おじさん、呼び出される
ドラゴン動画がバズってから三日。
俺の生活は、一変した――と言いたいところだが、嘘だ。
誇張だし、かなり盛ってる。
実際のところ、何も変わっていない。
相変わらず酒屋でバイトして、相変わらずキラキラスリースターズの撮影を手伝って、相変わらず――漫画喫茶のブースで寝泊まりしている。
フラットシートの個室。毛布。ドリンクバー。シャワー。
住所不定の元勇者には、十分すぎる環境……と言いたいが。
――いや、十分じゃないな。やっぱり布団で寝たい。
そんな切実な願望を抱えつつも、日々は淡々と過ぎていった。
ただ、変わったことが一つだけある。
スマホの通知が、やたらと増えた。
「おじさん、また増えてる!」
悠が、俺のスマホを覗き込んで叫ぶ。
いや、覗き込みすぎだ。人のプライバシーという概念を、そろそろ覚えてほしい。高校生だろ。
俺のスマホは、相変わらずSIMが死んでいる。
まともに電話なんてできない。
できるのは、無料Wi-Fiを拾って、メッセの通知を受け取るくらいだ。
それでも、通知は鳴る。妙に元気に鳴る。
再生回数は、すでに三百万を超えていた。
コメント欄は相変わらず祭りだ。「CGだ」「いや本物だ」「管理局は何やってんだ」「あの冒険者の正体は誰だ」。
無限ループである。
「もう見るな。気が滅入る」
「えー、でも面白いよ? 見てこれ。『冒険者の正体はプロの傭兵説』だって」
「傭兵って何だよ」
「知らない。でも、的外れな推理ばっかりで逆に助かってるよね」
確かに、特定班とやらの推理は見事に外れている。
「元自衛隊」「格闘家」「VFXアーティストの自作自演」――どれも俺とは縁もゆかりもない職業ばかりだ。
中には「異世界から来た勇者」という冗談みたいなコメントもある。
――いや、それが一番近いんだけどな。
俺がそんなことを考えた、ちょうどその時だった。
スマホが震えた。
通知音。メッセの通話。画面には「非通知」の表示。
「……」
嫌な予感しかしない。
俺は三人から少し距離を取って、通話に出た。
「はい」
『荒谷雅貴さんですね。管理局の桐島です』
――やっぱりか。
ドラゴンを倒した時に報告した相手だ。
あの時は「機密扱いにする」と言っていた。
――が、動画がバズってしまった以上、黙っているわけがない。
『本日、お時間をいただけますか。少々、お話ししたいことがありまして』
「話?」
『ええ。例の動画の件で』
声は相変わらず丁寧だ。丁寧すぎて、逆に信用できないやつだ。
「……分かりました。どこに行けばいいですか」
『管理局の本部にお越しください。住所はメッセージでお送りします』
通話が切れた。
俺は深く息を吐いて、三人のところへ戻った。
「おじさん、誰から?」
「管理局」
「「「えっ」」」
三人が揃って固まる。反応が素直すぎる。
「大丈夫なの?」
涼子が眉を寄せる。
「さぁな。とりあえず話を聞いてくる」
「私たちも行く!」
「来るな」
「えー」
悠が不満そうに唇を尖らせる。
「お前たちが来ると、話がややこしくなる」
「ややこしくしないよ!」
「お前が一番ややこしくするだろ」
「ひどい!」
ひどくない。事実だ。
「終わったら連絡する。大人しく待ってろ」
「……分かった。でも、何かあったらすぐ言ってね」
「ああ」
俺は三人に背を向けて歩き出した。
嫌な予感は、相変わらず消えないままだった。
□
管理局本部は、都心の一等地にあるビルの中にあった。
こういう場所に来るたび思う。ここは俺の世界じゃない、と。
受付で名前を告げると、すぐに奥の部屋に通された。
会議室のような場所で、長いテーブルの向こう側に桐島が座っている。
「お待ちしておりました、荒谷さん」
営業スマイル。きっちりしたスーツ。
普通のサラリーマンにしか見えないのに、目だけは笑っていない。
「どうぞ、おかけください」
俺は向かいに座る。
「それで、話というのは」
「単刀直入に言いますね」
桐島は、テーブルの上に一枚の紙を置いた。
ドラゴンを倒している動画の、スクリーンショット。俺が一番見たくないやつだ。
「これ、あなたですよね」
「……何のことですか」
「とぼけないでください。小さく、後姿しか映っていないとはいえ、動きの癖で分かります」
――動きの癖?
そこまで見るのか。管理局、妙なところで優秀だな。嬉しくない。
「仮にそうだとして、何か問題でも?」
「問題だらけですよ」
営業スマイルが少しだけ崩れた。笑いながら怒ってる人の顔だ。
「まず、ドラゴン討伐の件は機密扱いにすると、お伝えしましたよね」
「ええ」
「なのに、なぜ動画が出回っているんですか」
「……事故です」
「事故?」
「限定公開にしようとしたら、間違えてアップしてしまったらしくて」
「らしくて?」
「俺がやったわけじゃないので」
桐島が、深いため息をついた。仕事の疲れが滲むタイプのやつだ。
「荒谷さん。あなたがどれだけの実力者か、私は把握しています。ドラゴンを単独で討伐できる人間は、この国にはほとんどいません」
「……」
「だからこそ、目立たないでほしかったんです。あなたのような存在が表に出ると、色々と面倒なことになる」
「面倒なこと?」
「政府内には、ダンジョンを巡って様々な思惑を持つ人間がいます。あなたの存在を知れば、利用しようとする者が出てくるでしょう」
――まぁ、そうだろうな。
向こうでも、勇者という存在は便利に使われる。
こっちの世界でも、変わらないだけだ。
「だから、目立つなと」
「そうです。少なくとも、こちらの準備が整うまでは」
「準備?」
「あなたを、正式に管理局の協力者として登録する準備です」
協力者。
言い換えれば、囲い込みだ。
「お断りします」
「即答ですか」
「俺は平穏に暮らしたいんです。管理局に協力するとか、そういうのは勘弁してください」
「平穏に暮らしたい人が、ドラゴンを倒しますか?」
……二回目だな、そのやつ。
「あれは、仕方なく」
「仕方なく、ですか」
桐島が、また営業スマイルに戻った。戻るの早いな。
「荒谷さん。あなたは、とても優秀な人材です。管理局としては、ぜひ協力していただきたい」
「だから、お断り――」
「もちろん、報酬はお支払いします」
俺の言葉を遮って、桐島が言った。
「……報酬?」
「ええ。ドラゴン討伐の報酬として、まずはこちらを」
桐島が封筒をテーブルに置く。
中を見ると、小切手が入っていた。
金額を見て――俺は、目が止まった。
「……え」
ゼロの数を、三回数え直す。
「これ、本気ですか」
「本気ですよ。ドラゴンの魔石は、それだけの価値があります」
――マジか。
これだけあれば、漫画喫茶暮らしから抜けられる。
というか普通に部屋が借りられる。布団で寝られる。
ちゃんとした風呂に入れる。冷蔵庫が持てる。
フラットシートで丸まって寝る夜が、脳裏に浮かぶ。
「あれに戻りたくない」という気持ちが、じわっと強くなる。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「今後、何かあった時には、管理局に協力していただくこと。もちろん、その都度報酬はお支払いします」
要するに、いざという時の戦力として確保しておきたいわけだ。
正直、断りたい。断りたいが……目の前のゼロが多い。
「……考えさせてください」
「もちろんです。ただ、あまり長くは待てませんので」
桐島は立ち上がり、ついでのように言った。
「それと、もう一つ」
「何ですか」
「うちの特別顧問が、あなたに興味を持っているようです」
「特別顧問?」
「ええ。ダンジョンに関する専門家で、色々とアドバイスをいただいている方です」
言い方に妙な含みがある。嫌な予感が、また一段濃くなる。
「その人が、どうかしたんですか」
「いえ、ただ……」
桐島が、ほんの少し間を置く。
「あなたの動画を見て、『会ってみたい』とおっしゃっていたので」
「……」
特別顧問。専門家。俺に興味。
条件が揃いすぎている。
「その方の名前は?」
「エルシアさん、とおっしゃいます。本名かどうかは分かりませんが」
――エルシア。
エルフっぽい、というか、完全に向こうの匂いがする名前だ。
俺の胸の奥が、嫌な感じに冷える……と言いたいところだが、この世界のダンジョンは外気と関係ない。
そういう描写はやめよう。代わりに、胃がきゅっと縮む感じだ。そう、胃だ。
「どんな方なんですか」
「それは、お会いになればわかりますよ」
桐島が、意味深に笑った。
「では、お返事をお待ちしております。荒谷さん」
□
管理局を出た俺は、近くの公園のベンチに腰を落とした。
手の中には封筒。中には人生を変えるくらいの金額の小切手。
「……参ったな」
受け取れば、管理局に繋がれる。協力者という名の首輪だ。
受け取らなければ、漫画喫茶生活が続く。
どっちを取るべきか。
そんなことを考えていると、スマホが震えた。
悠からのメッセだ。
『おじさん、大丈夫だった!?』
「大丈夫だ」
『何か言われた?』
「色々とな」
『色々って何!? 気になる!』
「後で話す。今は――」
『今は?』
「……腹が減った」
『えっ、そっち!?』
呆れた声が返ってくる。
『もう、おじさんってば。じゃあ、いつもの店で待ってるから、早く来て!』
「分かった」
通話を切って立ち上がる。
とりあえず飯だ。難しいことは、腹を満たしてから考える。
――それが俺のモットーだ。
向こうで勇者をやってた頃から、わりとずっと。
□
いつものファミレス。
入ると、三人がすでに席を確保していた。
「おじさん、遅い!」
「すまんすまん」
俺は悠の隣に座る。座った瞬間、視線が三本刺さる。事情聴取の形だ。
「で、どうだったの?」
朱音が身を乗り出してくる。近い。
「まぁ、色々と」
「また『色々』? おじさん、それ口癖だよね」
「口癖っていうか、本当に色々なんだよ」
俺は注文を済ませてから、ざっくり説明した。
機密がバレたこと。管理局が俺を協力者にしたがっていること。報酬が出ること。
「へぇ、報酬出るんだ」
「ああ。結構な額だ」
「いくら?」
「……言えない」
「えー、ケチ」
悠が頬を膨らませる。
「それで、おじさんはどうするの?」
涼子が、真面目な顔で聞いてきた。
「……まだ決めてない」
「でも、報酬が出るなら、いいんじゃない? おじさん、漫画喫茶暮らしでしょ?」
「……なんで知ってる」
「前に酒屋のおばちゃんが言ってた」
――余計なことを。
「漫画喫茶って、寝づらくない?」
「……まぁ、フラットシートは狭いからな」
「じゃあ、報酬もらえばいいじゃん。ちゃんとした部屋に住めるよ」
「金の問題だけじゃないんだよ」
「じゃあ、何の問題?」
「……面倒くさい」
三人が、揃ってジト目になった。分かってた反応だ。
「おじさん、それ理由になってないよ」
「なってるだろ。俺は平穏に暮らしたいんだ」
「平穏に暮らしたい人が、ドラゴン倒す?」
涼子が、さらっと刺してくる。今日の切れ味がいい。やめろ。
「あれは仕方なく――」
「仕方なく、ね」
朱音がにやにやする。
「おじさんって、『仕方なく』が多いよね」
「うるさい」
「でも、結局やるじゃん」
「……」
否定できないのが腹立つ。
俺の「仕方なく」は、大抵「やる」に変わる。こいつらの押しに、俺は弱い。
「ねぇ、おじさん」
悠が顔を覗き込んできた。
「管理局の人、他に何か言ってなかった?」
「他に?」
「うん。なんか、気になることとか」
――特別顧問の話か。
言うべきか迷ったが、隠しても無駄だ。どうせ、どこかで出てくる。
「一つだけ、気になることがあった」
「何?」
「管理局に、『特別顧問』がいるらしい。ダンジョンの専門家で、色々アドバイスしてるって」
「へぇ。それで?」
「その人が、俺に興味を持ってるらしい」
「……怖くない?」
涼子が眉をひそめる。
「怖いっていうか……名前がな」
「名前?」
「エルシア、って言うらしい」
「エルシア?」
三人が顔を見合わせる。
「なんか、エルフっぽい名前だね」
「だろ?」
「おじさんの仲間?」
「知らん。会ったことない」
――この世界では、な。
心当たりがある、と言うほど確定でもない。
だが、嫌な予感だけはしつこい。
「おじさん、また『色々』考えてる顔してる」
「……うるさい」
俺は運ばれてきたハンバーグを口に放り込んだ。
とりあえず食べる。今は食べる。考えるのは後だ。
そう思っていたのに。
「あっ、おじさん! また伸びてる!」
悠がスマホを見て叫ぶ。
「四百万再生超えた!」
「……」
俺はハンバーグを噛みしめながら、天井を仰いだ。
平穏な生活は、今日も元気に遠ざかっていく。
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