表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

与圧電熱服と、人肌の蓄電池

試験飛行から、数日後。


千葉の納屋に、トラックが一台、停まった。


「お待たせしました! 与圧電熱服、三着、お届けに参りました!」


荷台から降りてきたのは、若い整備兵長であった。眼鏡をかけ、丸い顔に、丸い目をしていた。年齢は、千綿と同じくらいに見えた。


「与圧、電熱服」


千綿は、復唱した。


「ええ、与圧電熱服です。上空マイナス五十度、気圧三分の一、酸素も三分の一。普通の軍服では、生存できません」


「生存できないんですね」


「ですので、これを着ます」


整備兵長は、荷台から、灰色の布の塊を取り出した。


布の塊は、ぶよぶよと、頼りなく揺れた。


二門が、しげしげと、それを眺めた。


「……これが、与圧電熱服かいな」


「ええ、与圧電熱服です」


「与圧、しとるように、見えへんけど」


「気密性は、ぶよぶよしている部分で確保しています」


「ぶよぶよで、気密性を確保するんかい」


「最先端の技術です」


千綿は、布の塊を、指で押してみた。


しっとりと、押し返してきた。お漏らし布と、同じ感触であった。


「……整備兵長」


「はい」


「この与圧電熱服、素材は、何ですか」


「再生パラシュート布です」


「……お漏らしですか」


「お漏らしです」


「上から下まで、お漏らしですか」


「予算の都合で」


「予算」


「全て、予算の都合で」


二門が、煙草をふかしながら、頷いた。


「……陸軍は、予算がない」


「予算がないんです」


「皆、それで頷くな」


「事実ですので」



   *



整備兵長は、続けて、新聞紙にくるまれた、四角い箱を取り出した。


ずしりと、重そうであった。


「これが、電熱服の電源、蓄電池であります」


千綿は、新聞紙を開いてみた。


中から、鉛蓄電池が現れた。当時の標準的な、しかし、上空での運用が想定されているとは到底思えない、無骨な箱である。


「……鉛蓄電池ですね」


「鉛蓄電池です」


「整備兵長、ひとつ、伺ってよろしいですか」


「どうぞ」


「鉛蓄電池の、低温下での挙動について、ご存じですか」


「……と、いうと」


「鉛蓄電池は、マイナス二十度を下回ると、電解液が凍結し、容量が急激に低下します。マイナス五十度では、おそらく、ほぼ、動作しません」


整備兵長は、丸い目を、もっと丸くした。


「……えっ」


「ご存じなかったですか」


「し、知りませんでした」


「ご存じない方が、現場の運用を担当されているのですか」


「予算の都合で」


「また、予算」


「これ以上は、私の権限を超えます」


千綿は、無言で、整備兵長を見た。


整備兵長は、無言で、千綿を見返した。


しばし、沈黙が流れた。


二門が、煙草を消した。


「……ほな、どないするんや、これ」


整備兵長は、書類の束をめくった。


それから、一枚の紙を、千綿に差し出した。


千綿は、紙を読んだ。


「……運用要綱の、五項目。『蓄電池の温度維持について』」


「読み上げてください」


「『蓄電池は、低温下にて性能が低下する場合があるため、搭乗員の体温により温度を維持すること』」


「以上です」


「……以上ですか」


「以上です」


「具体的な、温度維持の方法は、書いてないですね」


「『搭乗員の体温により』とあります」


「人肌で、温めろ、と」


「ええ、人肌で、温めろ、と」


千綿は、もう一度、整備兵長を見た。


「整備兵長」


「はい」


「電熱服を着るためには、蓄電池が動かないといけません」


「ええ」


「蓄電池を動かすためには、人間が抱きしめないといけません」


「ええ」


「人間が動くためには、電熱服が温まっていないといけません」


「……」


「これは、循環論法では、ありませんか」


整備兵長は、丸い目を、また丸くした。


それから、ぽつりと、言った。


「……循環、しています」


「循環、していますね」


「私も、書類を作りながら、薄々、気付いていました」


「気付いていらしたのですか」


「ええ、薄々」


「薄々でも、気付いていらしたら、上に進言なさるべきでは」


「予算の都合で、進言は、却下されました」


「進言も、却下されるんですか」


「予算が、無いので」



   *



二門が、しばし黙ってから、ぽつりと言った。


「……いや待て、千綿」


「はい」


「ええ話やんけ、それ」


「ええ話、ですか」


「日本人が、人肌で電池を温める。その電池で、日本人を温める。これは、共生や」


「共生」


「日本魂や」


「日本魂で、蓄電池は動きません」


「ええから、夢を持て」


「物理法則は、夢を、聞きません」


知里川が、無言で、蓄電池を、手に取った。


新聞紙ごと、ぎゅっと、抱きしめた。


しばらく抱いてから、ぽつりと言った。


「……ええ電池や」


「お前、ほんま、何でもええ電池や言うな」


「……お前の体温で、蓄電池が、温まっとるんや、それは」


「……ええ電池や」


「ええわ、もう。電池、温めとけ」



   *



整備兵長は、納屋の隅に立って、こちらの様子を、じっと見ていた。


帰る素振りが、ない。


千綿は、声をかけた。


「整備兵長、お帰りに、ならないのですか」


「は、はい」


「お帰りに、ならないのですか」


「私も、出撃に、同行いたします」


「……出撃」


「出撃当日、皆様の蓄電池を、人肌で温める係として、海岸まで同行することになっております」


「離陸の直前まで、整備兵長が抱きしめておくと」


「ええ、離陸の直前まで」


「……過酷な、任務ですね」


「予算の都合で、暖房設備が用意できませんでしたので」


「人間が、暖房代わりですか」


「人間が、暖房代わりです」


整備兵長は、丸い目で、にっこりと笑った。


「私、これが、軍人としての、私の役割だと思っております」


「役割」


「ええ、皆様を、生かす役割です」


千綿は、しばし、黙った。


それから、ゆっくり、頷いた。


「……整備兵長、お名前を、伺ってもよろしいですか」


「いえ、整備兵長で、結構です」


「お名前は」


「整備兵長で、お願いします」


「……何故です」


整備兵長は、少し笑った。


「皆様が、戻られた時に、お名前を、覚えていてくださると、嬉しいので」


「……はい」


「戻られた時に、名乗ります」


千綿は、それ以上、何も言えなかった。


二門も、何も言わなかった。


知里川は、無言で、蓄電池を、もう一度、抱き直した。


夕暮れの納屋の前で、灰色の与圧電熱服が、三着、ぶよぶよと、風に揺れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
スカパ・フローでもUボートの中で魚雷の電池人肌で温めてたし、この時代の常識ですね。多分。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ