第13話「ジェロニモ、空から降りてくる」
ソンブレロの男は、笑顔のまま、もう一度言った。
「オラ、アミーゴ!」
三人は機体の上でフリーズしていた。
千綿薫は、しばし考えた。
東京帝大の文学部で、第二外国語としてわずかにスペイン語を齧ったことがある。
齧った程度では、会話は無理である。
しかし今、それしか武器が無い。
千綿は機体からゆっくり降りた。
足の感覚がまだ戻っていなかった。よろよろと立った。
そして、片手を上げた。
「オラ……アミーゴ」
ソンブレロの男は、ぱっと顔を輝かせた。
何やら早口のスペイン語で、まくし立て始めた。
千綿は、まったく聞き取れなかった。
「……二門隊長」
「うん」
「全く分かりません」
「お前、スペイン語、できるんちゃうんかい」
「『オラ』『アミーゴ』だけです」
「最初の二言でネタ切れか」
「ええ、ネタ切れです」
「ええ加減にせえ」
*
ソンブレロの男はしばらく、まくし立てた後、千綿が困惑していることに気づいた。
そして、ゆっくりと自分を指さした。
「ペドロ」
「……ペドロ」
「ペドロ」
「貴方のお名前ですか」
「ペドロ!」
千綿は何度か頷いた。
そして、自分を指さした。
「千綿です」
「チワワ?」
「千綿」
「チワタ!」
「……ええ、チワタで結構です」
二門も機体から降りた。
そして、自分を指さした。
「ジロウ・ニモン」
「ジロ…ニモ?」
「ニモンや」
知里川も毛皮ごと機体から降りた。
そして、毛皮の中からぽつりと言った。
「……チリカワ」
「チリカワ!」
ペドロは満面の笑顔だった。
四人はサボテンの群生地の真ん中で、それぞれ自分を指さして名前を呼び合っていた。
何の儀式か、自分たちでもよく分からなかった。
*
ペドロは、ふと三人の頭上を見上げた。
そして、何かに気づいた。
機体だった。
布と竹でできた、自転車のサドル付きの、奇妙な飛行機。
ペドロは機体を見て、しばし固まった。
それから機体を指さして、千綿に何か尋ねた。
スペイン語で、しかしジェスチャーつきで。
千綿は、しばし考えた。
「……たぶん『これは何か』と訊いています」
「答えるんか」
「ええ」
千綿は空を指さした。
そして両手で、機体が空を飛ぶ仕草をした。
「フライ。スカイ。ジャパン……トゥ……メキシコ」
英単語が半分混じった。
しかしペドロは、目を大きく見開いた。
「ジャパン!?」
「ジャパンです」
「フロム、ジャパン!?」
「フロム、ジャパンです」
ペドロは、しばし固まった。
それから、両手を頭の上に当てた。
「サンタ・マリア!」
千綿は、二門に通訳した。
「『聖母マリア』です。びっくりした時の感嘆詞です」
「驚いとるな」
「驚いていますね」
ペドロは機体をぐるりと一周、歩いた。
布の翼に触れた。
竹の骨組みを撫でた。
自転車のサドルをしげしげと見た。
そして、また「サンタ・マリア」と呟いた。
*
ペドロはしばし機体を見つめた後、ふと空を見上げた。
そして、また何かを尋ねてきた。
千綿はジェスチャーで理解しようとした。
ペドロは自分の顔を両手で覆い、それから目だけ出して見せた。
それから、何か刺青のような仕草。
そして空を指さし、機体を指さし、最後に三人を指さした。
千綿は、しばし考えた。
「……二門隊長」
「うん」
「彼、たぶん、こう言っています」
「なんて」
「『空から、ジェロニモが率いる戦士が、降りてきた』」
「……ペドロ、空想豊かやな」
「いえ、これは空想ではないかもしれません」
「ちゃうんか」
千綿は、しばしペドロのジェスチャーを思い出した。
「メキシコには、空から戦士が降りてくる、という伝説がいくつかあります」
「伝説」
「アパッチ族の戦士ジェロニモは、十九世紀末、メキシコ・アメリカ国境地帯で、アメリカ陸軍を散々悩ませた、伝説の戦士です」
「ジェロニモ」
「現代のメキシコでも、英雄として記憶されています」
「で、ジェロニモが、空から降りてきた、っていうのか」
「いえ、伝説そのものに、空から降りてくるという要素はありません。ただ、現代のメキシコ人にとって、『英雄が空から降りてくる』というイメージは、ジェロニモと結びつきやすい、ということだと思います」
「複雑な文化的文脈やな」
「ええ、複雑です」
ペドロは、ふと千綿の顔を覗き込んだ。
そして、目を輝かせた。
何か、突然、思いついたような顔だった。
「ヒロニモン!?」
「は?」
「ヒロニモン!?」
千綿は、しばし考えた。
スペイン語の発音で、ジェロニモはこう発音される。
ヒロニモン。
「……ジェロニモ、ですか」
「ヒロニモン!」
「ヒロニモン」
「ヒロニモン!? チワタ、チリカワ、ヒロニモン!?」
ペドロは興奮していた。
両手を空に向かって振り上げた。
そして、叫んだ。
「ヒロニモン! ヘロニモ・ビノ・デル・シエロ!」
千綿は、二門に通訳した。
「たぶん『ジェロニモが空から降りてきた』、と言っています」
「……ワシら、ジェロニモちゃうけどな」
「ええ、違います」
「違うやろ」
「ええ、違います」
「でも、彼、興奮しとるな」
「ええ、興奮しています」
「ええんかな、これ」
「……良いんでしょうか」
ペドロは三人をぐるりと指さした。
そして力強く、宣言した。
「ヒロニモン! お前ら、ヒロニモンや!」
千綿は、しばし固まった。
それから二門にぽつりと言った。
「……二門隊長」
「うん」
「私たちはいま、ペドロさんに、ジェロニモと改名されました」
「されたな」
「ええ、されました」
「断ってもええんか」
「断る、スペイン語、知りません」
「ネタ切れ、まだ続いとるんかい」
「ええ、続いています」
ペドロは笑顔のまま、三人の肩を順番にぽんぽんと叩いた。
「アミーゴ・ヒロニモン!」
「友達、ジェロニモ、ですね」
「ええ、友達、ジェロニモです」
知里川が、毛皮の中からぽつりと言った。
「……ええ名前や」
「お前、ジェロニモも『ええ』言うんかい」
「……ええもんはええ」
「お前、ほんま、何でも『ええ』言うな」
メキシコの、サボテンの群生地で。
日本軍、鎗快攻撃隊の三人は。
メキシコ人ペドロによって、ジェロニモという新しい名前を与えられた。
ジェット気流様はもう、流れていなかった。
しかしジェロニモという名前は、これから彼らとずっと一緒に流れていくことになる。
太平洋の上で誰の歴史にも残らないはずだった三人は。
メキシコのサボテンの群生地で。
ジェロニモという、別の歴史を生き始めた。




