畑が滑走路、足が降着装置
本日、遅れました。申し訳ございません。
訓練開始から、ひと月が経った。
千綿薫は、何度も松林に刺さり、何度も畑に転がり、何度も眼鏡を割った。
「学生時代から、眼鏡を割ることには、慣れています」
「学生時代も割っとったんかい」
「物理の授業で、実験中によく割りました」
「実験って、何やってん」
「物理法則を、確認するための実験です」
「今日も、物理法則、確認したやんけ」
「ええ。揚力は、私の体重と袖の引っ掛かりに、敗北しました」
「物理法則は、お前に勝っとるけどな」
「無情です」
千綿は、四個目の眼鏡をかけ直して、空を見上げた。
訓練の合間に、二門が、煙草をふかしながら呟いた。
「ほな、明日、試験飛行や」
「試験」
「装備、揃うた。次の段階や。畑で、ちゃんと浮けるか、確認する」
「畑で、ですか」
「畑が、滑走路や」
「……陸軍は、滑走路を、用意してくれないのですか」
「予算が無い」
「ですよね」
*
翌朝、畑の畝の上に、三機の鎗快が並んだ。
夕立明けの土を、二門は軍靴で蹴った。
「……ここ、畑やんけ」
「畑です」
「畝、跨いで走るんやな」
「跨いで、走ります」
「足、引っ掛けたら、終わりやな」
「終わりですね」
「鼻から、土に突っ込むな」
「突っ込みますね」
「軍人らしい最期では、ないな」
「ええ加減、その慰めるような口調、やめろ」
整備兵が、敬礼しながら近寄ってきた。
「では、始めますか。どなたから、乗られますか」
二門は、姿勢を正した。胸を張った。
「ワシが乗るわ」
「二門隊長、計算上、私が最軽量です。物理的には、私が乗る方が」
「あかん。ワシが隊長や」
「ですが」
「最初に乗るんは、隊長の務めや。失敗しても、ワシの責任で済む」
「成功しても、二門隊長の手柄ですね」
「皮肉言うな」
「いえ、事実を言いました」
二門は、革のヘルメットを被って、サドルにまたがった。整備兵がエンジンの紐を引いた。
ピロロロロロロ。
「……草刈機やな」
「草刈機じゃないって、何回言わせるんや」
「いえ、整備兵が言いました」
「お前か!」
整備兵は、慌てて敬礼した。
「申し訳ありません、つい」
「ええわ、もう。行くで」
二門は、機体を抱えるような姿勢で、走り始めた。
最初の畝、跨ぐ。次の畝、跨ぐ。
エンジンは、相変わらず「ピロロロロ」と健気に回っている。
「速度、まだ足りません!」
「足りひんのか!」
「気合いです!」
「お前まで、気合いシリーズ言うようになったんかい!」
畑の端が、迫ってきた。
このまま行くと、向こうのあぜ道に墜ちる。畝から下まで、二メートル。
「止まれ……いや、止まったら墜ちる!」
「飛ばないと、墜ちます!」
二門は、最後の数歩で大きく蹴り出した。機体を、ぐいっ、と前に押し出した。
ふわり。
機体が、浮いた。
「……飛んだ」
「飛びました」
鎗快は、二十八ccエンジンと、揚力と、執念で、畑の上、三メートルほどの高さを飛んでいた。
ただし、方向は、変えられない。
そのまま隣の畑まで、一直線。
「あかん、隣の畑が近づいてくる」
「降着準備! 足を、出してください!」
二門は、サドルから尻を外し、両足を地面に向けた。
そして、隣の畑に、ふわりと着地した。
——足が地面に着いた瞬間。
衝撃で機体が前のめりになり、二門は前方に投げ出された。機体は、二門の頭の上を通り過ぎ、畑の真ん中に腹で着地した。
ザザザザザー。
機体が、滑り、止まった。
二門は、畝に、顔から、突っ込んでいた。
千綿と知里川と整備兵が、駆け寄った。
「隊長! ご無事ですか!」
「……」
「二門隊長!」
「……」
二門は、ゆっくり顔を上げた。鼻に土。眉毛に土。口の中にも、土。
「……飛んだで」
「飛びましたね」
「……ワシ、飛んだで」
「飛びました」
二門は、口の中の土を、ぺっ、と吐き出した。
「飛行時間、どれくらいやった」
千綿が、時計を見た。
「離陸から着陸まで、二十二秒です」
「短いな」
「飛行距離、約四十メートル」
「短いな!」
「合格です」
「合格かい!」
「合格基準は『一回でも空中に浮いたら』ですので」
「雑な基準やな」
「軍が決めた基準です」
*
次は、知里川の番だった。
千綿の番もあったが——千綿のことは、ここでは語らないでおく。彼が松林に刺さり、宙吊りになり、松脂を軍服に染み込ませたことは、既に語った通りである。
二度語る話ではない。
知里川は、無言でサドルにまたがった。
エンジンが、また「ピロロロロ」と回る。
そして、知里川は、走り始めた。
最初の畝。普通に跨いだ。
次の畝。スムーズに跨いだ。
三歩、四歩、五歩。
知里川は、ぐんぐん加速していた。
「……速い」
「マタギは脚力あるんですね」
「あんなん、見たことない。畝跨いで全力疾走て、人間ちゃうやろ」
十歩目。
知里川は、機体ごと、ふわりと浮いた。
「飛んだ」
「飛びましたね」
「速いまま、飛んだ」
しかも、まっすぐ飛んでいた。
「あれ、ちゃんと飛んでへんか」
「飛んでますね」
「真っ直ぐ飛んでへんか」
「飛んでますね」
「お前ら、敬語で確認するな!」
知里川を乗せた鎗快は、畑の上、五メートルほどの高さを、優雅に滑空した。畑の向こう端まで飛んで、緩やかに高度を下げ、隣の畑にふわりと着地した。
足が地面に着いた。
知里川は、サドルから降りて、二、三歩走って、止まった。
スムーズだった。
三人は、駆け寄った。
「惣藏、お前、なんで普通に飛べんねん」
「……」
「ワシ、コケたで」
「……自分は、松に刺さりました」
「……」
知里川は、無言で機体を撫でた。
それから、ぽつりと言った。
「……山駆けるんと、同じや。前見て、足元見て、息合わせて、走る」
「いや、山と空、ちゃうやろ」
「……同じや」
「ちゃうて」
「……同じや」
千綿が、横から付け加えた。
「マタギの体得した身体技法は、おそらく、現代の航空力学にも通用する、ということでしょう」
「お前、難しい言い方すな」
「マタギ、すごい、と言いました」
「最初から、そう言え」
*
その夜、寝床に入ってから、二門が、天井を見上げて呟いた。
「……千綿よ」
「はい」
「ワシら、ほんまにアメリカまで行けるんか」
「行けます」
「即答するな。お前、今日も松に刺さったやんけ」
「私の話ではなく、作戦全体の話です」
「作戦全体は、どうなんや」
千綿は、天井を見上げて、しばし考えた。
「……行けます」
「ほんまか」
「半分くらいは、行けます」
「半分か」
「行けるところまでは、行きます」
「行けへんとこから、どうなるんや」
「……運次第です」
「運か」
「運です」
寝床の向こうで、知里川が、ぽつりと付け加えた。
「……マタギは、運も実力のうち、言うで」
「ええこと言うやんけ」
「いえ、状況的には、慰めにはなっていません」
千綿が淡々と訂正しているうちに、二門は寝息を立て始めた。
千葉の松林の上に、星が瞬いていた。
その星のさらに上、成層圏を、ジェット気流が静かに、しかし猛烈な速度で、東へ流れていた。
その流れに乗るのは、来月の予定である。
それまでに、千綿は、転ばずに離陸できるようにならなければならなかった。
二門は、ちゃんと着陸できるようにならなければならなかった。
知里川は、もう完成していた。
マタギは、強い。




