一家にいなければよかったのかもしれない」
「ノイン!?」
驚きの声を上げたのは、セリアだった。
「オレの役目は終わっている。潔く、離れるべきだったのかもしれない」
「ノイン、どうしたんですか?あなたの役目は終わっているのかもしれませんが、ここに、今なお存在しています。まだ、存在理由があるということでしょう?」
インファも必死だな。当然か。今ノインがいなくなれば、一家の戦力は大幅にダウンする。今現在狩れている魔物も狩りづらくなるだろう。当然だ。ノインは、世界最強の精霊なのだから。利用価値があるから、リティルもインファもノインに甘いのだ。ノインが離反や、リティルの意にそぐわない行いをすれば利用価値は下がるだけでなく、危険視される。それが、ギンヨウの体験してしまった失われた未来の真相なのだろう。ギンヨウは紛れもなく被害者だ。可哀想なことに巻き込んでしまった。
「そうだな。オレは、リティルが兄と認識しているがために、こうして存在している。だがそれも、消えそうだ。そうだろう?リティル」
ギンヨウは嘆くのだろうか?ここで、存在理由を失って消えてみせたら、阻止しようと現れてくれるのだろうか?
我が大神。おまえの苦しみとなるオレこそが、排除されるべきではないのか?ノインは、自分があまり大切ではない。名を呼び、頼りにしてくれる者がいるから、ここにいるにすぎない。今、主君だと決めてしまったギンヨウから離れていることが辛い。主君を得るとは、こんな気持ちなのかと味わっている。役割をなくし、色あせていく世界に、再び色をくれたのがギンヨウなのだと自覚している。今ギンヨウは何者かの手にあるようだが、リティルに何を言われ、その者が攫っていったのか、その一部始終を見たいとさえ思っている。リティルの何が、ギンヨウを追い詰めたのか知りたい。知って、彼の苦痛のすべてを取り除いてやりたい。ああ、ギンヨウに認められたい。自分を平凡だと思い込んでいる様子の彼に、騎士だと認めさせたい。
ノインは確かに欲望を感じていた。
「リティル、オレを解き放て。そうすれば、おまえの憂いも消えるだろう」
「兄貴、何言ってるんだよ?オレがおまえを疎んだことなんて……」
「疎ましいだろう。神鏡だとわかっている宝を、オレに奪われそうになっている。オレの手に渡れば、ギンヨウは永遠に手には入らないとわかっているからだ」
「ノイン?え?ギンヨウ君をどうするんですかぁ?橋渡しして、風一家にしてくれるんじゃないんです?」
原初の風は、リティルが四分の一を。インジュが四分の三を持っている。故に、インジュにはリティルの願いが口にされなくてもわかる。その彼が、はっきりと、ギンヨウを風一家にすると言った。彼はリティルの願いに忠実だ。さすがにリティルもハッとしていた。ギンヨウを守る為だとなんだのと言っていたが、手に入れたいのだとインジュを通して知られてしまったのだから。
「父さん……この期に及んでギンヨウをまだほしがっているんですか?」
わなわなとインファが震えている。怒りと恥辱が混じって見える。
「お父さん!だって、ギンヨウ君ですよ!?悪意から生まれて心がなかったシャナインに心を芽生えさせて、盲目のアシュデルの助けになりたくて極楽の調理法を発現して、今、因果分岐で一家を守ってくれてるギンヨウ君です!誰だってほしいですよぉ。ギンヨウ君がいれば、楽できるんですからぁ」
「インジュ……!」
戦う風一家にとってギンヨウは有益な人材だ。態度があれでも、覚醒したてでこれだけ貢献できれば手放したくはない。突きつけられた真実に、インファは絶句していた。
インファにとって戦えないギンヨウは、庇護下に置く精霊にすぎない。失われた未来、インファまでもがノインを攻めたのならおそらく彼は、単純にギンヨウがノインに洗脳されたと思ったのだろう。ギンヨウを見誤っているが為に起きた悲劇だったのだと思う。
インファの評価は今も、ギンヨウはか弱く庇護すべき精霊なのだろうか?ギンヨウはすでに途轍もない力を秘めた精霊だ。彼を認めなければ、いつまで経っても解決策は見つからない。インファも1度、ギンヨウにやられなければ目が覚めないのかもしれない。
「お父さんだって楽できるんですよぉ?お父さんもリティルも出し抜かれてるじゃないですかぁ!今だに、ギンヨウ君が守っている人が誰なのかわかってないんですよぉ?中核に入れちゃえば、ギンヨウ君、凄く活躍してくれますよぉ?」
下手をすれば、風の城を乗っ取ることができるだろう。それが、一番簡単なノインの守り方なのだから。だのに、嫌われる方を選びノインすらも遠ざけたのは、ギンヨウが自分を平凡だと思い込んでいるからだ。彼が自分自身を見誤っているから、風の城は無事だっただけだ。手に負えない至宝だと2王は警告していたが、その通りだとノインは思う。彼の生い立ちと性格に救われただけで、15代目風の王は、3代目天照大鏡の下僕にされていてもおかしくはないのだ。確実にそれができる御仁だ。
「風の王、力の精霊・ノインに命じてください」
インファの静かな声が、しかし懇願するように父王に向けられた。
「力の精霊・ノインを、天照大鏡・ギンヨウの騎士にすると、宣言してください」
ノインは風一家だが、出て行くのも留まるのも自由ではある。だが、風の王・リティルが命じてくれれば、ギンヨウが怖がっている事態は回避される。
風一家は風の王・リティルの為にある組織なのだから、リティルの意にそぐわなければ誰であろうと攻められて当然だ。失われた未来での出来事は、組織のあり方としては正義なのだ。あの頃は風の王預かりだったことなど関係ない。主君であるリティルが欲している至宝を、ノインが得てしまったことが悪なのだから。
しかし、なんということだ。こんなに早く副官を動かしてしまうとは。ノインはインファを傀儡に徐々に根回ししていくつもりでいた。だがギンヨウは、すべての工程をすっ飛ばして、インファからこの言葉を引き出してしまったことになる。これが受理されなくても、インファは帰ってきたギンヨウを風の王から切り離す方向へ動くだろう。争いになるならば、因果分岐だ。両者の間で血まみれになる彼の姿を見て、何も思わない者達ではない。誰が何をしようと、風一家内のギンヨウの地位は勝手に確立されていくだろう。
「インファ、待て。リティルがそれをオレに命じても、ギンヨウが承諾するとは思えない」
「それはあなたがなんとかしてください。オレはギンヨウをよく知りませんが、あなたはよく知っているのではありませんか?」
「内通を疑っているのか?怒鳴られて叩き出されてから、ギンヨウは目も合わせてくれない。頑固な御仁だ。騎士に任命されたと言ったところで、毛虫でも見るような目で見られるのがオチだ」
インファはニッコリと微笑んだ。
「ずいぶん仲良しですね。それならば問題ないですね」
「インファ……」
まずい。何も言い返せない。インファの瞳が、リティルに再び合わさった。
「王、決断してください。あなたが頷かないのならば、頷くしかないようにするだけです。惨めな思いをしたくないのならば、ギンヨウにノインをつけてください」
インファは本気のようだ。リフラクに依頼して、とんでもない噂を流す気だ。リティルを張りぼてとは言わないが、副官は優秀だ。彼を敵に回してしまえば、今までのようには治められなくなってしまうだろう。風一家では助言するだけしか権限のないノインでは、事の成り行きを見守る以外にないが、もうノインの立ち位置は決まったも同然だった。
ノインがグロウタース・八百万に行くと、待ち構えていたリフラクにどうなった?とキラキラした瞳で問われた。顛末を告げると、彼は大笑いして転げた。
「アハハハハハ!ギ、ギンヨウ……帰ってきたら目玉が落ちてしまうんじゃないかい?」
「憂鬱だ。オレが騎士に任命されたと言えば、どんな罵詈雑言が飛んでくるやら」
「アハハハハハ!甘んじて受けなよぉ。嬉しいんだろう?」
「……いや、ぬか喜びだ」
ギンヨウに受け入れられなければ意味がない。ギンヨウはどんなことを言って、振り回して来るのだろうか?楽しいか、楽しくないかと問われれば、楽しい。マズイ、ニヤけそうだ。
「ギンヨウはどこだ?」
「ああ、地獄だよぉ」
地獄。八百万にある異空間の名だ。あやかしと陰陽師しか行き方を知らないと言われているというのに、支配者は神だという。
「でもねぇ、少々厄介な事になっていてねぇ。ギンヨウはこのままじゃ、出てこられないかもしれないんだよねぇ」
「実際、囚われていたのか?」
「結果的にねぇ、そうなってしまったんだよぉ。リティル様のせいでねぇ」
「何があった?」
ギンヨウが地獄に連れ去られたとわかり、吹雪丸と八尾狐が即座に伊邪那美に会いに行った。すると伊邪那美は、意識のないギンヨウを優しく抱きしめながらこう言ったようだ。「天照様は傷心だ。癒えるまでここから出さない」と。
「まあ、リティル様のせいだけでもないんだよぉ。シャナインも一役買っていてねぇ」
「子供を取り上げて離婚すると言っていた件か?」
リフラクは頷いた。
「ギンヨウの邪魔になるなら殺してしまうという言葉を、ギンヨウ、聞いてしまったみたいなんだよぉ」
「それは……ギンヨウは傷ついただろうな……。それで離婚だと?」
リフラクは首を横に振った。
「子供を取り上げようとしているのは、八尾狐さ。あんな母親には任せておけないそうだよぉ?まあ、理解できるかな。咲耶姫が諫めてくれているけれど、ギンヨウが戻ってこないと、こっちも納まりそうにないねぇ」
「休まらないな」
「本当にねぇ。リティル様の様子はどうだい?」
「納得しているとは言い難い。ラスが喜々としてリティルがオレをギンヨウの騎士にしたと一家に触れ回ったが、リティルの心境が変わらなければ、争いが起こってしまうかもしれない」
「解せないねぇ」
「ああ。ギンヨウは確かに、風一家にとって有益だが、それを言い出すのはインファの方だったはずだ。リティルは損得より、慕われて入ってくる者を受け入れていただけだった。だが、ギンヨウに関しては強硬だ。ギンヨウが一家になじめていないのは明らかで、どう見ても好かれていないのに好かれていると思い込んでいる」
「君は、ギンヨウに嫌われていると思っていたよねぇ?」
「……大地の城でのことがなければ、そう信じて疑っていなかった。今でも半信半疑だ」
リティルは、ノイン以上の扱いを受けている。だのに、自分は好かれていると信じて疑っていない。さすがにあんな男ではなかった。だからノインはこれまで、リティルの為に裏家業を行っていたのだ。
これまでリフラクは積極的に動こうとはしていなかった。ただただ崩壊していくだろう風の城を傍観していた。だが、別の思惑が働いていたとすると、話は別だ。
風の王を手玉に取っている者が、ギンヨウの味方であるかなどわからないからだ。ならば、リティル対ギンヨウというわかりやすい構図にするに限る。
「誰だと思う?リティル様を操ってるのは、さ」
「わからない。だが、一家の中にリティルに甘言を囁いている者がいることは、確かだ」
「うん。わかった。父さんにも話しておくよ」
リフラクの父は花の王だ。彼もリティルには甘いが、この失態には目を瞑れないだろう。これで少しは、ギンヨウの住みやすい環境になるかもしれない。
ノインは、ギンヨウを苦しめているもう1つの問題に向き合おうと思った。彼が戻ってきたとき、少しでもわだかまりがないようにしてやりたいのだ。
「シャナインを見舞う」
「ああ、こっちだよぉ。……その前にあやかし達が来てしまったねぇ」
気配にノインが顔を上げると、丁度襖が開くところだった。翼は隠していたが服装はイシュラースにいるときのそれだったために、八百万に合わせて、薄墨色の羽織袴に霊力で着替えた。「おや、似合うねぇ」とリフラクに言われた。
「リフラク、怪しい奴を連れ込むな」
開口一番、八尾狐に警戒されてしまった。それはそうだろう。ノインは仮面をつけたままだったことに気がついた。グロウタースに潜入することはあまりないが、赴く時には仮面を外している。ノインは仮面を外した。
「!?そなた、雷帝・インファの兄弟か?」
そうなのだ。ノインの素顔は、インファをもう少し大人にした感じなのだ。素顔を晒せば、こうやって高確率で兄弟だと間違えられる。
「風の王の回し者め!」
吹雪丸が抜刀した。ずいぶん嫌われているなと、ノインはため息をついた。
「やめなよ。この人がノインだよぉ。ギンヨウの守りたい友人さ」
2人は「そ、そうなのか?」と疑いの目を向けながらも刀を納めたり、警戒を解こうとした。
「ちなみに、リティル様の兄上だよぉ?風の精霊ではないけれどねぇ」
「「はあ!?」」
2人は再び警戒を露わにしてしまい、ノインは様々説明する羽目になったのだった。
ノインがシャナインを見舞うと、儚げな桜の精のような着物の女性と共にいた。木花咲耶姫だ。素材は違えどシャナインとお揃いのかんざしをしている。ギンヨウが作った、あの雪の結晶を桜が囲む見事な細工のかんざしだ。咲耶姫はノインの姿を認めると、楚々と顔を着物の袖で隠して座敷の隅へ離れていった。シャナインは、縁側に面した座敷に籐の椅子にゆったりと背を預けていた。腹は妊婦だと一目でわかる大きさにまでなっている。
「ノイン……!ギンヨウが……!」
椅子から降りようとしたシャナインを押しとどめ、ノインは鬼の小姓が用意してくれた椅子に腰を下ろした。
「わかっている。迎えに行ってこよう」
「わたしも一緒に行きたいのです」
「それはできない。シャナイン、精霊の妊娠は奇跡に近い。そして、グロウタースの民よりも継続が難しいとされている。何分、前例があまりないからな。腹の子に何かあったら、ギンヨウは悲しむだけでは済まない」
リフラクから、シャナインは我が子に対して淡泊だと聞いていた。そのことで、ギンヨウを傷つけたとも。流れでもしたら、もう夫婦ではいられないだろう。
「1つ確認したい。君は、ギンヨウの子を宿したことが不満なのか?」
グロウタースの民ならば、愛する人との子は嬉しいモノのはずだが、精霊では違うのか?とノインにも心境はよくわからない。シャナインは、眉尻を下げた。
「今までのように動けないのです。だからギンヨウは、何も話してくれないのではないのですか?失われた未来のことを、リフラクは知っている様子ですのに……。ギンヨウは何と戦っているのですか?ノイン」
オレのため。とは言い辛い。ギンヨウにそう言われたわけではない。リフラクがそう言っているだけだ。しかし、ギンヨウが敵だと思っているのが誰なのかはわかっている。
「君は、リティルとギンヨウ、どちらをとる?」
シャナインが瞳を瞬いた。ギンヨウが彼女に話さなかった理由を、それだけで察した。
シャナインは、まったくリティルを警戒していないのだ。ギンヨウに近しい者、筆頭はリフラクだが、彼らがリティル達風の精霊を警戒しているというのに、それに気がついていない。ギンヨウは、シャナインがリティルにつく未来を拭い去れないのだ。
こうなると、彼が我が子を産ませようとしたことに矛盾を感じてしまうが、花の精霊の性質を持っている。シャナインとの別れがあるのだとしても、最愛と血を分けた子を手放しがたかったのだろう。
ギンヨウ……おまえはどこまで傷つけば気が済む?ノインは僅かに呆れたが、グロウタース生まれでグロウタースで長年生きてきたギンヨウは、感覚がグロウタースの民の庶民のそれだ。婚姻関係のアクセサリーを主に作っていたとなれば、縁を結んだ者達の間に生まれる命をも見てきたことだろう。
父親になること。それはもしかすると、ギンヨウの憧れだったのかもしれない。
「ギンヨウは、リティルを疑っている。いや、風の精霊すべてだ。インファもそれを重く受け止め、オレにギンヨウの騎士になれと言ってきた」
「!?それでいいのですか?ノイン。ノインはお父さんの騎士ではないのですか?」
そう思っている者も多いが、風一家はそう思っていないと思っていた。インリタの言った「力の精霊まで抱え込んでいる」という言葉が蘇る。リティルは、シャナインにノインはリティルの騎士だと吹き込んだのだろうか?一家もすでに?立派に疑心暗鬼だなと、ノインは心の中で嘲笑った。
「リティルは弟であるだけだ。オレは、ギンヨウが受け入れるならば、騎士の件受けようと思っている。シャナイン、ギンヨウが帰ってくるまでに腹の子のことも含めて身の振り方を考えろ」
シャナインは決して劣ってはいない。もっと自発的に考えることが必要なだけだ。ギンヨウが追い詰められていなければ、彼女に教えることができただろう。だが、ギンヨウは限界なのだ。ギンヨウならば、シャナインを十分愛ある母親に教育できたと思うからだ。願わくば、命令を聞くだけの傀儡ではなく、ギンヨウの為に動ける妻になってほしい。そうでなければ、ギンヨウは自分を殺し、シャナインを切り捨てるだろう。
ノインは、案内を頼んだ吹雪丸と八尾狐のもとへ引き返した。
地獄へは、黄泉平坂という特別な道を使って行くのだという。黄泉平坂への入り口は複数あり、吹雪丸の住む鬼の館のすぐ傍の森の中にもあった。鳥居の奥、社の中にしめ縄を巻かれた2つに割れた大岩が鎮座していて、それが入り口だという。
「妙な場所だ。異界のようでいて、グロウタースのようにも感じる」
割れ目を越えると、空気がいきなり変わった。ノインは不思議な違和感を感じていた。
「ほお?わかるのか?ここは、初代天照の作った異空間だ。ギンヨウに聞いたが、天照大鏡は鏡界という異空間を作り出せるらしいな。ここは、それだ」
なるほど。この道を使って、八尾狐は鬼の館と自分の館を行き来していたのだ。
「餓鬼がはびこる道だが、八百万のどこへも短時間で行ける便利な場所だ」
吹雪丸が抜刀した。真っ直ぐに伸びる、土剥き出しの道の両脇には炎が揺らめいている。熱くないので、炎ではないのだろう。
吹雪丸の先導で歩き始めてからずっと、八尾狐に見られている。何か言いたげな視線が気になって、そのうち襲いかかってくる干からびた死体のような姿の餓鬼共々、道を破壊してしまいそうだ。
「言いたいことがあるのか?視線がうるさい」
思わず視線を向ければ、先行する吹雪丸も振り返った。
「ギンヨウと風の王の間に、何があった?つい最近まで、といっても1年位前か?それまでは、あんな悪鬼に堕ちそうな雰囲気ではなかったのだぞ?」
八尾狐は単純にギンヨウを案じているようだ。ここを療養場所に選んでよかったと、ノインは自分の見る目に満足した。
「ギンヨウは、何度か時を超えたらしい。今となっては失われた未来となった未来に、ずいぶんな目に遭ってしまったようだ。風の王を含む風一家を信用していない」
「それで風の城からここへ?だが、それならばなぜ、風の城になど暮らしている?」
刀の1薙ぎで餓鬼を屠った吹雪丸が問う。
「ギンヨウには譲れない何かがあるらしい。オレにもわからない」
「風の城で、天照は不自由だということはわかった。風の王め、天照の力に目が眩んだか。この地の雑魚共と変わらないな」
吹雪丸は失望したと吐き捨てた。ノインも同じ気持ちだ。副官のインファはその比ではないくらい失望しているだろう。
「ギンヨウは美味しそうだ。上位のあやかしも、味見したいといっておったわ。大方そんなところだろうよ」
八尾狐も嘲るように吐き捨てた。
容姿は平凡だが、彼の霊力はとても美しい。ノインは1番最初に霊力を偽る術を教えたくらいだ。せめて、普段の姿の時くらい放出される霊力の量を抑えなければ、邪なモノを引き寄せてしまう!と案じたからだ。グロウタース・白虎野島で、悠々自適な軟禁生活を送っていたギンヨウの生活が脅かされては、可哀想だと思った、ノインの老婆心によるものだった。ギンヨウは、何を教えても「ありがとうございます」と言って笑い、素直に受け入れてくれた。それが……今では毛虫を見るような目で見られている。ノインはただ、雑談できる間柄であればよかった。あのささやかな時間が、ノインには救いだったのだ。
ギンヨウは、騎士になることを許してくれるだろうか?ノインは緊張を誤魔化すために、2人に問うた。
「地獄を治める神とは、どんな人物だ?」
「初代天照大御神だ」
八尾狐が言った。
「!?どういうことだ?」
彼女は死んでいる。この八百万を蘇らせて粉々となった。だというのに、どうやって存在しているという?
「そなたなら、会えばわかろう」
八尾狐はそれきり口を閉ざしてしまった。吹雪丸は何か言いたげだったが、結局何も言わずに前を向いてしまった。
地獄の入り口は、隠されていると思っていた。
こんなに堂々と、朱塗りの門が建っているとは思っていなかった。
「地獄の主・伊邪那美!鬼の頭領・吹雪丸と妖孤の頭領・八尾狐が謁見願う!」
吹雪丸がそう声を張ると、門はガコンッと重い音を立てて独りでに開いた。
「ああよかったなあ。1度様子を見に行ったあとは、てこでも開かなかったんだがなあ。そなたがギンヨウの特別と伊邪那美は知っているのかもなあ」
だんだん怪しい言い方になっていないか?ノインは腑に落ちない思いを抱きながら、仮面をつけた。「隠してしまうのか?勿体ない」と八尾狐は揶揄ってきた。インファと似た顔など、ギンヨウに見せてしまえば毛虫を見るような目も向けてもらえなくなるかもしれない。なんとしてでも、ギンヨウと話せる権利を得たいのだ。
朱塗りの楼門を抜けると、また道が続いていた。熱くない炎が両脇を焦がす。その視界が、急に開けた。伊邪那美の間についたのだと感じた。それで、地獄の主はどこに?とノインは前方を見た。
なんだ?巨大な何かが、いる?ノインの視線はどんどん上へと上がっていった。彼女は、台座の上に座っていた。彼女の顔の高さに何やら透明な球体が浮かんでいる。
『2代目、力の精霊……』
10メートルはあるかと思われる巨大な女は、ノインを見下ろしているようだった。ようだったといったのは、丁度両目のある場所に鏡を飾っていたからだ。鏡の下に見える口元には、笑みが浮かんでいた。
『銀陽を、苦しめるモノを、排斥す』
ゾロゾロと多量の餓鬼達に囲まれていた。
「伊邪那美!ノイン殿はギンヨウの想い人だ!それでもこんな歓迎をするのか!?」
待て待て、なんだ?想い人とは……。語弊がありすぎる。リフラクはいったい、どんな説明のしかたをしたのだろうか?そもそも、ギンヨウは同性なのだが……。
「はあ……この張りぼての神が。想いがあるからこそ、苦しみも悦びも同等得るのだろうに」
八尾狐が深いため息をついて抜刀した。
「吹雪丸!」
八尾狐が右手で刀を構え、左手で印を刻む。名を呼ばれそれを見た吹雪丸も、刻む印は違うが何事か右手を動かした。
「「焼き尽くせ」」
2人の声が重なり、ドンッと円形に突如炎が噴き上がり餓鬼を一掃してしまった。
「ちっ!馬鹿力の鬼め」
「今それをいうか!?まったく狭量だな……」
青い狐火を赤い炎が飲み込んで紫色の炎が踊っていた。八尾狐はどうやら、青は青、赤は赤で焼き尽くしたかったらしい。
「ノイン殿、天照は水晶球の中だ」
「了解した」
奪い返していいようだ。ノインは黒い翼を開き、透明な球体目掛けて飛んだ。そうはさせるかというように、鏡から光線が飛んできた。それを避けることなど造作もない!ただ、彼女はギンヨウを攻撃しないだろうと思ってしまった。八尾狐が張りぼての神と言ったのに。球体の前を横切ってしまったノインを追って、伊邪那美の光線が放たれていた。
「!」
気がついたノインは踵を返していた。あの球体の強度がわからない。まったく傷1つつかないとしても、あの光線の雨にギンヨウをさらしたくなかったのだ。これでも避けられるだけ魔法の盾で避けた。物量で押され、何度も張り直して耐える。耐えきってみせる!球体の中には、眠っているらしいギンヨウがいるのだから!
「――ノイン……」
名を呼んだ声に、ハッとしてノインは球体を振り返っていた。球体の中、倒れていたはずのギンヨウが身体を起こしてこちらを見ていた。
見開かれたギンヨウの瞳が、震えている。
これは、よくない。とは思ったが、光線の雨あられでどうしようもなかった。初代天照大鏡だという彼女を黙らせていいのかすら、判断がつかなかったのだ。ギンヨウに気を取られ、張った盾が打ち抜かれる。盾を砕いた光線がノインの脇を貫通していた。
「退きやがりなさい」
痛みに耐えながら再び魔法の盾を張ると、地を這うようなギンヨウの声が聞こえてきた。
「退きやがれ!!」
キッと真っ直ぐに睨まれてノインは従わされていた。地面に舞い降りながらも目をそらせないでいると、球体の中で立ち上がるギンヨウの姿を見たのを最後に、光線の雨が球体を打った。ガシャンッとガラスの割れるような音が響いたと同時に、光線の雨に打たれて光に包まれた球体から何かが飛び出した。
それは、黄昏の大剣を思わせる黒い大剣だった。大剣は1直線に伊邪那美へ飛び、彼女の顔面の鏡を割っていた。伊邪那美がのけぞる。あの巨体が倒れれば地響きがすると思われたが、彼女は幻のように消え失せていた。もちろん、衝撃はない。
「ギンヨウ……」
片膝をついたノインの目の前に、ギンヨウは降り立った。降り立つと同時に彼の背にあったミヤマカラスアゲハの羽根が消え失せる。
「まったく、わたしを苦しめるモノを排除したいなら、風の城へ乗り込んでくれやがればよかったモノを」
ギンヨウが憤慨している。危険はないとは聞いてはいたが、本当に彼にとって危険はなかったらしい。
「なぜあなたが、ここにいるんでやがりますか?」
ギンヨウは膝を折ると、打ち抜かれた脇腹を確かめてきた。傷口は貫通した上に焼かれているために、超回復能力を持ってしてもすぐには癒えていなかった。ギンヨウは手をかざし、治癒魔法をかけてくれる。かなりの技量だ。瞬時とはいかなかったが、かなりの速さで傷は癒えていった。
「おまえの騎士になれと命じられた」
ピクッと彼の手が震えた。そして、案の定射殺さんばかりに睨まれた。
「承諾しやがったんですね?」
「ギン――」
「なぜ、言うなりなんでやがりますか!!あなたほどの人が、なぜでやがりますか!?リティルを我が儘な子供にしてやがるのは、いったい誰でやがりますか!筆頭があなたでやがりましょう!」
リティルが、我が儘な、子供……?こんなに真っ直ぐにあの15代目風の王を批判する者がいるとは思っていなかった。呆気にとられていると治療が終わり、ギンヨウはさっさと立ち上がってしまった。
「あの人が、あなたをわたしにくれてやるわけがなくてやがります。手に入れたおもちゃを、手放せる人ではなくてやがりましょうに。ああ……余計なことを……。師匠が裏から手を回したんでやがりますか?師匠とまで繋がっているんでやがりますか?」
物静かな大魔導が実は腹黒であることは知っている。知っているが、風の王の兄であるノインに接触してくることはない。ギンヨウが守ろうとしている相手だと自ら彼に伝えでもしない限り、アシュデルがノインを味方だと思うことはないだろう。現に彼は姿を現さない。
「いや、これは、おまえの行動に勝手に追い詰められたインファの暴挙だ。だが、すでに情報は一家内で共有されている。ギンヨウ、オレの大神に、なってはくれないか?」
口説かない手はない。経緯はどうあれ、リティルが内心承諾していなくても、命じたのは事実だ。何を言われようと、堂々としていればいい。
「ハア。わたしが現実逃避している間に、勝手なことをしてくれやがって……」
ギンヨウは苛ついた顔をして、だが頭の中ではこれからのことをめまぐるしく考えているだろう。
「彼女は、伊邪那美は本当におまえの味方だったのか?」
「初代天照大鏡でやがりますよ。地獄の主という事になってやがりますが、治めているわけではないんでやがります。ただいるんでやがります。伊邪那美は、再びの天照の降臨を予言したと言われてやがります。彼女は天照の幻影のようなものでやがりまして、わたしに多大なストレスがかかると、出てくるようになっていたようでやがります。吹雪丸達にわたしは無事だと、聞いてやがりませんでしたか?」
ギンヨウがあやかし2人に視線を向けた。2人は会話が終わるまではとでも気を使ってくれている様子で、八尾狐がギンヨウに緩く片手を上げるに留めていた。
「聞いていた。だが、おまえに会わなければならなかった」
「わたしの騎士にという、巫山戯たことを伝えに、でやがりますか?」
嫌そうだ。説得する前に心が折れそうだ。
「このまま、シャナインが出産してしまうまでここにいるつもりでやがりました。わたしがいなければ、シャナインは子供を殺してしまうことはなくてやがりますので」
「……見えていたのか?」
ギンヨウは笑みを浮かべただけに留めた。見えていたのだ。なんということだ。なぜこんなに風の精霊は彼を苦しめるのだろうか?
「こうなってしまいやがった以上、風の城に戻りやがります」
「ギンヨウ……ここに隠れていればいいのではないのか?」
ギンヨウは「暴いたくせに」と言いたげに睨んできた。
「あなたがしくじると誰が信じるんでやがりますか?未来視がなくとも、リティルが凸して来やがりますよ」
「オレを守るな」
途端にギンヨウは、無表情な瞳を向けてきた。くっ……オレが恐怖している……。
この言葉は、彼のこれまでの奮闘を、心を踏みにじるとわかっていた。だが、言わずにはいられなかった。騎士は、主君を守る者だ。主君に守られたままではいたくなかった。ギンヨウも大いにノインのプライドを踏みにじっている。だが、善良なギンヨウには、犠牲の鏡では、騎士であっても矢面に立たせることはできないと理解もしている。
「共に、いさせてくれないか?オレにおまえを、守らせてほしい」
「……一家と対立しやがりますよ?」
「オレはいつでも、一家を抜けることができた。それをしなかったのは、おまえに出会っていなかったからだ」
「リティルと争いたいんでやがりますか?」
「弟が障害なら、口も手も出せないように外堀を埋めてしまえばいい」
「できやがりますか?」
「おまえが望むなら、叶えよう」
ノインは、しばし沈黙したギンヨウがニヤリと笑うのを見た。彼はずいぶん逞しくなってしまったな。彼の悪い笑みを見ながら、ノインはそんなことを思ってしまった。
ノインは「帰りやがりますよ」というギンヨウに引っ張られて風の城に来させられていた。まだ何も、聞かされていない。問うても、彼は「お楽しみでやがります」と悪い笑みを浮かべるだけだったのだ。合わせろというのなら、いくらでも合わせようとノインは腹を括った。
風の城の応接間には、四天王とペオニサ、そして多くの一家の者がいた。どこか険悪で物々しい。一家はそんな四天王のいるソファーに近づきがたい様子で、何もないホールに佇んでいる。……異様な光景だ。ギンヨウが眉根を潜める。
「皆さん、お揃いでどうしたんでやがりますか?」
「ギンヨウ!心配してたんだぜ?」
リティルが立ち上がった。ギンヨウは目を細め「あなたが言うんでやがりますね?」と言いたげに微笑んだ。気がついたインファとラスが青ざめる。
「ストレスレスな場所で、甘やかされていただけでやがりますよ。だというのに、ノインをけしかけやがって、あなた方はわたしを、過労死させたいんでやがりますか?」
「ギンヨウ!しかし、これが最良だと判断しました」
インファが弾かれたように立ち上がる。そんな彼を、ギンヨウはフンッと鼻で笑った。
「リティルの兄で世界最強の精霊をわたしの騎士にすることが、でやがりますか?そんなことをしては、わたしの方が風の王よりも上位の存在だと言っているようなものでやがりましょうに。受けられなくてやがります」
インファが一言で黙らされるとは……。ギンヨウは事実を述べただけだ。だが、ノインがこれまで目立ってこなかったせいで、風の城内と世間一般の認識がずれているのだ。それを認識させられては、ずれているインファでは反論できないだろう。
「そうだな!悪かった。おまえに負担かけちまったな!」
ここぞとばかりにリティルが乗っかってきた。インファは悔しそうに顔を歪める。
「ですので、わたしを風の城の独立機関にしていただきたい!」
喜々としたリティルの言葉にかぶせ気味で、しかしよく通る声でギンヨウは言った。
「……はあ?」
リティルが間抜けな声を出した。予想外の言葉だったのだ。
「ノインには、わたしの監視役になっていただきたい。これならば対外への体裁は保て、心配してやがる皆さんも安心なのでは?」
「お、おまえ、独立って……」
「いいんじゃないかな?監視してるっていうなら、ノインがギンヨウといても怪しまれないよ」
頷いたラスが静かに、畳みかけるギンヨウを支持した。
「そうですね。独立機関・天照を監視するついでに、ノイン、オレ達四天王も含めて、一家の監査もお願いします」
調べていいということか。いや、調べてくれというインファの「お願い」だと受け取った。ギンヨウにかまけているあいだに、インファは何かに気がついたようだ。リフラクも言っていたリティルに甘言を囁く者の存在は、気のせいではないらしい。
「いいだろう。ただ、これまでのような生ぬるさは期待するな」
「お、おい、監査って、まだオレを疑ってるのかよ?」
「監査対象が自分だと思ってるんだ?リティル様、身に覚えがあるなら、ここで話した方がいいんじゃない?ギンヨウ!オレ、独立機関・天照に移籍する!天照から派遣って形で癒やしてあげるから、そのつもりでね!」
ペオニサは、ホールのような場所に佇む一家に向かって声を張り上げた。これはある種の脅しだった。リティルであっても、今後ペオニサの力を借りたければギンヨウに申請が必要になり、受理されなければペオニサの治癒を受けられないという宣言だった。
「オレさ、オレがいるから、ギンヨウがいるからって無茶な戦い方されるの嫌いなんだよ。何回言っても気をつけてくれねぇし、いい機会だよね!」
ペオニサがいなかった時代、風一家の戦い方は細やかだった。緊張感があったように感じていたが、今はどうだ?ペオニサの死者蘇生レベルの治癒を当てにしている。その筆頭が煌帝・インジュだ。四天王がそんなことをしては、部下に示しはつかない。ペオニサの友人でもあり、インジュは甘えていたのだ。自覚はあるらしく彼は、微妙に狼狽えていた。
「ってことで、ギンヨウ、よろしくね!」
「はあ。好きにしやがってください。わたしはわたしを守りたいだけでやがりますので」
重い言葉だ。聞きようによっては「おまえら全員敵でやがりますよね?」と取られかねない。実際何人かからの負の感情を感じた。ノインが視線を向けると、それは消えた。いつからこんな、矮小な組織に成り下がってしまったのかと、ガッカリする。
「あとはどうぞご自由に。虫退治まではわたしの仕事ではなくてやがりますので、八百万に帰りやがりますよ」
「ええ、お疲れ様です。ギンヨウ、ありがとうございます」
「奇特な方でやがりますね。ポッと出の新米精霊に好き勝手言われて、腹が立たないモノでやがりますか?歴史あるこの城に、虫がいる。と言っているんでやがりますよ?」
「わかっています。あなたの好意には感謝しかありませんよ」
インファの疲れた笑みに、ギンヨウはフンッと尊大に鼻で笑った。
「糖分不足でやがりましょうね。ノイン、どうせついて来やがりますよね?お使いを頼んでもよくてやがりますか?」
「ああ、了解した」
疲れ気味のインファの為に何か作るというのだろう。
「待てよ!独立なんて、オレは許可しねーよ!ギンヨウ、おまえの理は風の王であるオレだろ!どうして、逃げようとするんだよ?」
まとまったはずだった。リティルの声に、去ろうとしていたギンヨウが振り返る。浮かぶ笑みに、ノインですらゾッとした。
「そうでやがりますか、わたしはあなたの物になった覚えはないんでやがりますが。やはり、きちんと言ってさしあげないと、わからないものなんでやがりますね」
ギンヨウは、ソファー越しにリティルに向き直ると皆思っていた。しかし、ギンヨウが視線を向けたは意外な人物だった。
「リティルを操作してわたしを抱き込み、何をしようとしているんでやがりますか?シェラ」
シェラ?ノインもだったが皆の視線が、リティルの隣に座っている、黒髪の可憐な美姫に集まった。
「何の事かしら?」
彼女は平然としていた。見た目は可憐だが、彼女は風の王の隣で戦える戦姫でもある。無様に狼狽えはしない。しないのだが、彼女にやっと違和感を感じた。
「わたしを連れ戻しに吹雪丸達がいなくなったところを狙ったんでやがりましょうが、わたしの子は無事でやがりますよ?わたしは現実逃避していただけで、平穏無事でやがりました。未来は、きちんと、見えているんでやがりますよ?夫婦であるシャナインとは、念話で繋がってやがります」
「シェラ……?」
シェラが娘夫婦の子を狙ったと聞いて、リティルがやっと狼狽えた。彼女が、戦い続ける運命のために常に命を脅かされるリティルの癒やしであることは知っている。彼女の癒やしは、リティルのみならず一家の心にも安らぎを与えている故に、彼女は副官のインファよりも影響力がある影の女帝だ。なるほど、彼女が黒幕であるならば、悩むリティルを全肯定する方法を使って懐柔することなど容易いだろう。さらには、インファには叱られっぱなしで、ラスには攻撃されている。ノインは最近ギンヨウにかまけて城に殆どいず、インジュは味方としては弱い。ますます優しく味方でいてくれるシェラに、リティルはのめり込んだのだ。
「わたしは3代目天照大鏡。未来視と過去の罪を暴く能力を持つ至宝でやがります。観念するんでやがりますね」
ギンヨウの姿が天照へと変貌する。シェラは、ギンヨウが腹の前に抱えた鏡を向ける前に立ち上がり、流れるように自らを短剣で刺していた。
「シェラ!!」
リティルが慌ててナイフを突き立てた王妃を抱き留める。
「ペオニサ!早く癒やしてくれ!」
リティルは必死にシェラを抱えたまま、ペオニサを見た。だが、ペオニサは戸惑った表情を浮かべて動かない。
「何してるんだよ!シェラが死んじまう!」
リティルは訴えるが、ペオニサだけでなく誰も動けない。ノインもあまりのことに驚いていた。
どういうことだ?あれはいったい、なんだ?ノインが戸惑っていると、隣のギンヨウがフッと小さく笑った。
「木彫りの人形でやがりますか。本物の傀儡でやがりますね」
ギンヨウのよく通る呟きに、リティルが自分の腕の中をやっと見た。そして、短く悲鳴を上げて手を放していた。シェラは、ガシャンッと音を立てて、ソファーに落ちた。そこには、風の王妃の姿はなく、丸太をつなぎ合わせただけの簡素な等身大の人形があるだけだった。その胸には、短剣が突き刺さっている。
「これまで通り、力は貸してさしあげましょう。しかし、わたしは好き勝手させてもらいやがります」
「では」とギンヨウは姿を元に戻して、悠々と風の城を後にした。風の王妃が偽物だったという事実を暴き、大混乱を引き起こしたまま去ってしまうとは、無責任で尊大だ。そんなギンヨウについて行く自分も、あんまりだなとノインは思うのだった。
鬼の館に戻ったギンヨウは、怒りを隠しもせずに、ノインの前をズンズンと歩いていた。
「ギンヨウ、いつから知っていた?」
聞いておかねばと、ノインが彼の肩を掴むと、ため息と共にすんなりと振り返ってくれた。イライラした表情のままだったが。
「伊邪那美に捕まった後でやがりますよ。あの人無理矢理未来を見せやがったんです。さすがに頭がパンクして、寝込んでいたんでやがります。最悪の目覚めでやがりましたね!なぜあなたが攻撃されているんでやがりますか!?あああ!度しがたい!」
ああ、それで出てこられなかったのか。そう思った。出てこないにしても、リフラクにも音信不通というのはギンヨウらしくないと思っていた。
無理矢理未来を。とは、ギンヨウの未来視と、初代天照大鏡とでは未来の見え方に違いがあるように感じた。二代目の金陰と比べても、戦闘能力を持っていた彼女とギンヨウとでは違いがある。天照大鏡とは、未来視という基本的な能力は変わらないが、ずいぶん自由な至宝のようだ。
最悪の目覚め……か。ギンヨウは気がついているのだろうか?そんなことを言ってしまっては、ノインを信頼していると言っているようなものだということを。ギンヨウはフウと息を吐いて、感情をいくらか収めたようだ。
「なんとかシャナインには念話で、シェラからのお贈り物は絶対に口にするなと伝えてやがります。因果分岐も遮断されてやがりましたので、流産してやがったら、あの人の狙い通り離婚でやがりますね!」
生まれる前の我が子の命を狙われたとあっては、ギンヨウでなくても怒り狂う。シェラが偽物だったのは、不幸中の幸いだろう。さすがのリティルも驚愕の表情を浮かべていた。これで少しはギンヨウも生きやすくなるだろうか?独立機関を立ち上げて、風の城に居座るとはノインも思っていなかったが。
「シェラに成り代わったモノは、おまえ達の離婚を狙っていたのか?」
「そうみたいでやがりますね。あと、不可解なんでやがりますが、リティルを貶めようとしていたようでやがりますよ?」
ギンヨウの子に手を出したのがシェラであっても、彼女の行動はリティルの為だったと結論付けられたことだろう。ギンヨウが偽物だと暴かなければ、ギンヨウはリティル有責で風の城から出ることができただろう。
……もしかすると、傀儡のシェラは阻止されても思惑が成就しても、未遂に終わらせた可能性が高くないだろうか?ギンヨウは子を守ったように言っているが、実は、守られたのはリティルなのではないのか?ギンヨウは口を割らないので、真相はギンヨウの中だ。
「風の王の敵で、おまえの味方……」
どちらにせよ、ギンヨウの子は風の城以外の場所で育てるという話になるだろう。大事に至らなかったとしても、リティルの犯した失態は大きい。インファが言い出さないならば、監査官としての初仕事になるだけだ。
「ノイン、変なことを言わないでいただきたい。わたしは誰とも敵対したくなくてやがりますよ?」
それにしては、ずいぶん辛辣な人格を演じているようだが?と思っていると、ギンヨウが小さくため息をついた。
「誰が敵か味方かわからなかったんでやがりますから、しかたなくてやがりましょう?十把一絡げで遠ざけておいた方が、楽だったんでやがりますよ。けれども、なぜあなたは、どんなときも変わらないんでやがりますか?」
??そんなことを言われても、失われた未来を知らないノインでは、なんと返答しようにもできなかった。
「もしかしたら、シェラの偽物は魅了を使ったのでは?と思ってやがります。なので、花の精霊のリフラクとペオニサには、効かなかったんではないかと思ってやがります。シャナインもクヨクヨしてやがりましたが、わたしの言葉は聞いてくれてやがりましたし」
「では、セリアも効いてはいなかったな」
「ああ、そうでやがりますね。宝石の精霊も魅了の力があるんでやがりましたね。インファの奥さんなので近付きたくなかったんでやがりますが……いい人でやがりましたね」
顔も名前も覚えてやるものか!と思っていたのに、セリアはどれだけ近付くなと態度で示してもグイグイ来た挙げ句「風の精霊が嫌なら、ノインを頼りなさい!あの人は信用できるから!」と言ってきた。とギンヨウは苦笑した。
「ああ。オレにおまえを監視しろと言ってきたのは、そのセリアだ」
「えっ!……インファの手前、これからも近付くつもりはないでやがりますが、お礼を言っておいてくれやがりませんか?」
「菓子を作れ。渡しておいてやろう」
セリアも、例に漏れずギンヨウの菓子のファンだ。自分の為に作ってくれたとしれば、大いに喜ぶだろう。
「それからオレには、魅了の類いが一切効かない」
「そうなんでやがりますか?」
「ああ。だから、安心しろ」
リフラク達が傍にいられるなら、オレも同じ理由でいられるだろう?と思ったのだが、ギンヨウはなぜか嫌そうな顔をした。
「……あなたに効きやがらなくても、周りをけしかけられてやがりましたよ?シェラが黒幕だと気がついてやがったら、最初の犠牲の因果分岐の時に解決できたことでやがりましょうね……」
ギンヨウは悔しそうだ。
「あれは気づけないのではないか?見たい未来が見えるわけではないのだろう?」
「そうでやがりますね……伊邪那美のような自由はなくてやがりますね。しかも、接点のない人の未来は見えなくてやがります。……なんでやがりますか?」
「いや、それにしては、顔も名前も一致していない一家の者を因果分岐していただろう?と思っただけだ」
ギンヨウは、再び嫌そうな顔をした。
「まあ、リティルのことは信用ならなかったんでやがりますが、みすみす殺してしまいやがるのも目覚めが悪くてやがりまして、とりあえず手当たり次第でやがりました。魔物狩り限定でやがりましたので、シェラの誘拐は見えてやがりませんでしたね」
「彼女を誘拐して成り代わるとは、なかなかの手練れだ。1人ではないかもしれないな。……なんだ?」
ギンヨウに見つめられ、ノインはたじろいだ。
「突き止めたくてやがりますか?」
どう返答するのが正解なのだろうか?ギンヨウの騎士になる前は、といっても、彼には断られているので自称騎士でしかないのだが、なる前はリティルを脅かす者を勝手に捜し出していた。だが今は、ギンヨウに降りかかる火の粉は払おうと思っているにすぎない。自分から討って出ないのは、下手に動くと彼を危険にさらしてしまうかもしれないからだ。
「おまえに危険がないなら動かない。風の城の事は、風四天王がすればいい」
するとギンヨウは呆れた顔をした。どうやら、お気に召さなかったようだ。
「あなたの主君になった覚えはなくてやがります。監査官でやがりますよ?公平にしやがってください」
やはり、傍にいさせてくれないのか……。ガッカリしている自分がいる。
「ただ、暗躍は得意でやがりましょう?」
ギンヨウが、控えめに言った。
「敵陣に本拠地があるのは変わらなくてやがりますが、引きこもり生活でやがります。こっそり訪ねてくれやがると、心強くてやがります」
!?そんなことを言われると思っていなかったノインは、まったく反応できなかった。
「ははは、冗談でやがりますよ。傀儡のシェラがいなくなっても、リティルがわたしを諦めることはなくてやがりましょうし、監査官とはいえ、あなたはリティルの兄でやがりますし、難しくてやがりましょうね!」
強がって笑う彼がどうにも健気だ。本心を決死の覚悟で吐露してくれたというのに、何も返せないとは一生の不覚だ。
「ギンヨウ……了解した。オレがめげなければいいだけの話だ」
「はあ、失敗してしまいやがりましたね。ほどほどにしやがってくださいよ?仲間に刺される因果分岐なんて、嫌でやがりますからね」
「了解した」
今は、これだけしか言えない。しかし今後、風の城の態度が変わらないのであれば、その時は。とは思っている。
オレは、風の城の監査官だ。もう、遠慮は、いらないのだから。
ノインは決意を秘めて板張りの廊下を、ギンヨウと共に歩いた。
ギンヨウが襖を開けると、シャナインと咲耶姫が同時にこちらを向いた。
「おかえりなさい、ギンヨウ」
ソファーにゆったりと腰掛けたシャナインは、瞳にホッとした感情を浮かべながら短くそう言った。ギンヨウはそんな彼女に苦笑した。
「わたしの言いつけを守ってくれたようで、安心しやがりました」
「わたしが言いつけを違えることはありません、ギンヨウ」
「ははは、散々、産んでもいいかと聞いてきやがったくせに、でやがりますか?」
ギンヨウが意地悪に笑うと、咲耶姫が青ざめた。シャナインも動揺はしている。表情に出ないだけで、目は緊張している。
「シャナイン、もろもろ終わりやがりましたので、胎教には悪いとは思うんですが話しやがりますよ」
シャナインの隣に腰を下ろしたギンヨウは、これまでの顛末を話した。シャナインは眉根を潜めて、困惑している。そして口を開いた。
「ギンヨウ、なぜ、風の城を出ないのですか?」
ノインもそれは気になった。傀儡に踊らされていたとしても、リティルのあの発言は1精霊のギンヨウを蔑ろにするものだった。独立機関になる!と宣言したところで、リティルがあれでは、ギンヨウは徐々に風一家だと認識されるようになってしまうだろう。
「あなたは、風の城から出てしまいやがって、いいんでやがりますか?」
「え?」
「風の精霊というだけでは、魔物狩りはできないのでは?」
「それは……そうなのかもしれないですが、けれどもギンヨウ、その……わたしの為なのですか?」
シャナインは言いづらそうに問うた。
「あなたのためというだけではないんでやがりますが、理由の1つでやがりますね。わたし1人ならば、出ようと思えば、出られると思ってやがります。けれども今更1人になるのは、寂しくてやがりますね」
ギンヨウの苦笑に、シャナインはオロオロと視線を彷徨わせ、そして縋るようにこちらを見てきた。視線に気がついたギンヨウがすかさず口を挟む。
「いけなくてやがりますよ?それにしても、なぜ皆さんノインなんでやがりますか?」
「それは、ノインならば何者からもギンヨウを守れるからです」
チラリとギンヨウがこちらに視線を寄越した。「そうなんでやがりますか?」と彼の瞳が侮るように細められる。ギンヨウに言わせれば、自分を守れると言われている人を守る為に、何度も割れたんでやがりますが?と言いたいのだろう。
「あまり過信するのは、よくなくてやがりますよ?相手が相手でやがりますし」
「お父さんが原因ならば、離反いたします。魔物狩りは、こっそりかすめ取ればいいのです、ギンヨウ」
ノインからすれば、シャナインからこの言葉が今まで出ていないことの方が意外だ。シャナインにとってリティルは「父親」ただそれだけだ。彼女の忠誠も愛もすべてギンヨウにあるのだから。
「待ちやがりなさい。風の王と敵対するのは悪手でやがりますよ?セクルースの支配者・太陽王、花の十兄妹の影の長・花の王がついてやがりますので」
「2人に、何かされたのですか?ギンヨウ」
「彼らを知っているんでやがりますか?」
シャナインの問いに意外そうにギンヨウは疑問を返した。
「いいえ。けれども、2人はお父さんのお兄ちゃんです。目に余るのならば、諫めてくれるのではありませんか?」
「どうだろうな?」
夫婦の会話に口を挟みたくはなかったのだが、呟かずにはいられなかった。
確かに、件の2王はリティルとこのノインと兄弟の盃を交わしている。だがそれは、末弟という位置づけのリティルを甘やかす同盟にすぎない。4人の中でノインは、1番発言権がなく、2人はリティルに甘い。かくいうノインもこれまでは似たようなものだったが。
「わたしも、望みは薄いと思ってやがります。ただ、このままわたしがリティルを受け入れなければ、風の城から切り離してくれるかもしれなくてやがりますね」
ギンヨウが2王の圧力によって風の城から出される時、それは彼らがギンヨウをリティルの敵だと結論を出した時だ。
「危険だ。奴らの視界に入るな。大人しくしていろ」
「え?2人がギンヨウに何かするのですか?ノイン」
「あり得ないとは言えない。オレも、おまえと関わっていなければ、おまえに何かしたかもしれない」
ギンヨウを秘密裏に主君と定めた今はあり得ないが、インファのようにギンヨウに極力関わらなければ、リティルの敵と認識していたのかもしれない。
「わたしから言わせてもらえば、あなたが、わたしに何かすることはなくてやがりますよ」
ギンヨウは不機嫌そうにキッパリと言った。
「けれども、監査官でやがります。今後、必要以上にわたしに近づきやがらないでいただきたい」
「隠れて会いに来いと言ったのにか?」
「失言だと言ったでやがりましょう?しつこいと、なかったことにしやがりますよ?」
「どうせ繰り返す。命を粗末にするな」
「その自信はどこからくるんでやがりますか?わたしは信じなくてやがります。裏切られてからでは、遅くてやがりますから」
ギンヨウの諦めた瞳に、何も言えなくなる。繰り返した失われた未来で、それだけ皆の態度が違ったのだろう。
「あ、あの、ギンヨウ様……」
控えめに声をかけてきたのは控えていた咲耶姫だった。彼女は口元を着物の袖で隠したままギンヨウを上目遣いに見上げていた。
「お姉様の母君は、見つかったのでしょうか?」
「さて、風の城が総力を挙げやがるでしょう。わたしは、不都合な未来しか見えない上に、縁のある人しか助けてさしあげられなくてやがります」
そうか。ギンヨウは本物のシェラに会ったことがないのだと、ノインは悟った。
「シャナイン、気になりやがりますか?」
シャナインの瞳に迷いが浮かんだ。正直な心を吐露すれば、ギンヨウに危険が及ぶのでは?と葛藤していそうだ。
「案ずるな。オレが風の城にいよう」
そう言うしかなかった。ギンヨウを行かせるわけにはいかないのだ。ハア。上手く遠ざけられてしまうものだ。ノインは、ギンヨウがインファに約束した菓子とセリアへの礼を持って風の城に戻らざる得なくなったのだった。シャナインを羨ましく思うのは違うとは思うのだが、当たり前のように共にいられる彼女が羨ましかった。
傀儡と入れ替えられたシェラはというと、あっさり見つかった。情報を提供したのは、リフラクを長とする花の十兄妹だったが、呆気なかった。シェラを攫った者のアジトへはリティルが先陣を切った。愛する妃が攫われたのだ。当然の行動だったが、副官には叱られる事になる。
犯人を捕らえることなく討伐してしまったのだ。これでは、単独なのか組織なのかを調べられないというのが、副官の言だ。ギンヨウはその様子を端で見ていた。インファに付き合ってほしいと要請され、ギンヨウは独立機関・天照としての初仕事として、八百万から風の城の応接間へ来ていたのだ。
「しかたねーだろ?自爆したんだからな!」
そうなのだ。シェラを捕らえていた者は、リティルの姿を見るやいなや不敵に微笑むと爆発してしまったのだ。ギンヨウは「シェラを知らないので、因果分岐できないかもしれなくてやがりますよ?」とは言っていたのだが、シェラは爆発に巻き込まれることなく、因果分岐になることなく救出された。
「ギンヨウ、傀儡を送りこんだ者の思惑が、わかりますか?」
「さて?風の王の評判でも落としたかったのでは?もうよくてやがりますか?そろそろ予定日なんでやがりますよ」
なぜわたしに聞くんでやがりますか?ここまで出かかった。答えてしまう自分も自分だなと思わなくもないが、さっさと退散した方がよさそうだ。
「ええ、すみません。ギンヨウ、ありがとうございました」
ギンヨウは席を立ちそそくさと扉に向かったが、しかし、ふとリティルを振り返った。
「もしくは、わたしに、風の王を警戒させたかったのかもしれなくてやがりますね」
余計なことを言ったかもしれない。ハッと、リティルが虚を突かれた顔をした。笑って誤魔化そう。ギンヨウは尊大に見えるように笑みを浮かべると、アッシュの鍵を使って風の城を後にした。
風の王を、警戒させたい。
リティルは、ギンヨウの声に頭を殴られたような気分だった。そうだ。シェラが傀儡と入れ替わっていたからといって、ギンヨウを物のように扱ってしまったのはリティル自身だ。いったい、なんなんだ?この感情は。
ギンヨウが……ほしい。なんて……。言葉を結んだ想いに、リティルはゾッとした。ギンヨウが警戒して距離を取ってくれなければ、自分は彼に何をしてしまっただろうか?無防備に目の前にいたら、ギンヨウが逃げられないように何かしてしまったかもしれない。
今なら、天照大鏡と遭遇した風の2王の警告の意味がわかる。あれは、リティルの手に負える相手ではない。だが、芽生えてしまった欲望は抑えられそうにない。
「インファ、ノインを呼んでくれ」
インファは訝しげだったが、通信球でノインと話をつけてくれた。そういえば、ノインは普段どこにいるのだろうか?まさかギンヨウの所?と思ってしまって、首を横に振って打ち消した。
しっかりしろ。なんのためにノインを呼ぶのか思い出せ!リティルはギュッと両手を握っていた。
どれくらい時が経っただろうか?デスクワークしていたらしいインファが顔を上げる気配で、リティルも顔を上げた。
「遅くなって、すまない」
ノインだった。外へ通じる白い石の扉を開き、彼はソファーまで飛んできた。
「いいえ、戦闘前にすみませんでした。手こずりましたか?」
どうやらノインは魔物狩りに出ていたらしい。しかも、戦闘前に終わったらすぐに帰って来いと連絡させてしまった。ギンヨウのところだと頭を過ってしまった数分前の自分を殴りたい。
「……ドラゴン型はさすがに、な」
ドラゴン型は大きさの単位の最上位だ。姿もドラゴンだが、手強い相手であることは確かだ。ノインが、少々とはいえ息が上がっている。何人で対したか把握していないが、ノインが指揮しても手こずる相手を、被害なく制してきた彼の手腕は、残念ながらリティルよりも上だ。そして、監査官となったはずのノインが未だに魔物狩りに参加している理由でもある。ノインがいなければ、風の城に犠牲者が出る。犠牲者が出れば、ギンヨウが因果分岐だ。ノインは監査官としてギンヨウが不利益をかぶらないように、魔物狩りにこれまで通り参加してくれているのだ。
「ノイン、母さんが目を覚ましました」
「そうか」
「残念ながら、攫った者に関しては何も覚えていないそうです」
「そうか」
ノインは同じ抑揚で返した。
「話はそれだけか?」
ノインの言はもっともだ。ドラゴン型と戦う前に終わったらすぐに帰って来いと言われ、急いで帰ってきたことだろうにこれでは、言いたくもなる。
「悪い、おまえに用があるのはオレなんだ」
リティルはソファーを立つと、中庭へノインを誘った。誰にも聞かせたくなかった。それがなぜなのか、わからないまま。
風の城の中庭には、大地の力が極端に弱い風の領域ではあり得ない緑の絨毯が広がっている。壁際には木も生えていて、奥には温室もある。花の姫・シェラがいるから城の中に限り植物が育つのだ。
リティルは応接間が見える尖塔窓から十分離れるまで振り返らなかった。ノインは、無言でついてきてくれる。
「兄貴、ギンヨウについてやってくれ」
早く口にしなければ、欲望が勝って言えなくなると思った。ノインをつけてしまったら、ギンヨウは2度と手に入らない。ノインには、リティルでは敵わないのだから。
「あいつを守ってやってくれ」
「……唐突だな」
ノインは警戒気味に口を開いた。彼が何を警戒しているのか、リティルにはわからない。わからないが、緊張した。
「わかったんだ。あいつは、欲望を刺激しちまう。あいつが不本意な目に遭わねーように守ってやってくれ」
ノインは、二つ返事で引き受けると思っていた。
「リティル、オレは不器用だ。あれもこれもと守ることはできない」
何を確認されているのか、わからない。
「オレは騎士だ。仕えるべき主君は1人だ。ギンヨウを選ぶということは、おまえをもう守ってやれないということだ」
胸を突かれたように息苦しくなった。ノインの守りを失う……。それは、リティルにとって心細いことだった。だが、いるだけで守られている安心感をくれたノインなら、何者の欲望からも天照大鏡を守れると思った。理性がある。理性があるうちに、ノインにギンヨウのことを頼んでおかなければならない。そう思った。
「そういうおまえだから、言えるんだ。ノイン、あいつは、おまえ好みだと思うぜ?あいつを欲する奴らから、オレからギンヨウを守ってやってくれ」
通じたらしい。ノインの仮面の奥の瞳が、僅かに見開かれたのが見えたから。ノインは小さく息を吐いた。
「……表向きは風の城の監査官だ」
「はあ?内緒にするってことか?どうして?」
てっきり、声高に宣言して城から出ていくモノと思っていた。インファもラスも味方につけているのだ。容易いと思っていた。
「ギンヨウは、好きで因果分岐しているのではない」
「そりゃ、そうだろ?……ちょっと、待てよ、おまえ、何か?おまえが騎士になって、風の城から出てったら因果分岐だと思ってるのかよ?」
そんな大袈裟なとリティルはまだ楽観的だった。リティルが決めたのだ。風の2王の警告通り、ノインとペオニサが難色を示した通り、ギンヨウを風の王から切り離そうというのに、何が問題なのだろうか?
「おまえに、本気でオレとギンヨウを手放すつもりがあるならば、インファに話してみろ。まあ、それだけで犠牲の因果分岐かもしれないが、な」
「そ、そんなこと言われちまったら、話せねーじゃねーか!」
フッとノインは微笑んだ。だったら自分でなぜなのか考えろと言われた気がした。しかし、これは大事なのだと悟った。ノインはともかく、ギンヨウを風の城から抜けさせることは、すでに困難なのだ。それは、リティルがギンヨウを風一家に入れてしまったから。今更ながら、なぜ彼は風一家に入り込んできたのだろうか?信頼のない相手の懐に入ろうとする意味がわからない。
「ノイン……ここを、出てーか?」
ノインは薄らと笑みを浮かべていた。仮面で顔を隠さねばならず、たぶん本来は長いはずの髪も切ってしまっている。この城を窮屈に感じる者がいるなんて、ギンヨウが初めてだと思っていたが、実はノインもそうだったのだろうか?兄は、いつの頃からか本当に大人しくなってしまった。もっと、力の精霊になった直後は、もっと感情が出ていたような気がした。フロインとももう少し仲がよかったように思う。だが今は、風の騎士という精霊だったときのように、穏やかで控えめで、いや、風の騎士とは違ってつまらなさそうだ。生きることにあまり生気を使っていない感じだ。
どうして気がつかなかったのだろう?ノインの事も、大切だったはずなのに。
「オレは、騎士だ。主君を得られれば、どこででも生きていける」
「それが、ギンヨウ?」
「さて、な。監査官として監視はしよう。等しく平等に」
ノインは先に応接間に戻って行ってしまった。
ギンヨウはシェラの訪問を受けていた。鬼の館唯一の洋室だ。シャナインとギンヨウを預かることを決めた吹雪丸が、急遽造らせたのだ。ギンヨウは、テーブルを挟んでソファーに座り、シェラと向かい合っていた。
「初めましてね?天照大鏡・ギンヨウ」
「そうなんでやがりますか?シャナインと婚姻を結んだ時に1度会っていると思ったんでやがりますが」
ずいぶんと可憐な人だと思う。童顔小柄なリティルと彼女ならば、十分に容姿的には釣り合いが取れている。まるで、隣に立つ為にこの容姿になったかのように――と思ってしまって、たしか、風の王と花の姫は番だったなと思った。初めから理によって結ばれることが決まっている相手。本当に恋愛感情は、有って無いようなものだなと思う。いつだったかインファが「精霊の恋愛観、結婚観には思うところがあります」と言っていたのを思い出した。彼とお妃様は恋愛婚だったようだが、それでもそんなことを言ってしまう彼には深い闇があるように思われた。
もっといえば、風四天王は闇が深い。そんな気がする。そんな問題だらけの風一家を、精神的に支えてきた風の王妃。彼女の存在は大きい。それを知っていてシェラを傀儡と入れ替えたその人、組織しかもしれないが、ギンヨウにとってどうかはさておき、風の王にとっては明白な敵だ。ノインは風一家から抜け、監査官となった。風の城の為に、危険に自ら飛び込むことはないだろう。
「覚えていたの?」
意外そうな顔だった。カマをかけたのかどうなのか、判断に困る。
「……曖昧でやがりますね。なんせ、かなり時を繰り返してしまいやがったので」
果てはシャナインと婚姻を結ばなかった世界線まである。リティルはいつでもノインの敵だったが、インファ、インジュ、ラスはその都度ギンヨウの行動で関係が変わった。今なら、リティルだけが傀儡のシェラの支配下にあったのだとわかる。
「シャナインは本当に妊娠しているの?ごめんなさい。あの娘のあんな姿を見ても、信じられないのよ」
「媒体あっての妊娠でやがりますよ。それも、失われた未来からのもので、この「今」では自然妊娠の体でやがりますが」
「産まれられるの?」
「さて。世界のみぞ知る。でやがりましょうね。ペオニサの話では、順調でやがりますよ?」
彼女は本物なのだろうか?シャナインを流産未遂させようとしたのは、いったいなぜだったのだろうか?彼女との婚姻の継続が困難になっても、ギンヨウが風の城を出られる確率は低い。風の精霊との婚姻だけを切りたかった?……わからない。ノインと話せばわかるかもと思ってしまって、いけないいけないと心の中で首を横に振る。ノインがいけないのだ。この「今」でも、ギンヨウの騎士になんて言い出すから。
「あなたは、反対なんでやがりますね?」
ズバリ問えば、シェラはこちらの瞳をジッと見つめてきた。
「シャナインはいい娘よ。けれども、生粋と言っていいほど風の精霊よ」
「風の精霊は、愛を知ってやがりますよ」
「本当にそう思う?」
「風の精霊に愛がないのだとしたら、あなたも同じ穴のムジナでやがりましょう?本当の血を分けた娘を、殺しやがったじゃありませんか」
それはギンヨウが天照大鏡として覚醒前だった。この夫婦は、自分の娘を処分した。それは事実だ。そして、その娘が両親や元夫に復讐するために産みだしたシャナインをも殺そうとした。シャナインを救ったのはギンヨウだとリティルは言ったが、そんなことはどうでもいいのだ。ただギンヨウは、シャナインに死んでほしくなかったから行動しただけだ。
今もそうだ。誰も死んでほしくないから、天照大鏡の力を使っているだけだ。その人がどうというのではない。誰に加担も与してもいない。
辛辣に突きつけてやれば、シェラは俯いた。精霊は、殺されなければ、役目を終えなければ死ねない。リティルは、娘が存在理由を失ったことを知っていながら引き留めた。そうして寿命を――ギンヨウは存在理由の消失を精霊にとっての寿命だと捉えている。寿命を向かえたのに死ねなかった彼女は、邪精霊となって結局処分されたのだ。ギンヨウから見れば、両親に殺されるなんて可哀想な最後だった。
「あなたのしていることも、同じではないの?死を、なかったのことにできるのでしょう?」
ギンヨウは首をすくめた。寿命なんて、死んでほしくなくても抗うことなんてできない。さすがにギンヨウも寿命をなかったことにはできず、しようとも思わない。ただ、見送れるように努めるだけだ。これでもグロウタース産まれグロウタース育ちだ。彼らよりも多くの死を見送っている。
「助けられない者は、助けられなくてやがりますよ。わたしにできるのは、ほんの少し先の未来を変える事だけでやがります。その場限りの不慮の死を、なかったことにするだけでやがりますよ。わたし達の子が、死産であるならばしかたなくてやがりましょう?」
その可能性もある。産まれてくる子が精霊である限り、存在理由がなければ命として産まれられない。それが理だ。精霊である以上、抗えない運命だ。
「あなたはもしや、わたしがシャナインを受け入れたことが、我慢ならないんでやがりますか?」
それは母親としてどうなのだろうか?父親があれなら母親もあれなのだろうか?とますます近づきがたく思っていると、彼女は強く否定してきた。
「いいえ!あの娘は一途だったわ。11年間想い続けて、それが実って、嬉しくないはずはないわ!」
ああ、よかった。イシュラースをこれでもかと嫌いになるところだった。
「では、わたしがリティルを愛さないことを、怒っているんでやがりますか?」
そうだとしたら、ギンヨウがノインと共にあの城を出ることは一生涯ないだろう。ノインがギンヨウの騎士になることもない。リティルが傀儡に踊らされなければ、風の城はギンヨウにとって牢獄とはなり得なかった。なぜなら、ギンヨウはリティルに疑問を抱かず取りこまれていただろうからだ。なぜ、知らしめたのだろうか?知らなければ、幸せだったかもしれないのに。
余計なことを。その一言に尽きる。
「一家の人達が、どういう経緯で一家に入ったのか知らないですが、わたしはリティルに心酔はしなくてやがりますよ?」
シェラはゴクリと息を飲んだ。
「ならばどうして、風一家に入ったの?リティルに続きインファがノインをあなたの騎士になどと言い出さなければ、独立機関にすらなれなかったわ?」
さすがは風の城の影の女帝。正常なリティルは、同じ疑問を抱いたのだろうか?風の城にいるギンヨウの姿など殆ど見かけず、一家の誰に聞いても最悪な評価しか得られなかっただろう。なるほど、シェラは、ギンヨウの思惑を問いに来たのだ。
「リティルになんぞ、興味をなくてやがりますよ。わたしは常に、未来のために行動してやがります」
「風の王に忠誠心がないのなら、風の城から出るべきだわ」
「追放してくれるんでやがりますか?わたしを捕らえているのはあなたの夫でやがりますよ?息子もわたしの味方のような顔をして、腹の中はどうかわからなくてやがりますね」
信用してなるものか。ノインを危険だと言ったインファを、許すつもりなどないのだ。
「安心しやがってください。わたしは見えた未来を変えやがります。自らの首を絞めるような行動はしやがりません」
ギンヨウは動かない。破滅するのならば勝手にすればいい。ギンヨウは見えた未来を変えるだけだ。
「わたしは独立機関、天照の長でやがります。やりたいように、やるだけでやがりますよ」
風の城にいるのは、あなたの家族のせいだと言ってやれば、シェラは何も言えなくなった。誰にギンヨウの事を聞いてきたかはしらないが、肝心なことを伝え忘れたようだ。今、シェラが信じなくとも、ギンヨウの行動でそれは証明されることだろう。
シェラは、すごすごと帰っていった。シェラには、ギンヨウに気を許すなと伝わっただろう。影響力のある者同士で意見が違えば、ギンヨウに関してのことは混乱する。牢獄はずいぶん居心地がよくなったものだ。
「はあ……」
ギンヨウはソファーに背を深く沈めた。つ、疲れた……。辛辣にするのは、心が抉られる。もう関わりたくないのだが、そういうわけにもいかないのだろう。自分で選んだ道だ。わかっている。わかっているが、逃げたくなる。
子供が産まれてくるまであと少し。何事もなければいい。ついでに成人する12年間、何事もなければなおいい。
そんな父の憂いをよそに、シャナインは女の子を出産するのだった。
ギンヨウとシャナインの子供は、女の子だった。
背には小さな蝶の羽根があり、どうやら花の精霊らしい。
「――うん」
ギンヨウ達はまだ鬼の館に滞在している。そこへ、アシュデルがやってきて娘を見てくれた。アシュデルはギンヨウの赤子時代をしっている。だけではなく、子を取り上げたこともあるという。故か、産まれたばかりの赤子を抱く手つきが慣れて見えた。
「どうなっていくかはわからないけれど、今のところただの花の精霊に見えるね」
アシュデルは眠っている赤子をゆりかごに降ろした。
「いつも思うが、その目で見えるというのか?そなたは本当に得たいがしれないな」
自分の館のように寛いでいる八尾狐が、糸目をさらに細めて言った。アシュデルはただ苦笑するだけだった。
「この花は、なんという?」
望み薄かなと思いつつノインに連絡すると彼は、監査官だからと理由をつけて風の王達を差し置いて来てくれた。ああ、風の王達に面会を求められても「嫌だ」と言うが。
赤子の髪には小さな青色の花が咲いていて、ノインは恐る恐るといった体でその花に触れていた。
「瑠璃唐綿だねぇ。グロウタースじゃ、結婚式で新婦が身につける何か青い物に使われる花だよぉ」
自分の事のように喜んでくれたリフラクが、感情を抑えた声で、しかし喜びを滲ませた声で言った。
「ほお?他所ではそんな粋なことをするのか」
興味深いと、吹雪丸が頷いた。
「素敵です。吹雪丸様、瑠璃唐綿はこの地にもありますわ。植えてもよいでしょうか?」
あまりにキラキラした目で見つめているので、ギンヨウは咲耶姫に娘を抱いてもらった。彼女は本当に愛おしそうに娘を抱っこしてくれた。
「ギンヨウ、これからどうするのですか?わたしは、このままここで12年過ごすのがいいと思います。赤ちゃんとは、こんなに弱々しい物だとは思ってもみなかったのです」
シャナインは困惑顔だった。やはりと言うべきか、彼女は娘をまともに抱っこできなかった。精霊に母乳が必要ないのは幸いだったというべきだろう。
「うーん。あと1日待ってみよう?ギンヨウは1日で6才だったから」
「え?」とグロウタースの民からの視線がギンヨウに突き刺さった。
「純血二世はねぇ、12年の間にどう成長するかはその人次第なのさ。このアシュデルみたいに、幼少期は子供だったのに成人したら急に中年なんてこともあるんだよぉ?」
驚いた咲耶姫の手から、赤子を奪い取りながらリフラクが言った。
「君の心配はもっともだけれど、いい手があるよぉ?」
リフラクの視線がシャナインに定まった。
「この子を、ボクの許嫁にしてしまえばいいのさ」
「は?」という声は、ほぼ全員からした。かく言うギンヨウも声を上げていた。
「花の十兄妹の長兄代理が許嫁なら、誰も手は出せないと思うけれど?」
そういいながらリフラクは、赤子の手をやんわりと握った。小さな爪が鮮やかな黄色に変わる。リフラクの頭には咲かなくなってしまったがその色は、彼の花であるフリージアの色をしていた。霊力で赤子の爪を染めたのだ。それは、婚姻の証となるものだった。しかも、存分にリフラクの気配を漂わせている。精霊ならば誰が見ても、リフラクがこの赤子に求婚していることが丸わかりだ。
「本気か?」
さすがのノインも引き気味だ。
「ああ、ボクはねぇ、ギンヨウについていくって決めたんだよぉ。だから彼女はボクがもらうよぉ?」
リフラクは挑発的にノインを見やって笑った。普段感情を見せないノインが珍しく、一瞬だけ悔しそうにしたのをギンヨウは見逃さなかった。ギンヨウには騎士だと言い張っているが、ギンヨウは取り合わず、風の城でも表向きは監査官だ。何も言えないことがよほどに悔しかったようだ。
「ですが、リフラク。リフラクは花の十兄妹の長兄代理です。天照一派だと思われるのは危険なのではありませんか?」
諜報機関・花の十兄妹は独立機関だ。元は風の城直属だったらしい。それを独立機関にしたのに、天照大鏡につくとはギンヨウの立場がとシャナインは心配してくれているようだった。ちなみに、独立機関・天照は、天照一派と呼ばれるようになっていた。所属はまだ、ギンヨウ、シャナイン、ペオニサの3人だけだ。ペオニサには、ギンヨウに伺いを立ててることなく癒やしてやれと言ってあるので、天照一派か?と言われると微妙だ。
「花の十兄妹長兄がすでに天照一派だよぉ?」
「ペオニサはマスコットです。実権を握っているのはリフラクです」
そうなのだ。花の十兄妹の長はペオニサなのだ。花の十兄妹はペオニサが飴、リフラクが鞭で築き上げた諜報部隊なのだ。ペオニサに関しては、ギンヨウが境界を有耶無耶にしてしまったために、軋轢はないに等しいが、リフラクはそういうわけにはいかないだろう。
「人聞きの悪いこと言わないでおくれ。いいや、ボクは唾をつけただけだよぉ?ボクがギンヨウの従者なのも公表していないしねぇ」
シャナインの視線がこちらを向く。どういうことなのか?と問うているのだ。
「悪友でやがります。従者と言われても、世話されることはなくてやがりますので」
「くっついててもいいって事だねぇ?」
リフラクの瞳がキラリと光った気がするのだが、気のせいだろうか。
「はあ、それもいつも通りでやがりましょう?好きにしやがってください」
「よし!言質は取ったからねぇ?」
クルクルとリフラクは歓喜するように回ると、腕の中に大事そうに赤子を抱えた。
「いいのか?彼はそのように動くと思うのだが」
ノインが心配そうだ。しかしながらギンヨウには、事の重大さがわからない。何かまずいことを言ったのか?としばしノインを見つめてしまった。
「……リフラクに甘えておけ。オレでは、間に合わないこともあるだろう」
ノインは視線をそらさずにそれだけ告げてきた。そんな心配そうな不本意そうな顔をしないでほしい。ギンヨウにできることは、何もないのだから。
「したいように行動すればいいのです、ノイン」
「いけなくてやがりますよ?監査官も危ういんでやがりますから」
不満そうなシャナインに釘を刺しておく。まったく、アシュデルは事情をしらないというのに、迂闊なことを言うのは止めてほしい。ああ、シャナインもノインがギンヨウを口説いている事実をしらないが。
インファがリティルを含める一家のすべてを監査対象にというものだから、何様だという不満を抱いている者もいるとリフラクから聞いている。その者については心配いらないというが、リティルが不満を示せばどうなるかわからない。リティルが口に出さなくとも、風一家はリティルの為にとても統率の取れた動きをするのだから。
「オレはこれで失礼する」
どんな感情で今去ろうというのか、彼の様子を確かめることはできなかった。ひきとめられないまま、ノインは踵を返すと去ってしまった。
ノインは、リティルから正式に騎士になれと言われたと、その顛末を報告してきた時こう言った。「オレは誰が何を言おうと、公表できなくとも、おまえに拒絶されようと、天照大鏡・ギンヨウの騎士だ」と。彼は、ギンヨウが恐れていることを起こさないために、表向きには監査官でいると言った。ギンヨウも、馴れ合うことはできないと言ってある。だが、彼の気持ちは嬉しく思う。それを表に出せないことが心苦しい。信頼できるというのに、信頼しているということすら伝えられない。
この今では、ギンヨウがノインに素っ気ないせいだろう。アシュデルは、ノインを味方に引き入れようという素振りはない。それどころか、風の王側だと思っていそうだ。その方がいいだろう。ノインはアシュデルに睨まれることを気にして、ギンヨウに必要以上構わないだろうから。
「それにしても、瑠璃星姫は可愛らしいな」
目元を柔らかくした吹雪丸がぽつりと呟き。ギンヨウとシャナインの娘は「ルリホシ」と名付けられたのだった。
ルリホシの成長は最初の1日こそ早かったが、その後はしばらく6才の子供のままだった。




