↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新約:止まった懐中時計は、神様をひとり隠している  作者: ぽんさん
第三章 目覚めた妖狐はもう一度旅を選ぶ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/54

第五話 ~帰り道は担架の幅で測る~

 人を乗せた担架は、持ち上げる前から重かった。

 布が深く沈み、寝かせた身体の形に張っている。結人が持ち手を握ると、脚に板を添えられた男が、こちらへ顔を向けた。

「……頼む」

「うん」

 結人は頷いた。

「痛かったら言って。見てるだけじゃ分かんないから」

 男は少し迷ってから、もう一度頷いた。

 マレナが身体を支える帯を確かめる。締めた場所に痛みがないか尋ね、脚に当たっていた布を直した。

 戸を開けた男が、反対側の持ち手を握る。

「ハンネス」

 寝ている男が呼んだ。

「お前も一緒だよな」

「ああ。後ろを持ってる」

 ハンネスと呼ばれた男は、握った木の柄を少し持ち上げて見せた。

「勝手に先へ行けるもんなら、行ってみろってんだ」

 横たわった男の口元が、わずかに動いた。

 もう一組の担架は、槍の男と、歩ける作業仲間が運ぶことになった。

 残る二人が荷物を引き受け、途中で持ち手を代われるようにする。重い道具は小屋の隅へまとめ、水と、必要なものだけを持ち出した。

 結人が自分の袋を肩へ掛けようとすると、一人が手を差し出した。

「それも持つ」

「結構重いですよ」

「そっちよりは軽いだろ」

 男の視線が担架へ向く。

「……じゃあ、お願いします」

 袋を渡すと、肩が少し軽くなった。

 それでも、これから持ち上げるものの重さが減るわけではなかった。

「まず一組ずつ出るわ」

 マレナが戸口を確かめた。

「曲がる前に止まって。後ろが戸を抜けてから、担架ごと向きを変える」

 結人は前の持ち手を握り直した。

 後ろでハンネスが腰を落とす。

「上げるぞ」

 寝ている男が頷いた。

「せーの」

 腕へ、ずしりと重さが来た。

 結人は息を吐き、膝を伸ばした。

 持ち上げた高さが違ったのか、担架が少し傾く。

「前、少し下げて」

「これくらい?」

「ああ。そこでいい」

 二人の高さが揃うと、布の揺れが収まった。

 結人は戸の外へ足を出した。

 入るときには、身体を少し横へ向けるだけで通れた場所だった。

 今は、自分が抜けても、後ろには人を乗せた担架が続いている。肩が戸口を通ったからといって、すぐに曲がれるわけではない。

「一度止まって」

 マレナの声で足を止める。

 後ろの持ち手が戸を抜けるまで待ち、それから二人で少しずつ向きを変えた。

 外ではリンが足元を見ていた。

「左はまだ土があるの。右へ出すぎないでね」

 結人は示された場所へ足を置いた。

 窓の下には、沢へ落ちる斜面が見えている。

 一人なら避けられる石が、今は足の置き場を狭くしていた。

 マレナがそれを脇へ寄せる。

 その分だけ、担架を真っ直ぐ運べるようになった。

 小屋の前を狼の影が横切った。

 布の上で、男の手が動く。

「見えてる」

 後ろからハンネスが声をかけた。

「こっちも見てるから、急に起きるなよ」

 結人は足元を見たまま、次の一歩を出した。


 ◇


 帰りの一行は、行きよりずっと長かった。

 マレナとリンが先へ立ち、アカツキがその近くを歩く。二組の担架が続き、荷物を持つ人たちが間に入った。

 盾の男は最後尾へ回り、後ろから来るものを見張っていた。

 道の広いところでは、アイリスが担架の横についた。狭くなると前後へ移り、枝や根の位置を、運んでいる人へ伝えていく。

「この先、根があります」

「止まる」

 結人が声をかける。

 後ろでハンネスも止まった。

 結人が根を越える。担架が進み、今度は後ろの足が越える。

 それを待ってから、また歩く。

 たった一本の根を越えるにも、声をかける回数が増えた。

 担架の重みが、木の持ち手を通して掌へ食い込んでくる。

 下り坂だから楽だろうと、少しだけ思っていた。

 違った。

 下へ引かれる重さを受け止めながら、自分の足も滑らせないようにしなければならない。前だけが速く進めば、後ろの人が追いつけなくなる。

「前、少しゆっくり」

「うん」

 結人は歩幅を小さくした。

 森の中には、まだ群れがいた。

 道の脇を並んで歩き、木の向こうから顔を出し、ときどき前へ回り込んでくる。

 足跡はつかない。

 枝も押し分けない。

 それでも、牙を剥かれるたびに、結人の指へ余計な力が入った。

 丸太のある曲がり角が見えたときだった。

 右手の木立から、黒い影が跳び出した。

 担架へ向かって、頭が沈む。

「来る!」

 横たわっていた男が叫んだ。

 腕が大きく動き、担架の縁を掴む。

 重さが片側へ寄った。

「止まる!」

 結人は足を踏ん張った。

 後ろでも、ハンネスが持ち手を握り直す。

 男は牙を避けようとして、上半身を捻っていた。脚が動き、短い悲鳴が漏れた。

「待て、動くな!」

 ハンネスの声が鋭くなる。

 男の顔が強張った。

 マレナがすぐ傍らへ来た。

「ここで下ろしましょう。平らなところへ寄せて」

 さっき丸太を動かした場所に、担架を置けるだけの地面が空いていた。

 結人たちは声を合わせ、ゆっくり下ろした。

 アイリスが脇へ膝をつく。

 男は担架の縁を掴んだまま、荒い息をしていた。

「……すまん」

 誰の顔も見ずに言った。

「分かってるんだ。さっき、触れてなかったのも見た。でも、顔のところに……」

「うん」

 結人も傍らへ屈んだ。

 その途端、黒い狼の口が目の高さに来た。

 反射的に顎を引く。

 牙が鼻先を横切っても、何も触れなかった。

 立って歩いているときより、ずっと近く見えた。

 この高さで寝たまま、避けることもできずに運ばれるのか。

 結人は男へ顔を戻した。

「見たくなかったら、目を閉じててもいいよ。道の方は、こっちで見るから」

「……何か来たら」

「声をかける。黙って急に動かしたりしない」

 ハンネスが、頭の近くへしゃがみ込んだ。

「いつも木を運ぶときみたいに、合図する。俺の声、聞いててくれ」

 男がハンネスを見た。

「お前、いつも急に持つだろ」

「今日はやらねえよ」

 小さな間があった。

 男は息を吐いた。

「……なら、ちゃんと言えよ」

「ああ」

 アイリスが、ずれた布を直した。

「道の広いところでは、わたくしも横にいます」

 男は彼女を見て、ゆっくり頷いた。

 後ろの担架からも声がした。

「こっちは大丈夫だ。慌てずやってくれ」

 結人が振り返ると、足首に布を巻いた男が、片手を上げていた。

 その手も、少し震えていた。

 誰も、平気なわけではなかった。

 リンが丸太の脇へ回った。

 木に留めた縄を引き、張りを確かめる。丸太は、さっき止めた場所から動いていなかった。

「ここ、通れるの」

 道には大きな影が重なっていた。

 角のある獣が、下りる先を塞ぐように立っている。

 リンはその足元へ入り、空けた道を端から端まで確かめた。

「丸太は動いてないの。担架も、そのまま通せるの」

 結人は立ち上がろうとした。

 握っていた指が、少し開きにくい。

 掌には持ち手の跡が赤く残り、腕の内側がじんじんしていた。

「ここから代わる」

 荷物を持っていた作業仲間が、担架の前へ来た。

 結人は自分の手を見てから、頷いた。

「お願いします」

 男が荷物を渡してくる。

 受け取った袋は重かったが、肩へ掛けられるだけで、腕はずいぶん楽だった。

「こっち、手前へ引かれやすいです」

 結人は持ち手を示した。

「下りで急ぐと、後ろと高さがずれるんで」

「ああ。分かった」

 男が腰を落とす。

 ハンネスが、横たわる仲間へ声をかけた。

「上げるぞ」

 男は目を閉じたまま、頷いた。

「せーの」

 担架が持ち上がる。

 今度は、布が大きく揺れなかった。

 結人はその横を歩き、丸太の端へ担架が近づいたところで足を止めた。

「もう少し、こっち」

 運んでいる男が、僅かに向きを変える。

 担架の端が、丸太のすぐ横を抜けた。

 自分一人なら気にも留めなかった隙間が、今は狭い。

 結人は後ろの担架へも声をかけた。

「ここ、同じところを通ってください。右へ寄せすぎると引っかかります」

 アイリスがその手前へ立ち、次の組にも位置を伝える。

 二組とも通り抜けたのを見届けてから、結人は歩き出した。


 ◇


 幹の裂けた木が見えた。

 その向こうには、川へ下りる道が続いている。

 結人は少し息をついた。

 ここから先は、行きにはまだ群れが見えていなかった場所だ。

 だからといって、帰りも同じとは限らない。

 そう思い直したとき、最後尾から声が上がった。

「火だ!」

 結人は振り返った。

 道を上った先に、青白い光が揺れていた。

 黒い獣の影の間から、一つ、二つと浮き上がってくる。

 盾の男が後ろへ向き直った。

「止まらず進め!」

「走らないで。そのまま道を下りて!」

 マレナの声が重なった。

 リンが前へ出る。

「こっちなの! 木の左を回るの!」

 アカツキが、道の端へ寄った。

 小さな白銀の身体が、黒い影の間を抜ける。泥の上には、確かな足跡がついていた。

 前の担架が、裂けた幹へ近づく。

 そこへ、大きな狼が飛び込んできた。

 土を蹴る音がした。

 爪が道を掻く音もした。

 前を持っていた男の肩が跳ねた。

 狼を避けようとして、右へ足が出る。

「そっちは駄目!」

 結人が叫んだ。

 道の縁で土が崩れた。

 担架の片側が沈む。

 結人は脇の棒を掴んだ。

 腕へ一気に重さが来た。

 持ち上げようとしても、上がらない。

 前の男も、後ろのハンネスも、まだ持っている。それなのに、ほんの少し傾いただけで、身体が引かれた。

「離すな!」

 結人は棒を握り込み、道の中央へ押した。

 ハンネスが反対側を支える。

「前、足を戻せ!」

 男が踏ん張った。

 一度滑りかけた靴が、硬い土へ載り直す。

 三人で支えた担架が、ゆっくり水平へ戻った。

 結人は息を吐いた。

 背後で、火が弾ける音がした。

 熱が首筋を撫でた。

「すまねえ」

 前を持つ男が言う。

「いい。まだ持ててる」

 結人は棒から手を離さず、足元を見た。

「ここ、真っ直ぐ。俺も横で支える」

 布の上から、掠れた声がした。

「……動くのか」

 ハンネスが答えた。

「ああ。少し急ぐ。揺れるぞ」

 男は目を閉じたまま、担架の縁を握った。

「分かった」

 担架が進み始めた。

 結人も横について動く。

 狼の頭が、持ち手を握る腕と重なった。

 牙が見えた。

 噛まれると思った。

 結人は指へ力を込めた。

 掌にある木の硬さを確かめ、手を開かなかった。

「そこ、根が出てるの」

 前でリンが指を差す。

「右足、少しだけ外なの。でも、道の外までは行かないの」

 担架を持つ男が、示された場所へ足を置く。

 結人もそれを見て、一歩進んだ。

 後ろでは、もう一組の担架が同じ曲がり角へ入っていた。

 アイリスが声をかける。

「ここで少し向きを変えます。前の方が抜けるまで、後ろはゆっくりお願いします」

 槍の男が短く返事をした。

 二組目も、道の上へ戻ってくる。

 その後ろで、盾の男が一歩ずつ下がっていた。

 青白い火が盾の縁を照らす。

 木の焦げる匂いが、こちらまで届いた。

「もう曲がれる!」

 マレナが声を張った。

 盾の男が一度だけ後ろを見て、こちらへ下がる。

 全員が木の陰へ入ったところで、また火が弾けた。

 結人は振り返らなかった。

 振り返って足を止めれば、担架が傾く。

 今、手の中にある重さを、前へ進める。

 マレナが道を確かめる。

 リンが足の置き場を示す。

 ハンネスが、動く前に声をかける。

 その声に合わせて、結人も歩いた。

 唸り声は、まだ聞こえていた。

 けれど、すぐ後ろにあった熱は、少しずつ遠ざかっていった。


 ◇


 川の音が聞こえた。

 結人は、それだけでは顔を上げなかった。

 もう少し進んで、木々の間に水面が見えた。

 橋もあった。

 橋の向こうに荷馬車があり、その傍らで人が立ち上がるのが見えた。

「戻ったぞ!」

 見張りに残っていた男の声がした。

 結人は、そこでようやく大きく息を吸った。

 弓を背負った男が橋へ走ってくる。

 こちらへ渡り、担架の横へ手を添えた。

「あと少しだ。ここからは平らになる」

 支える手が増えた。

 結人の腕から、重さが少し抜けた。

 それでも、まだ離さなかった。

 足の下が土から板へ変わる。

 橋を渡る間にも、ハンネスは声をかけ続けた。

「橋へ入ったぞ」

 担架の上の男が、目を開けた。

 横へ顔を向ける。

 欄干の向こうを、水が流れていた。

「……川だ」

「ああ」

 ハンネスが答えた。

「川まで来た」

 橋を渡り切ったところで、手当てをする女性が場所を示した。

「こちらへ。毛布を敷いてあるから、ゆっくり下ろして」

 結人たちは示された場所まで運んだ。

「下ろすぞ」

 ハンネスの声に合わせ、膝を曲げる。

 担架の重さが地面へ移った。

 結人は、すぐには手を離せなかった。

 力を抜いたつもりなのに、指が木の形を覚えている。

 一度息を吐いてから、ゆっくり開いた。

 後ろの担架も運び込まれた。

 御者が荷物を受け取り、歩いて戻った人たちを馬車の傍らへ呼んでいる。

 盾の男が最後に橋を渡った。

 マレナが全員を見渡す。

「六人、全員連れてきたわ」

 待っていた女性が頷いた。

「分かった。まず脚を見せて。運んできた人も、怪我があるなら後で必ず言って」

 人が動き始めた。

 水が運ばれ、薬箱が開かれ、汚れた布が外されていく。

 結人が何か手伝おうとすると、マレナがこちらを見た。

「結人は少し座って。持ち手を代わった人たちも」

「でも、まだ――」

「ここからは、待っていた人の出番」

 結人は周囲を見た。

 担架にはもう、必要な人の手が届いていた。

 荷物も運ばれている。

 盾の男まで革手袋を外し、誰かに手の様子を見せていた。

「……うん」

 結人は道端の平らな石へ腰を下ろした。

 座った途端、脚まで重くなった。

 肩を回そうとしてやめ、まず両手を膝の上へ置く。

 掌に残った赤い跡が、じんじんしていた。

 アイリスが水を持ってきた。

「ご主人様」

「ありがとう」

 杯を受け取ると、水面が小さく揺れた。

 腕の疲れが、まだ抜けていなかった。

 結人は両手で杯を包み、膝の上で支えた。

 リンが隣へ腰を下ろす。

 いつもよりゆっくり脚を投げ出し、小さく息を吐いた。

「脚、大丈夫?」

「疲れたの。でも、さっきより痛くなってないの」

「そっか」

「結人は?」

「腕。あと手」

 結人が掌を少し見せると、リンは赤くなったところを覗いた。

「いっぱい持ったの」

「うん。こんなに重いとは思わなかった」

 アカツキが足元へ来た。

 結人の靴へ一度だけ鼻先を触れ、それからリンの傍らに座る。

 青白い瞳が、静かに森を見ていた。

 結人もそちらを見た。

 木々の間は暗く、奥までは見えない。

 今は、狼の姿は見えなかった。

『よう運んだの』

 時計から、フィリアの声がした。

 結人は膝の上の杯へ目を戻した。

 水はまだ少し揺れていた。

 担架の方から声が聞こえる。

「そこは痛えって」

「だから、動かさないでって言ってるでしょう」

「お前が動いたんだろ」

 ハンネスの声が混じった。

 結人が顔を上げると、担架の男はもう目を開けていた。

 脚を診る女性の手を見て、隣のハンネスへ顔を向けている。

 その向こうでは、もう一人の怪我人が水を飲んでいた。

 結人は、ようやく自分の杯を口へ運んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。