表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/20

ビリー、砂漠に消える

アリゾナ州、国境からほど近い小さな町。


町の名前は「ドライ・ウェル」と言った。


文字通り、井戸が涸れたから、ドライ・ウェルになった町である。


しかし井戸が涸れた後も、人は住み続けた。


理由は誰にも分からない。


人とは、そういうものである。



   *



保安官事務所は町の中央通りに面した、煉瓦造りの小さな建物だった。


中に机が二つ。


その一つに、五十前後の男が座っていた。


ジョーンズである。


ジョン・H・ジョーンズ。アメリカ陸軍の元軍曹。第一次世界大戦に従軍した。


戦争が終わって帰国してから、ドライ・ウェルの保安官になって、もう二十五年が経つ。


肩幅が広く、白髪交じりの口髭を蓄えていた。


机の上にライフルが立てかけてあった。


弾は入っていなかった。


弾が必要な事件は、この町ではここ十年、起きていなかった。



   *



その朝、ジョーンズはコーヒーを飲んでいた。


事務所の扉が勢いよく開いた。


入ってきたのは、町のパン屋の女房だった。


女房は青い顔をしていた。


「保安官! 大変だよ!」


「どうした、メアリー」


「ビリーが、いない!」


「ビリー?」


「うちのビリーだよ!」


ジョーンズはコーヒーを置いた。


ビリーはパン屋の一人息子だった。今年で十二歳になる。


ジョーンズが洗礼の代父を務めた、町中で知らない者がいない少年だった。


「いつからいない」


「昨日の夜から」


「行き先は」


「分からない。だけど、たぶん」


メアリーはしばし躊躇った。


それから、ぽつりと言った。


「……砂漠じゃないかと」


「砂漠」


「友達と、肝試しの話、してたんだよ」


「肝試し」


「夜中に砂漠に入って、ジェロニモの幽霊を見てくる、って」


ジョーンズの表情が一瞬、変わった。


しかしすぐに、元に戻った。


「ジェロニモの幽霊」


「子供たちの間で流行ってる話なんだよ。砂漠の真ん中で、夜中、ジェロニモの幽霊が出る、って」


「子供の作り話だ」


「だけど、ビリーは本気にしてた」


「……」


ジョーンズは、しばし考えた。


それから立ち上がった。


ライフルを手に取った。


「探す」


「ありがとう、保安官」


「ビリーは見つける」



   *



馬は事務所の裏に繋いであった。


ベテランの、栗毛の牝馬だった。


ジョーンズは鞍を載せ、馬に乗った。


ドライ・ウェルの町の南端から、砂漠が広がっていた。


赤茶けた大地。サボテンの群生。岩。地平線まで、それしかない。


ジョーンズは馬をゆっくり、砂漠の方に向けた。


——ビリー。


——どこにいる。


ジョーンズはライフルを確認した。


弾は入っていなかった。


弾は必要ない、と思った。


砂漠で、敵はいない。


敵は砂漠そのものだった。



   *



町を出て、一時間ほど砂漠を歩いた。


足跡を探した。


しばらく、見つからなかった。


それから岩の影に、足跡を見つけた。


小さな足跡だった。


ビリーの靴のサイズと一致した。


足跡は南に向かっていた。


——南。


——国境の方向。


ジョーンズはしばし考えた。


——ビリーは夜中に肝試しで、砂漠に入った。


——ジェロニモの幽霊を見るために。


——そして南に向かった。


——ジェロニモは、メキシコ国境地帯の戦士だった。


——ビリーは、メキシコの方向に、ジェロニモを探しに行った。


ジョーンズはため息をついた。


——子供の発想は、止められない。



   *



足跡を追って、さらに二時間が経った。


砂漠の中で太陽が高く昇った。


気温は四十度を超えていた。


ジョーンズは水筒の水を、少しだけ飲んだ。


ビリーは水を持っているのか。


たぶん、持っていない。


肝試しで夜中に家を出た少年が、水筒を持って出るとは思えない。


——マズい。


——水なしでこの気温の中、子供はもたない。


ジョーンズは馬を急がせた。


しかし足跡は徐々に、不鮮明になっていた。


風が砂を動かしていた。


——失う。


——足跡を失う。


ジョーンズは岩の上に立った。


そして地平線を見回した。


南。東。西。


どこにもビリーの姿はなかった。



   *



その時。


空に、何か小さな黒い点が見えた。


ジョーンズは目を細めた。


鳥だろうか。


しかし鳥にしては、大きかった。


そしてゆっくりと、こちらに近づいていた。


——飛行機。


——だが、おかしな飛行機だ。


ジョーンズは軍曹時代の目で、その飛行機を見た。


旗のような布の翼。小枝のような細い骨組み。自転車のような座席。冗談のように小さなエンジン。


——飛行機なのか、あれが。


——あんな機体、見たことがない。


その飛行機はゆっくりと、砂漠の上を低空で旋回していた。


何かを探しているように見えた。


ジョーンズはライフルを握り直した。


弾は入っていなかった。


しかし握り直さずに、いられなかった。


機体には、三人乗っているように見えた。


距離がまだ遠かった。


顔は見えなかった。


——たぶん、子供を探している。


ジョーンズはそう直感した。


なぜそう思ったのかは分からない。


しかし確信があった。


——あの機体は、味方だ。


——少なくとも、今は。



   *



その頃。


メキシコ側の砂漠の、岩陰で。


ディエゴ・ガルシアは、祖父の骨の入った木の箱を、両手で抱きしめていた。


そして目の前に、もう一人座っていた。


痩せた、目の青い、知らない少年だった。


英語を話していた。


しかしディエゴには、半分しか分からなかった。


少年は自分を、こう紹介した。


「アイム・ビリー」


「ビリー」


「ビリー・ジョーンズ」


「ジョーンズ」


「ヤー。フロム・ドライ・ウェル」


「ドライ・ウェル」


「アメリカ」


ディエゴはしばし考えた。


そして、笑った。


「メ・ヤモ、ディエゴ。フロム、メヒコ」


「メキシコ」


「ヤー。メキシコ」


二人は岩陰で、しばらくお互いの顔を見ていた。


それからビリーが、ディエゴの抱えている木の箱を指さした。


「ホワット、イズ・ジャット」


「グランパ」


「グランパ」


「マイ、グランパ。ハニス・ボーンズ」


「グランパズ・ボーンズ」


「ヤー」


ビリーはしばし考えた。


それから、ぽつりと言った。


「アイム、ルッキング・フォー・ジェロニモ」


「ジェロニモ」


「ジェロニモズ、ゴースト」


「ゴースト」


「ヤー」


ディエゴはしばし、ビリーの顔を見た。


それから、ぽつりと答えた。


「ジェロニモ・イズ・ノット・ヒア」


「ノット・ヒア?」


「ジェロニモ、フライ。ジャパン、フロム・スカイ。チワワ、チリカワ、トゥゲザー」


ビリーは目を丸くした。


「ジェロニモ、フライ? フロム・スカイ?」


「シ」


「サンタ・マリア!」


二人の少年は砂漠の岩陰で、お互いを見つめた。


——一人は、祖父の骨を運ぶ少年。


——もう一人は、ジェロニモの幽霊を探す少年。


国境という線は、二人の間には見えなかった。


そして二人は、それぞれの目的を互いに話し始めた。


砂漠の上を、奇妙な飛行機がゆっくりと旋回していた。


その下を、もう一人の保安官が足跡を追って歩いていた。


しかし誰もまだ、岩陰の二人の少年にはたどり着いていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ