第二話 第一節「なんでウチに来た。簡潔に述べよ」
【12月20日 4:45】
俺はそっとマグカップに口をつけ、熱々のコーヒーを啜った。
――濃い。濃すぎる。これはどんなドジっ子メイドでも、来客に出して許されるレベルじゃない。
この世ならざる異常な苦さは、俺がこの部屋の主にとってどれだけ招かれざる客なのかを如実に表していた。
だが、疲労と眠気でスリープ寸前の俺の脳みそには、ありがたい刺激だ。これでもう少し戦える。
「目ぇ覚めた?覚めたらホントのコト言いや。
怒らんから」
座卓の対面から声をかけてきたのは、この部屋の主であり、俺のバイト先のバイトリーダーでもある、恵比寿 慧。通称ビスケだ。
赤茶色に染めた無造作な髪を乱暴に太い三つ編みにし、肩に垂らしている。
それなりに綺麗な顔立ちのはずなのだが、トロンとした半目(これはこの時間だからじゃない、平常運転だ)と目の下の薄いクマが台無しにしている。
自室とはいえ、くたびれたTシャツとジーンズ姿で恥じらいのない堂々とした佇まいは、女っ気を大阪に残らず置いてきた風情だ。
もちろん、コイツを女として見たことなどほとんど無い。
このビスケとの関係は、割と面倒くさい。
俺が通う『多摩情報未来大学』の四回生で、つまるところ俺の後輩になる。――大学では。
一方で、俺のバイト先の一つである『酒房よねくら』では先輩になり、しかもバイトリーダーなので上司でもある。
俺が留年して以降、ますます当たりが強くなった。というより馬鹿にされてる気がする。いや絶対馬鹿にしている。
「どったんよ。寝てんの?おーいおーい」
わざとらしく、目の前で手を振ってきやがる。クソ、だからコイツには頼りたくなかったんだ。
「――さっき言ったとおりっスよ。
あの娘は宇宙人で、トカゲの宇宙人に刺されて、行くトコ無くて連れてきたんスよ」
結局俺が選んだのは、心当たりがある近くの知り合い――ビスケが住む、この学生マンションだった。
治療できる病院ではなく『安全な場所』を希望したレイの言葉を信用し、俺は彼女を背負って、一番近いここまで走ってきたわけだ。
ビスケは缶ビールをプシュッと開けて一口飲むと、くっくっと笑った。
「他に行くトコ幾らでもあるやろ。警察とか病院とか。
――あ、アッチの病院の方がええかぁ♪」
自分の頭を人差し指でトントンとつつきながら、にんまりと笑ってみせる。
あー本気で腹立つわコイツ。
「信用できないのは分かりますよ。
信じられないスけど、もう傷口も塞がっちまってるし。
でも上着や服の血痕は見たでしょ?」
そうなのだ。訝しむビスケを強引に説き伏せ、玄関口にレイを横たえると――あれほど血が流れ出ていたはずの傷口は、既に塞がっていた。ただ、首元のボディスーツやジャケットには血が残っていて、さっきの怪我が幻覚の類ではないことを証明していた。
胸はゆっくりと上下しており、穏やかな寝顔で――そう、寝ているようにしか見えなかった。
「確かにな。でもそれ宇宙人の証明にはならんやろ。
人殺めてきた、て言われた方が納得するで」
ぐうの音も出ない。反論に詰まる俺に、ビスケは急に真面目な顔で、ずいっと顔を近づけてきた。
「なんでウチに来た。簡潔に述べよ」
「身元不明だから、病院や警察の世話になると身動きが取れなくなります。
んで、俺の部屋は……衛生的に汚すぎます。
血まみれだったから、ホテルやネカフェも――」
ビスケのジト目で、俺は説明を止めた。
正解は、求められてる答えは、これじゃない。
「――頼れるのがビスケさんしかいませんでした」
ビスケが一気に破顔した。
「正解。どついたろか思たけど、途中で気づいたから勘弁したる」
こっちがどついたろか。
「じゃあ、ぜ〜んぶアタシに言うてみ。まだ『あの子が宇宙人で、トカゲの宇宙人に刺されて死にかけた』しか聞いてない。
ホラならホラでええから、面白いホラ話にして聞かせてぇや」
腹立たしいが、追い返さずにここまで話を聞いてくれるだけでも恩の字だ。
いや、それどころか。
全く起きる様子がないレイを、この1DKの部屋の奥にある、ビスケの寝室で寝かせてもらっている。
何かあったらいけないからと、寝室の戸は開け放しのままだ。ここからは寝具の端しか見えないが、レイは今もそこで休んでいる。俺は中に入れさせてもらえなかったからな。
改めて、俺は厄介な相手にとんでもない借りを作ってしまった。
そして俺は、自分の現況を再確認するためにも、ありのままを正直に話した。
厄介な相手ではあるものの、俺たちを救ってくれたこの大恩人に。
バイト帰りに、いつもの公園に寄って一服したこと。
そこにいつのまにかグレイとレプティリアンがいて、レプティリアンが逃げていったこと。
話しかけてきたグレイの中身は、レイという女の子だったこと。
レプティリアン一匹の侵入は、レプティリアン全体の侵攻に繋がること。
そのレプティリアンを殺せば侵攻は防げるが、信号を受けた船団がこっちに向かっていて、五日後には地球に到着すること。
公園に戻って一服して話していたら、隠れていたレプティリアンに不意打ちされ、レイが負傷したこと。
携帯灰皿を投げつけたら、吸い殻と灰を浴びたレプティリアンが逃げ出したこと。
説明していてふと思ったことを、ビスケが代わりに言った。
「最後の一服、なに?」
本当にそうだ。アレが無ければ不意打ちを受けることはなかったはずだ。
いや、よく考えると。
アイツが俺たちをずっと尾けていて、公園に先回りしてあの遊具に潜んでいたとは考え難い。俺たちはレイの猛ダッシュで走っていったんだから。
つまり、アイツは俺たちが行く前から、あそこに潜んで休んでいたんじゃないか。そこに俺たちがのこのこ戻ってきて、油断しまくってるから突発的に襲ってきたんじゃないか。
だから――。
「俺が、余計な道草を――」
思わず頭を抱えた俺に、ビスケが声をかけてきた。表情は分からない。
「よく出来た話やわ。最後のくだりもホッシーらしいオチやしな」
ホッシー。いまや、俺をそう呼ぶのはコイツだけになっちまった。
「でもなんでホッシーが動いてんの?
その話がホンマやったとして、警察とか消防に言うても、まともに取り合ってもらえんのは分かるけど。
もっと強いヤツ幾らでもおるやん?」
ビスケが至極真っ当な疑問を口にした瞬間。
ビスケと座卓を囲む俺の隣に、奥の部屋で寝かせていたはずのレイが、ちょこんと座っていた。
「拝也はホッシーと呼ばれているのだ?
その話、詳しく聞きたいのだ」




