第25話 ポップアップストア〜inアリス
ヴァンキッシュ侯爵領の商業区は、朝から熱気に包まれていた。
私は広場の中央に設営された特設屋台の奥で、優雅に椅子に腰掛けた。
傍らには、清楚なエプロン姿のアリスが控えている。
白い天幕の下には、漆黒の木箱がずらりと並んでいた。
「領民の皆様。硬い羊皮紙に文字を書くとき、ペンの引っかかりにイライラしませんか?」
私が微笑みかけると、屋台の前に集まった商人や文官たちが顔を引きつらせた。
「な、なんだこの異常な黒さは……ッ!」
「覗き込むと、魂まで吸い込まれそうだぞ……!」
無理もない。
木箱に鎮座するペンは、以前地下遺跡を視察した際、クロエが拾ってきてくれた『珍しい石ころ』を削り出したものだ。
タダ同然の廃材だが、吸い込まれるような漆黒は確かに重厚感がある。
圧倒的な品格にたじろいで、後を去ろうととする客たち。
そこへ、アリスが一歩前に出て極上の笑顔を向けた。
「お姉様、イライラしまぁ〜す♡」
アリスが微笑むと、彼女の周囲からふわりと温かい空気が広がった。
元聖女ならではの『お客様を安心させる慈愛の接客オーラ』だ。
それに当てられた客たちの顔に妙な恍惚が浮かび始める。
「する〜!」
焦点の合わない瞳をした文官たちが、アリスに同調して間抜けな声を上げた。
「でも、このボレアス特製ペンなら……ほら」
私は手元のペンを手に取り、なぜか用意されていた分厚い鋼鉄の板に走らせた。
激しい火花が散り、鋼鉄がドロリと溶けて深い溝を刻む。
「筆圧ゼロで、こんなにスラスラ書けちゃうの」
「すご〜い! 鉄板がバターみたいに削れてる〜!」
鋼鉄をドロドロに溶かすペンの書き味に、文官たちが拍手喝采を送る。
「さらに、長時間の執筆を助ける冬用のぽかぽかグリップと、夏用のひんやりグリップも付けちゃいます!」
アリスが商品を高々と掲げる。
私が風邪を引いた時に使った『余りの氷』と、クロエが見つけた『綺麗な鳥の羽』だ。
「おおっ……!? なんだこれ、指先からドクンって……! 嘘だろ、石みたいに固かった肩が羽みたいに軽いぞ!」
「こっちの氷、握った瞬間に脳の芯までスゥッと冷えていく……! 徹夜の疲れが嘘みたいだ! 今まで使っていたペンは全部ゴミじゃないか!」
「極めつけは、こちらの八色インクですわ」
私が、先日海で獲れたイカの墨が入った小瓶を掲げる。
アリスが身を乗り出し、甘い声を出した。
「でもお姉様〜。こんなに凄い文房具……お高いんでしょう? 安くしてぇ〜」
「今回は特別に、全部セットで……銅貨三枚よ」
「やすぅ〜い!! 銅貨三枚〜!?」
アリスの歓声に呼応し、恍惚とした表情の客たちが絶叫した。
「こ、この神がかったペンが銅貨三枚!? 買ったァァァ!」
「私もだ! ギルドの予算をすべて注ぎ込め!!」
商人たちは我先にと銅貨を突き出し、木箱に群がっていく。
隣ではクロエが無表情、機械的、超高速で銅貨を回収し、次々とエコ商品を捌き始めた。
侯爵領の文官たちが震えながらペンを握りしめ、涙を流して喜んでいる。
皆さんあんなに震えて、ボレアスの最新文具に感動してくれている。
「アリス、クロエ。皆さんとっても喜んでくださっているわ。もっとたくさん、追加で並べてちょうだい」
「はいっ、お姉様!」
「かしこまりました、お嬢様」
昨夜の『お風呂のご褒美』と十分な睡眠で完全に気力と体力をみなぎらせている二人が、目にも留まらぬ速度で新たな木箱を次々と運び出してくる。
侯爵領の中心で、私たちの特設屋台の喧騒はさらに熱を帯びていった。




