ビリー、砂漠に消える
アリゾナ州、国境からほど近い小さな町。
町の名前は「ドライ・ウェル」と言った。
文字通り、井戸が涸れたから、ドライ・ウェルになった町である。
しかし井戸が涸れた後も、人は住み続けた。
理由は誰にも分からない。
人とは、そういうものである。
*
保安官事務所は町の中央通りに面した、煉瓦造りの小さな建物だった。
中に机が二つ。
その一つに、五十前後の男が座っていた。
ジョーンズである。
ジョン・H・ジョーンズ。アメリカ陸軍の元軍曹。第一次世界大戦に従軍した。
戦争が終わって帰国してから、ドライ・ウェルの保安官になって、もう二十五年が経つ。
肩幅が広く、白髪交じりの口髭を蓄えていた。
机の上にライフルが立てかけてあった。
弾は入っていなかった。
弾が必要な事件は、この町ではここ十年、起きていなかった。
*
その朝、ジョーンズはコーヒーを飲んでいた。
事務所の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、町のパン屋の女房だった。
女房は青い顔をしていた。
「保安官! 大変だよ!」
「どうした、メアリー」
「ビリーが、いない!」
「ビリー?」
「うちのビリーだよ!」
ジョーンズはコーヒーを置いた。
ビリーはパン屋の一人息子だった。今年で十二歳になる。
ジョーンズが洗礼の代父を務めた、町中で知らない者がいない少年だった。
「いつからいない」
「昨日の夜から」
「行き先は」
「分からない。だけど、たぶん」
メアリーはしばし躊躇った。
それから、ぽつりと言った。
「……砂漠じゃないかと」
「砂漠」
「友達と、肝試しの話、してたんだよ」
「肝試し」
「夜中に砂漠に入って、ジェロニモの幽霊を見てくる、って」
ジョーンズの表情が一瞬、変わった。
しかしすぐに、元に戻った。
「ジェロニモの幽霊」
「子供たちの間で流行ってる話なんだよ。砂漠の真ん中で、夜中、ジェロニモの幽霊が出る、って」
「子供の作り話だ」
「だけど、ビリーは本気にしてた」
「……」
ジョーンズは、しばし考えた。
それから立ち上がった。
ライフルを手に取った。
「探す」
「ありがとう、保安官」
「ビリーは見つける」
*
馬は事務所の裏に繋いであった。
ベテランの、栗毛の牝馬だった。
ジョーンズは鞍を載せ、馬に乗った。
ドライ・ウェルの町の南端から、砂漠が広がっていた。
赤茶けた大地。サボテンの群生。岩。地平線まで、それしかない。
ジョーンズは馬をゆっくり、砂漠の方に向けた。
——ビリー。
——どこにいる。
ジョーンズはライフルを確認した。
弾は入っていなかった。
弾は必要ない、と思った。
砂漠で、敵はいない。
敵は砂漠そのものだった。
*
町を出て、一時間ほど砂漠を歩いた。
足跡を探した。
しばらく、見つからなかった。
それから岩の影に、足跡を見つけた。
小さな足跡だった。
ビリーの靴のサイズと一致した。
足跡は南に向かっていた。
——南。
——国境の方向。
ジョーンズはしばし考えた。
——ビリーは夜中に肝試しで、砂漠に入った。
——ジェロニモの幽霊を見るために。
——そして南に向かった。
——ジェロニモは、メキシコ国境地帯の戦士だった。
——ビリーは、メキシコの方向に、ジェロニモを探しに行った。
ジョーンズはため息をついた。
——子供の発想は、止められない。
*
足跡を追って、さらに二時間が経った。
砂漠の中で太陽が高く昇った。
気温は四十度を超えていた。
ジョーンズは水筒の水を、少しだけ飲んだ。
ビリーは水を持っているのか。
たぶん、持っていない。
肝試しで夜中に家を出た少年が、水筒を持って出るとは思えない。
——マズい。
——水なしでこの気温の中、子供はもたない。
ジョーンズは馬を急がせた。
しかし足跡は徐々に、不鮮明になっていた。
風が砂を動かしていた。
——失う。
——足跡を失う。
ジョーンズは岩の上に立った。
そして地平線を見回した。
南。東。西。
どこにもビリーの姿はなかった。
*
その時。
空に、何か小さな黒い点が見えた。
ジョーンズは目を細めた。
鳥だろうか。
しかし鳥にしては、大きかった。
そしてゆっくりと、こちらに近づいていた。
——飛行機。
——だが、おかしな飛行機だ。
ジョーンズは軍曹時代の目で、その飛行機を見た。
旗のような布の翼。小枝のような細い骨組み。自転車のような座席。冗談のように小さなエンジン。
——飛行機なのか、あれが。
——あんな機体、見たことがない。
その飛行機はゆっくりと、砂漠の上を低空で旋回していた。
何かを探しているように見えた。
ジョーンズはライフルを握り直した。
弾は入っていなかった。
しかし握り直さずに、いられなかった。
機体には、三人乗っているように見えた。
距離がまだ遠かった。
顔は見えなかった。
——たぶん、子供を探している。
ジョーンズはそう直感した。
なぜそう思ったのかは分からない。
しかし確信があった。
——あの機体は、味方だ。
——少なくとも、今は。
*
その頃。
メキシコ側の砂漠の、岩陰で。
ディエゴ・ガルシアは、祖父の骨の入った木の箱を、両手で抱きしめていた。
そして目の前に、もう一人座っていた。
痩せた、目の青い、知らない少年だった。
英語を話していた。
しかしディエゴには、半分しか分からなかった。
少年は自分を、こう紹介した。
「アイム・ビリー」
「ビリー」
「ビリー・ジョーンズ」
「ジョーンズ」
「ヤー。フロム・ドライ・ウェル」
「ドライ・ウェル」
「アメリカ」
ディエゴはしばし考えた。
そして、笑った。
「メ・ヤモ、ディエゴ。フロム、メヒコ」
「メキシコ」
「ヤー。メキシコ」
二人は岩陰で、しばらくお互いの顔を見ていた。
それからビリーが、ディエゴの抱えている木の箱を指さした。
「ホワット、イズ・ジャット」
「グランパ」
「グランパ」
「マイ、グランパ。ハニス・ボーンズ」
「グランパズ・ボーンズ」
「ヤー」
ビリーはしばし考えた。
それから、ぽつりと言った。
「アイム、ルッキング・フォー・ジェロニモ」
「ジェロニモ」
「ジェロニモズ、ゴースト」
「ゴースト」
「ヤー」
ディエゴはしばし、ビリーの顔を見た。
それから、ぽつりと答えた。
「ジェロニモ・イズ・ノット・ヒア」
「ノット・ヒア?」
「ジェロニモ、フライ。ジャパン、フロム・スカイ。チワワ、チリカワ、トゥゲザー」
ビリーは目を丸くした。
「ジェロニモ、フライ? フロム・スカイ?」
「シ」
「サンタ・マリア!」
二人の少年は砂漠の岩陰で、お互いを見つめた。
——一人は、祖父の骨を運ぶ少年。
——もう一人は、ジェロニモの幽霊を探す少年。
国境という線は、二人の間には見えなかった。
そして二人は、それぞれの目的を互いに話し始めた。
砂漠の上を、奇妙な飛行機がゆっくりと旋回していた。
その下を、もう一人の保安官が足跡を追って歩いていた。
しかし誰もまだ、岩陰の二人の少年にはたどり着いていなかった。




