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二章 苦しみの日常

 2代目天照大鏡は、グロウタース・黒夜の曙の王の命を救い、割れた。彼女の守った王家は、今日まで続いている。それは紛れもなく偉業と言えるが、彼女の偉業はそれだけではない。

2代目天照大鏡に遭遇した風の王、8代目風の王・ヤンインは彼女を娶り夫婦となっているのだ。

それがなぜ、偉業なのかというと、風の王には理で定められた番がいるのだ。花の姫と呼ばれる精霊だ。彼女たちと結ばれた風の王は、初代と15代目しかいないのだが、確かに風の王と花の姫は番だった。その理を覆し、数日という婚姻生活ではあったが、2代目天照大鏡は風の王の寵愛を得たのだ。

2代目天照大鏡は、黒夜の曙の事案で風の王と出会い、平定と同時に命を落としたが、夫である風の王に遺言を残していた。

3代目となる鏡を、黒夜の曙の王家に托し、預言書に従わせるようにと言葉を残したのだ。ヤンインは亡き妻の言葉に従った。その鏡がアシュデルの手に渡り、ギンヨウとなった。

黒夜の曙には、天照大鏡と風の王の愛の伝説が残っている。

ヤンインは、天照の息絶えるときこう問いかけた。

「天照、わたしの死が見えるか?」

天照は答えた。

「はい」

その答えに、ヤンインは安堵するように微笑み言った。

「ならば、わたしの終わりの時まで共にいると、頷いてくれないか?わたしにはこれから先も、そなた1人だ」

天照は頷いた。ヤンインは解き放たれた彼女の魂を自身の身体にいれ、自分の崩御のときまで共にあったという。このエピソードをなぞり、この国では結婚式の時、新婦が魂に見立てた丸いケーキを新郎に食べさせるという儀式を行い、生涯変わらぬ愛を願うのだ。


 この伝説を知ったリフラクは、鼻じらんだ。確かに、美しい愛の伝説ではある。だが、風の王は妃にまでした女をみすみす殺しているのだ。今なお続く王家と生涯の妃。結局選んだのは、風の王としての矜持だったという話だとリフラクは思う。

「ノイン、リティル様から完全にギンヨウを奪ってしまいなよぉ」

グロウタースと1つの国と至宝の精霊。風の王が選ぶべきは前者だということはわかる。わかるが、世界の刃だろう?と思ってしまうのは、風の王に酷な事なのだろうか?

「ヤンインは、上級精霊でしかなかった。彼も懸命に責務を果たしたが、結局崩御している。2代目天照は、ヤンインの死を視てしまい、諦めてしまったのではないか?」

短絡的ではないノインをその気にさせるのは骨が折れる。というか、無理だ。

「ギンヨウと同じく、限界まで抗ったと思うのだが……」

「だとしても不甲斐ないだろう?風の王がさ!」

ギンヨウという人を知れば知るほど、リフラクは彼を好きになってしまった。リティルが悪いのではない。ギンヨウの方が好ましいだけだ。

「リフラク、ギンヨウが滅びを意識している。あまり自由に振る舞うな」

天照大鏡は未来を視るが、実は過去の罪も視ることができる。世界の刃である風の王と協力すれば、すべての事案が風の王の思い通りになるだろう。だから、前任の2人はたった1度の出会いで割れてしまったのだろう。なぜなら、強すぎるからだ。こんな鏡が永遠だったなら、天照大鏡を得た風の王に誰も逆らえなくなってしまう。しかも、天照大鏡自らが風の王に協力していては。

それはとても、恐ろしいことではないか?リフラクは危機感を感じていた。現在の風の王に対抗しうる力のある精霊だからと、ノインに白羽の矢を立てるのは安直だとは思うのだが、リティルに疑問を持ち始めている仲間だ。それ以上に、ノインを口説き落とせなければ、ギンヨウが死んでしまうのではないか?と焦ってもいた。

「ねえ、ギンヨウは前任の2人とは違っていないかい?」

「性別は違うな」

「そうじゃなくてさ。風の王に協力しようとしていないってことだよぉ!」

そうなのだ。前任の2人は共に女性。風の王に好意を寄せていた。だが、ギンヨウは男性。ノインがほしいと言っている時点で、風の王が眼中にないことは丸わかりだ。

「ノ、ノ、ノイン!」

バンッと扉を開いてペオニサ駆け込んできた。どうしたのかと言葉を待っていると、彼は言った。

「ギンヨウが、倒れたんだ!」

根詰めすぎじゃないかい?リフラクは止めなかったことを後悔したが、止められなかったなとも思った。

「状況は?」

腰を浮かしかけたノインが問う。何とか平静を保った。そんな感じだった。

「それが、ああ、ここでやがりますって言って、いきなり倒れたんだよ!」

「こことはどこだ?」

ノインはついに立ち上がっていた。行きたいなら行けばいいのに、ギンヨウのところへ行くよりも、因果分岐を制する方を選ぶようだ。好ましい行動だなと思う。他人を癒やす力のないノインがいったところで、所詮何もできない。ならば、治癒師のペオニサと妻のシャナインに任せて、できることをしようというのだ。

「ええと、3階のテラス。って、え?ギンヨウのとこ行かないの!?」

ノインは翼を広げると飛んで行ってしまった。恋愛脳のペオニサにはこの行動は理解しがたいようだ。

「兄さん、ノインはギンヨウを守りたいのさ。アシュデルは?」

「3階のテラス。ギンヨウにはシャナインがついてるよ」

「シャナイン、体調に変化はないのかい?」

「え?うん。あれ、本当に赤ちゃんって言えるのかなぁ?そりゃ、鼓動は聞こえるんだけど……」

まだ、子供になるか別のものになるか、決められていない。そんな気がリフラクにはしていた。ギンヨウが選んだ時、あれの運命も決まる。ギンヨウはどうするのか?そんなことは決まっている。ギンヨウは何も諦めはしない。しかし、すべてを丸く収められずに繰り返している。そんな気がする。

 リフラクもその、3階のテラスとやらに来てみた。

黒夜の曙は、8代目風の王・ヤンインが平定した時から、空を常に黒い靄が包み、太陽に嫌われた地となった。これでも夜になると靄が濃くなって、チカチカと小さな星のような光が瞬く。太陽が出ないので、日の光を嫌う植物が育つ特異な土地柄だ。ギンヨウはこのここにしかない食材を大いに喜んでいて、毎日趣味の料理をして息抜きしている。食せば体力はもちろんのこと、霊力まで回復させてしまう驚異の料理を生み出す固有魔法・極楽の調理法で作られた料理を、リフラク達は食べさせてもらっている。

3階のテラスは、2階の屋根の上に設けられた円形の場所だ。雨ざらしのために、円形に敷き詰められた石の床の隙間から、雑草ならぬ雑キノコが生えている。

リフラクが到着すると、先に来ていた2人が話し込んでいた。……ん?テラスに自生する巨大キノコの影に誰かいる?それは、倒れたはずのギンヨウだった。ギンヨウはジッと2人の会話に耳を傾けているようで、リフラクには気がつかなかった。

「――未来に起こることでは、痕跡はやはりないな」

「うん。何もないね。ギンヨウはここで、何かを思い出したか視たことは確かなんだけれど……」

「孤独な戦いだな」

「ノイン、ボクはリティル様を信じていないわけじゃない。でも、風一家は信用できない」

「誰が、ということではないのだな?」

「うん……。個々がどうってわけじゃないんだ。誰かを排除すればいいっていう、問題じゃない。ただ、ギンヨウには良くない組織だ」

「オレを信用するのか?」

「君は、本当に風一家なの?」

「そう見えないか。それは、問題だな」

「ごめん、変な言い方だったね。君は、風一家に染まっていない気がするんだ。命じられれば動くけど、それ以外では、琴線に触れなければ動かないような気がする」

「フッ、自己中心的なだけではないか?」

「ううん。そうじゃない。君自身が納得しないことには、心も力も割かないって言いたいんだ。だから君は、ここにいるんでしょう?」

「アシュデル、オレが、リティルやインファに命じられて、ギンヨウを監視しているとは思わないのか?」

「もし、そうなんだとしたら、ボクの目は節穴だね。君は、ギンヨウに関しては2人を疑っているように見えているんだから」

「……ギンヨウは、知れば知るほど前任の2人とは違う。風の王の生贄の鏡というが、ギンヨウの理は違うのでは?と思えてならない。だが、リティルはそうは思えない。ギンヨウをみすみす割ってしまう事は決してないだろうが、前任の2人とは違うのだということを理解することを拒否して見える。リティルが、珍しい事だな」

「インファ兄はどう?」

「ギンヨウを尊重しようとしている。彼は、ギンヨウがもし、風一家に引き込まれてしまっても頑なに今の生活を保障するだろう。故に、インファが風一家にいるかぎり、ギンヨウは大丈夫だ」

「形だけでも、風一家に入れた方がいいと思っている?」

「……断腸の思いだ……」

「現状、丸く収めるにはそれしかないんだね?君が何かの王になって、ギンヨウを迎えに行くことはできないの?」

「無理だ。オレは、大剣の精霊だ。誰かに仕えることこそが理。頂点に立つ器ではない」

「十分組織運営できるのに?ギンヨウが、イシュラースでも大神って呼ばれるようになっても、あの子は組織運営には向かないね……。まして、王様なんて……」

「無能の王に尽くしていいということならば、誉れでしかないな。……いや、すまない。ギンヨウが無能と言っているわけではない」

「ギンヨウを選んでくれているんだね?」

「いや。……ギンヨウには断られてしまった。言ってやるな。追い詰めてしまうだけだ。オレは負担になりたくはない」

「わかったよ。でも、君が風一家にいてくれるなら、安心だよ」

「アシュデル……オレは嫌われ者だ」

「ペオニサ兄さんもリフ兄も、君の味方だよ。もちろんボクもね」

「ありがとうと言っておこう。花の兄弟」

ああ、きな臭いね。こうなってしまった以上、穏便になんてギンヨウは風一家に入れない。この世界線では、ノインが蜂起しない限りギンヨウは、風の王・リティルに略奪されて終わるだろう。


――銀陽、思い出しなさい

あなたに会うには、どうしたらよくてやがりますか?

――私を思い出すのです。銀陽

どこへ行けば、あなたに会えるんでやがりますか?

――銀陽、ノインを選ぶのならば茨の道ですよ?

構わなくてやがりますよ。どの世界線でも、ノインだけは変わらなくてやがりました。わたしがここで果てるとしても、ノインだけは守ってみせやがります

――孤独な戦いです。いつまで続くのかわかりません

それでも、わたしはノインを選びやがります。それに、1人ではなくてやがりますよ?

――そうでした。思い出しなさい、銀陽

はい。あなたに会いに行きやがります。2代目天照大鏡


 ギンヨウが目を覚まし、部屋を出ると、ノインと出くわした。

「おはようございます。早くてやがりますね」

「ああ、おはよう。きちんと寝ているか?」

気遣わしげな瞳だ。この世界線を失敗したら、もう、彼とはこんなに近づくことはないだろう。

「焦らなくて、よくてやがりますよ?」

「ギンヨウ……おまえの視ている未来の中で、もうリティルは庇われないのではないか?あれは犠牲の因果分岐なのだろう?ではおまえは――」

この人の発想は、どこから来るのだろうか?聡明博識では、説明がつかない気がする。察しのよすぎるノインに、皆まで言わせたくなくてギンヨウは努めて明るい顔をした。

「はい。そうでやがりますね。でも、もう、終わりが近くてやがります」

この友といられる時間が終わりを迎える。最悪な結末となって。

「ギンヨウ、自分の事だけ考えろ!間違ったとするならば、オレだろう。人望のない、オレのせいだ」

彼しては乱暴に、ギンヨウは両肩を掴まれていた。倒れなかったのはノインが両肩を掴んでいたからだ。踏みとどまって彼を見上げた。

いつも涼しげな瞳に、今は焦りが見える。惜しまれていることに、ギンヨウは泣きたいのを堪えて笑う。

「いいえ。記憶を混乱させてしまいやがった、わたしのせいでやがりますよ。皆さんを危険に晒してしまいやがりました。次は上手くやれそうでやがります」

ああ、甘えてしまった。この世界線を諦めていると告げてしまえば、ノインは……。

「リティルを討てばいいのか?」

聡明なこの人なら、ギンヨウがこれ幸いとノインの凶刃を受けに行くとわかるはずだ。だのにこの提案とは……。ああ、こんなに真っ直ぐに思われるとこそばゆくってしかたがない。なぜこの人はリティルのものなんだろう?嫉妬、してしまいそうだ。

ギンヨウは、ノインに手を放させた。

「ノイン、別のことを、何でもいいんでやがります。別のことを話しやがりませんか?」

風一家が攻めてくる。その長であるリティルを討ち取れば、確かに終わるだろう。だが、そんなことはさせられない。ノインに、弟を、恩人を討たせるわけにはいかない。その先の戦いに、進ませてはならない。

ギンヨウにはもはや変える以外に道はないのだ。

「次は上手くやってみせやがります。だから、ノイン……今はまだ、友人で、いてくれやがりませんか?」

分不相応だった。風の王の兄を、選んでしまったなんて。シャナインの中に宿ったものを使えば、ノインとの友情は守れるだろう。だが、あれをギンヨウは、我が子だと認識してしまっている。ギンヨウが力を行使するためには犠牲が必要だ。それが、ギンヨウが血を分けた我が子であるならば、おそらく、大抵のことはできるだろう。それができないギンヨウは、強欲で、優柔不断なのだ。

「わたしは……我が子も、あなたも、選びたいんでやがります。わたしは未熟でやがります。未熟なわたしが、大事なモノをすべて手放さないでいるには、これしか、方法がないんでやがります」

「ギンヨウ……」

わかってくれるだろう。ノインは。納得できなくても、もはや、彼にさえも打つ手がない。彼が動くには遅すぎたのだ。

ギンヨウは抱きしめられていた。え?っと遅れて驚きが頭と心を支配する。動揺したギンヨウの耳元に、ノインの、血を吐くような声が落とされた。

「天照大鏡・ギンヨウ。過去へ戻ってしまったとしても、おまえはオレの主君だ。必ずたどり着く。おまえに認められるまで、オレはおまえを諦めはしない」

「……馬鹿でやがりますよ。こんなわたしに、そこまで言うんでやがりますか?伴侶のある身で、同性を抱きしめてまで?」

「何も残してはやれないからだ。おまえにとって強烈な思い出なら、混乱した記憶でも残りはしないか?」

「ははは。なんて人でやがりますか?わたしはあなたを、徹底的に遠ざけやがりますよ?わたしを嫌うように、仕向けやがりますよ?」

「これはオレ自身への誓いだ。おまえは何も、案ずるな」

苦しいほどの腕の力に、ノインの無念を痛いほどに感じた。

ギンヨウには主従という関係を理解できない。だが、誰に聞いても大人だという返答が返ってくるノインが、こんなに抱きしめてくるのだ。そんなに名残惜しく思われるほど、彼にとっては大切な関係なのだろう。ノインほどの人にこんなに求められてしまうとは、天照大鏡は罪深いなと思いながら、彼の気が済むまで抱きしめられたのだった。


 シャナインは、ノインが泣いていると思った。

彼のそんな姿を見たのは、偶然だ。ギンヨウが倒れたという3階のテラスに、彼の姿があった。朝食に現れなかったノインをシャナインは心配して捜していたのだ。ギンヨウは「思うところがあるんでやがりましょう」と言っていたのだが、もう運命の時まで残り少ないと感じている。こんな時に、ギンヨウから離れるなんてと、内心憤慨していたのだ。

ノインは、3階のテラスの手摺りに手を付いて見下ろしている様子だった。こんなところに!と思って近づくと、ノインはこちらにまったく気がつかなかった。そしてその背が、酷く落胆して見えた。

「オレは……無力だな……」

嘲るような弱々しい言葉だった。

「ノイン……?」

泣いていると思った。思わず呟くと、彼は気がついて振り返った。顔を拭う素振りがなかったから泣いてはいなかったのだが、シャナインはマジマジと彼の顔を見てしまった。なんだ?と見返されてしまい、しばし見つめ合ってしまった。

「ギ、ギンヨウが、朝食をと」

「了解した」

ノインは何事もなかったかのようにシャナインの隣を通り過ぎようとした。

「ノイン!」

彼は振り返った。だが、悲しみの色は微塵もない瞳をしていた。

「いいえ。何でもありません」

シャナインには、何も言うことはできなかった。その後、ギンヨウは朝食を片付けてしまっていたのだが、ノインの為に用意をし、食べ終わるまでずっと2人で話をしていた。シャナインにはそれが、別れの準備のようで2人の間には入れなかった。


 風の城が挙兵したという話を、ギンヨウが聞いたのは、やっと2代目天照大鏡と出会えるという日だった。

「オレが食い止めよう。おまえは、おまえのしたいことを成せ」

「ボクも行くよ。君だけじゃ、有無を言わさず攻撃されてしまいそうだからね」

ノインはアシュデルと2人して、城門へ降りていってしまった。ギンヨウは、3階のテラスで、その時を待っていた。

「ギンヨウ、いいのですか?」

ギンヨウは靄に覆われる空を見上げていた。彼女と会うには、ここで時を待つしかないと気がついた時には落胆した。ノインはきっと、運命の時よりも以前に風の城に攻められてしまえば、ギンヨウの目的が達せられるその時まで戦い続けると思ったからだ。この「今」がなくなるのだ。その奮闘すら無意味だというのに、ギンヨウの願いだと終わりのその時まで戦うのだろう。

この戦い、風の王・リティルにギンヨウ達は勝てるだろう。だが、勝ってはならない。イシュラースの王と大それたあだ名を持つリティルは、あだ名ではなく事実なのだ。風の城を滅ぼせたとしても、その時はこのイシュラースが終わる時だ。

ノインを、世界を滅ぼす者にはできない。そんな罪の道を、彼に歩ませるわけにはいかない。

ギンヨウには未来が見える。だが、シャナインには見えない。だから、今しか見えていない彼女が、ギンヨウを想ってくれている気持ちまでも否定はできない。

できないが、ギンヨウの心に失望がインクのにじみのように広がっていくことも、止められはしなかった。

「わたしに宿ったこれを使えば、ノインを失わずに済むのではないのですか?ギンヨウ」

シャナインには、我が子の価値はわからない。死に近い精霊故に、愛する者と遺伝子を分けた子という存在の尊さを理解できない。

ギンヨウがノインとの絆を惜しむばかりに、ギンヨウと自分との間に育まれたものよりも劣るのだと言ってしまえる。

「わたしは、あなたのことが大切でやがりますよ?愛していると言ったことに、嘘偽りはなくてやがります」

直接的な言葉を使えば、シャナインは顔を赤らめた。「愛」の意味は知っているのだ。だが、それだけだ。

今必要なのは愛ではない。理解なのだ。口にしなければわからないのだから、シャナインに言葉を尽くせばと思うのだが、ギンヨウの死を納得させるだけの時間も労力も、気力もすでになかった。

所詮なくなるのだ。この時は。今、シャナインにわかってもらう必要な、ない。

「ははは。ギンヨウ、シャナインにはちゃんと、子供とはどういうものなのか、教えてやるんだよぉ?今回は、もう、時間切れみたいだけれどねぇ」

残念だよと、リフラクは言った。リフラクも理解している。理解しているから「リティル様の評価、変えないとねぇ」と言った。世界を守るべき風の王が、たかだかギンヨウを盗られたくらいで、世界を滅ぼすきっかけに足を踏み入れてしまうなんて。ということだ。

この戦いの後も滅びないのは単に、ノインにその気がないからだ。ノインが大人しいから忘れているのだろう。

力の精霊・ノインは、世界を滅ぼす力のある精霊だ。ということを。

「リフラク、今後もあてにして良くてやがりますか?」

「もちろんいいよぉ。過去に戻ったボクにグイグイ近づいたらいいよぉ」

ギンヨウも、1年前に戻ろうとは思っていない。戻るのはあのとき、ノインと喧嘩して彼を遠ざけるその時にと決めていた。そうでなくてはならない。ノインとは何もなく、リティルを頼ったと思わせなくてはならないのだから。それだけで、ノインの危機は回避されるはずだ。

「ギンヨウ!ノインを遠ざけ、すべてを欺くことに何の意味があるのですか?」

世界か、ノインか。天秤にかけるまでもない。しかし、ノインを選んでしまったら世界が滅びるなんてこと、シャナインでなくても実感できる者は少ない。

だからギンヨウは、彼女にもわかりやすい理由をあえて口にした。

「意味は十分にあるんでやがります。わたしがノインを選ばなければ、ノインは死なずに済むんでやがりますから」

「!?」

この戦いが、ノインを排除するモノだとリフラクもアシュデルも気がついていた。シャナインが気がつかないのはしかたがない。リティルは父親なのだ。酷いことをされていないのだから、疑うこともない。これにしたって、ギンヨウがノインを選ばなければ、起こらない未来なのだ。リフラクが風の城がノインを討つために挙兵したことを知っているのは、彼が風の城の動向を注視していてくれたからに他ならない。「リティル様がね。ボクも信じられないよぉ。でも、事実なんだよねぇ」と渋い顔をしていた。

たった1つなのだ。

ギンヨウがノインを選ばない。それだけで、消えてなくなる未来なのだ。ギンヨウが諦めさえすれば、誰も不幸にはならないのだ。ギンヨウはもう、忘れることはない。ノインと、友だった記憶を失うことはない。彼が、ギンヨウに仕えると、諦めないと誓ってくれた記憶を持っていく。それで十分だ。

世界の命運だなんてそんな大それた事を選ぶことはできないが、この両手に抱えられるものならば、選ぶことはできる。

だからギンヨウは決断した。この今をなかったことにして、ノインを永劫守ってやる!と。

ギンヨウは空を見上げた。明けることのない夜が裂け、巨大な満月が姿を現した。

「ああ、やっと会えやがりましたね。2代目天照大鏡」

ギンヨウが笑みを浮かべて呟けば、さすがのリフラクも想定外だった様子で驚いていた。


 ノインは、城門でインファと対峙していた。

「ノイン、あなたには天照大鏡を拉致した容疑が掛かっています」

そういうことにして挙兵したのか。とノインは思った。しかし、ギンヨウを知る者ならば、そんなこと不可能だとわかるはずだ。そんなこともわかっていないほど、リティルはギンヨウを理解していないらしい。それとも、理由はどうでもいいのかもしれない。ノインからギンヨウを、奪い取れさえすれば。こんなことを、弟のリティルに思う日が来るとは思わなかった。とても空しいことだ。これまで築いてきたと思っていたことが、一気に瓦解してしまう。

ノインは心の奥底からの囁きを聞いていた。

彼らの首を我が主君たる天照大鏡・ギンヨウに捧げたい。と。これは、怒りなのだろうか?それとも、絶望し自暴自棄になっているが故なのだろうか?

もういい。ギンヨウを旗印に風の王・リティルを血祭りに上げ、世界に滅びをもたらしてやろう!そんな大それた熱を感じて、ノインはハタと気がついた。ギンヨウが回避したかったモノの真実は、ノインのこの恐ろしい心なのだろうか?と。ゾッとした。

ギンヨウは、ノインが滅びという意味も持つ黄昏の大剣を携えた黄昏の騎士にならないようにと、犠牲の因果分岐を使うことを決めたのだとしたら、主君と仰いだあの御仁を殺すのは、紛れもなくこの自分「ノイン」なのではないか?と。

「ここに、ノインを呼んだのがギンヨウだよ?いったい誰に踊らされたの?インファ兄」

悠々と、アシュデルが姿を現した。アシュデルがここにいることさえ、把握していなかったのかインファについてきた一家の者が驚いていた。

今し方実を結んだ考えに血が凍る思いをしていたノインは、アシュデルの存在に体温を取り戻していた。「今」を失ってしまうことになっても、彼らを攻撃してはいけない。潔く負けを認め、「今」とは違う時間を歩む「ノイン」に委ねる。それが、負けたノインに唯一できることなのだから。

それこそが、天照大鏡・ギンヨウに仕える天照の騎士・ノインの正しいあり方なのだから。

「ギンヨウは、因果分岐を成功させようとして失敗して、それで友人のノインを頼ったんだ。ここには、ペオニサ兄さんもリフ兄も、シャナインだっているのに、どうしてノインが拉致した事になっているのかなぁ?」

ノインは何も言わないことにした。ここで、争いを起こしてはいけない。反撃の為に、今はただ負けた屈辱に耐えるのみだ。一歩踏み出せと囁きかける声を無視して、この今を捨てなければならない。

「ペオニサも、ここに……」

知らないのも無理はない。官能小説家の顔を持つペオニサは、1ヶ月くらい平気で風の城を空けてしまう。知っているインファは、音信不通でも気にしないのだから。

「ボク達がここに籠もって、1週間くらいかなぁ?結構楽しめたよ。ギンヨウを、本当に大事にしてくれているノインには、申し訳なかったけど、あの子は、本望だっただろうね」

アシュデルに認められているのは喜ばしいが、なくなってしまうのだ。空しいだけだ。

時間よ、早く過ぎてくれ。この心が、炎に焼かれてしまう前に、濁流のごとく過去へ押し流してほしい。「今」を放したくなくて抱きしめた、ギンヨウの恐ろしく脆弱な身体の感触とぬくもりを思う。「今」のすべてを奪い取って押し流す波を拒絶したい。

だができない。ノインは天照の騎士なのだから!主君に本懐を遂げさせるのだ!

「ここを教えてくれたのは、花の十兄妹です」

リフラクはこちら側だと暗に言いたいのか?インファにしてはお粗末だ。よほどにギンヨウを心配したか、あるいは。どちらにせよ、花の十兄妹に命じたのは、彼らの父王、花の王・ジュールだろう。ここでリティルを討てば、ジュールを軍師とした太陽王との争いが始まる。ギンヨウが望むならば、戦い抜く所存だ。だが、ギンヨウは望まない。望んでくれない。共に滅びることを。自分は死んでも、あなたは生きてと当たり前のように、そんな残酷なことを言う人だ。

ああ……気がつくことが遅かった。この一言に尽きる。

「悪いけれど、リフ兄はこっち側だよ。花の十兄妹を動かしたのは、父さんだね。インファ兄……そんな苦しい情報で揺さぶりかけようとしても無駄だよ。それとも、これは時間稼ぎとか?ああ、リティル様が行ったのかなぁ?ノイン、ここはいいから行って。ギンヨウは、最後に、君に会いたいと思うんだ」

ギンヨウ……。押し返された過去が紡ぐ未来で、オレの事を待っていてくれないだろうか?天照の騎士として、おまえの前に立つオレを、夢見てくれないだろうか?

オレに1つ、おまえの騎士になりたいという思いを、過去に持っていかせてはくれないだろうか?

ノインは飛び立とうとした。考えなしに、欲望のままに。

「待ってください!ギンヨウは無事なんですか?」

ノインが飛び立とうとするとインファに呼び止められていた。理性が引き留める。ギンヨウに手を伸ばしてはいけないと。引き留められたノインの背を、アシュデルが思いっきり平手で殴ってきた。まるで、ボクが許すから好きにしていいと言われた気がした。ノインは今度こそ濡羽色の翼で飛んでいた。

「無事だったよ。今の今までね」

アシュデルの感情のない言葉が、ノインの起こした風に散り散りになった。


 ギンヨウ達のいるテラスに、満月から雫が落ちてくる。息をすることさえ忘れてしまうほどの、美しく荘厳な光景だった。ギンヨウは両手を突き出すとクルリと腕を回した。飾り気のない、ただ丸いだけの一抱えもある大きな鏡が出現し、ギンヨウの姿を変貌させる。白い羽織袴姿に、朧気な光のような白い長い髪、瞳。頭を飾る銀葉アカシアの冠を頂き、背には、ミヤマカラスアゲハの羽根が生えていた。天照大鏡・ギンヨウの降臨だった。

ギンヨウが大鏡を頭上に掲げると、満月から落ちてきた雫が人の形となった。

ギンヨウと瓜二つの女性だ。実体はとうにないようで、彼女の姿は朧気に透けていた。

『銀陽、何度目かの初めましてですね』

「はい。すみません、何度も何度も。でも、あなたに会いに来た理由は、今回は違っているんでやがります」

彼女は興味深げに首を傾げた。

「あなたの名前を、教えてほしいんでやがります。今回は、それだけでよくてやがりますよ。もう、ここへ来る未来は、なくてやがりますので」

『よいのですね?』

「はい。わたしが手放せば、終わりやがりますので」

「ギンヨウ!本当にいいのですか!?今ならまだ、間に合うのではありませんか?」

シャナインは健気だ。そうやって、何度、ギンヨウを守ろうとしてくれたのだろうか?状況は違えど、何度も何度も、ノインを手放すしかないギンヨウに考え直せと言ってくれた。だが、このまま未来を紡ぐことはできない。何度も何度も、そう結論を出してきたのに、ギンヨウは決断できなかったのだ。

ノインを手放す未来を。

記憶を過去に持っていかせなかったのは、ギンヨウ自身だったのだ。持っていってしまえば、答えは決まってしまう。滅びへの大戦を回避する為、ノインとは決別する。それを決断するだけの時間を得るために、ギンヨウは無意味に時を繰り返した。それが、終わらない犠牲の因果分岐の真相だった。

「ギンヨウ!無事か!」

ああ、あなたも来るんでやがりますね?リティル。諸悪の根源だと気がつかない招かれざる客。ノインがずっと、影ながら守ってきたのがなぜなのか、この1年でわかってしまうほど、守られている王。ギンヨウは、ノインが彼の物だという事実に、しっかりと嫉妬した。もう遠慮はいらないのだ。

風の王・リティル……わたしの、永劫の敵!

「無事?わたしはここで、ノインを連れ込んで親睦を深めていただけでやがりますよ?」

「おまえ、まだノインを庇うのかよ?監禁されてるんだろ?連れ出してやるよ」

リティルは、シャナインもリフラクも見えていない様子で、こちらに手を差し出した。もちろん取ってやるつもりはない。

「庇う?何を言っているのか、意味がわからなくてやがります。ノインはわたしの友人でやがりますよ?あの人は、物知りで、気が利いて、一緒にいると楽しくてやがりました。余計な邪魔さえ入らなければ、籠絡してわたしのモノにできたんでやがります。ああ、本当に、風一家は煩わしくてやがりますよ」

クククと冷ややかに微笑めば、リティルはやっと思い違いをしていたことに気がついたようだ。

「もう少しで、ノインはわたしのモノになるはずでやがりました」

シャナインとリフラクが隣に並んできた。

「なぜ、邪魔をするのですか?お父さん」

「リティル様、野暮だと思うよぉ?」

「ノインは……おまえに、本当に何もしてねーのか?」

どうして、ノインが何かすると思っているのだろうか?信用できない理由を知りたいところだが、もはやどうでもいい。ギンヨウはノインを諦めると、決めたのだから。

「したのは、わたしの方でやがりましょうね。わたしがノインを友人だと思ってしまいやがったばかりに、あの人は反逆者にされてしまったんでやがりますから」

「まさか……そんな……」

いったい誰に何を吹き込まれたのやら。ノインは兄で、ずっと守ってもらってきたのに、そんな彼を信じられないなんてギンヨウからすれば末期だ。

ああ、最悪だ。今度は、もっと上手くやろう。

ギンヨウは、2代目天照大鏡の幻影に向き直った。

「名前を、教えてくれやがりますね?」

彼女がまさに、名を告げようとしたところだった。

「ノイン!」

ざあっと風が吹き、ギンヨウは思わず後ろを振り返っていた。雄々しく現れたノインに向かい、リティルが両手にショートソードを抜いてしまう。しかし、ノインは丸腰だ。ギンヨウは大鏡を捨てて駆け出していた。途端にギンヨウの姿が元に戻る。未来が見えたわけではなかった。ノインは丸腰でも無傷で制する事ができるのかもしれない。けれども、走ってしまった。

「!」

リティルとノインの間に割って入ったギンヨウは、身体に衝撃を感じていた。しかし、痛みはない。感じるのはぬくもりだけ。

「ノイン……」

「っ……急に、走ってくる奴があるか。オレは世界最強だ。大丈夫だ」

ギンヨウを腕に庇い、ノインは濡羽色の翼でリティルの剣を受けていた。

「すまない。最後に一目会いたかっただけだった。泣くな、どうしていいのかわからなくなる」

それはそうだ。男女であれば許される場面が、男同士では台無しだ。はあ、本当に、最悪だ。新婚なのだ。妻は身重なのだ。だのに、よりにもよってノインと何をやらされているのか。最後の最後で、なんて恥ずかしい。

『金陰。私の名は、金陰と申します』

2代目天照大鏡が名乗った。ギンヨウは涙を払いノインの腕から逃れると立ち上がり、笑った。力の精霊・ノインを得たいと思った、身の程知らずなこの想いは、ここに置いていく。この、涙と共に。

「そうでやがりましたか。では「過去」で会いやがりましょう」

金陰がギンヨウに大鏡を向けた。鏡から、あの、ノインの至宝である黄昏の大剣が飛び出してくる。

ああ、ノインではなく、あなただったんでやがりますか。金陰……。ギンヨウは、金陰の放った大剣を受けて絶命した。


『あなたが、15代目風の王を身を挺して庇うなどあり得ません』

過去へ戻ってノインと決別してすぐ、ギンヨウは天照大鏡だけの異空間・鏡界に金陰を訪ねていた。彼女は、やっときたと呆れ気味で、なおかつあの絵の真相にたどり着けなかったギンヨウを叱ってきた。

「はははは。ノインに指摘されるまで、犠牲の因果分岐だと気がつかなくてやがりました。本当にノインは、得がたい友でやがりましたね」

『よいのですね?』

「はい。今のわたし達には力がなくてやがります。ノインがわたしの騎士になることは、不可能でやがりますよ。ならばわたしは、風一家となり欺きやがります。たとえ、出られなくなってしまいやがっても、無事なノインを見ていることはできやがります。それで十分でやがりますよ」

『強くおなりなさい。銀陽。あなたの願いが叶う未来を、選べるその日までに』

「ありがとうございます。それまでせいぜい、風一家がなくならないように守ってさしあげますよ」

もう終わったのだ。ここから未来を選び取らなければならない。

「金陰、シャナインのお腹に宿ったモノは、生まれられるんでやがりますか?」

『運命の時を過ぎれば成長をはじめるでしょう。ペオニサを頼りなさい』

「わかりました。では、また」

ギンヨウは金陰と別れた。

そして、1人風の城へ赴くと、リティルに風一家に入ると申し入れたのだった。


 いったい、なぜ?インファは応接間でデスクワークをしながら、混乱していた。ギンヨウがいきなり訪ねて来て、よりにもよってリティルに「風一家に入る」と宣言してしまったのだ。

かねてからギンヨウを抱き込みたかったリティルは大喜び。インファは慌てて「しかし、白虎野島での仕事もあるでしょうし、今まで通りの通いでいいですよ!?」と釘を刺した。ギンヨウが言ってきたからといって、陰りの女帝の王配・アシュデルに睨まれたくはないし、いきなりこんなこと、ギンヨウの身に何かあったことは確かだ。

それに、風の王が天照大鏡ほしさに圧力をかけたなどと噂になりかねない。ギンヨウにまつわる遺言が表沙汰になったら、風の城の評判は少なからず落ちる!と思って、インファはギンヨウを思うのならば、公表すべきだったと今更ながら考え至ってしまった。

遅い!なぜこんなことを今更思うのだろうか!?あれを公表していれば、いくらリティルとはいえギンヨウに手は出せなかった。インファにはあの遺言が、風の王に対する警告のような気がしてならないのだ。ギンヨウの能力は風の城にとって有益だが、都合がよすぎて何か引っかかるのだ。

ノインと親友枠のペオニサが反対したことで、インファの引っかかりは理由のない確信へと変わっていた。だというのに、ギンヨウが一家入り。いったい、何が裏で動いていると言うのだろうか?インファは、言い知れない不安を感じていた。

 インファが悶々と振り返っていると、外出していたノインが帰ってきた。インファは、元ではあるが相棒である彼に、愚痴ついでにギンヨウの事を相談することにした。すでに知っているだろう彼の助言がほしかったこともあった。だが、ノインの反応は彼らしからぬものだった。

「ギンヨウが……風一家に?」

ノインは腰を上げたが、飛び出しては行かず、再びソファーに腰を下ろして項垂れてしまった。

「守ることが……できなかった……」

あまりの落胆にインファは驚き、ノインの背を慰めるように撫でてしまった。

「ギンヨウと、親しかったんですか?」

守ることとは、大袈裟だ。それではまるで、ギンヨウにとってこの城、ないし風一家が敵にようではないか。それにしてもノインが珍しい。こんなに落ち込むほど、ギンヨウに思い入れていることが。だ。ノインは、風の王兄弟を自称する花の王と太陽王同様、リティルの害になるか否かで新参者を見ていたと思っていたからだ。

「……親しいと言うほどではない。ただ、放っておけず、出過ぎた真似をしてしまった」

「彼の戦い方は心臓に悪いですからね。けれども、あなたが目をかけてくれるのなら、危険はありませんね」

ノインは独断で動く。けれどもそれは、風の城に利益をもたらす。ギンヨウのことは繊細で、リティルは事の重大さをわかっていないが、インファは彼を保護したい気持ちと1精霊として置いておいた方がいいのでは?という考えの間で揺れていた。ノインが接触しているのなら、しばらくは放っておいても問題なさそうに思われた。

ただ、言ってほしかった。ノインが未だ接触していることを知っていれば、リティルに対しても強気に出られたのだ。彼は本当に無欲すぎて困る。彼ならばきっと、繊細な根回しの末、未来視の至宝・天照大鏡を手に入れられるだろうに。

「インファ……オレはもう、近づけない。ギンヨウを怒らせてしまった」

ノインでさえ、ギンヨウの懐に入るのは容易ではないと?インファはギンヨウという人物を見誤っていたかもしれないことにやっと気がついた。「風の王に渡してはならない」という遺言を聞き、インファは真意がわからず風の王の血を引く自分も含まれると思い、ギンヨウに近づけなかったのだ。故に、いきなり戦場に乱入してきて、自分が傷つきながら魔法を使い、助けた者を説教する彼の姿しか知らないに等しかった。

彼の評価は風の城内で二分している。戦う者からの評判はあまりよくなく、守られた者の伴侶達からの評判はいい。助けられた者には説教が待っていて、伴侶達は戦う者を心配しているからだ。説教ならインファもしているのだが、インファは副官で、ギンヨウは風の王預かりのいわばよそ者。その違いだろうと思っていた。

「あなたも説教されたんですか?彼は、オレなどよりもよほど副官に向いているかもしれませんね」

ノインに説教なんて、何をどういったらいいのかインファには思いつかない。ノインがこれだけしょげるのだ。ギンヨウは的確な言葉で彼の心を折ったのだ。そして、これまでの弟子達に向ける感情とは違う心を、ノインはギンヨウに持っていたのだろう。弟子に一通り教えると、ノインはすぐに手を放してしまうのだ。だが、ギンヨウとは交流を続けたかったように見えるからだ。無欲な彼の欲望を、久しぶりに垣間見た気分だ。

「友人だと思っているのなら、謝ればいいですよ。彼はそんな、1度の失敗で切り捨ててしまうような人ですか?」

「そんな御仁ではない。だが……もうオレは近づくべきではない」

これは、ノインが重傷だ。インファが今現在の2人の交流を知らなかったくらいだ。他の誰も、今、壁際に気配なく静かに立つ執事のラスもしらなかっただろう。ラスが知っていれば、インファの耳に入れてくれたはずだからだ。

風一家は、もちろん私生活は保証されているが、ギンヨウはデリケートなのだ。現にラスは、リティルが接触した場合はインファに知らせてくれている。リティルは、遺言を無視してギンヨウを一家に引き入れようとしていた。どこからか仕入れた「風の王の生贄の鏡」という側面を重視して。あんな不名誉な異名を重視するなんて、どうかしている。知っていながら手元に置き、それでギンヨウに何かあったら、慈愛の王と呼ばれているだけに15代目風の王の人気は駄々下がる。ああやっぱり、15代目風の王でも守れないんだと失望されるのだ。であるなら、その異名を否定し、ギンヨウを遠ざけながら守る手を考える方が評価は上がるだろう。

ああそうか、であるならノインを騎士にと任命させた方が、見直されるだろう。なんせノインは世界最強の精霊だ。しかもリティルの兄。風の王が目をかけていますよ。というアピールにもなる。

……なぜ今まで考え至らなかったのだろうか?一家の皆もなんとなく、ギンヨウは風一家の一員という雰囲気が流れ始めていて、それにインファも飲まれていたのだろうか?

「邪魔するよぉ?ああ、ノイン、落ち込んでいるねぇ」

風の城の応接間には巨大な鏡がある。鏡にはゲートが仕込まれていて太陽の城と繋がっている。太陽の城には諜報機関・花の十兄妹の本部があるのだ。発足当時はインファの為にあるような機関だったのだが、独立機関だと公表しているのだから、癒着はよくないとして現在は適切な距離に離れている。

大鏡から姿を現したのは、リフラクだった。リフラクは、広々としたホールのような部分を飛び越えてソファーまで飛んできた。彼はどうやら、ギンヨウとノインの事を知っていたようだ。それはそうかとインファは思った。彼は、ギンヨウの悪友を公言している。ギンヨウから、話を聞いていたのだろう。

「リフラク、ギンヨウが一家入りしてしまった。その件に関して、何か聞いているか?」

「うん。それなんだけれど、ボクに相談もなくてねぇ。アシュデルも寝耳に水みたいで、君に何か言われたのかと思って、ギンヨウにどうしたのかって聞いてみたんだよねぇ」

ソファーに座ったリフラクに、ラスが音もなく紅茶を出した。彼も興味があるらしい。ノインは先を促したいのを堪えている様子で、紅茶を飲むリフラクを凝視している。ノインがこんなに固執するなんて、本当に珍しいこともあるものだ。

「そしたら、君と盛大に喧嘩して追い出してしまったというじゃないかい。顔も見たくないって、取り付く島もなかったよぉ!」

リフラクは楽しそうだったが、ノインは目に見えて落ち込んでしまった。落ち込むノインという珍しい状態に、ラスも目が離せない様子だ。

「それと、例の因果分岐、成功したそうだよぉ」

「そうか!だが、目立った動きはなかったと思うのだが?」

ノインは落ち込んでいたのが嘘のようにガバッと顔を上げた。相当に心配していたらしい。

「発想の転換だったって言っていたねぇ。ねえ、ここだけの話なんだけれど?」

インファはラスに目配せした。ここからの話は他言無用、漏洩しないように空間に封印をかけさせようと思ったのだが、なんとその役目をノインが何も言わずにしてしまった。誰よりも繊細な魔法を使うノインがかけてくれるのならば、それに越したことはないのだが、彼は決して出しゃばるような真似はしなかった。それほどなのだ。それほど、ノインにとって天照大鏡・ギンヨウは、重要な存在なのだとインファは察した。

「ギンヨウの行動理念は、守ることと、快適に過ごせるようにすることなんだよねぇ?君との決裂と、一家入りは無関係じゃないと思うんだよぉ」

「ギンヨウが、誰かに脅されてたと思ってるのか?」

リフラクの言葉にラスが眉根を潜めた。ラスはどちらかというとリティル寄りだ。というのは、ギンヨウは犠牲を強いる固有魔法持ちだ。その上戦闘能力皆無で防御力ゼロだ。保護の観点から一家に入れた方がいいと考えているのだ。遺言はあるが、リティルが愚を犯すことはないと信じている。インファも父を信じてはいるが、考えなしなところがある。ギンヨウの件も、思惑が会ったわけではなく、単に有能な者だと野生の勘が働いたのだと思っていた。

だが、ノインが目をかけていたギンヨウに遠ざけられ、その直後の一家入りだ。脅された、もしくはよくない未来を見たと考えても不思議はない。

「ボクがいるんだ。直接ギンヨウを脅させないよぉ?けど、彼、かなりできる男なんだよねぇ」

ノインが喧嘩したと落ち込み、リフラクに悪友とまで言わしめるのだ。ギンヨウは、これまで一家で保護してきた精霊とは違うということはインファにもわかるし、確かに、諜報機関の長であるリフラクがついていて、脅される、脅しに屈しさせることはあり得ない。そんな邪な輩、ギンヨウに接触する前に暗殺されている。

「誰かの快適を守る為に、泣く泣く一家に入ったんだと思うんだよねぇ。ああ、口を割らせるのは無理だよぉ?ギンヨウは口が堅いし、傷つけたくはないからねぇ?」

ギンヨウに何かしたら、許さないよぉ?という圧力を感じる。主にラスに向けられていたらしく、彼は「しないしない」と首を横に何度も振っている。

しかし、泣く泣くか……。応接間を預かるラスに喧嘩を売るような発言だ。それほど、ギンヨウの一家入りは、リフラクにとっても面白くないのだろう。それはそうだ。現にインファは、ギンヨウが一家入りを歓迎している側面があることを否定しない。未来視に極楽の調理法。彼の能力はとても有益なのだから。

「ボクの憶測にすぎないんだけれど、ギンヨウが守ったのは、ノイン、君だと思うねぇ」

「オレは何か危険に晒されていたのか?」

ノインは暗躍も得意だ。表も裏も知っている。ノインを攻撃するのは至難の業だ。だのにノイン?インファもさすがに首を傾げずにはいられなかった。

「君は悪名高いからねぇ。そんな君が、リティル様を拒んでるようなギンヨウと仲良くしていたら、どう思われてしまうんだろうねぇ?君も、それを心配してギンヨウと会っていることを掴ませなかったんだろう?」

リフラクの視線が、ノインからこちらに移った。ねえ、インファ、君はどう思う?と問われている気がした。

「……人づてに聞いたなら、疑ってしまったかもしれません。ギンヨウを懐柔し、何をしようとしているのか?と……」

インファはギンヨウを、侮っていた。グロウタース生まれの、人造精霊・特殊中級精霊と偽られて生きてきた彼が、ノインの友人などとは到底考えつけない。ノインは特に、ギンヨウの一家入りに反対した。彼には珍しくリティルと真っ向から対立した。そんな姿を見せられ、ギンヨウと繋がっているとすると、ギンヨウを奪おうとしていると思われてもしかたがない。間違いなくノインには、それができるからだ。

そして彼を、有効活用できる。

「見かねただけだ。だが、離れられなくなってしまった」

「何か問題があったんですか?」

「ない。ギンヨウには問題は何もない」

「彼は、特殊中級精霊だと偽られていたんだろう?だのに、問題ないのか?いきなり最上級精霊の至宝の精霊になったようなものなのに?」

ラスの驚きはもっともだ。何の力もないおもてなし精霊が、強大な力を突然持ったのだ。問題がないはずがないのだ。

「確かに、霊力の面では苦労していた。しかし、少しやり方を教えたら次に会った時には予想を遙かに超えた結果が出ていた。彼には、問題は何もない。今回の因果分岐を制したというのなら、完全にモノにしただろう。オレが手を出すまでもない。離れられなくなってしまったのは、ギンヨウと接していると楽しんでいる自分を自覚したからだ。彼と話をしていると時間を忘れる。気がつけば、次に会う時にはどんな話をしようかと、話題を探している自分がいた」

「あなたが、世間話をする為に行っていたと言うんですか?」

驚きだ。ノインが自分の為に、ギンヨウに会っていたという微笑ましいことを驚いてしまって申し訳ないが、彼は本当にリティルに以外興味がないと思っていたのだ。いや、現在の彼は、リティルにすら興味がないのかもしれない。何かに心を動かされることが、ここ数百年のうちにあったか?と思い返しても思い浮かばないほどに、隠居して見える。だからインジュが心配して、補佐官戦闘指南役などという訳のわからない役職をつけたのだから。

フッと、ノインは寂しそうに笑った。

「そうなっていた。ギンヨウと話していると、世界はこんなにも美しいのだと自覚させられる。博識だ聡明だと言われているが、オレなどまだまだだなと思わせてくれた。ギンヨウは不満はないと言っていたが、別の場所に連れ出してやりたいと思ってしまった」

気がついているのだろうか?凪いだような瞳をしているノインの瞳には、あきらかに生き生きとした輝きが宿っていた。

「連れ出してやればよかったじゃないかい?ボクやアシュデルはギンヨウとデートしているよぉ?」

ノインは首を横に振った。瞳に宿った輝きが、夢から醒めたように失われてしまった。

「オレでは問題になる。誘っても、来てくれはしなかっただろう。ギンヨウは、オレの本当の姿も知っている様子だったからな」

知っていた?敵となりそうな者を秘密裏に処理することもあるノインの事を、理解していた?戦いを知らない彼が?信じられない。信じられないが、表情にも感情にも乏しいシャナインと夫婦をしているのだ。大恋愛だったとも聞いている。そんな彼なら、ノインの孤独も受け入れられるのだろうか?同性の友人が貴重であることは、インファは身をもって体験済みだ。ノインにも、そんな相手が現れたことは喜ばしかったのだが……。

「あとねぇ?この因果分岐なんだけれど、何度か失敗していたみたいでねぇ?ギンヨウには失敗した分だけ、経験値が入るんだよ」

「ってことは、知り得ない情報も知ってるってこと?」

ラスが眉根を潜めた。しかし彼には、それがどういうことかわかってはいないだろう。かくいうインファも完全には理解していなかった。ノインの本当の姿も、それでしっているのかというくらいだった。

「そうなるねぇ。ギンヨウの一家入り。実は闇が深いかもしれないねぇ」

リフラクが締めくくったところだった。インファも考える事があったように、ノインにはかなり深く突き刺さったのがわかった。そして、ラスも。

ガチャリと音がして、聳えるような尖塔窓の下、中庭へ出るガラス戸が開いた。そこから入ってきたのは、噂の人、ギンヨウだった。


 シャナインを捕まえたギンヨウは、その足で風の城を訪れていた。王に宣言してしまったのだ。誰に気兼ねすることもない。尊大、オレ様を地で行くと決めたのだ。誰かに何か言われたら尊大な態度で接すればいい。

と思って乗り込んだのだが、ソファーにいた人物を見て、一瞬、本当に一瞬気持ちがぐらついた。有無を言わさず怒鳴り散らして追い出した友、もう、運命が交わることはないその人、ノインがいたからだ。

「ギンヨウ?どうしました?」

インファが僅かに腰を上げた。仕事の話でもしていたのだろうか?わからないほど薄い風の膜がほぐれたのを感じた。本当にノインには世話になった。彼が話してくれた魔法のこと、力の使い方、霊力のこと、すべてが実を結んでいると実感する。

あの薄い風の膜は、会話を聞かれない為の唇を読まれない為の魔法だ。しかし、それがかかっていることを見破れる者は、はたして風一家といえどもどれほどいるのだろうか?しかし、ギンヨウにはわかる。ノインが教えてくれたことを総動員すればわかるのだ。

「ペオニサを、捜しているんでやがります」

「ペオニサ?……!体調でも悪いんですか?」

インファは血相を変えて立ち上がった。おっと、こんな反応をされるとは思わなかった。インファの印象が変わりそうだ。

「いいえ。わたしではなく、シャナインでやがりますよ。どうやら、妊娠してやがるようなので」

「「「「は?」」」」

何度見ても、いい反応でやがりますね。4人が4人とも鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてくれた。

「因果分岐の失敗の弊害のようで、ペオニサに見てもらいたいんでやがります」

「すぐに連絡します」

インファはテーブルに置かれていた通信装置である水晶球を手に取った。ラスが駆け寄ってきて、丁重にシャナインの手を引いてソファーに座らせてくれる。

「いやいや、君は何をするつもりなんだい?」

リフラクが苦笑を浮かべて近寄ってきた。彼らがこんな反応を示すなら、もろもろ有耶無耶にするのは簡単なことだろう。フフフフ、チョロい。

「何も企んではやがりませんよ。今代の風の王は、わたしをどう使うつもりなのか、楽しみにしているだけでやがります」

リティルがノインを忘れてしまえるほどの人物なら、それに越したことはない。身も心も、風の王の物になってしまえば、ノインは脅かされないのだ。最後にノインに抱きしめられたぬくもりが、まだこの身体に残っている。早く、忘れたい。

「ギンヨウ……使わせるつもりはありません。あなたも、戦場への乱入はしないでください」

インファに言ったつもりはなかったのだが、彼は聞き流すつもりはなかったようだ。

「できない相談でやがりますね。わたしを、風の王の犠牲の鏡と呼んでいるではありませんか。あなたも副官なら、王の為、一家を守れと命じやがるべきでは?」

ギンヨウ自身「風の王の犠牲の鏡」などという馬鹿げた異名を叶えてやるつもりはないのだが、使い潰されて終わるしかないのなら、それでいいとも思う。運命に抗う風を持つシャナインを伴侶にし、これでも生きようと思っていた。だが、心許せる友を失うしかなかったことが、ギンヨウを自暴自棄にしていた。

「そういえばギンヨウ、どうやって戦場に乱入しているんだい?ゲートを使っているように見えたけれど」

話を変えてきたのはリフラクだった。おっと忘れていた。シャナインがいるのだった。その前でこんな話をしては、シャナインがキレて風一家抜ける!と言い出してしまいかねない。リフラクは可愛らしい笑みを顔に貼り付け、シャナインの肩を掴みつつ紅茶を飲んでいた。すでにシャナインは怒りかけていたらしい。危ない。危ない。言動には……気をつけよう。フフフフ。

「ナーガニアと契約しやがりました。因果分岐でリティルを守りたいと言ったら、案外すんなり許してくれやがりましたよ?」

本当にチョロかった。むしろ風の王は優遇されすぎでは?と思った。ノインが攻められてしまったのはやはり、風の王に諸々が集中しすぎているからだと確信した。やはり「風の王の犠牲の鏡」であるギンヨウのせいだったのだと。このまま大人しく風一家でいた方が、ノインは守られる。ノインを遠ざけ続ければ、やがて離れていってくれるだろう。そうなれば安全だ。そこまで行ければ、ギンヨウももう彼を振り返らなくて済む。

「なんということを……。ギンヨウ、死んでしまいますよ?」

インファがたしなめてくる。

「これくらいでは死にやがりません。わたしに守られることが屈辱ならば、因果分岐させなければよくてやがりましょう?できやがりますよね?百戦錬磨の戦闘集団・風一家ならば」

傷を負うことよりも怖いことを、ギンヨウは知っている。あんな後悔はもうできない。ギンヨウには変える力があるのだ。死をなかったことにできる。この身が裂かれ、血反吐を吐いても、庇った者が死なないのならばそれでいい。「風の王の犠牲の鏡」だと自由を奪われようが何だろうが何でもいい。生きていることに勝ることはないのだから。

「アハハハハ!君は、本当に面白いねぇ!そんなに許せない「未来」を見てきたのかい?」

「なかなかに刺激的でやがりましたよ?こんなにくだらないことになるとは、思ってもみなくてやがりました」

ギンヨウがノインを選んだだけで、風一家は、リティルはノインを排除しようとした。ノインがギンヨウに何をしたというのか?ギンヨウは、風の王の持ち物ではなかったというのに理不尽だ。なぜ、リティルを無条件に選ばねばならないのか、ギンヨウには理解できない。今後も理解などしない。してやるものか。

ギンヨウに力があるのならば、気がつかれないように少しずつ力を削いで、すべてを奪い取ってやりたい。そして、何もかもを失ったリティルに「舐めやがるな」と言ってやりたい。そんなこと、ギンヨウにはできようはずもないことが、彼にとっての幸いだ。

「雷帝・インファ、風の王・リティルの要望通りに、風一家守ってさしあげましょう」

ギンヨウは、尊大、オレ様の仮面をかぶった。

 インファが、何かを言いかけたように見えたが、それは来訪者によって言葉にはならなかった。

「なになに?ギンヨウ、リティル様の要望通りって何?因果分岐なんかしなくていいんだよ?だってさ、風の王預かりなだけで、ギンヨウはリティル様の持ち物じゃないんだから」

大鏡を抜け、赤色と青色の華やかな色をしたミイロタテハの羽根をはためかせ、ペオニサはやってきた。会話の一部を聞かれていたらしい。ペオニサは、すぐさま一家入りを否定してきた。

「ああ、つい最近、正式に風一家になったんでやがりますよ」

「――え?」

ペオニサが、顔色を悪くしてインファを見た。視線を受けたインファがグッと息を詰まらせ、観念したように吐いた。

「事実です」

「なんで!?アシュデルは許してる?ギンヨウダメだよ!風一家はダメだよ!こんな所に入ったら、死んじゃうよ!」

……あなたの親友が、今にも死にそうな顔をしてやがりますよ?と教えた方がいいのだろうか?迷うところだ。しかし、インファは一家入りに反対だったのかと意外だった。確かにあのとき「アクセサリー作家の仕事がありますよね?今まで通りで構いませんよ?いいですか?今まで通りで、お願いします」と笑顔で圧力をかけられたが。失われた未来でノインは危険だと言ってきたので、内心はリティルと同じだと決めつけていた。

「ノイン!許しちゃったの!?どうして!?」

ペオニサの怒りがノインにまで飛び火した。

「ノインのせいではなくてやがりますよ。ノインのいないときを狙ったんでやがりますから」

その日のノインの予定は知っていた。いつ帰ってくるかもわかっていたのだから、出し抜くのは簡単だ。怒鳴って追い出したとしても、決別したと言い張っても、彼はきっと自分の立場が悪くなってもギンヨウの一家入りを阻止しただろう。そういう人だ。だから、ノインに対して1ミリたりとも気は抜けない。

「ギンヨウ……」

ペオニサが絶句している。その瞳には、どうして?なんで?と不信が浮かんでいた。彼の反応は正しい。諸手を挙げてギンヨウを歓迎したリティルがおかしいのだ。

ノインのいない隙を突く。そこまでして一家入りしたギンヨウの行動は、不信以外の何者でもない。世界の刃なのだ。何か目的があるのか?と思わなければいけないのでは?と思う。

「そんなことよりペオニサ、シャナインを診てくれやがりませんか?妊娠していると思われるので」

「そんなことじゃないよ!シャナインの妊娠より――え?妊娠?」

美形のポカンとした顔は、何度見てもいい。ギンヨウはイタズラが成功した子供のような笑みを浮かべて頷いた。

「はい。何ヶ月か診てほしいんでやがります」

「は?え?嘘ぉ……」

「あり得ないと証明してください、ペオニサ」

シャナインは肩をすくめた。体調になんら変化のないシャナインは、口で言っても信じない。ペオニサの診断が必須なのだ。今信じさせないと、戦って怪我をして、最悪流してしまう。もうさすがにこれ以上死んではいられない。今回で乗り切るのだ。そうしなければ、さすがに心が死んでしまう。次の「今」ノインの前で泣いてしまったら、彼に問い詰められたらきっと繰り返したことも何もかも、暴かれてしまう。

ノインも我が子も守ると決めたのだ。守らせてほしい。

「ただいま。ん?ギンヨウ?なんだよ、どうしたんだよ?」

ずっと向こうにある大きな白い石の扉が開き、リティルが帰ってきた。ギンヨウの姿を見つけ、リティルは真っ直ぐに飛んできた。ギンヨウはインファに庇われていた。

「ペオニサ、取材は自室でしてください」

「え?しゅざ――」

「ペオニサ、ギンヨウは忙しいよ。ほら、急がないと」

「フフフフ、面白そうだねぇ。ボクも話を聞かせてよぉ」

ラスとリフラクに促され、ギンヨウ達は応接間を追い出されていた。

本当に面白い。ギンヨウが今回「風一家に入る」と宣言しただけで、インファとラスの警戒がノインからリティルに移っている。このまま風一家に居座ってやったら、いったい、どうなるのだろうか?ギンヨウは仄暗く微笑んだ。


 前回の「今」で敵だったはずのインファとラスに庇われるとは思わなかった。ギンヨウはリフラクの先導する道すがら、ペオニサに問うていた。

「雷帝・インファは、どんな人なんでやがりますか?」

「え?ええと、冷酷無慈悲な軍師って言われてるけど、オレからすれば愛情表現が苦手なだけの美形だと思うよ?うん」

ペオニサは、風一家であり諜報機関の長だというのに、裏表のない好青年に見える。諜報機関の方ではマスコットだとリフラクが言っていたので、その通りなのだろう。インファの親友だと言っているが、失われた未来では、全面的に協力してくれた。今回もそうだ。インファの前だというのに、風一家に入ったと言ったギンヨウに「ダメだ」と言ってくれた。動かなかったノインとは大違いだ。

大丈夫だ。これなら、ノインとの接点をなくすことができる。誰を隠れ蓑にするべきかを見極めることができれば。

「あなたの目から見て、ノインはどんな立場なんでやがりますか?」

「ノイン?ノインはリティル様のお兄さんで、あの人に鍛えてもらった人は多いって聞くよ?でも、風の精霊じゃないから、中核の傍にはいてもあんまり喋らないみたいだねぇ。インファが、勝手に行動するからたまに心配だって言ってたなぁ」

「どう、心配なんでやがりますか?」

「恨みを買ってねえかって……はっ!ノインはいい人だよ!?見た目あんなだけど、怖くないよ?」

ペオニサは、怖がるとでも思ったのだろうか?慌てて弁解をはじめた。リフラクが苦笑している。

「ノインはねぇ、汚れ役をしているのさ。リティル様が風の王なのに、慈愛の王とか呼ばれているのは、暗い部分を全部ノインがやっているからだよぉ」

「リフラク!そんなこと言っちゃダメ!」

「大丈夫大丈夫。ギンヨウはきちんと耐性あるよぉ?だって、因果分岐でいろいろ見ちゃってるからねぇ」

そうだろう?とリフラクが見透かしたような目でこちらを見た。その通りだ。ノインの話も聞かずに、ノインを誘拐犯だと決めつけて挙兵される最悪な物語を見てしまった。敗因はギンヨウが情報収集を怠ったからだ。ノインが一家でどんな扱いを受けているのか、ギンヨウは風一家でどんな評価を受けていたのか、リティルが、ギンヨウをどう見ているのか、知るべきだった。

「ノインは、一家に嫌われているんでやがりますか?」

「優秀すぎるのさ。リティル様の兄として幅をきかせていればいいのに、それをせず、控えめだ。彼はねぇ、こんな城くらい簡単に掌握できるくらいの力も手腕もあるのさ。そんな彼が、動き出したらどう思う?警戒しないかい?」

リフラクは、なくなった未来を知っているのだろうか?まるで、ギンヨウを試すような口調だ。

「例えば、わたしと仲良しだったとしやがったら?」

「それはいけないねぇ」

「なぜですか?ノインが目をかけてくれたら、ギンヨウは安泰なのです」

シャナインはノインを好いているようだ。微妙に憤慨が感じ取れる。そういえば、彼女も弟子だったかとギンヨウは思い出した。

「ノインは、ギンヨウの一家入りを阻止したよぉ?リティル様は専属料理人でもいいから、風一家に入れて風の城に住まわせるつもりだったのにだよぉ?」

「それは、ギンヨウにはアクセサリー作りがあります。白虎野島のほうが、よいのです」

「兄さんは風の城に部屋があるよぉ?グロウタースを点々としながら小説書いていたと思うんだけれどねぇ?」

「オレ、あんまりここにもいないよ?でも、咎められたことないけど……」

「でも、反対だったんだろう?」

「う、うん……。だってさ、遺言があるじゃない?アシュデルもずっと特殊中級だってギンヨウの事騙してたし、よくないと思うんだ。オレとは違うよ」

「そうだねぇ。でも、天照大鏡は風の王の犠牲の鏡、なんだよねぇ?」

「それは……そんなこと、嫌だよ。そんなこと認めたら、ギンヨウに死ねって言ってるみたいだ!」

「リティル様は、ギンヨウを割らないように守る為に一家に入れたかったとは、考えられないかい?」

「それなら、いいのかなぁ?」

ペオニサはうーんと考え込んでしまった。

「少なくとも、一家の大半はそう思っているよぉ。だから、ノインの主張は主君に逆らったように見えてしまったんだ。ボクからしたら、ノインは優しくて懸命だねぇ。自分の立場はどうなってもいいから、ギンヨウを本気で守ろうとしたんだからねぇ」

「わたしはノインを支持していますが、風一家に入れてしまいましたら、ギンヨウは守られないのですか?」

「わからないねぇ。でもねぇ、前任の2人を風の王が蔑ろにしたとは思えないんだよぉ。特に、2代目天照大鏡は当時の風の王と婚姻を結んだからねぇ」

「え!?でも、守れなかったってこと?」

「そういうことだねぇ。風の王が婚姻って、相当な覚悟だとボクは思うねぇ。でも、守れなかったんだよぉ。ねえ?オレなら大丈夫守れるって考え方、怖いと思わないかい?」

リフラクはこちらを見た。

「ボクがお勧めするのは、断然ノインだねぇ。でも、今のままなら一家を敵に回してしまうねぇ。ということで、ギンヨウ、リティル様に取り入りなよぉ」

「ええ……?大丈夫?インファじゃダメなの?」

ペオニサは、リティルに悪感情はないはずだ。だのに、リティルを相当に警戒しているようだ。理由を問いたいが、それを感じているのがペオニサでは、明確な答えは得られないだろう。自分でも気がついていない可能性すらある。

「インファじゃダメだよぉ。リティル様に横やり入れられたら逆らえないからねぇ。ギンヨウ、できるかい?できたらきっと、思い通りになるよぉ?」

彼とは話し合う必要があるようだ。可愛らしい笑みを浮かべるリフラクは、目的の部屋についたようで扉を開いた。

そうして、ペオニサはシャナインを診察し、彼女の妊娠が発覚するまであと少し。


 ペオニサに寝室で診察してもらっている間、ギンヨウはリフラクとペオニサの仕事部屋にいた。殆ど使ったことがないと言っていたが、確かに生活感がない。ないのに、物の多い部屋だった。どうやら、普段は資料置き場になっているようだ。

「リフラク、どこまで知っているんでやがりますか?」

「おや?さっきの話、的を射ていたのかい?じゃあ、君がいきなり一家入りしてしまったのは、ノインの為だねぇ?」

カマをかけられた?なんて頭の回転のいい人だろうか?ギンヨウがノインと会っていることを知っていて、大袈裟に喧嘩して決裂して、その直後一家入りだ。何もないと思う方が変かもしれなかった。だが、そのためのシャナインの妊娠発覚だ。訝しがっている者が考えをまとめる前に、巨大な爆弾を落として有耶無耶にしてしまう作戦だったのだ。

「何があったんだい?口外しないから、話してごらんよ」

迷った。もう、歩むことのない未来だ。リフラクは、インファの為にと動いていた時期がある。今は独立機関の長として動いているが、心情はインファやリティル寄りだろう。もう来ない未来だ。そのために、不信を抱かせる事はないと躊躇っていると、彼は言った。

「インファやリティル様が恩人だというのなら、ボクにとっては君もそうなんだよぉ?しかも現在進行形なんだよねぇ?ボクがどっちにつくか、わからないかい?」

「わたしは、何もしてやがりませんよ?」

フフフと、リフラクは吹き出すように笑った。本当にわからない?と言われているようだった。

「君の料理だよぉ。ボクはねぇ、いつでも凶花として狂う事ができるんだよぉ。そうならないのは、君の料理を定期的に食べているからなんだよねぇ。ボクは君を失ったら、風の獲物になる。正気でいるためには、君が必要なんだよぉ」

「どうにも、ならないんでやがりますか?」

リフラクが残忍さを隠し持っている事は知っている。戦うことを運命づけられた風の精霊のように、息をするように命を奪える人だ。

しかしそれは、花の精霊としては歪みだ。花は命を生み出す為の直接的な恋愛を司っている。そんな理を持っているのに殺戮を行えるのだから。

知っている。知っているが、ギンヨウには見せずに彼は自分を悪友だと言って構ってくる。ノインと同じく、ギンヨウにとっては手放しがたい人だった。

「これは性だから。……他に方法はないこともないけれど、今は、君の美味しい料理を食べさせておくれよぉ。それとも、諜報部員なんて、信じられないかい?」

「狡い言い方でやがりますね。わたしを利用したところで、得られるものは何もなくてやがりましょう。あなたはわたしの悪友でやがりますよ」

リフラクは失われた未来で、当てにしていいと言ってくれた。少し変えただけで人々の反応が違うが、彼を信じたかった。ギンヨウは、失われた未来を話していた。

「はあ……それはそれは……。怖くなってしまうよねぇ。君、ノインがほしいかい?」

「いいえ。不相応でやがりますので」

「そんなことないよぉ。けれども、まあ、そうだねぇ。今の君たちじゃ、報われない恋人になってしまうねぇ」

「リフラクっ!」

女々しいことは自覚している。だがそれを茶化されるのは恥ずかしすぎる。

「ハハハハハ!君もノインも同じ顔をするものだから、ついねぇ」

そういえば、ギンヨウが来た時ノインと話しているようだった。どんな顔を、ノインはしていたのだろうか?嫌われるつもりで怒鳴り散らしたが、彼はまだ、ギンヨウを惜しいと思ってくれていたのだろうか。……気持ちが沈む。あのノインが抱きしめてまで「おまえはオレの主君だ」と言ってくれたことを、ギンヨウは信じられない。遠ざけたくせに、ノインと道が交わることはないのだと、近づけなくなっている様子の彼を見て思ってしまった。

リティルに逆らってまで、ギンヨウを欲してはくれない。そう思っている。

「今日明日に叶う事じゃないよぉ。君は君のやりたいようにやりな。その過程で、リティル様に仕えると決めるならそれでよし、ノインを守り続けるもよしだよぉ。ボクは今まで通り、君の悪友だ」

「心強くてやがりますよ。わたしは、風一家に心を許すつもりはなくてやがりますので」

これは決定している。表面上仲良くなることは今後あるかもしれないが、心は許さない。絶対に。

「ハハハハハ!本当に君は面白いよぉ」

リフラクに、背中をバシバシと叩かれ、ギンヨウは前のめりになった。

その時、扉がバンッと開かれ、血相を変えたペオニサが飛び込んできた。シャナインの妊娠が確定したのだ。


 シャナインの妊娠は、彼女の両親である風の王・リティルと花の姫・シェラに告げられた。頼りたくはないが、欺き利用すると決めたのだ。これは、最初の一歩だ。

「ギンヨウ、大丈夫?」

駆け付けてくれたのは、大魔導・アシュデルだった。それは心配だろう。あの一方的な話し合いの席に、呼ばれもしなければ。

リティルは一貫して、風の城でシャナインを療養させて出産させるといった。それに伴い、ギンヨウも城に住めばいいと。ノインが何も言わなかった事で、インファとペオニサが反対しても覆りはしなかった。ギンヨウは淡々と、風の城でアクセサリーを作る為に白虎野で引っ越しの荷造り中だ。

「大丈夫でやがりますよ?しかし、この工房は閉めなければならなくてやがりますね」

「!それでいいの?そりゃ、アクセサリー作りはボクが強要したようなものだけど……」

アシュデルは、ギンヨウを白虎野島に閉じ込めていたと思っている。故に、あまり強くは言えないのだ。

「わたしは、ここでの生活に、不満はなくてやがりましたよ?」

「何か、諦めてない?君は、なんにも諦める必要なんてないんだよ!?」

アシュデルの言葉に、ノインが浮かんでしまってギンヨウは一瞬だけ心を揺らしてしまった。

「何があったの?」

心が揺れてしまったことを、アシュデルは見抜いてきた。だから怖いのだ、この父は。

「何もなくてやがりますよ。因果分岐も、成功できやがりましたし」

「ギンヨウ!」

「何もないと、言ってやがるでしょう!」

怒鳴ってしまって、酷く惨めになった。因果分岐を成功した?失敗だ。ノインという友を失ってしまったのだから。だが、どうしようもなかった。「風の王の犠牲の鏡」では、何かを得ることなど、不可能なのだ。脆くちっぽけな鏡では、砕かれて終わりだ。

「……すみません。でも、大丈夫でやがりますよ」

この先、リティルから与えられるものしか、得られないのだ。ギンヨウ自身が自発的にほしいと思わなければ、苦しくなることはない。そうなのだ。何も得たいと思わなければいいのだ。簡単なことだ。簡単なこと。

ギンヨウは、道具を納めた鞄を閉めた。


 ギンヨウは、とにかく働き続けた。

アシュデルに頼んで世界中から発注を受け、予定を詰め込んだ。リティルは、アクセサリー作りに口を出すつもりはないようで、自由にさせてくれた。本当に、風一家に入れ、この城に住まわせたかっただけのようだ。ギンヨウにはその理由がまったくわからないし、聞きもしなかった。

「ギンヨウ、きちんと休んでいますか?」

「これがわたしの日常でやがりますよ」

一家の皆とは、食堂で朝と夜に顔を合わせるだけだった。インファが、心配そうに問うてきたが、素っ気なく返した。応接間でノインと和やかに談笑してる姿を見かけたが、腹の内では「ノインは危険だ」と思っているのだろう?と心底インファの、心配していますと言いたげな視線が気持ち悪かった。

「ギンヨウ、もう少しみんなと話してくれよ」

「はい?わたしには、戦闘の事はわからなくてやがりますよ?」

リティルの苦言も、理解できないと躱し続けた。ノインを攻めた人達と仲良くなどなりたくない。

そして、事件が起きた。

 ギンヨウが部屋に籠もっていると、未来が見えた。一家の、名前も知らない誰かが傷を負う絵。ギンヨウは、開いたゲートに飛び込んでいた。ゲートを一括管理する神樹の精霊・ナーガニアはギンヨウが未来視をするとゲートが開けるようにしてくれていた。なんとも便利だ。

相手が誰かなんて関係がない。ただひたすらに、見える未来を回避するのみだ。それでいい。それで。

「が、はっ……!」

ギンヨウは身体の前面に衝撃を受けて、血を吐いていた。

「きちんと休んでいますか?」というインファの声が聞こえた気がした。そういえば、いつ寝ていただろうか?記憶に、ない…………――

誰かが「ギンヨウ!」と名を呼んだ。ギンヨウは落ちていた。どこかもわからない、地面へ向かって。


 ギンヨウの様子がおかしい。ノインは気がついていた。

妊娠中のシャナインは、ギンヨウの懇切丁寧な説明のおかげで、何とか赤子のことを理解して産むことに同意していた。魔物狩りに出られなくなってしまったことには不満げだが、出産経験のある母親のシェラと雷帝妃・セリアが傍にいて、日々を過ごしていた。

「ノイン、暇よね?ちょっと、ギンヨウの事見ててくれない?」

芯の強そうな瞳の、儚げな美人と定評のある、雷帝妃、蛍石の精霊・セリアがそんなことを言ってきた。確かに、ノインは基本暇人だ。魔物狩りも歯ごたえのある相手はいない。それでも、2人以上で戦うことというルールに従って誰かと組んではいるが、補佐するだけでノインが少し本気になれば瞬殺してしまう。「ノインがいると楽だ」と言われていて、短時間で帰れるのだ。それを利用してギンヨウの所にいっていたが、それも今はない。同じ屋根の下にいるのに、ギンヨウとは驚くほどに接点がなかった。

「暇だという理由か?」

「そうよ?あなたなら、ギンヨウがどこにいるのかわかるでしょう?」

セリアはケロリと言った。他意はなさそうだ。戦えるが、それほど戦闘系でないセリアの方が暇だろう?とは思うのだが、風一家に入ってからのギンヨウは、誰も寄せ付けない空気を纏っている。一家の者も、遺言と「風の王の犠牲の鏡」という言葉を知っていて、腫れ物に触るようで近づけないでいた。インファは胃を壊しそうなほどに心配しているが、リティルはどこか脳天気だ。対照的な2人の態度も、ギンヨウにどう接していいのかわからなくしている要因だった。

雷帝妃・セリアはインファに何事か聞いての申し出、というふうでもない。かといって、ノインとギンヨウが一時期懇意だったということを知っているふうでもない。ただ単純に、ギンヨウが目に余って、彼女にとって頼りやすいノインを頼っただけだだろう。あの頭の切れるインファの妃ではあるが、セリアは根明な姐さん気質でそこまで思慮深くはないのだから。

「あんまり寝てないみたいなのよ。アクセサリー作りに、シャナインのお守りに、お料理までして、それで因果分岐でしょう?倒れちゃうわ。なのに、リティル様もインファも止めもしないで!」

何考えてるのよ!とセリアは怒りだした。セリアはこんな儚げな外見だが強心臓だ。ギンヨウに、そんなに根詰めないでと苦言を言ったようだ。ギンヨウは、「この人は誰でやがりましょう?」という顔をしながら「はあ、そうでやがりますね」と言ったらしい。ギンヨウは、顔と名前を覚える事が得意だったはずだ。それが、仲間となった一家を覚えていないことに、ノインは違和感を覚えた。

「リティル様、強引にギンヨウを入れたんじゃない?とても、納得して入ったように思えないのよ。ギンヨウと話したことある人って、どれだけいるの?いないんじゃない?なんだか、いたくない場所に嫌々いるみたいで、可哀想なのよ……。ねえ、ノイン、何とかしてあげて。このままじゃギンヨウ、本当に犠牲になっちゃうわよ?」

犠牲とセリアの口から言われ、ノインはギクリとした。そして、ギンヨウが凶刃に倒れる姿が頭を過った。彼は生きている。生きているだろう!?と打ち消してみても、心臓は冷えたままだった。

いや、ギンヨウは何度か死んでいるとリフラクが断言していた。彼はこれからも、人知れず死に、何食わぬ顔で未来を変えるのでは?そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。

「わかった。監視しておこう」

平静を装ってセリアに返すと、ノインはギンヨウを捜すべく行動を開始した。

 ギンヨウは基本部屋から出ない。だが、油断は禁物だ。ゲートを使って戦場に乱入してしまうからだ。ノインは風にも捕捉されない特別な黒い風を使って、ギンヨウの動向を監視した。大抵の因果分岐は、無傷か僅かな怪我だけで制していた。彼の霊力の量はどれほどだろうか?喧嘩別れしてしまう前でも、もうかなりの量があった。あれから半年だ。一家の誰よりも、ノインに近づくほど、いや、抜いていてもおかしくはない。だとすると、危険かもしれない。

精霊は、霊力の生き物だ。霊力が多ければ、しばらく寝なくてもそれなりに動けてしまうのだ。だが、それは、通常の生活を送るならの話だ。因果分岐は霊力食いだ。日常や戦闘に支障はない霊力量だったとしても、思いがけず奪われれば傷を負ってしまう。

気がついているのだろうか?ギンヨウに限ってとは思うが、彼は今、正常な精神状態にないかもしれない。セリアが心配しているのだ。その可能性は大いにあり得る。

リティルは導くことに長けている。インファは指導に定評がある。だが、精神疲労を癒やす事はできない。和ませるような空気を作っているがそれだけだ。だから、リティルはギンヨウがほしかったのだろう。彼の、霊力、体力、精神を癒やす神の料理を作る能力・極楽の調理法が喉から手が出るほどほしかったのだ。

だから、ギンヨウを風の城に住まわせたかったのだ。「風の王の犠牲の鏡」であるギンヨウを守りたいと思ったことは確かだろう。だが、打算がなかったとは言わせない。ノインは、少し苛立ちを覚えた。風一家を守らせる為に、彼の平穏を壊したとしたら、ノインはリティルを許せそうにない。

ギンヨウが動いた。ノインも、戦場へ急いだ。

そして、代償に身体の前面を斬られて血を吐き落ちる、ギンヨウを見つけたのだった。


 久しぶりの痛みだった。ギンヨウは今回も問題なく目を覚ました。

情けない。あんな因果分岐で、これほどの傷を負ってしまうとは。しかしながら、あんな上空から落ちて、よく生きていたものだと思う。

「起きたか?」

ギンヨウはボンヤリと天井を見上げていた。木漏れ日がチラチラ煌めき、天井には大穴が開いていることがわかった。木、森……ああ、大地の領域でのことだったのかと、ギンヨウは自分がどこに因果分岐しにいったのか気がついた。そして、誰に助けられたのかも。

「ノ、イ……う、ケホケホ」

名を呼ぼうとして、咳き込んでいた。息が思うように吸えずに混乱した。身体を丸めて咳き込んでいると、ノインの大きな手が背中をさすってくれた。

「ゆっくり息を吸え、そうだ。ゆっくりだ」

落ちついた声に従って、ギンヨウはゆっくりと呼吸を繰り返した。次第に呼吸は落ち着き、ギンヨウはやっと顔を上げることができた。何だろうか?簡素に見えるがフカフカとして、気持ちがいいベッド?なのだろうか?いや、ただの落ち葉?

「ここは大地の城だ。かなりの怪我だったが、さすがは大地の王だな」

「!?大地の王が、わざわざ治療してくれたんでやがりますか?」

「オレでは治せないからな」

それはそうなのだが、そうじゃなくて!と思ったら、気が抜けてしまった。ノインは当たり前の事を言っているのだろうが、それが妙に、ツボにはまる。

「大地の王と親しいんでやがりますか?」

ノインが助けてくれたのだろう。彼が助けてくれるなんて想定外だった。

「知り合い程度だな。別段親しいわけではない。飲み物を持ってこよう」

大地の城は、大地の王の居城だ。そこを、我が物顔で歩けそうな雰囲気を醸しながら、知り合い程度とはそれを聞いた大地の王は怒るのではないだろうか?とは思ったが、素っ気ないところがノインらしくて、ギンヨウは思わず笑ってしまった。

大地の城は、崩れかけた巨大な建造物を森が飲み込んでいるような姿をしているようだ。グロウタースにあったなら、遺跡と呼ばれそうな佇まいだった。

「こんなところが……あるんでやがりますね……」

ギンヨウは精霊でありながら、精霊達の異界・イシュラースを全く知らない。風一家となり半年ほどになるというのに、知ろうとしなかった自分に気がついた。ノインはすぐに戻ってきて、ギンヨウの呟きは聞こえていたらしい。

「安心した。おまえなら興味を持つはずなのに、まったくそんな素振りがなかったからな」

ノインは、あんな暴言を吐かれたのに、気にした様子もなく半年以前と同じように接してきた。それが落ちつくと同時に、居心地が悪かった。彼に近づいてはいけない。遠ざけなければならないのに、できなくなりそうだ。

「わたしのことは、放っておいていただきたい」

「オレに干渉されたくないのなら、問題を起こすな」

正論だった。何も言えないでいると、ノインは透明な液体の入った瓶を渡してきた。中身はただの水だったが、こんなに美味しい水は初めて飲んだと思えるほどに美味しかった。一息に飲み干してしまうと、どこかホッとしたような雰囲気でノインが言った。

「おまえを案じている者達がいる。悪ぶるな。信用できないかもしれないが、信用に値する者が、きっといる。見極めることなど、おまえには簡単なことだろう」

聞きたくない。聞きたくないのに、ノインの言葉はすんなり入ってきてしまう。風一家の誰にも、これ以上気を許したくない。四天王なんてもっての外だ。

「あなたは、信じているんでやがりますか?」

「仲間だからな」

「裏切られるとしてもでやがりますか?」

「オレは、死んだことがあるのか?」

「死だけが、不都合な未来ではなくてやがりますよ」

「ならば、オレには不都合ではない。オレと対して、勝てる者はいないからな」

「許すんでやがりますか?」

「2度と会わない者に、許すも何もない」

「一家の者であってもでやがりますか?」

「なるほど。オレはおまえを巡って、一家とリティルと対立するのか」

彼にこんなことを言って、勘づかれないはずがなかった。ギンヨウは失われた未来で、ノインが風一家の中でどんな立場にあるのか、どう思われているのかしらなかった。風一家に強引に入り込んで、余裕のあった入りたての頃それとなく探ったが、ノインは概ね慕われていた。あんなことが短期間で起こるほど、嫌われてはいなかったのだ。だが、起きてしまった。ではなぜ起きたのか?原因は「ギンヨウ」以外思いつかなかった。ギンヨウのせいならば、もう、彼と接点を持たぬようにする以外にないではないか!

「そんな荒唐無稽なことを、信じるんでやがりますか?」

「おまえの体験した未来だろう。だが、おまえの態度の豹変に合点がいった」

「わたしは、どれくらい寝てやがりましたか?」

「1日だ。まだ動くな」

「帰りやがってください。もう半日休んだら帰りやがりますから」

知られてしまったなら話は早い。自分の身を守るためには、ギンヨウと接点がないほうがいいとノインならばわかっただろう。これでもう、彼は近づいてはこないだろう。この今、リティルと対立してまでギンヨウを得ようとする意味も理由もないのだから。

「ギンヨウ、置いていけるわけがないだろう?」

「話、聞いてやがりましたか?わたしの体験した未来が何だったのか、説明しなくともわかったんではないんでやがりますか?」

「おまえは一家の誰とも馴れ合わない。ならばオレが面倒を見るしかない。おまえは、わかっていてやったのではないのか?死ぬかもしれない怪我を負うのはやりすぎだが、な」

揶揄われた。と思った。ペオニサ以外の一家の誰のことも信用していないのは本当だが、ノインを引っ張り出したくてこんなことをしていたのではない。ノインの事も遠ざけたかった。この人と1番接点を持ちたくなかった。

「リティルかインファを、呼べばよくてやがりましょう?」

「おまえを御せない者を呼んでどうする?死ぬ気か?父親になるというのに」

父親に……。これは、ギンヨウの新たな枷だったのだと今更気がついた。風の王の娘の子の父親になれば、ますますギンヨウは風の城から出られなくなってしまう。同じ閉じ込められていた白虎野島は、それはそれは快適だった。アシュデルは何も引け目に思うことはなく、外の世界に憧れはあったが、あそこから出たくはなかった。

だが、風の城は違う。ギンヨウにとって、あの城は正真正銘の牢獄だ。あの城の長のリティルを、信頼し、気を許すなど到底できない。無事な姿でノインがいる。それだけが、あの城にいる理由なのに。

息ができない……。ノインにここに置いて行かれて、それでリティルかインファが来たら?ノインを追い詰めた2人が、ギンヨウを案じる?気持ち悪い……気持ち悪い!

「思い詰めるな。おまえになじられても、置いて行かない」

過呼吸になりかけたギンヨウの背を、ノインの大きな手が気遣うように優しく撫でてくれた。フフとノインは小さく笑った。

「オレを選ぶとは。おまえは変わっているな。皆オレを恐れ、リティルを選ぶ」

「選んで――やがりま、せん……!」

「シャナインの出産だが、ペオニサを動かした」

「?」

「グロウタース・八百万で出産させようと思う。強固なのは鬼の館だというから、吹雪丸が面倒を見てくれる」

グロウタース・八百万は、ギンヨウが天照大鏡として覚醒した地だ。吹雪丸はあやかしと呼ばれている種族の鬼という部族で、頭領をしている。他に、妖孤の八尾狐という友人が、あの地にはいる。リフラクに連れ出されて、何度も遊びに行っている地だ。ギンヨウの心が安らぐ場所だ。

「いつの間に……」

「遅すぎたくらいだ。おまえを助け出せず、すまなかった」

仮面の奥の瞳は、真っ直ぐこちらを見ていた。そらされない瞳を見た時、ギンヨウは思わず声を荒げてしまった。

「なぜ!?わたしはあなたを、閉め出したんでやがりますよ?」

「理由があると思っていた。リフラクには半年前、おまえが一家入りを決めてしまった時に、何度も繰り返した「今」が原因だろうと言われていた。おまえの態度が一貫していて頑なで、これまでまったく隙がなかったから接触できなかっただけで、水面下では人質に取られているシャナインを風の城から出す計画が進んでいた」

「人……質……」

想像力が豊かすぎでやがりましょう!?ギンヨウが嫌々風の城にいると察して、ノイン達はあれやこれや考えた結果、シャナインと腹の子が人質になっていると推測したということだ。いや、こじつけた?ノインはまさか、リフラクと繋がっているのだろうか?だが彼があの因果分岐の事を暴露するはずがない。ノインには明かさないと信じている。では、本当に人質に取られていると思っている?いやいや、それが問題なのではなかった。

「これまでの風一家ならば、シャナインとおまえは保護されただけだ。だが、おまえにとっては違うだろう?不当に捕らえられ、忠誠を強要されている。たかが「風の王の犠牲の鏡」という異名があるばかりに」

こじつけてギンヨウを説得しようというのだ。風の城から、一時的にでも出ろ。と。

「おまえには、療養が必要だ。八百万で休んでこい」

ノインの未来は見えない。見えないが、見えた時には手遅れかもしれない。ギンヨウは何度死んだっていい。だが、ノインが不当に扱われるのは嫌だった。変えればいいという問題ではない。ノインがギンヨウに構ったが為に窮地に陥る様を見せられるのは、心が耐えられないのだ。そうして、変えた過去で、これまで以上にノインを遠ざけねばと思わねばならないことが、死よりも苦痛なのだ。

「あなたは……あなたは、その間にどうするんでやがりますか!?何もしやがらないでください!わたしに構うのはやめやがってください!」

「ギンヨウ、」

「いけなくてやがります!わたしにはその時、1人しか救えやがりません!」

「オレを選ばなくていい。なんとかする」

「嫌なんでやがります!ノイン!あなたが、あなたがわたしのために傷つきやがるのは、嫌なんでやがります!!」

ノインに何も言わせずにただただ喚いた。彼の胸ぐらを掴み、ただもう感情だけをぶつけるしかなかった。失われた未来は失われた。ノインの平穏は守られている。だが、このままではまたあの未来がやってくる!ギンヨウは恐れ戦いていた。諭されるがまま言われるがままにその手を取れば、ノインは……。許されないのだ「風の王の犠牲の鏡」の分際では、ノインと笑い合える未来を掴めない!この人を奪われるくらいなら、ギンヨウが手を伸ばさなければいいと思っていた。徹底的に無視して、存在をなかったことにして、遠ざけてしまえばいいと思っていた。

ギンヨウは舐めていたのだ。なくなってしまった「今」でノインが言った

「天照大鏡・ギンヨウ。過去へ戻ってしまったとしても、おまえはオレの主君だ。必ずたどり着く。おまえに認められるまで、オレはおまえを諦めはしない」

あの誓いを!騎士という理を持つ精霊の本気を舐めていた。精霊は理に縛られている。ノインほどの人でも逆らえない。いや、逆らうとは何なのか?嫌々選んでいるのではないのだから、逆らうという言い方は妥当ではない。なぜ、ギンヨウだったのかが問題なら、それはギンヨウの問題でノインの問題ではない。何を頑なになっているのか、ギンヨウはわからなくなっていた。

ギンヨウの理は、守ることなのだと最近気がついた。だから、嫌だ嫌だと思っていても、因果分岐してしまうのだ。もう理解している。自分は「風の王の犠牲の鏡」ではない。そうなのだとしたら、風の王以外を守らない。因果分岐は風の王の未来しか見せないはずなのだから。ギンヨウの理は「鏡に映る1人を守る」ことなのだ。

ノインを守りたい。この得がたい友人を。ノインを守りたい。わかってくれるこの人を。ノインを守りたい。自分があまり大事ではないこの人を!

どうすれば守れる?どうすれば!?

「わたしを、捨ててくれやがってください。そうでやがります……。あなたが、わたしを見限ればいいんでやがります」

「ギンヨウ!なぜそうなる?おまえの言は、オレの思い上がりでないのならば、好ましく思っているから守りたいと聞こえる。オレは大丈夫だ。おまえが案ずるほどひ弱でも弱くもない。風一家内で孤立するのならば、リティルが庇えなくなるのならば出て行けばいいだけの話だ!おまえが思っているほど、オレには大事なものがない」

リティルが庇う?あの男は庇わない。率先してノインを討伐に来る!言ってしまいたい。だが、ダメだ。ノインには風の城に大事な存在がいるのだから。

「フロインをどうするんでやがりますか?わたしを選ばなければ、風一家で、愛する人とも今まで通りでやがりましょう!?」

一家の面々の名前すらまともに覚えていないギンヨウでも、リティルの守護女神・フロインがノインの妻であることくらいは知っている。彼女には会ったことがない。気にもしていないが、ノインの妻だ。ギンヨウのせいで、引き離されていいわけがないのだから。

「それは彼女次第だろう?オレと来るにしても、リティルの守護女神として風一家に残るのだとしても、おまえが気にすることではない」

ギンヨウは愕然とした。ノインの両耳にあるデザインの違うピアスは、どちらも同じ女性から贈られた婚姻の証だ。精霊の婚姻は、互いの霊力で作ったアクセサリーを贈り合うことで成立するが、2つ贈るのは非常に珍しい。ピアスなのだから対ということもあるのだが、ノインのそれは明らかに違う。シンプルなオウギワシの羽根のピアスは作られた時期がかなり古そうだ。対する黄昏の大剣を模した物は比較的新しい。

彼の妻は、改めて贈ったのだ。それは記念日だったのか、何か大きなことがあったからなのかはわからないが、もう1つ贈るほどにノインを手放したくないと思っていることは確かだ。それを身につけているノインにも、同じ想いがあるはずだ。

それを否定するような発言に、ギンヨウは震えた。

「なぜ、そんなことを言うんでやがりますか?あなたは、わたしなどのために、こんな……少しばかり交流があっただけの新参者の為に、これまで築いてきたものを捨てるというんでやがりますか!?あなたには何も、落ち度はなくてやがりましょう!?」

「ギンヨウ、」

落ちつけと言うのだろう。ノインの手が両肩に置かれた。彼の手のぬくもりが、あの日、失われた未来で誓いをくれたその時と重なってしまった。抱きしめてくれたノインはその後、どうなる?引き離されるだけではきっと終わらなかっただろう。ギンヨウはその先を見たくなくて、犠牲の因果分岐に逃げていたのだから!今ノインから逃げなければ、彼はきっと殺されてしまう!

ギンヨウは彼の手から逃れていた。

「触れやがらないでいただきたい!!」

ノインの瞳が一瞬焦ったのが見えた。直後、ゴンッと後頭部に衝撃があって、ギンヨウの意識はあっけなく暗転していた。


 これほどか?ノインは壁で頭を打って昏倒したギンヨウの後頭部を確かめながら、半ば放心していた。身内のリティル以外に、こんな激情を向けられることになるとは思わなかった。

まずいな。可愛いじゃないかと思ってしまう。

ノインは、恐れられる精霊だ。世界最強という肩書きは伊達ではない。始まりと終わりの地、生命の大釜・ドゥガリーヤの混沌、濡羽色の力の管理者であるからではなく、自他共に認める戦闘能力の高さがその肩書きを裏付けている。そして、イシュラースの三賢者には数えられていないが、深い知識量とそれを使える聡明さを持つ賢人でもある。

そんな精霊を、守りたいと?実際守られてしまったか。まずいな。記憶はないが状況証拠だけで、惚れてしまいそうだ。ノインは難敵を前に心配されることは多少あれど、身体を張って守られた経験はない。守りたいと言われたこともない。

風一家にいたのは、目覚めた当初リティルに凄まじい感情を向けられたからだ。あの頃は、リティルの大事な者の存在を丸ごと奪って目覚めてしまった罪悪感にも気がついていず、ただただ、前世の自分を模倣することに尽力していた。今では概ね前世と遜色はないだろう。だが、ふとした瞬間、地が出てしまうのを感じる。窮屈ではないか?と問われれば、考えた事もなかったなと答えるだろう。

オレが、ギンヨウを選んだ?にわかには信じがたい。ノインは、兄を求めるリティルから、離れることはこれまであまり真剣には考えていなかった。至宝・黄昏の大剣の使命は果たされ、用済みの自分は、新たな主君を得なければ、ノインが満足だと感無量だと心から思ってしまえば消滅するくらい、実は不安定な存在だ。リティルが兄だと言い張るから存在しているだけ。ノインとしては実は、積極的に生きる気はないのだ。だから、これまでのんびりしていられた。ズルズルとリティルの築いたぬるま湯に浸かっていられた。

オレは、失われた未来で主君に庇われたのか。ただ庇われただけではない。ギンヨウは死んだ。ノインを守るにはこれが最良だと結論付けさせて、彼はおそらく自殺したのだ。

こんなことがあるのか?なんだ?この御仁は。心が、高揚する。この上ない悦びを感じた。だが、冷静にならなければならない。ノインが傅こうとしても、今のままではギンヨウが頷くはずがない。自分が頷けば、ノインが破滅すると思い込んでしまっているのだから。

それを払拭し、彼を手に入れるには準備が必要だ。今はまだ、手に入れられない。

「ノイン、その……なんて言うか……」

背後から声をかけられ、ノインは彼らの存在を思い出した。オレとしたことが、彼らを呼んでいたことを忘れていた。

 気まずげに声をかけてきたのは、旋律の精霊・ラス。風四天王・執事だ。ラスは、リティルに心酔しているところがある。だからこそ、ギンヨウの実情を見せるために呼んだのだ。

「ははは、なかなかどうして熱烈じゃないかい?」

諜報機関・花の十兄妹が長兄代理、フリージアの精霊・リフラク。ギンヨウの友人だ。インファに引け目があるが、ギンヨウの事を心底大事にして見える。ここで何が起こっても、ギンヨウの味方でいてくれるはずだ。ラスの行動次第で、ギンヨウを連れて逃げてもらおうと思っていた。

「リフラク、犠牲の因果分岐のことを、聞いているか?」

「ああ、聞き出したよぉ?彼にいなくなられると困るんだ。何が何でも守りたいからねぇ」

「オレは、リティルの指揮する風一家に討たれたのか?」

ズバリ言ってやれば、ラスが身を強ばらせて顔色を悪くした。嘘だと思う心と、別の何かが入り交じって見えた。

「そこまではいっていなかったよぉ?けれども、フフフ、ギンヨウ、ククク、風の精霊なんてくそ食らえだってさ!アハハハハ」

……リフラクが心底楽しそうだ……。それはそうだろう。リティルではなく、ノインを選ぶ者がいるなんて、思いもしなかっただろう。

争うほどではなかったとしても、ギンヨウに手を出したと思われれば、それだけで風一家にはいられなくなっていただろう。そして、リティルが下す決断を、ノインは受け入れたことだろう。そうしなければ、リティルに与するすべてと敵対して暴れ回らねばならなくなっただろうからだ。そんな未来を、ギンヨウがよしとするはずがないのだから。

そうか。だから彼は時は戻すしかなかったのだ。どちらの未来も、ギンヨウにとっては地獄でしかなかったのだ。

「ノイン、ギンヨウをどうするんだ?」

「どうすることもできない。彼は、自分をすでにきちんと持ち、未熟だが力を使いこなし、至宝の理解も高い。誰の指導も力も必要ではない」

八百万の大神――。彼は風の王がいなければ何もできない、風の王の為に盲目的に割れるような「風の王の犠牲の鏡」では決してない。すでに確立された1精霊だ。何度も失敗したという犠牲の因果分岐が、彼を成長させたのだろう。彼の精神は、すでにリティル以上だ。インファも抜かれているかもしれない。慣れない環境下で気を張りすぎてボロを出したが、今後隙ができることはないかもしれない。

「ラス、おまえにこそ問いたい。おまえは、ギンヨウをどうするつもりだ?」

ギンヨウにリティルに対する忠誠心は皆無だ。欺こうとしている。心はすでにノインを選び、風の王・リティルは、ノインを脅かす敵だ。だが、リティルが手放そうしないために、ギンヨウは風の城に留め置かれる。

孤独で愚かな戦いをすると、ギンヨウはすでに決めてしまっている。死ぬ勇気があるのならば、何でもできると言うが、彼はすでに死を体験している。死を対価に定めてしまった目的を、もう誰も覆すことはできない。

「あんたが守ってくれれば……」

「おやおや?ノイン諸共ギンヨウを処分しようってのかい?君の風の王に対する忠誠心は尊敬に値するねぇ。アハハハハ。恐れ入ったよぉ」

失言に気がついたラスが慌てて弁解した。

「さすがのオレも、ギンヨウに対するリティルの態度には思うところがあるよ!それに、苦言を呈することができることは、臣下の勤めだと思ってるよ。でも……ギンヨウの態度も最悪で、自分で一家に入ってきたのにって思いはあった。けれども、それにこんな意味があったなんて……思わなくて……」

衝撃だろう。リティルはこれまで一家入りするほど関わった者に、恨まれたりしたことはない。ギンヨウも、まったくリティルが知らない相手ではなく、至宝の覚醒に立ち会ったり、シャナインを嫁がせたりしている。ラスからしたら、ギンヨウが最初から敵対の意志を持って、それが誰かの為で欺くために一家入りを決めたなんて、思いもよらなかっただろう。

そして、ギンヨウにつきまとう2つの事柄。遺言と二つ名の為に、態度の悪すぎるギンヨウに近づけるはずがない。ギンヨウは、これまでのことを踏まえると、一家の不興を買って追放されることを願っている。それが、1番穏便に風の城と距離を置くことに繋がるからだ。しかし、その計画の中にはノインを手に入れることは入っていない。むしろ、ノインすらも遠ざける気なのだ。

「狙ってやっているからねぇ、彼。顔と名前を覚えるのが得意なはずのギンヨウが、一家のことまったくと言っていいほど把握していなくてねぇ。何かを計画するにしても、彼らしくなくて、心配していたんだよぉ。ノイン、君には感謝しているよぉ」

「オレではない。ギンヨウを監視しろと言ってきたのはセリアだ」

「雷帝妃・セリア?インファの回し者かい?」

セリアと聞いて、リフラクは警戒の意を示した。

「いいや。彼女はインファの愚痴は聞くが、駆け引きにはまるで向かない。遠回しに言ったとしても気がつかないだろう。オレは昔からなぜか頼られている。母親経験者としてシャナインについているからな。ギンヨウの様子に気がついたのだろう」

「ボクの眼中にはない人だったけれど、ただ可愛いだけで雷帝妃やってるわけじゃないんだねぇ」

「オレからすれば、可愛いだけで雷帝妃をやっているが、な。リフラク、オレはギンヨウから離れる」

「ノイン!?あそこまで言われて、ギンヨウから離れるのか?」

「離れる以外の選択ができるのならば、教えてくれ」

わかってくれないラスに怒りを向けてもしかたがないが、イライラする。一家の者にこうも悪感情を抱くことは初めてに等しかった。どうやらオレは、今余裕をなくしているらしい。とノインは自覚した。

「ギンヨウが一家から抜けることは、今はできないだろう。しかし、白虎野島には帰してやりたい」

「そうだねぇ。ギンヨウにとって風の城は敵の巣窟だ。離れていた方がいいよぉ。それか、リティル様は実はいい奴だって、ギンヨウに信じ込ませるか」

「風の王の犠牲の鏡になれって言うのか?」

ラスがリフラクを睨んだ。ラスは、どちらの味方なのだろうか?こんなに芯がブレていて大丈夫か?と思ってしまう。

「そうなってしまえば、皆万々歳じゃないのかい?リティル様の欲求は満たされて、ギンヨウもノインを守れるんだ。君だって、うれしいだろう?」

リフラクは隠さず、ラスに蔑むような笑みを向けていた。

「リフラク、ギンヨウの本心を探れ。オレはギンヨウの意に沿うように動こう」

彼の意などわかっている。話しかけるな、視界に入るな、触るな。だろう。なんという守り方をしようというのだろうか。ノインに少しでもリティルに対する忠誠心があったなら、どうなっていたか。……あれば、ギンヨウを惑わせることはなかったか。と項垂れそうになった。

「わかったよぉ。騎士様」

「リフラク、揶揄うな。そんな未来は来ない」

そうと決まればペオニサに、ギンヨウに八百万行きを承諾させたと知らせ、計画を進めさせねばならない。ノインはギンヨウの傍を離れようとした。

「ノイン!どこに行くんだ?」

ラスに肩を掴まれていた。リティルの為ではなくギンヨウの為に動こうとしているノインに、ギンヨウの傍にいろというのだろう。おかしなことだ。その行動はリティルを裏切っている。

失われた未来では、ギンヨウについたノインを討伐するために彼も来たことだろう。だのに、この「今」では、ノインにギンヨウの傍にいろというのか?失われた未来を知っているギンヨウからすれば、真逆とも取れる言動に信じられなかった事だろう。おまえの魂胆などお見通しだと、常に気を張っていただろう。可哀想なことをさせてしまった。ギンヨウを見ていてくれたセリアには、感謝しかない。

ギンヨウは、風四天王を誰1人信じていない。一家の誰の顔も名前も覚える気がない。よくもまあ、そんな状態で風の城に潜入しようと思ったものだ。失敗する度に犠牲の因果分岐を使っていては、近い将来心が壊れて死んでしまうだろうに。

ギンヨウには冷静になってもらう必要がある。故のグロウタース・八百万行きだ。この「今」誰が信用できるか、誰を欺き利用すればいいのかを見極めてほしい。できなければ、ノインがすることは1つだ。誰を敵に回しても、ギンヨウを風一家から除名する。

それまでは、ギンヨウが守ってくれたように、オレが影ながらギンヨウを守ろう。それが現状、ノインができる最善だった。

「オレはギンヨウの傍にはいられない。リフラク、頼む」

「ああ、言われなくてもそうするよぉ。だから、早くお行きよぉ」

リフラクは可愛らしい笑みを浮かべたまま、肩を掴むラスの手を引き剥がしてくれた。この場はリフラクに任せておけばいい。ラスでは彼に、敵わないだろうから。


 ノインを見送ってリフラクは、ラスを抑えたまま昏倒しているギンヨウを見下ろした。

本当に面白い。

この世に、リティルを否定する勢いで拒絶できる者がいるなんて思わなかった。彼はもしかすると、世界を変えてしまうかもしれない。後ろ盾のないままリティルを拒絶しても、待っているのは破滅だけ。その破滅を回避する為に、ノインを選ぶとはお目が高い。お目が高いだけでなく、ノインをすでに味方につけているところも勝算がある。

この世界は今、風の王・リティルを中心に回っている。それ自体に、リフラクも別段疑問を感じていなかった。リティルは、リフラクのようなはぐれ者にも優しく、居場所をくれた。今風一家にいる者達は、そうしてリティルに救われて集まったのだ。そのことを、否定するつもりはない。だが、関わった誰も彼もをほしがる彼に、疑問が湧いた。

ギンヨウは明らかにリティルの手には余る存在だ。このまま言われている通り「風の王の犠牲の鏡」としてギンヨウが死んでしまえば、リティルは慈愛の王という肩書きを失うだろう。しかももう1つ「風の王にわたすな」という遺言まであるのだ。慈愛の王の肩書き通りギンヨウを守りたいのであれば、風一家に入れるのではなく、このイシュラースを二分する昼の国・セクルースの支配者であり、懇意にしている太陽王に預けるのが吉だ。

太陽王の支配するセクルースに、風の領域も含まれている。世界の刃として異世界をも股にかける風の王と太陽王とは対等とは言われているが、太陽王は風の王が抱えきれない問題を引き受ける為にいるのだ。逸話、遺言のある曰く付きの天照大鏡・ギンヨウは、その類いの精霊だ。

だというのに、リティルは、ノインとペオニサが反対しなければギンヨウを風一家に有無を言わさず入れたばかりか、彼を風の城に住まわせようとした。そして「今」ギンヨウが一家に入りたいと言ってきたからと、なぜだと疑問にも思わずに、反対した者達やリフラクに確認も何もせずに承諾してしまった。その場に居合わせたインファが驚き狼狽えて「今まで通り白虎野島に住め!」と言わなければ、リティルはギンヨウを風の城に住まわせてしまったことだろう。そこに畳みかけるように、ギンヨウはシャナインの妊娠を持ち込んできた。そうして、インファが冷静になる前に、疑惑にまみれたギンヨウは風の城に入り込んでしまった。

ギンヨウは風一家に入ったのではない。入り込んだのだ。明らかな目的を持って。

そのことに、リティルは気がついていない。

今でも、ギンヨウがノインを守るために一家入りしたことに、何の説明もなく気がついた者はいない。ただ、尊大な態度で一切交流しようとしない偏屈な仲間ができただけだ。ギンヨウはこの秘密を、限界が来て割れるまで守り通すだろう。ただ、ノインという友人を守る為だけに。

なんて健気で、なんて自己中心的なのだろうか?

気に入った。ギンヨウを心底気に入った。だから、手を貸す。リフラクならば、あの遺言を使って風の王・リティルを貶め、世論を味方につけてギンヨウを風の城から出すことができる。だが、もしもあれが明るみに出てしまったらもみ消す所存だ。

なぜなら、ギンヨウは風の城を出る気がないのだから。

「リフラク、オレはこんなこと認められない。リティルに話すべきだ」

「話してどうするのさ?ギンヨウがノインを守っていることを伏せて話したって、何にもならないよぉ?残念だけれど、リティル様がノインを手放せるとは思えないねぇ」

「それは……でも……。でも、これでいいのか?報われないじゃないか」

「世の中、報われないことの方が多いと思うけれどねぇ?ノインが知っているだけ、報われているんじゃないかい?ラス、ギンヨウはシャナインの妊娠まで使って、ノインを守ろうとしているんだよぉ?ギンヨウは花の精霊でもあるんだ。だのに、愛の結晶とかいわれてる我が子を道具にしたんだよぉ?まあ、不毛の風の精霊には言ってもわからないだろうけれどねぇ?」

「オレは元グロウタースの民だ!ギンヨウがシャナインにどれだけ大事にしろって説いていたか知っているよ!シャナインの方があんまりな状態だった。ギンヨウが風の城に入り込む為に利用しただけなら、本当に何の感情もないなら、放っておいて流産させた方がいい。でも、そうしなかった。ギンヨウはそんな薄情な人じゃないと思っているよ」

「そうかい。それはよかったねぇ。でも、誰も何もできないさ。リティル様がギンヨウを一家に入れて、城に住まわせてしまったからねぇ」

リティルは手放さない。そのことで、救われた者の1人がこのラスだ。

だがギンヨウは違う。グロウタース・八百万で崇められる事になったのは、風の王・リティルではなく、大神、天照大鏡・ギンヨウだ。とどのつまり、リティルは八百万の事案であまり活躍していないと結論付けられたのだ。八百万でギンヨウは愛され、リティルはそうでもないことに気がついていないのだろうか?八百万の事案を平定したのは、ギンヨウだという事実をリティルはどう思っているのだろうか?

世界の恩恵で敵対されにくく好かれやすいというのに、八百万の民はギンヨウだけを崇め奉っている。天照大鏡・ギンヨウには、世界の恩恵を無効かまではいかないにしても、それよりも大きな恩恵か魅力を持っているのかもしれない。

そんな天照大鏡を御せると思っているのならば、身の程を知れと、手痛いことにならないといいけれど――。

 おっと、うるさくしすぎてしまったらしい。ギンヨウが、薄らと目を開いていた。

「リフラク……?」

「目が覚めたかい?びっくりしたよぉ。派手に因果分岐したみたいじゃないかい」

まだボンヤリしているが、すぐに正気に返るだろう。まったく、心配させる。

「………………ああ、そうでやがりましたね……。大地の王の世話になってしまいやがりました。お礼を言いたいんでやがりますが……」

「後日にしよう?お菓子を作って持ってこようねぇ?」

「……わかりました」

ギンヨウはノインの事に触れなかった。ラスがいたことで、警戒したのだろう。本当に懸命で気を張っている。

「ギンヨウ、ノインが」

「ノイン?会ってやがりませんよ?ああ、ここに運んでくれたのはあの人なんでやがりますか?余計なことを」

ギンヨウはサラリと偽った。これは悪手だ。会話を聞かれていたかもしれないことを、考慮するべきだった。ラスが会話を聞いていて、何も知らなかったら不信にしか思われない。

「ギンヨウ、ボク達をここへ呼んだのがノインなんだよぉ?」

「そう……で、やがります、か……」

失言に気がついて、ギンヨウが動揺したのが見て取れた。ラスはどうするのか?と思っていると、息をするように偽られたことにショックを受けながらも、体面を保った。

「ごめん……言い争っているのを聞いてしまったんだ。心配しないで。リティルに報告したりしない」

「報告すればよくてやがりますよ?」

「え?ギンヨウ!?」

「勘違いしないでいただきたい。ノインに色目を使ったのは、わたしでやがりますよ。リティルには、そこのところをキッチリ報告しやがってください」

「ギンヨウ……」

「知られてしまうとは、失敗してしまいやがりましたね。ノインがいれば、楽できると思ったんでやがりますが、上手くいかないものでやがりますね。しかたなくてやがります。ノインからは手を引きやがりますよ」

ギンヨウは立ち上がった。尊大な笑みを浮かべて。ラスは、顔色1つ変えずに言い切るギンヨウに、何も言えなくなっていた。

ああ、本気であのリティル様と争うって?君に勝てるかい?この世界の権力者すべてから愛されているようなあの人に。これは楽しいことになったとリフラクは、2人の影でニヤリと微笑んだ。

いいよぉ?ギンヨウ。ボクは君についた。ギンヨウは、ノインを手に入れてしまったら世界が滅ぶと怯えていた。なぜそこまで飛躍してしまったのか?とも思ったが、あのノインをそこまで本気にさせることができるのならば、本気にさせてしまえばいいと思う。

失われた未来、リティルはノインを悪として挙兵した。たかが風の王という元素の王の一柱の分際で、世界を滅ぼすほどの力を持つ力の精霊に挙兵など馬鹿げている。世界の刃だろう?と言われても、ギンヨウとノインは相思相愛だった。彼の挙兵には、世界の刃としての大義名分はなかったのだ。あったのは横恋慕ということだけだ。

横恋慕で世界を危険に晒す世界の刃を、皆はどう思うのか?恋愛を司る花の精霊のリフラクとしては、そんな奴、馬に蹴られて死んでしまえ!と思う。


 リティルは、ペオニサと雷帝妃・セリアからお願いをされていた。

「リティル様、シャナインなんだけど、治癒師の意見を言わせてもらえば、風の城以外のところに行かせた方がいいと思う」

神妙な顔でペオニサにそんなことを言われ、最初は何言ってるんだ?と思った。応接間でデスクワークしている時で、傍にはインファがいた。ノインは……いなかった。

「シャナイン、すぐ戦おうとしちゃうのよ。しかも、最近の獲物は弱いって不満ばっかり。このままここに置いておいたら、大型の魔物に突撃して流産しちゃうわ」

困っちゃうわと、セリアが頬に手を当ててため息をついた。

「まだそうなると決まったわけじゃねーだろ?インファの采配には従ってるわけだしな」

シャナインを城から出せば、ギンヨウももれなくついて行ってしまう。ギンヨウが因果分岐で一瞬行方不明になったときは焦ったが、リフラクから「怪我が酷いから、大地の城で休ませてから帰るよぉ」と通信があった。あいつ本当に仲がいいなとは思ったが、リフラクとギンヨウは八百万の事案で関わりがあってから、八百万に一緒に行っている。ツンツンと冷たく尊大なギンヨウと、諜報機関の長のリフラクは、心の属性が似ているのかもしれない。

「父さん、ペオニサとセリアの指摘は最もですよ?むしろなぜ、風の城にこだわるんですか?」

インファが不信げにこちらを見てきた。インファは、一家とまったく交流しないギンヨウを持て余している。ギンヨウが因果分岐で行方不明になったと報告が来た時、真っ青になって即捜索隊を編制しようとして、ノインを捜し回っていたくらいだ。どうしてノインなんだよ?と思い「オレが行く」と言ったら思いっきり睨まれてしまった。ギンヨウとは、八百万の事案で交流がある。友人のリフラクに要請しないのなら、ギンヨウを知っている自分が行くのが妥当だ。間違っていないはずなのに解せない。結局リフラクから連絡が来て、大地の王と話せてやっと納得したらしい。

「ギンヨウはもう風一家なんだぜ?仲間は一緒にいるものだろう?」

セリアが眉根を潜めた。ペオニサが「え?」と言うような顔をした。なんなんだ?さすがにリティルはたじろいだ。インファがため息をつくと、ジロリとこちらを睨んだ。

「今は、シャナインを安全に出産させるための話し合いをしているんですよ?ギンヨウは関係ありません。父さんは、ギンヨウをこの城に閉じ込めるために、シャナインの出産を利用しているんですか?」

「はあ!?そんなわけねーだろ!」

さすがに慌てた。慌てたが、インファの信用は回復しそうになかった。

「わかりました。ペオニサ、どこか候補の場所はありますか?」

インファがこちらを無視して話を進め始めてしまった。ペオニサは顔をぱあっと明るくして、セリアは安堵した様子だ。

「リフラクに頼んで八百万がいいと思うんだ。あそこには咲耶姫とか化け猫たちがいるでしょ?シャナインも話し相手には事欠かないしさ」

「ギンヨウとリフラクも懇意にしている場所ですね。了解しました。ギンヨウが戻ってきたら、話をしましょう。……ペオニサ、セリア、一緒に話してくれませんか?」

インファはギンヨウ相手に緊張しているようだ。

「オレが話してやるよ」

「父さんは関わらないでください。これ以上拗れたら、ノインにフォローを頼まなければならなくなってしまいます」

「拗れるってなんだよ?」

さっきからなんなんだ?どうしてそんなにギンヨウを警戒しているんだ?リティルは、首を傾げた。それに、なぜノインなのかも解せない。ギンヨウは「風の王の鏡」だ。前任の2人は守り切れずに割れてしまったようだが、リティルは同じ轍は踏まない。天照大鏡と関わった風の王は上級精霊でしかなく、リティルは最上級精霊だ。ギンヨウをみすみす割らせない。あの遺言もギンヨウが割れなければ気にする必要はない。

「父さん……ギンヨウに好かれている気でいるんですか?」

「はあ?」

ギンヨウはアシュデルにもあんな感じだ。毒舌で辛辣なのだ。あれが素だ。シャナインといるときは柔らかいが、普段はツンツンしている。

「ギンヨウがかろうじて話をするのは、シャナインを除外して、ペオニサだけですよ?皆、拒絶に近い扱いを受けています。だというのに、身体を張って因果分岐です。皆、ギンヨウの扱いには困っています。ノインは、風の精霊ではなく、父さんの兄で元ですがオレの相棒です。ノインならば、ギンヨウと一家の橋渡しをしてくれるでしょう。口下手ですが、ギンヨウになじられても動じず、言いくるめてくれますよ。危ういとわかってくれていますし、十分ギンヨウを守ってくれます」

理詰めでまくし立てられ、リティルは閉口せざるを得なかった。

「インファ、そんなに見えてるなら、ノインをギンヨウにつけてよ!今回だって、リフラクがたまたま暇にしてたからすぐに回収できたけど、いつ割れちゃうか気が気じゃないよ!」

「割らせねーよ?」

「実際守れてない!ギンヨウはアクセサリー作家で一般人だよ!どうして、こんなところに置いておくんだよ!」

こんなところ……?風の城は、居心地が悪いっていうのか?初めて言われた言葉に、愕然とした。

「ギンヨウは戦闘能力皆無で防御力0です」

インファがため息をつくと、静かに言った。

「ギンヨウが一家の者と交流しないのは、戦う力も身を守る術もないからではないかと、最近思っています」

「それがどんな理由になるっていうんだよ?そんなもの、教えてやればいいじゃねーか」

「本気で言ってる?リティル様」

ペオニサが失望した顔をした。意味がわからずにたじろぐしかなかった。見れば、セリアからも悪魔を見るかのような目で見られていた。

 いったい、何が起こってるって言うんだ?リティルが困っていると外へ続く白い石の扉が開いた。

「何をしている?」

帰ってきたのはノインだった。彼は、濡羽色のオオタカの翼でソファーまで一息に飛んできた。

「ノイン……リティル様がギンヨウを閉じ込めようとしているのよ」

「はあ!?そんなこと言ってねーだろ!?」

セリアのあんまりな説明に、思わず声が裏返った。ノインがこちらに視線を寄越した。濡れたような黒い切れ長の瞳に見つめられ、居心地が悪い。これは、間違いを諭す時の目だ。

「ノイン、あなたから見て、ギンヨウはどんな人ですか?」

インファの問いかけで、ノインの視線がリティルから外れ思わずホッとしてしまった。

「冷静で、思慮深く、判断力に優れ、一筋縄ではいかない御仁だな。これだけ身体を張って守っていて、誰にも感謝をさせない。孤高を気取っているわけではない。誰のことも信じられない様子だ。特に風の精霊を警戒しているようだ」

「そうですか……。風の精霊を警戒している理由に、心当たりはありませんか?」

「ギンヨウは、リティルを庇うという例の因果分岐で、何かあったようだ。それはもう回避されているということだが、彼の見る未来は誰かの死か死亡相当の事態だろう?それに関わっているとするならば、おそらく、不信感はそう簡単に拭えるものではないだろう」

「なんだそうか?じゃあ、オレが話をすればいいじゃねーか。例のあれ、オレが対象だったんだろう?だったらオレは、警戒されてねーだろ?」

「父さん……正気ですよね?」

ギンヨウの因果分岐は、リティルを庇うものだった。庇われる対象がギンヨウに何かしたわけはないだろう。だとするなら、リティルは警戒の対象外のはずだ。だというのに、インファには絶句に近いあきれ顔をされてしまった。セリアはもうこちらさえ見ていない。

「ああ?なんだよ?」

「オレの目から見て、ギンヨウが1番警戒しているのはあなたですよ?いったい、失われた未来で何をしたんですか?」

寝耳に水だった。言われてみれば、八百万に一緒行っていたころは、合っていた目がいつからかまったく合っていない。顔すら会わない日が何日ある?ギンヨウは、特殊中級精霊だと長らく偽られていたために、主従は理解できなくとも、敬わなければならない相手に尊大な態度はとらない。例外はアシュデルのみだ。だというのに、今の態度は……。

 リティルが思考停止していると、どこへ行っていたのか、ラスが白い石の扉から帰ってきた。疲れているのか表情は暗く顔色も悪い。

「ただいま……」

背後には、ギンヨウとリフラクがいる。どうやら、ギンヨウを連れ帰ってきてくれたようだ。なんだ、風の精霊が警戒されてるって?ラスが行って大人しく帰ってくるなら、皆の思い過ごしだとリティルは安堵した。オレがギンヨウに嫌われているわけがないと、それを証明するためだった。ギンヨウに向かってリティルは飛んでいた。

「ギンヨウ、」

インファが息を飲むのがわかったが、無視してしまった。ラスが強ばった顔をした。そして事件は起きてしまった。

「――やれやれ、リティルはあなたの主君ではないんでやがりますか?」

リティルはギンヨウに前から押し倒されていた。嘲るように静かに言葉を紡いだ彼の口元から、血がツウッと一筋流れ落ちた。見下ろす彼の瞳は、リティルのことなどどうでもいいような、感情なく冷たかった。あまりの冷たさに、リティルはギンヨウを気遣う余裕すらなかった。

「ギンヨウ!」

ペオニサが血相を変えて駆け寄ってきて、リティルの上から奪っていった。

「おや?ペオニサ、いたんでやがりますか?」

「う、うん。大丈夫?」

ペオニサはオロオロと、しかしギンヨウの口元から流れた血を拭った。

「はい。まだ霊力が戻っていなかったんでやがります。これくらい、大丈夫でやがりますよ」

ギンヨウは自分に治癒魔法をかけた。治癒魔法など、ギンヨウは操れなかったはずだ。それよりも、リティルはラスを見た。彼はまだ、クオータスタッフを手にしたまま唖然と青ざめていた。リティルは、ギンヨウに声をかけただけで、ラスに攻撃されていたのだ。ギンヨウが因果分岐したということは、リティルは怪我をしたのだろう。

「フフフ、話し合いが必要なのは、誰でやがりましょうか?」

ギンヨウはペオニサの手をやんわりと拒否すると、ゆっくりとした足取りで広い広い応接間を横切り城の奥へ続く扉に姿を消した。


 風四天王・執事が風の王に攻撃を加えてしまったために、何やら話し合いになったらしい。ギンヨウには関係ないことだ。なぜなら、ラスに庇われるいわれがないからだ。

どうやらギンヨウが発端のようだが、まったく身に覚えがない。顔も名前も一致していない一家の人が殊勝なことに教えてくれたが、何やら責められている雰囲気で、ギンヨウからしたら迷惑極まりなく「わたしを勝手に理由にしないでいただきたい」と返しておいた。殴られてもよかったのだが、彼は気分を害した顔はしたが引き下がっていった。ここで一悶着起きれば、大いに引っかき回してやれたのだが残念だ。ギンヨウは悪くない。悪いのは、こんな精霊を一家に加えた風の王だ。

 そんな渦中のギンヨウは今、座敷に寝転んでいた。大の字だ。日だまりで溶けている猫のごとく寛いでいた。

「天照、疲れは取れそうか?」

ノッシノッシと音がしそうな風体で現れたのは、頭に氷の細工のような繊細そうな角を生やした美丈夫だった。ノインよりは逞しいが細身の体格で2メートル近い身長がある。羽織袴を着た美しい彼は、吹雪丸。このグロウタース・八百万で、あやかしの種族の1つである鬼の頭領をやっているギンヨウの友人だ。八百万は和装の国であるため、ギンヨウも着流し姿だ。ちなみに今ギンヨウがいるこの座敷は、吹雪丸の住まいである鬼の館にある1室だ。

「はい!定住したいくらいでやがりますね」

ああ、ここは天国だ!気心の知れた友と、自由がある!ちょっと羽目を外しすぎたかもしれない。顔を引き締めていた吹雪丸の瞳が、怪しく光った気がした。

「おい、ギンヨウ、欲望丸出しの鬼を前に無防備が過ぎるぞ?」

首だけ動かして見れば、青銀の髪をポニーテールに結った糸目の色男が、手にお盆を持って入ってきた。彼の頭には狐の耳が、尻には8本の尾がある。妖孤の頭領・八尾狐だ。吹雪丸よりも世話になっている友人だ。

「ギンヨウ、風の王にずいぶんな目に遭わされていたようだな?」

八尾狐の瞳に怒りが見て取れる。彼が怒るほどのことでもない。ギンヨウは身体を起こして笑った。

「さほどではなくてやがりますよ。ただ、盤石だと言われていた割には、脆くてやがりますね!」

ギンヨウの何を知ったのかは知らないが、ラスの行動は滑稽だった。ギンヨウは一家の嫌われ者だ。そんな男の料理を食べている彼らの神経は疑うが、もちろん主君に手を上げてまで庇われるなんてことになる絆はありはしない。いつ育んだのか、こっちが知りたいくらいだ。ノインは呆れ顔だった。このまま不和を呼ぶギンヨウに幻滅してほしい。遠ざけたのに、未だにギンヨウを案じてくれている彼の心がまったくわからない。

スルリと、八尾狐の手がギンヨウの頬を撫でて顎を掬い上げた。ジッと至近距離から見つめられ、目がそらせなかった。

「……戻ってきているようだなあ」

「何がでやがりますか?」

八尾狐はあからさまに顔をしかめた。

「気がついておらんのか?悪鬼に堕ちる寸前のような顔をしていたぞ?鬼の館で生気を取り戻すとは癪だが、吹雪丸め、いい仕事をしたな」

顎を離され、彼がずいとお盆をこちらに押しやった。茶を入れろというのだ。そうだ。八尾狐は頭領。本来、こうやってお盆を持ってくる事さえない。どうやら、急いで来たらしい。ここは鬼の館で、八尾狐の館がある場所とはかなり離れている。ギンヨウが徒歩で旅をしたら1週間は掛かってしまう距離なのだから。いつもならば、吹雪丸が八尾狐の所に遊びに来たギンヨウに会いに来るのだ。

茶を入れてやれば、吹雪丸も隣へ座ってきた。普段高座にいるのに、ギンヨウの前でだけは降りてくるのだ。しかも客室に自ら訪ねてくる。以前「わたしが行きやがりますよ?」と言ったら「天照は大神なのだからオレが行くのが当然だ」と言われた。

現に、最初に通された客室は煌びやかで見れば見るほどすべてが高級だった。煌びやかすぎてギンヨウは逃げ出してしまったのだ。そして、急遽設えられたのがこの座敷だった。庶民のそれではないが、高価な調度品は片付けられ、見た目だけならただ広いだけの座敷だ。障子を開ければ目の前には白い玉砂利の敷き詰められた庭が見え、ひょうたん型の池の側には柳が植わっている姿が見える。美しい景色だ。

「シャナインは、子が嬉しくないのか?」

腹が出てきて動きづらくなり、シャナインは日々が億劫そうだ。結婚歴のある八尾狐の目からすれば、幸せには映らないだろう。

「風の精霊はそんなものでやがりますよ。死という力に近いために、子ができない精霊なんでやがります。花の精霊の性質を持つわたしとは、真逆でやがりますね」

シャナインは戦えない今が苦痛なようだ。彼女に産んでもらうことは、ギンヨウの我が儘なのだ。風の城で子育てか……と今から気が重い。

「大事にならんか?」

「大丈夫でやがりますよ。わたしが引き受けやがりますので」

八尾狐も吹雪丸も心配そうだ。ギンヨウは小さく笑うと、思いを吐露していた。

「シャナインには、期待してやがらないんです。わたしが、ほしいと思っただけでやがりますので」

「ますます大事ないのか?子だぞ?」

八尾狐とその昔の奥方との間には、子はいなかったそうだ。異種族だったからではなく、奥方は身体が弱かったのだ。ギンヨウとシャナインの婚姻を心から祝福してくれ「子は?できんのか?」と祖父のように楽しみにしていたというのに、期待を裏切ってしまって申し訳ない。

「精霊のそれとグロウタースのそれは違ってやがりますよ。わたしも純血二世でやがりまして、師匠と同じ事がしてみたいんでやがりますよ。父親に、なりたいんでやがります」

あそこまで、風の精霊が子供のことを理解できないとは思っていなかったが、ギンヨウも母親がいない。アシュデルにもかなり放っておかれた記憶しかないが、不満はない。不満はないが、事情のあったアシュデルとは違うのだ。12年、傍にいられるだけ傍にいられればいいと思っている。精霊を両親に持つ精霊・純血二世は、12年間の幼少期を経て一人前の精霊として独り立ちする。成人の日、どんな精霊になるかは12年の過ごし方によるのだ。

ギンヨウが拘らなければ、シャナインの腹に宿ったモノは「今」ここにはいなかった。ノインだけを選び、あれを使っていれば「今」シャナインの腹にはいない。

ギンヨウの我が儘だ。シャナインがあれほど疎ましく思うなんて、想定外だっただけだ。

「ここで、育てんか?」

「吹雪丸の館で、でやがりますか?咲耶姫も困るのでは?」

八尾狐がいうのはおかしいと思って、ギンヨウは笑ってしまった。

「咲耶は喜ぶだろう。オレの息子ももう1才だ」

そうなのだ。1年半前結婚した、女神・木花咲耶姫と吹雪丸の間には男児が生まれている。今回、シャナインを受け入れることに積極的だったのは咲耶姫の方だった。「お姉様とギンヨウ様の御子の誕生に立ち会えるなんて、なんて幸せなのでしょう?」と言ってくれた。

「魅力的な申し出でやがりますが、遠慮しやがりますよ。わたしは、ここでは大神でやがりますので」

ここで出産させてもらえるだけでもありがたい。風の城なんぞで産んでいたら、リティルに盗られかねなかったと思う。まあ、出産すれば風の城に帰ることになるので、未来は変えられそうにない。ギンヨウの子が、また風の城に波乱を呼ぶのだろう。だが、守ってみせる。ギンヨウは、何度死んでも構わないのだから。

「さて、シャナインの様子を見てきやがりますよ」

シャナインはギンヨウの顔を見るたびに「産んでもいいのですか?」と言う。そんなことは聞きたくはなかった。ギンヨウはただ、シャナインにも喜んでほしかったのだと自覚している。咲耶姫はいつもフォローしてくれるが、それもいつまで保つか。

しっかりしなければ。父親になるのだから。母親に愛されなくとも、その分ギンヨウが愛せば大丈夫だ。ギンヨウは、シャナインの部屋を訪ねた。


 リフラクは、残念なモノを見るような目でシャナインを見ていた。

「君、ギンヨウにそれ、言ってしまったのかい?」

なんてことを言うんだろうねぇ?あの親にしてこの娘ありなのかい?リフラクはシャナインに失望していた。

花の精霊は、花を咲かせて実を結ぶ。ようは、繁殖に繋がるような恋愛感情を司っているのだ。天照大鏡という至宝の精霊であるギンヨウだが、花の性質も持っている。シャナインの懐妊は、それはそれは嬉しかったことだろう。だというのに、妻が「本当に産んでもいいのですか?」と言っているのだ。ギンヨウの落胆は大きいだろう。

「しかし、わたしが人質ということは、生まれてくるこの子は、さらに人質ということではないのですか?リフラク」

「どういう意味だい?」

「ノインに警告されたのです。おまえは人質のようだと」

「風一家入りを決めたのはギンヨウだよぉ?インファが城に住むことに難色を示したから、君の妊娠を利用して入り込んだのさ」

シャナインが瞳を瞬いた。彼女はいったい、現状をどう思っているのだろうか?ギンヨウは何も教えていないようだ。おそらく、風四天王をまったく信用していないことも言っていないのだろう。しかし、ギンヨウを取り巻く空気の悪さに気がつかないものだろうか?気がついたら問うだろう。シャナインは、ギンヨウを愛しているのではなかったのだろうか?

「そうなのですか?では、産んでしまいましても、ギンヨウの枷にはならないのですか?」

枷だ。もの凄い枷だ。リティルは子育てに協力して恩を売り、なおかつ子供にいい印象を与えたくて風の城から出したくないのだろうと邪推してしまう。

この際だ。シャナインが我が子に情がないというのなら殺してしまうのも手だ。今現在、ギンヨウの心を疲弊させているのだから彼が1人で子を守り育てようと思う前に、原因自体を排除するのも愛だろう。所詮、シャナインがこのままなら壊れる夫婦関係なのだから。

「君ねぇ、子供なんて生まれてしまったら、12年は庇護下に置かなくちゃならないんだよぉ?どこで育てるとか、いろいろあるだろう?そもそも、なぜ風の城から出されたと思っているんだい?」

何も口を出さずに崩壊するのを見ていれば「風の王の娘」をギンヨウの傍から排除して、開いた穴に自分が納まればいいというのに、リフラクはいつからこんなに甘くなったのだろうか?と内心自分を嘲笑っていた。わかっていないのか、わかろうとしていないのか、イマイチ判然としないシャナインに、懇切丁寧に教えようというのだから。

「白虎野島ではいけないのですか?」

「あのねぇ、なぜギンヨウが風の城に入り込んだのか、考えた事があるのかい?どう見ても窮屈だろう?見ていて痛々しいし、君も脳天気だねぇ」

彼女のこれは何なのだろうか?ギンヨウに従っていればいいと思っているのか、リティルを信じているからなのか、イマイチわからない。

「ギンヨウが風一家を崩壊させる気だと聞いて、君は何と思うんだい?風一家の崩壊は、まんまリティル様の力が落ちることを意味してる。立て直すために誰が動くか、わからないのかい?」

「ギンヨウは、風一家を崩壊させたいのですか?わたしと子供が人質だからですか?」

何も知らなければ、こんなお花畑な返答になるのだろうか?内容が内容だ。風の王の娘であるシャナインには、あの犠牲の因果分岐の顛末を話せていないのだろうが、ラスがリティルを攻撃してしまったり、出産場所が八百万になったりして、何も思わないものだろうか?「今」はおそらくギンヨウの計画通りに進んでいる。風一家を内部崩壊させ、ノインに平定させればさすがに彼の地位は上がるだろう。それにより危険視されるのならば、ノインもさすがに風一家から脱出を考えてくれるかもしれない。君が危険に陥れば犠牲の因果分岐だよぉ?と脅してみるのもいいかもしれない。ギンヨウが失われた未来を唯一話してくれた共謀者として、リフラクはギンヨウに最後まで付き合う所存なのだ。

ここで、ノインの名を出していいものだろうか?彼女は「風の王の娘」だ。最終的にはギンヨウを裏切るかもしれない。ギンヨウもそれを拭い去れないから、シャナインに話さないのではないか?と思える。

「君、ギンヨウに離婚されてしまうよぉ?」

「え?」

彼女には珍しく、無表情の仮面が剥がれて絶句していた。

「君も頭はそんなに悪くないんだから、考えてごらんよぉ。このまま、ギンヨウが君たちの為に動いているなんて勘違いしてるんなら、その子を殺してギンヨウから離れておくれ。ギンヨウの戦いは孤独で繊細なんだよぉ。悪いけれど、それがわからない女なんてギンヨウに破滅しか導かない疫病神だよ」

これでシャナインが我が子を殺すというのならば「今」をどうにか乗り切ったところで、そのうち崩壊する夫婦関係だ。傷の浅い、早い方がいい。

「まだ、大型因果分岐は、終わっていないのですか?」

天照大鏡は、通常数秒から数分先の未来視か映さない。それが、ごくたまに遠い未来を映すことがある。それをギンヨウは大型因果分岐と呼んでいた。リティルを庇う例のあれは、大型因果分岐ではない。あれはギンヨウが自分の死を覗いた結果だ。新米天照だったギンヨウは、あれを大型因果分岐と勘違いしてしまってのミスだ。ギンヨウは、あの絵は、リティルを庇ったのではなかったのだと言った。では何なのか?リティルはたまたまあの場にいただけで、ギンヨウは犠牲の因果分岐の為に自ら凶刃を受けに行っただけだったのだ。

その失敗からか2代目天照大鏡に「ご自分の死は、見てはいけません」と言われ、ギンヨウは自分自身の危機回避の為の因果分岐以外、自分の未来は見えなくなってしまったという。ギンヨウは「まあ、因果分岐は行き当たりばったりなモノでやがります。自分の死を視ていなければ、こんなややこしいことにはなってやがりませんから」と受け入れていた。

「リティル様の例のあれは、大型因果分岐じゃないよぉ?あれは、ギンヨウの死だ。対象は初めからギンヨウだったんだよぉ?君の目には何が見えているんだい?大事なモノは何かを見失うと、不幸になるよぉ?」

「リフラクには、何が大事なのですか?」

「今はギンヨウが大事だねぇ」

ギンヨウの料理は生命線だ。彼を失えば、自分の死に直結する。彼を好きだからと言うつもりはない。自分の命がかかっているから、君を裏切らないと言った方が、疑心暗鬼なギンヨウも楽だろうと思うから。

リフラクだって、ギンヨウの心のすべてを把握してはいない。今のギンヨウは危うい。ノインの安寧に固執しているだけで、風の城の転覆までは狙っていないかもしれない。

だが、ノインだ。ギンヨウが守ろうと思い詰めている相手は、あのノインだ。殺しても死なないだろうあのノインだ。どこをどう心配すればいいのかなぁ?と思えるほどに強く、落ち度など作らないし隙を突かれないノインだ。そのノインが、悪だと討たれる?馬鹿も休み休み言えとリフラクだって思う。

そもそも、良くも悪くも善人のようなリティルを、いったい誰が敵認定する?リフラクも、ギンヨウが失われた未来で地獄を見ていなければ疑いもしなかった。

しかし、15代目風の王・リティルは、魔王だったのだ。あのノインを、ギンヨウと相思相愛になっただけで悪として討ってしまったのだから。彼の我が儘1つで、滅ぼされる者が出るという前例に他ならない。

そして、今現在の我が儘が、天照大鏡・ギンヨウだ。ギンヨウは、リティルが魔王であると知らしめる為に行動しているのかもしれない。失われた未来での、ノインによるイシュラース大戦は回避されたが、確かに、今もギンヨウが恐れているようにその未来へ進む危険は常にある。

ギンヨウの思惑が成就し、リティルが失脚する前にギンヨウに何かあれば、ノインが動いてしまうかもしれないのだから。リフラクができることは、考えられる結末を様々考えておくことだけだ。まだリティルは、何も起こしてはいないのだから。

「この子を殺すには、どうすればいいのでしょう?」

「君、本気で言っているのかい?」

「わたしは、ギンヨウが1番大事なのです。この子がいることで、ギンヨウの不利になってしまうのならば、排除します」

……この短絡思考、どうやって物事を教えたらいいのだろうか?リフラクはしばし言葉を紡げなかった。


 ギンヨウは、当てもなく山の中を歩いていた。

これが、風の王ではない者を選んでしまったが故の仕打ちなのだろうか?今なお、風の王を選ばない為の対価を、払わされているというのだろうか?

ノインを選び、守る。

それは、そんなに大それた事だったのだろうか?ギンヨウが思い出しただけでも10回は死んだ。そして、彼に近付かないようにすれば、繰り返す過程でシャナインの腹に宿ってしまった鏡の欠片を犠牲にしなくても回避できるとわかって、そのようにした。

だというのに、その子を、シャナインは殺そうとする。

ギンヨウの為に我が子を殺す?悪いがその思考回路は理解できない。理解する気も起きない。

だからだろうか?繰り返した中のギンヨウが、シャナインとの婚姻自体をなかったことにしたことがあった。その時の自分が何を考えていたのかわからない。だが、半年経ってもまだ腹に宿ったギンヨウとの子を愛せない風の精霊に、失望している自分がいる。

絶望に近い。

こんな未来を、予見した自分がいたのかもしれない。こんな酷いことに悩まされるのならば、初めからシャナインと婚姻を結ばなければいいのだと思ったギンヨウがいたのかもしれない。

現に今、ギンヨウはそう思ってしまっている。もしくは、あのとき、我が子を犠牲にできていたら、ノインとの友情を守ることができたのだろうか?……我が子よりノインをとってしまっていたら、どちらにせよシャナインとの婚姻の継続は不可能だった。ギンヨウは、花の精霊でもあるのだから。子を愛せない母親と人生を共にすることは、できようはずもない。それが例え、最愛だったとしても。

 シャナインに会いに行き、ギンヨウはリフラクとの会話を聞いてしまった。さすがに打ちのめされて、部屋に入れないまま鬼の館を出てきてしまったのだ。頭を冷やしたら帰ろうとこれでも思っている。

『銀陽、あなたは、風の王の犠牲の鏡ではありません』

「本当にそうでやがりますか?あなたも初代も、風の王を愛していたんでやがりましょう?」

『確かに、あの方の為に目覚めはしました。けれども、我が夫・ヤンインがその理を壊したのです。あなたも知っているはずです。天照大鏡は、風の王の手に渡してはならないという遺言をです。あの遺言を王家に托したのは、ヤンイン様です』

「ヤンインは、なぜそんな遺言をしたんでやがりますか?風の王にとっては、有益でやがりましょう?」

『私を、それほど深く愛してくださったのだとうぬぼれております。あのお方は、私を割れない鏡にしたいと言ってくれました。だから私は未来を視、あなたが目覚めることを知ったのです』

「!?まさか、あなたはわたしが目覚めるから、諦めてしまったんでやがりますか?」

『いいえ。私には、永遠の鏡になるほどの力はありませんでしたよ?それに、知ってしまったのです。15代目風の王の存在を』

ギンヨウはハッとして言葉を失った。15代目風の王がいるということは、8代目のヤンインは死ぬということだ。そんなことが見えてしまえば、自分の死を視るよりも辛い。ギンヨウも立ち直れない。

『オホホホ。そういうことなのですよ。しかし、まさか、風の王の方が鏡に固執してしまうなんて、思ってもみませんでした。ヤンイン様は、預言書まで作って、風の王の手に渡ることを阻止しようとなさったのに』

「預言書は、風の王の作なんでやがりますか?」

『ええ。霊力の交換で得た私の霊力と風の力を使ったのです』

「本当に……風の王が、わたしを自由に……?」

『そういうお方でした。私を憂い、3代目となるあなたを憂いたのです』

信じられない。今代の風の王は、ノインを一方的に攻めた。一家も、疑問に思ったとは思えない。どうしても、ノインと我が子を救う事ができず、ギンヨウは何度も金陰に殺してもらったというのに、風の王が元は味方だった?

『何者かが、今代の風の王を操っているのかもしれません』

「だとしても、わたしには関係のないことでやがります」

『風の王を、信じろと言っているのではありません。ただ、このまま放置すれば間違いなく世界は滅びるでしょう』

もっと視野を広く持てと?こんなその場で1人しか救えないような小さな鏡に、世界を守れと言うのだろうか?荷が重い。失敗すれば世界は滅びるなんて、押し割れてしまいそうだ。

「ノインが……滅ぼしてしまいやがりますね」

『風の王の愚行のために、ノインを黄昏の騎士にしてはいけません』

風の王は操れても、その人は一家の中での影響力は低いのかもしれない。何事かを知ったらしいラスの、あの過剰な反応が物語っている。しかし、もっと大きなことを仕掛けてくれなければ、ギンヨウでは見えない。推理しようにも、風一家のことをまったく知らない。

知らなければならないのか?知らなければ冷たくしても心が痛くない。だが、交流を持ってしまえば、悪辣にはいられなくなってしまう。ギンヨウは弱いのだ。弱く脆い自分を知っている。虚勢を張らなければ、あの牢獄にはいられない。

『銀陽、この地には初代天照の残したモノがあります。気をつけなさい』

金陰は、会話を打ち切るようにいなくなってしまった。

初代天照大鏡は、このグロウタース・八百万の大神だ。天照大御神という名で伝説となっている。あの伝説には風の王が出てこない。焦土と化したこの八百万のすべてを蘇らせたというし、風の王の活躍などその偉業で霞んでしまったのだろう。かく言うギンヨウもこの八百万の生ける大神だが。

そういえば、ギンヨウの伝説にも風の王は出てこない。単純に、自分達の伝説に異界の民はいらないということなのかもしれない。グロウタース・黒夜の曙では、天照大鏡と風の王の伝説が語り継がれているのだから、国民性だろう。

「ギンヨウ!1人で何出歩いてるんだよ?」

その声に、ギンヨウの身は強ばった。なぜここに?なぜわたしに構うんでやがりますか!現れたのは、風の王・リティルだった。

「ギンヨウ、オレ、何かしちまったのか?」

「今」のリティルは何もしていない。だが、恐ろしいモノを見せてもらった。それは、このリティル率いる風一家の本性と言ってもいいものだ。逆らえば消される。それが例え、このリティルの兄であったとしても。

彼は暴君だ。優しい顔をして、自分に逆らう者を許さない。誰も彼も手に入れなけらば気が済まない。自分を信じているから、誰の苦言も届かない。

「何も?誰かに何かを言われたんでやがりますか?」

ギンヨウは平静を装った。ギンヨウの言葉を聞いて、リティルはあからさまにホッとした。誰かに何かを言われたのだろう。それを信じたくなくて接触してきたといった感じだ。なぜだろう?なぜこの人は、自分に絶対の自信があるのだろう?何もしていなくても、嫌われる事があるということが、なぜわからないのだろう?誰彼からも好かれると思っている理由は何なのだろうか?こんな精神で、よくこれまでやってこられたなと思ってしまう。

いや、思い上がるのには十分だ。世界最強のノイン、イシュラースの半分である昼の国・セクルースの支配者・太陽王、イシュラースの三賢者筆頭である花の王がついている。向かうところ敵なしとはこのことだ。

「そうだよな。風の王の鏡のおまえが、オレを嫌うわけないよな」

そういうことか。ギンヨウは合点がいった。どんなにギンヨウが抗っても、この男はギンヨウを手放さない。ギンヨウを自分の物だと思っているからだ。ギンヨウに近づく者は、ノインでなくとも排除される。そうして、ギンヨウの周りから誰も彼をも排除して、オレしかいないと思わせて囲うというのだ。

冗談じゃない。

ギンヨウは恐怖していた。心の底から恐怖した。得たい者を得られず、どうでもいいモノを押しつけられて、割れてしまうまで囲われる生活が待っている。この男の自己満足を満たす為だけに!

「わたしは、あなたの鏡ではなくてやがります」

あまりの恐怖に、言ってしまった。笑みを浮かべていたリティルが、笑みを収めた。そして、しげしげとこちらをうかがってくる。

「何言ってるんだよ?天照大鏡は風の王の犠牲の鏡だろ?」

人は、聞きたいことしか聞こえない。それは、世界の刃である風の王であったとしても同じらしい。まだ何か目の前の男は言っているが、ギンヨウは耳に入っていなかった。ただただ嫌だと思った。守る為だと割り切って離れた友の顔がちらつく。

どれだけ自分が浅はかなのか、耐えられると思っていたことが信じられない。

声が届くのなら、言ってもいいのなら、助けてと。ノイン、助けてと叫びたかった。

ああ、わたしを見つけてくれたのがあなただったらよかったのに……。死んでしまうギンヨウを惜しんで抱きしめてくれたあの人を、最後に会いたかったと言ってくれたあの人を、ギンヨウは選んでいた。目の前のこの男ではないのだ!

「ギンヨウ!」

なぜか血相を変えたリティルがこちらに手を伸ばすのが見えた。ギンヨウは叫んでいた。力の限り。

「近寄りやがらないでください!!」

何が起こったというのか。目を閉じた暗闇は、明けることはなかった。


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