鎗快を、捨てる
爆弾を捨ててから、半日が経った。
三機の鎗快は、東向きジェット気流に乗って、太平洋の真ん中を流れていた。
しかし、また高度が下がり始めていた。
水素は止まらず、漏れ続けていた。
「……二門隊長」
「言わんでええ。分かっとる」
「下がっています」
「言うな」
「下がり続けています」
「言うなって、言うとるやろ」
二門は震えながら、空を見上げた。
頭上の三つの気嚢は、出撃時より明らかに、しぼんで見えた。
夜が近づいていた。
夜になれば、気温はさらに下がる。気体は縮む。浮力はもっと減る。
このままでは、夜を越えられない。
*
「……千綿よ」
「はい」
「もう、捨てるもん、無いんやろ」
「ありません」
「電熱服も、蓄電池も、燃料も、捨てられん」
「捨てられません」
「そしたら、何が残っとる」
千綿は、しばし答えなかった。
機体に積まれているもの——もう、何も無い。砂袋は全部捨てた。爆弾も捨てた。装備は命綱だけが残っている。
しかし、まだある。
捨てられるものが、まだある。
「……二門隊長」
「うん」
「鎗快の機体そのものが、残っています」
二門は、しばらく黙った。
それから、ぽつりと言った。
「……それ、捨てるんかい」
「捨てれば、軽くなります」
「自分が乗っとる機体、捨てたら、お前、どこに乗るんや」
「私と知里川くんで、隊長の機体に乗ります」
「三人で、一機に」
「ええ、三人で一機に」
知里川が、毛皮の中からぽつりと言った。
「……狭いやろ」
「狭いです」
「……マタギ、毛皮、嵩張る」
「毛皮、置いていきますか」
「……無理」
「では、狭いまま乗ります」
「……仕方ない」
千綿は、二門を見た。
「私の機体と、知里川くんの機体、二機を捨てます。残るのは隊長の機体です」
二門は、しばし千綿を見返した。
それから、首を振った。
「ちゃう」
「ちゃう、とは」
「ワシの機体を最初に捨てる」
千綿は、眉をひそめた。
「……隊長」
「ワシの機を捨てる。次に千綿、お前の機を捨てる。最後に惣藏の機に、三人で乗る」
「……何故ですか」
二門は震えながら、淡々と答えた。
「惣藏が、一番うまく操縦できる」
「……それは、そうですが」
「ワシらは、知里川の機体に乗る方が、地上に着ける確率が高い」
「……はい」
「そしたら、ワシの機を最初に捨てるのが、合理的や」
「……隊長」
「合理的やろ」
「合理的です」
二門は、空を見上げた。
「ほな、ワシのから捨てるで」
*
千綿は、しばらく何も言えなかった。
知里川も、毛皮の中で無言だった。
——隊長が、一人で決めた。
「ワシが最初に捨てる」——その一言で、決まった。
それは、議論の余地のない、合理的な決断だった。
しかし、合理的だから止められない。
そして、それは同時に——隊長が、自分の機体を、最初に捨てるということだった。
軍人が、自分の機体を捨てるということは——
千綿は、目を閉じた。
ヤエお婆ちゃんが、言った。
「生き残りなさい」
「どこにいても、いい」
——あの言葉は、いまも千綿の手の中にあった。
千綿は、目を開けた。
そして、言った。
「……了解しました」
「うん」
「隊長の機体を、最初に捨てます」
「ええで」
知里川が、毛皮の中からぽつりと言った。
「……隊長、ええ判断や」
「お前まで、合理的、言うな」
「……合理的や」
「ええわ、もう」
*
二門は、自分の機体から、慣れた手つきで装備を外し始めた。
電熱服。命綱。持っていく。
蓄電池。命綱。持っていく。
燃料はもう要らない。降下後の機動は、知里川の機体でやる。
地図、コンパス、その他の装備は、千綿がまとめて持っていく。
「……ほな、ええか」
「ええです」
二門は、サドルからゆっくり降りた。
そして、隣を流れていた知里川の機体に、移った。
サドルは、もちろん一人用である。
二門は知里川の後ろに、跨るような姿勢でしがみついた。
「……狭いな」
「言うたやろ」
「マタギ、毛皮、邪魔やわ」
「……マタギの一部や」
「お前のマタギ、ややこしいな」
千綿は、二門の元の機体に、最後の確認をした。
機体は空っぽだった。
人も、装備も、何も乗っていない。
ただ、気嚢にぶら下がった布と竹の機体だけが、震えていた。
——あの機体は、ワシら、訓練で何度も飛ばした機体や。
二門がぽつりと言った。
千綿は、頷いた。
「私の機体も、知里川くんの機体も、同じです」
「うん」
「思い出は、機体には残らないんでしょうね」
「残るやろ」
「残りますか」
「お前の頭の中には残るやろ」
「……ええ、残ります」
「ほな、ええんや」
二門は震えながら、自分の元の機体から目を逸らした。
そして、合図した。
千綿は、機体を気嚢から繋ぐ紐を切った。
機体はふわりと下に落ち始めた。
気嚢は、機体を失って軽くなり、上昇した。
機体はゆっくりと、雲の中に消えていった。
——カチン、という音は聞こえなかった。
ただ、雲の下に消えただけだった。
*
千綿の機体も、同じように捨てられた。
千綿は、二門の隣に、知里川の機体にしがみついた。
一機の鎗快に、三人。
機体はぎしりと軋んだ。
しかし軋みながら、それでも東へ流れ続けた。
「……ええ機体や」
「お前、それ、何回目や」
「……何回でも言う」
二門は、雲の下をしばらく見ていた。
二機の鎗快が消えた方向を、見ていた。
それから、ぽつりと言った。
「……惣藏」
「うん」
「お前の機が、最後の一機や」
「……分かっとる」
「ちゃんと、着陸させてくれ」
「……マタギは外さん」
「外したら、三人とも死ぬで」
「……外さん」
「お前、ほんま頼もしいな」
知里川は答えなかった。
ただ、毛皮の中でぐっと、操縦桿——ではなく、サドルを握り直した。
体重移動の機体に、操縦桿は無い。あるのはマタギの勘だけ。
下では、太平洋が相変わらず青かった。
そこに、五つの落とし物が沈んでいた。
三つの爆弾。
二つの鎗快。
誰の歴史にも残らない、五つの落とし物だった。




