第一話 第三節「乗るのだ」
【12月20日 3:20】
もう、限界だった。
頭を働かせるのも――何より、ニコチン切れに耐えるのも。
この一時間程度の間に俺が受けたハンパないストレスが、その捌け口を求めて体内で暴れ回っている。
レイの言うことが事実なら、確かに一刻を争う地球の危機だ。疑いたくても否定したくても、公園で見たあの光景が「これはノンフィクションだ」と現実を突きつけてくる。
――それでも。俺には、何よりも優先してやらなきゃいけないことがある。
「――レイ。ちょっと家に戻らせてくれや」
俺は拳を握りしめながら、絞り出すように言った。
「一向に構わんのだが?
何やら苦しそうなのだ。病気なのだ?」
間違いなく病気ではあるな。俺は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「すぐ戻るから、さっきの公園で合流出来るか?」
「分かったのだ。ただ単独行動はお勧めしないのだ。
アイツが拝也を狙っている可能性はゼロではないのだ」
俺の笑みは、そのまま固まった。
「――マジか」
「マジなのだ。アイツらは執念深いのだ」
冗談じゃねぇ。俺には(ほとんど行ってねぇけど)学校も、バイトもあるんだぞ。一人になるタイミングなんざ、これから幾らでもある。
寒気とともに……再び、とてつもない欲動が腹の奥で膨れ上がるのを感じて鳥肌がたった。
ダメだ、もう先のことを心配する余裕も無ぇ。
「じゃ、ついてきてくれ」
そこからの記憶は断片的だ。
パフェ代は払った…と思う。店を出て即、猛ダッシュ。途中で一回だけ振り向いたが、顔色ひとつ変えずについてくるレイを確認したあとは、もう前だけを見ていた。
十分は走ったか。着いたのは、俺の住まいである『久谷荘』。二階建のボロアパートで、都内にこんな昭和の遺物が残存していることが住人の俺でも信じられないレベルだ。
「そこで待ってろ」
俺の理性というか、見栄はまだ生きていた。あの部屋だけは、間違っても女の子に見せられない。たとえグレイ製の合成人間であってもだ。
返事も聞かず、錆びまくった金属製の階段を駆け上がり、部屋を開け(鍵掛け忘れてたな)、ゴミを踏み越えながら、部屋の隅に置かれた小さな立方体にたどり着く。上に掛けた目隠し用の黒いベールを引き抜くと――リサイクルショップで購入した小型の金庫が姿を現した。
0909(もくもく)にダイヤルを合わせて鍵を開ける。中に何が入ってるかなんて言わなくても分かるだろうが、そこにはみっしりとタバコの箱が詰まっていた。
みっしりは言い過ぎたな。今のは俺の願望だ。右上の一角には、だいぶ隙間が出来てしまっている。そこに置かれた使用中の一箱を取り出し、いつもの習慣で一本だけ抜き取ろうとしたが――思い直して、その一箱をそのままポケットに突っ込み、金庫を閉めた。
部屋を出て(鍵閉めてねぇな)、レイが待つ階段下に駆け降りる。
「はぁ、はぁ。んじゃ、公園に戻るか」
くそ、呼吸が辛い。
そんな俺を見かねたのか、店を出てからずっと無言だったレイが口を開いた。
「なんだか分からんが、用は済んだのだ?
公園までの道は覚えたから、後は任せるのだ」
そう言うと、レイは俺に背を向けてしゃがみ込んだ。
――何のつもりだ?まさか。
「おい。それ、まさかだけど」
「乗るのだ」
マジか。いや、さっきの走りで人間離れしてるのは感じてたが。
「――俺、重いぞ?」
「拝也は急いでいるのだ?
自分なら五分もかからんのだ。いいから乗るのだ」
もう知らんぞ。どのみち考える余裕もないんだ、どうにでもなれ。
俺はヤケクソ気味に、レイの背中に胸を預け、その首元に腕を回した。
正直、イイ匂いを期待したのだが――残念ながら無臭だった。ただ、柔らかかったぞ。ジャケットがな。
「手を離すな、なのだ」
そう言って俺の腿を抱え込んだレイは、普通に立ち上がり、普通じゃない速度で走り始めた。
「っっっ……!!」
凄まじいスピードに、声も出ない。なんだコイツ。足ン中にエンジンでも仕込んでんのか。合成人間じゃなくてサイボーグの間違いじゃないのか。
快適とは言い難い乗り心地のせいか、軽い吐き気と何とも言えない違和感を感じる。クソ、気持ち悪ぃ。
数人の歩行者とすれ違ったが、全く俺たちを気にする素振りがなかった。速すぎて見えてないのか?それとも関わりたくないのか?エグいビジュだからな、間違いなく。
ファミレス『ビジター』の前を通り過ぎ、来た道を忠実に辿って――俺たちは、さっきの公園に到着した。
宣言したとおり、五分もかかってない。
「着いたのだ。さ、降りるのだ」
息一つ乱さずしゃがみ込んだレイの背中からフラフラと降りると、俺は礼を言う余裕もなく、例の遊具に向かって駆け出した。もう一秒でも惜しい。
走りながらタバコの箱を手に取り、中から一本抜き取って咥え、箱をポケットに戻し、ライターを取り出し、半球型ドームの裏側に文字通り滑り込み――火を点けた。
そこからの至福のひとときは、何物にも代え難い。
ニコチンが全身に行き渡ったのを感じると、遊具に背中を預け、地面に尻をつけ、足を投げ出す。
急激なニコチンの摂取でクラクラする頭を振りつつ、もう一吸いする。
この瞬間は、喫煙者であることに心から感謝する。こんな快楽を知らないなんて、どうかしてる。
――ふと気配を感じて顔を上げると、ドームの影からレイが顔を出してこちらを覗き込んでいた。鼻をつまみながら。
「拝也は本当に凄いのだ。よくそんな猛毒を体内に取り込んで、平気でいられるのだ。
やはりヤツを殺すには、拝也の協力が必要なのだ」
そう言うと、レイはすぐに顔を引っ込めた。
「終わったら言うのだ。話の続きがあるのだ」




