与圧電熱服と、人肌の蓄電池
試験飛行から、数日後。
千葉の納屋に、トラックが一台、停まった。
「お待たせしました! 与圧電熱服、三着、お届けに参りました!」
荷台から降りてきたのは、若い整備兵長であった。眼鏡をかけ、丸い顔に、丸い目をしていた。年齢は、千綿と同じくらいに見えた。
「与圧、電熱服」
千綿は、復唱した。
「ええ、与圧電熱服です。上空マイナス五十度、気圧三分の一、酸素も三分の一。普通の軍服では、生存できません」
「生存できないんですね」
「ですので、これを着ます」
整備兵長は、荷台から、灰色の布の塊を取り出した。
布の塊は、ぶよぶよと、頼りなく揺れた。
二門が、しげしげと、それを眺めた。
「……これが、与圧電熱服かいな」
「ええ、与圧電熱服です」
「与圧、しとるように、見えへんけど」
「気密性は、ぶよぶよしている部分で確保しています」
「ぶよぶよで、気密性を確保するんかい」
「最先端の技術です」
千綿は、布の塊を、指で押してみた。
しっとりと、押し返してきた。お漏らし布と、同じ感触であった。
「……整備兵長」
「はい」
「この与圧電熱服、素材は、何ですか」
「再生パラシュート布です」
「……お漏らしですか」
「お漏らしです」
「上から下まで、お漏らしですか」
「予算の都合で」
「予算」
「全て、予算の都合で」
二門が、煙草をふかしながら、頷いた。
「……陸軍は、予算がない」
「予算がないんです」
「皆、それで頷くな」
「事実ですので」
*
整備兵長は、続けて、新聞紙にくるまれた、四角い箱を取り出した。
ずしりと、重そうであった。
「これが、電熱服の電源、蓄電池であります」
千綿は、新聞紙を開いてみた。
中から、鉛蓄電池が現れた。当時の標準的な、しかし、上空での運用が想定されているとは到底思えない、無骨な箱である。
「……鉛蓄電池ですね」
「鉛蓄電池です」
「整備兵長、ひとつ、伺ってよろしいですか」
「どうぞ」
「鉛蓄電池の、低温下での挙動について、ご存じですか」
「……と、いうと」
「鉛蓄電池は、マイナス二十度を下回ると、電解液が凍結し、容量が急激に低下します。マイナス五十度では、おそらく、ほぼ、動作しません」
整備兵長は、丸い目を、もっと丸くした。
「……えっ」
「ご存じなかったですか」
「し、知りませんでした」
「ご存じない方が、現場の運用を担当されているのですか」
「予算の都合で」
「また、予算」
「これ以上は、私の権限を超えます」
千綿は、無言で、整備兵長を見た。
整備兵長は、無言で、千綿を見返した。
しばし、沈黙が流れた。
二門が、煙草を消した。
「……ほな、どないするんや、これ」
整備兵長は、書類の束をめくった。
それから、一枚の紙を、千綿に差し出した。
千綿は、紙を読んだ。
「……運用要綱の、五項目。『蓄電池の温度維持について』」
「読み上げてください」
「『蓄電池は、低温下にて性能が低下する場合があるため、搭乗員の体温により温度を維持すること』」
「以上です」
「……以上ですか」
「以上です」
「具体的な、温度維持の方法は、書いてないですね」
「『搭乗員の体温により』とあります」
「人肌で、温めろ、と」
「ええ、人肌で、温めろ、と」
千綿は、もう一度、整備兵長を見た。
「整備兵長」
「はい」
「電熱服を着るためには、蓄電池が動かないといけません」
「ええ」
「蓄電池を動かすためには、人間が抱きしめないといけません」
「ええ」
「人間が動くためには、電熱服が温まっていないといけません」
「……」
「これは、循環論法では、ありませんか」
整備兵長は、丸い目を、また丸くした。
それから、ぽつりと、言った。
「……循環、しています」
「循環、していますね」
「私も、書類を作りながら、薄々、気付いていました」
「気付いていらしたのですか」
「ええ、薄々」
「薄々でも、気付いていらしたら、上に進言なさるべきでは」
「予算の都合で、進言は、却下されました」
「進言も、却下されるんですか」
「予算が、無いので」
*
二門が、しばし黙ってから、ぽつりと言った。
「……いや待て、千綿」
「はい」
「ええ話やんけ、それ」
「ええ話、ですか」
「日本人が、人肌で電池を温める。その電池で、日本人を温める。これは、共生や」
「共生」
「日本魂や」
「日本魂で、蓄電池は動きません」
「ええから、夢を持て」
「物理法則は、夢を、聞きません」
知里川が、無言で、蓄電池を、手に取った。
新聞紙ごと、ぎゅっと、抱きしめた。
しばらく抱いてから、ぽつりと言った。
「……ええ電池や」
「お前、ほんま、何でもええ電池や言うな」
「……お前の体温で、蓄電池が、温まっとるんや、それは」
「……ええ電池や」
「ええわ、もう。電池、温めとけ」
*
整備兵長は、納屋の隅に立って、こちらの様子を、じっと見ていた。
帰る素振りが、ない。
千綿は、声をかけた。
「整備兵長、お帰りに、ならないのですか」
「は、はい」
「お帰りに、ならないのですか」
「私も、出撃に、同行いたします」
「……出撃」
「出撃当日、皆様の蓄電池を、人肌で温める係として、海岸まで同行することになっております」
「離陸の直前まで、整備兵長が抱きしめておくと」
「ええ、離陸の直前まで」
「……過酷な、任務ですね」
「予算の都合で、暖房設備が用意できませんでしたので」
「人間が、暖房代わりですか」
「人間が、暖房代わりです」
整備兵長は、丸い目で、にっこりと笑った。
「私、これが、軍人としての、私の役割だと思っております」
「役割」
「ええ、皆様を、生かす役割です」
千綿は、しばし、黙った。
それから、ゆっくり、頷いた。
「……整備兵長、お名前を、伺ってもよろしいですか」
「いえ、整備兵長で、結構です」
「お名前は」
「整備兵長で、お願いします」
「……何故です」
整備兵長は、少し笑った。
「皆様が、戻られた時に、お名前を、覚えていてくださると、嬉しいので」
「……はい」
「戻られた時に、名乗ります」
千綿は、それ以上、何も言えなかった。
二門も、何も言わなかった。
知里川は、無言で、蓄電池を、もう一度、抱き直した。
夕暮れの納屋の前で、灰色の与圧電熱服が、三着、ぶよぶよと、風に揺れていた。




