おじさん、編集する
ネットカフェというものを、俺は異世界に行く前から知っていた。
田舎から上京してきたばかりの頃、アパートの契約が決まるまでの数日間を過ごした場所だ。
狭いブースに押し込められたリクライニングチェア、薄暗い照明、かすかに漂うカップ麺の匂い。
決して快適とは言えなかったが、雨風をしのげるだけで当時の俺には天国だった。
十年ぶりに足を踏み入れたネットカフェは、あの頃よりもずいぶん綺麗になっていた。
ブースは相変わらず狭いが、椅子はフルフラットまで倒せるようになっているし、シャワールームも完備されている。
ドリンクバーは無料で、漫画も雑誌も読み放題。
何より、パソコンが使い放題というのが今の俺にはありがたかった。
問題は、金だ。
受付で料金表を見て、俺は思わず唸った。
三時間パックで千二百円。
ナイトパックなら八時間で二千五百円。
十年前と比べれば値上がりしているが、まぁ物価上昇を考えれば妥当なところだろう。
ただ、入会金無料キャンペーン中で、会員になれば二割引になるらしい。
三時間で九百六十円。
それでも今の俺には痛い出費だが、背に腹は代えられない。
財布の中身は、悠から受け取った編集報酬の千五百円だけだ。
昨日のダンジョンで倒したスライムの魔石はどうなったかというと——俺の手元には一円も入っていない。
この世界のスライム核は、キロ単位でしか換金できない仕組みになっている。
冒険者が持つ免許証にICチップが埋め込まれていて、ダンジョンを出る際に採取した魔石の重量が自動で記録される。
累計で一キロを超えると、ようやく換金所で現金化できる。
キロ単価は約千円。
スライム一匹の核はせいぜい10グラム程度だから、1キロ貯めるには100匹ほど倒す必要がある。
しかも、免許を持っていない俺は、そもそも登録すらできない。
キラスタの三人は「取り分は四等分」と言ってくれたが、実際のところ、俺の分はいつ現金化されるか分からない。
悠の免許に俺の取り分として記録してもらってはいるものの、彼女たちがキロ単位で貯めて換金するまで、俺は一円も受け取れない。
つまり今、俺が手にしている現金は、純粋に編集報酬だけ。
千五百円。
これが命綱だ。
ネカフェの三時間パックを一回使ったら、残りは五百四十円。
明日の飯代がギリギリ出るかどうか。
それでも、俺は受付に向かった。
今やるべきことがある。金の心配は、そのあとだ。
□
奥まったブースに腰を落ち着け、カメラからSDカードを取り出してパソコンに挿入する。
昨日撮影した素材が、ずらりと並んだ。
悠たちの自己紹介、ダンジョン内の風景、スライムとの戦闘。
ファイルの数は三十二個。撮影時間にして約四十分。
ここから五分程度の動画に仕上げるのが、俺の仕事だ。
動画編集ソフトを立ち上げる。
十年前にも似たようなソフトを使ったことがあるが、インターフェースはだいぶ変わっていた。
それでも基本的な操作——素材の読み込み、タイムラインへの配置、カットとトリミング——は指が覚えている。
体の方が先に動く。
まずは素材をすべて通して見る。
三人の自己紹介は、思っていたよりも良く撮れていた。
悠のダブルピースはフレームの中心からやや右にずらして配置したことで、背景のダンジョンの入り口が効果的に映り込んでいる。
朱音の挑戦的な笑みは、ほんの少しローアングルから撮ったことで迫力が増している。
涼子の控えめな手振りは、逆にハイアングル気味に撮ったことで可愛らしさが強調されている。
悪くない。
問題はスライム戦だった。
再生してみると、俺がスライムを蹴り上げた瞬間が微妙に映り込んでいる。
足そのものは映っていないが、スライムの軌道が明らかに不自然だ。
空中で急に方向が変わっている。
これをそのまま使うわけにはいかない。
俺は時間軸を拡大し、問題の箇所を一コマずつ確認した。
スライムが茂みから飛び出す瞬間、涼子に向かって跳躍する瞬間、そして軌道が変わる瞬間。
——ここだ。
軌道が変わる直前のコマで、画面の端に俺の影が映り込んでいる。
薄暗いダンジョン内とはいえ、苔の発光で輪郭がうっすらと見える。
これを見られたらまずい。
カットするか。それとも、別の方法で誤魔化すか。
しばらく考えてから、俺は一つの結論に達した。
カットするのではなく、逆に強調する。
スライムが飛び出す瞬間にエフェクトを入れる。
漫画でよくある集中線のようなやつだ。
動きの激しさを演出しつつ、不自然な軌道変化を「スライムの予測不能な動き」として押し切る。
フリー素材のサイトを検索し、エフェクト素材をダウンロードする。
該当箇所に重ねてみた。
悪くない。
むしろ、臨場感が増している。
スライムの動きが危険に見える。
実際には俺が蹴り飛ばしただけなのだが、視聴者には急な方向転換をしたように見えるだろう。
そうだ。この路線で行こう。
俺は編集の方針を固めた。
戦闘シーンは、あえて「危険」を強調する。
三人が余裕で勝っているように見せるのではなく、ギリギリの戦いに見せる。
その方が視聴者の心を掴める。
悠の剣が振り下ろされる瞬間、スローモーションをかける。
効果音を重ねる。
朱音の追撃には斬撃エフェクトを薄く入れる。
涼子の矢が核を砕く瞬間は、画面を一瞬だけホワイトアウトさせて、決定的な一撃であることを印象づける。
異世界で学んだことがある。
戦いには流れがある。
観客が息を呑む瞬間、手に汗握る間合い、感情が爆発するタイミング。
吟遊詩人が英雄譚を語るとき、事実をそのまま伝えるのではなく、聴衆の心を動かすように再構成する。
それと同じだ。
俺がやっているのは、現代の吟遊詩人の仕事なのかもしれない。
気づけば、二時間半が経っていた。
残り三十分。急がないと追加料金が発生する。
完成した動画を通しで再生してみる。
五分十二秒。
オープニングの挨拶から始まり、ダンジョンへの入場、戦闘、勝利の決めポーズ、エンディングのお知らせ。
テンポよく、しかし急ぎすぎず、視聴者が置いていかれない程度の情報密度。
特に意識したのは、冒頭の十五秒だ。
過去のキラスタの動画を分析したところ、最初の十五秒で視聴者の半分近くが離脱していた。
つまり、掴みが弱い。
だから今回は、冒頭にスライム戦のハイライトを持ってきた。
「この後、何が起きるのか」と思わせてから、本編に入る構成だ。
サムネイル用の画像も三パターン作成した。
一つ目は三人の笑顔を前面に出した「アイドル路線」、二つ目はスライムとの戦闘シーンを切り取った「バトル路線」、三つ目はダンジョン入り口に立つ後ろ姿の「雰囲気路線」。
悪くない。
いや、正直に言おう。
かなり良い出来だ。
俺は動画ファイルとサムネイル画像をUSBメモリに保存し、ブースを出た。
□
悠たちとの連絡手段は、悠が中学生の頃に使っていたというキッズスマホだ。
SIMカードの契約は切れているが、Wi-Fiがあれば通信できる。
ありがたいことに、このネカフェにはフリーWi-Fiが飛んでいる。会計を済ませる前に、ロビーの隅でトークアプリを開いた。
グループ「キラスタ+おじさん」にメッセージが届いていた。
『おじさーん、編集どう?』
悠からだ。
時刻を見ると、一時間ほど前の送信になっている。
『終わった。クラウドに上げる。Wi-Fiが遅いから少し待ってくれ』
返信を打ち、動画ファイルをアップロードする。
ネカフェのWi-Fiは混雑しているのか、なかなか進まない。
プログレスバーが少しずつ伸びていくのを眺めながら、俺は残金の計算をしていた。
五百四十円。
今日の夕飯と明日の朝飯。
コンビニのおにぎりが一個百五十円として、三個買える。
二食に分ければ、明日の昼過ぎまでは持つ。
その先は——考えないことにした。
アップロードが完了した。
すぐに既読がついた。
『見る!!!!』
悠のメッセージに続いて、朱音と涼子からもスタンプが飛んできた。
五分後、グループが爆発した。
『やばい』
『え、なにこれ』
『すごい……』
『おじさん天才!? マジでプロじゃん!!』
『私めっちゃカッコよく撮れてる!!』
『涼子も可愛い!!』
『私が一番カッコいいのは当然として』
『自分で言うなww』
メッセージが次々と流れてくる。どうやら三人とも、同時に視聴して感想を送り合っているらしい。
俺は少しだけ、口元が緩むのを感じた。
『気に入ってもらえたなら良かった』
『気に入るどころじゃないよ! 今までで一番の出来!!』
『早速アップしていい?』
『どうぞ。サムネイルも三パターン作っておいた』
『サムネまで!?』
『おじさんガチすぎない?』
悠たちが盛り上がっている間に、俺は会計を済ませてネカフェを出た。
外は夕暮れだった。オレンジ色の空が、ビルの隙間から覗いている。
コンビニでおにぎりを二つ買い、公園のベンチに戻る。
一つは今食べて、一つは明日の朝用だ。
シャケおにぎりを頬張りながら、俺はスマホの画面を眺めていた。
Wi-Fiはもう届かないが、さっきダウンロードしておいたキラスタの過去動画を見ることはできる。
彼女たちがこれまでどんな動画を作ってきたのか。
何が受けて、何が受けなかったのか。
視聴者はどんなコメントを残しているのか。
研究だ。
次の撮影で、もっと良いものを撮るために。
星が一つ、空に瞬き始めた。
□
翌朝、公園の水道で顔を洗う。
蛇口から出る水は、一月の冷気を吸い込んで痛いほど冷たい。
指先の感覚がなくなりかけている。
それでも顔を洗わないと、人間として終わる気がした。
異世界で何度も野営をしたが、あの頃は魔法で水を温められた。
今は人に見られる危険があるため、簡単には使うことができない。
その後、近くのコンビニまで歩き、Wi-Fiに接続してトークアプリを開く。
『おじさん!!!! 起きて!!!!』
『見て!!!! 再生数!!!!』
悠からの連投だった。
スクリーンショットが添付されている。
動画の再生数——十二時間で八千回。
「……おぉ」
思わず声が漏れた。
キラスタの過去動画を分析した限り、平均再生数は二千から三千程度だった。
登録者数がまだ千人に届かない弱小チャンネル。
それが一晩で八千。しかもまだ伸び続けている。
『視聴維持率が過去最高だって!! いつもは30%くらいなのに、今回は58%!!』
悠が興奮した様子で補足してきた。
視聴維持率——動画を最後まで見た人の割合。
これが高いということは、途中で離脱されていないということだ。
冒頭のハイライト構成が効いたらしい。
『コメント欄も見て!!』
『編集変わった?』
『なんか急にクオリティ上がってね?』
『スライム戦の見せ方うまい』
『おじさん何者?』
『ってか誰? 新メンバー?』
『キラスタついに本気出した?』
コメント欄には「おじさん」という単語が飛び交っていた。
顔も出していない、声もほとんど入っていない。
それでも視聴者は、カメラの向こうにいる存在を認識し始めている。
——まずいな。
口元は笑っているのに、背筋に冷たいものが走った。
数字が伸びるほど、注目される。
注目されるほど、探られる。
「おじさん何者?」という好奇心は、いずれ「おじさんを特定しよう」という執念に変わる可能性がある。
俺の正体がバレたらどうなる?
異世界帰還者。元勇者。
十年間、この世界から消えていた男。
政府が俺を探しているなら——いや、探していなくても、ネットで話題になれば嫌でも目につく。
あのダンジョン入り口で俺を見ていたスーツの男の顔が、脳裏をよぎった。
成功は救いであると同時に、危険でもある。
その綱渡りを、俺は始めてしまったのだ。
『新規登録も増えてる!! 昨日だけで八十人!!』
『収益化も、目前!』
涼子からのメッセージで、思考が中断された。
収益化……。
キラスタは登録者数千人未満の弱小チャンネルだから、収益化しても雀の涙程度だろう。
それでも、再生数が伸びれば多少は増える。チャンネルが成長すれば、俺への報酬も——
『おじさん、次の編集もお願いしていい? 報酬、もうちょっと上げるから!』
悠からのメッセージに、俺は即座に返信した。
『喜んで。いくらになる?』
『二千円でどうかな? 動画一本につき』
五百円アップ。大きい。
週に一本撮影するとして、月四本で八千円。
ネカフェ代と最低限の食費を考えると、まだ足りないが、ゼロよりはるかにマシだ。
『ありがとう。助かる』
『おじさんのおかげでバズったんだから、当然だよ!』
危険は承知の上だ。
だが今は、生き延びることが最優先。金がなければ、危険を回避することすらできない。
俺は空を見上げた。雲一つない冬の青空が広がっている。
昨日までとは、少しだけ違う色に見えた。
□
『次の撮影、いつにする?』
悠の問いかけに、返答が次々と上がる。
『私は明後日なら空いてる!』
『私も大丈夫!』
『私は今週末まで部活が……ごめんなさい』
『じゃあ週末で! おじさんは?』
俺は少し考えてから、返信を打った。
『いつでもいい』
『おじさんって暇なの?』
『ホームレスだからな。予定は空いてる』
『wwww』
『笑い事じゃないんだけど!?』
朱音が笑い、涼子が突っ込む。
悠は『週末ね! 楽しみ!』とだけ返してきた。
週末まであと五日。
それまで、どうやって食いつなぐか。
俺は財布の中身を確認した。今朝のおにぎり代を引いて、残りは三百九十円。
五日。
一日あたり七十八円。
無理だ。どう考えても足りない。
魔石の取り分はどうなっているかというと、悠の免許に記録されている俺の分は、まだ五十グラム程度しか貯まっていない。
昨日のスライム一匹分の四分の一だ。キロに達するまであと990グラム。とてつもなく遠い。
しかも換金できたところで、キロ千円の四分の一は250円。焼け石に水だ。
どうする。
炊き出しに頼るか。
三澤さんに教えてもらった場所なら、週に二回は温かいものが食べられる。
それ以外の日は——水道の水で腹を膨らませるしかない。
異世界で、もっと過酷な状況を生き延びたことがある。
砂漠を三日間、水だけで歩き続けたこともあった。それに比べれば、まだマシだ。
——本当にそうか?
あの時は、仲間がいた。
励まし合い、支え合う存在がいた。
今は、一人だ。
ベンチに座り、空を見上げる。
晴れ渡った冬の青空。綺麗だと思う。
でも、腹が減っていると、何を見ても心に響かない。
まずは生き延びろ。
それだけを考えろ。
週末まで、あと五日。
□
三日目の朝、俺は限界に近づいていた。
炊き出しのおかげで一日おきに温かいものを口にできてはいるが、それ以外の日は水だけだ。
胃が縮んで、空腹を通り越して痛みに変わっている。
夜はベンチで眠るが、寒さで何度も目が覚める。
肩と腰が常に痛む。目は乾き、まぶたが重い。
それでも、俺は動画の研究を続けていた。
コンビニのWi-Fiを借りて、他のダンジョン配信者の動画を見る。
キラスタと同規模か、少し上のチャンネル。
何が受けていて、何が受けていないのか。
編集のどこが良くて、どこが悪いのか。
学べることは山ほどある。
体は限界でも、頭は動く。
次の撮影で、もっと良いものを撮るために。
『おじさん、大丈夫?』
四日目の夕方、悠からメッセージが来た。
『なにが?』
『いや、なんか心配になって……。ちゃんとご飯食べてる?』
一瞬、指が止まった。
嘘をつくか、正直に言うか。
『炊き出しがあるから大丈夫だ』
半分は本当だ。嘘ではない。
『そっか…… あのさ、明日の撮影の前に、みんなでご飯食べない? 私のおごりで』
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
施しを受けるのは、情けないことだと思っていた。
異世界では、俺が施す側だった。
勇者として、民に食料を配り、弱者を助けた。
その俺が、女子高生に飯を奢ってもらう。
プライドが邪魔をする。
でも——。
『ありがとう。助かる』
プライドで腹は膨れない。
生き延びることが、今は最優先だ。
『よかった! じゃあ明日、ダンジョン前に集合で!』
悠からのメッセージを見て、俺は少しだけ、目頭が熱くなるのを感じた。
情けない。
本当に、情けない。
でも、ありがたいと思う気持ちは、嘘じゃなかった。
□
週末が来た。
約束の場所に着くと、三人はすでにいた。
悠が大きく手を振り、朱音が軽く顎を上げ、涼子が小さくお辞儀をする。
「おじさん、おはよー!」
「おう」
「顔色悪くない? 大丈夫?」
朱音に指摘されて、俺は咄嗟に笑顔を作った。
「寝不足なだけだ。動画の研究をしていたら、つい夜更かしした」
嘘ではない。嘘ではないが、真実でもない。
「もー、体調管理もカメラマンの仕事だよ?」
悠が呆れたように言いながら、近くのファミレスへと歩き出した。
ファミレス。
十年ぶりだ。
異世界に行く前、友人と何度か来たことがある。安くて量が多くて、金のない学生には天国のような場所だった。
席に着き、メニューを開く。
値段を見て、俺は目を疑った。
ハンバーグ定食、千二百円。
「好きなもの頼んでいいよ、おじさん」
悠がにっこりと笑った。
「……いいのか?」
「いいのいいの。今回の動画、めっちゃバズったでしょ? あれ全部おじさんのおかげだから」
「再生数、一万五千超えたんだよ!」
朱音が興奮した様子で言った。
「登録者も百五十人増えた! このペースなら、来月には千人いくかも!」
「千人いったら収益化の審査出せますね……」
涼子が控えめに、でも確かな期待を込めて言った。
千人。収益化。
彼女たちにとって、それは大きな目標なのだろう。俺にとっては数字でしかないが、この子たちにとっては夢への一歩だ。
「じゃあ、遠慮なく」
俺はハンバーグ定食を頼んだ。
運ばれてきた皿を見て、唾を飲み込む。湯気を立てる肉、たっぷりのソース、付け合わせの野菜、白米。
異世界でどれだけ美味いものを食べたか分からない。王宮の晩餐会にも出席したし、各地の名物料理も食べ尽くした。
でも今、目の前にあるファミレスのハンバーグは、それらのどれよりも輝いて見えた。
「いただきます」
一口食べた瞬間、涙が出そうになった。
美味い。
ただ、美味い。
この五日間、まともに固形物を食べていなかった。
胃が温かいもので満たされていく感覚が、これほど幸福だとは思わなかった。
「おじさん、なんか泣いてない?」
涼子が心配そうに覗き込んできた。
「玉ねぎが目に染みただけだ」
ハンバーグに玉ねぎなんて入っていないが、三人とも突っ込まなかった。
優しい子たちだ。
本当に、優しい子たちだ。
□
腹を満たした後、俺たちはダンジョンに向かった。
カメラの充電は満タン、予備のバッテリーも二つ持ってきた。
SDカードは新品に入れ替え、容量は十分。準備は万端だ。
体調も——さっきの食事のおかげで、だいぶ回復した。
「そうだ、おじさん」
悠が思い出したように言った。
「魔石の記録、少しずつ貯まってきてるよ。まだ全然キロには届かないけど」
「そうか。ありがとう」
悠の免許に記録されている、俺の取り分。気の遠くなるような道のりだが、ゼロではない。
それに、金額の問題だけではない。
俺の取り分をちゃんと管理してくれている。そのことが、素直に嬉しかった。
「今日の撮影、気合い入れていこう!」
悠が拳を握った。
「コメントでリクエストが多かったんだ。『もっと奥まで行ってほしい』『強いモンスターと戦うところが見たい』って」
「視聴者は贅沢だな」
「でも、応えたいんだよね。せっかく注目されてるんだし」
悠の目が、真剣だった。この子たちは本気で、この道で上を目指そうとしている。
「第二階層くらいなら、行けると思うんだ。おじさん、どう思う?」
「第二階層か……」
俺は少し考えた。
第一階層はスライムとゴブリンが中心だ。
第二階層になると、ウッドウォークが加わる。
樹木に擬態したモンスターで、初心者が油断すると痛い目を見る相手だ。
三人の実力なら、一対一でギリギリ勝てるかどうかというところだろう。
三対一なら問題ないが、複数を相手にすると厳しくなる。
「行けなくはない」
俺は言った。
「ただし、条件がある」
「条件?」
「俺がストップをかけたら、即座に撤退する。異論は認めない。いいな?」
三人は顔を見合わせた。
悠が頷く。朱音が肩をすくめる。涼子が小さく「はい」と言う。
「よし。じゃあ行くか」
俺はカメラを構えた。
第二階層。
キラスタにとっては新たな挑戦。俺にとっては——まぁ、散歩のようなものだが。
それでも、油断だけはしない。
守るべきものができた以上、俺は全力で仕事をする。
さっき食べたハンバーグの温もりが、まだ腹の中に残っている。
この子たちの優しさに、俺は仕事で返す。
それが、カメラマンとしての——いや、元勇者としての矜持だ。
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