第二話 第二節「拝也は必要なのだ」
【12月20日 5:03】
「うあぁぁぁっ⁈」「ぎゃっっ!!」
突然のレイの出現に、俺たちは心底ぶったまげ、その場から飛び退いた。
――見逃してたハズがない。
俺の座ってる位置から、奥の寝室の出入口は自然に目に入るからだ。どれだけ音を立てずにこっそり寝室から出てきたとしても、そもそも隠れて移動するスペースがない。
まさに瞬間移動だった。超高速だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
「あ、アンタいつの間に――!
って、ぎゃああああ!!
拭いて拭いてぇ!」
ビスケが思わず倒してしまった缶ビールの中身が座卓にぶちまけられ、そこから滴り落ちた液体は、見る見る間にカーペットに染み込んでいく。
俺の部屋だと気にもならない些事だが、それなりに小綺麗にしているこの部屋では、あってはならない事態なのだろう。
「ホッシーはよ拭かんかい!
アンタもじゃ、ボケェ!」
鬼の形相で俺とレイに布巾を投げつけると、ビスケは必死にカーペットを布巾で擦り始めた。
現実離れした異常事態よりも、まずは目の前の生活ということか。なんというか、しっかりしている。
手に持った布巾を不思議そうに眺めるレイを横目に、俺も慌てて座卓の上を拭き始めた。
そういえば、レイは赤いジャケットを着けていない。寝かせるときに、ビスケが外したのかもしれないな。身につけているのは模様の入った白いボディスーツだけだが、肩口に乾いた血痕が生々しく残っていて、せっかくの機会なのに俺は直視できずにいた。
――そして15分後。
ほのかにビール臭はするものの、どうにか復旧作業は終了した。カーペットは取り除かれ、洗濯機の横に丸められている。7時を過ぎてから回すらしい。
カーペットのない冷たいフローリングに、レイが正座させられている。なぜか俺も正座させられている。
その眼前では、腕組みしている怒りのビスケがソファにふんぞりかえって鎮座し、俺たちを冷たく見下ろしている。
この令和の時代に、なんだこの圧迫面接は。
「――自己紹介」
あまりに端的なビスケの要求に、レイは無表情のままで答えた。
「人に名前を尋ねるときはまず自分から、というのが地球人の礼儀ではないのだ?」
言った。コイツ、この状況で言いやがった。
俺は顔を俯ける。ビスケの顔?見れるかそんなモン。
「――だが、どうやら世話になったようなのだ。
自己紹介するのだ」
曲げた。コイツ、ビスケの圧に負けやがった。
顔を見なかった自分を褒めてやりたい。あのレイが押し負けたんだ、どんな顔だったか考えたくもねぇ。
「レチクル座ゼータ連星系に属する惑星の知的生命体……地球人はグレイと呼称するようなのだが、自分はそのグレイに造られた合成人間なのだ。
本来の名前は地球人向けじゃないから、拝也に『レイ』と名づけてもらったのだ」
おい。自己紹介のたびに、俺が名付け親だって触れ回るつもりかコイツは。そのまま『レイなのだ』でいいんだよ!
「ほー、『レイ』ちゃんて名前付けたんや。
可愛いペットでも飼うたつもりか、ホッシーぃ?」
ほら見ろや!とんでもない前段を無視して、速攻でこっちにツッコんできたじゃねぇか!
「そこはどうでもいいだろうが……」
俺の振り絞るような返答に、ビスケはあっさりと引き下がった。
「まぁ、ほやな。
星とかはよう分からんかったけど、グレイって……あの真っ黒い吊り目の全身タイツみたいなキモい奴やろ?
レイちゃん全然違うやん」
「自分は地球の調査用に、地球人と同じ遺伝子構造で造られているのだ」
「あ、そこら辺はコイツから聞いたわ。穴開けて、そっからトカゲの宇宙人も入ってきたんやろ?
ちょっとそこらへん、レイちゃんの口からも説明してもらえる?」
ビスケめ。レイにも説明させて、二人の情報に違いや矛盾がないか確認するつもりか。意外と小賢しい手を使いやがる。
結果としては、(当然だが)俺とレイの説明内容はほぼ同じだった。
黙って聞いていたビスケは、レイが話し終えると口を開いた。
「――で、なんでホッシーなん?
レイちゃんが猫の手でも借りたいんは分かるけど、ホッシーどっちか言うと弱い方やで?」
それは、レイの突然の出現で立ち消えていた質問。
そして、俺がレイに聞きたくても聞けなかった質問。
もしそれで、レイがあっさりと納得したら?
俺は、この降って湧いた物語から早々に脱落してしまう。そしてすぐに、単位と金と将来でがんじがらめになった日常が始まる。
クソ、お前はいいよな。単位数は余裕だし、バイトでも皆から頼りにされてて、就職先も決まってるって話だった。
もう十分だろ?
俺から何か奪う必要なんかないだろ?
そういえば俺は、ビスケがレイに自己紹介を促したときから、ずっとフローリングに目を落としたままだ。
この質問がいつ投げかけられるか、それが不安だったのかもしれない。
そして俺の胸中など知る由もないレイは、間を置かずあっさりと答えた。
「拝也は弱くないのだ。
レプティリアンの討伐に、拝也は必要なのだ」
俺は思わずレイの横顔を見た。
それは初めて見たときから変わらない、美しく整った顔。
レイは、その曇りない真っ直ぐな目で、ビスケを見返していた。
ビスケは少し気圧されたような表情で、なおも質問を重ねる。
「――エラい信頼しとんやなぁ。根拠は?」
それは多分。いや、間違いなく。
「タバコなのだ。
拝也の扱うタバコは、我々『宇宙人』にとって、一級品の猛毒なのだ」
「――タバコ」
ビスケはあんぐりと口を開けている。
「自分は事前に、この国の文化や習俗について教育を受けているのだ。
そのとき、タバコ――特に紙巻きタバコという恐ろしい嗜好品の毒性には、くれぐれも注意するよう教えられていたのだ。
ただ、紙巻きタバコは既に生産中止。吸う者はほとんど居らず、わずかな喫煙者は電子タバコなる我々への毒性の低い物に頼っている、と」
そこまで言うと、レイは初めて視線を俺に向けた。
「だから拝也を見た時は驚いたのだ。
紙巻きタバコの煙を躊躇なく体内に取り込み、さらには武器として使える地球人。
しかも、レプティリアンの存在を受け入れた上で立ち向かえる人材など――そうそう居ないのだ。
実際、拝也は咄嗟の判断でヤツを退け、自分を救ったのだ」
そう言って、レイは少し――笑った。




