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新約:止まった懐中時計は、神様をひとり隠している  作者: ぽんさん
第一章 値札を付けられた少女は旅を選ぶ

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第三話 ~名前のない者は門を通れない~

 身分証を見せない結人に対して衛兵は眉間に深いしわを寄せた。

「いえ。少し、事情がありまして」

 結人が乾いた笑みを浮かべる。

「事情?」

「身分証を持っていません」

「雰囲気からしてそのようだな」

「ですよね〜」

 衛兵は差し出していた手を引っ込め、結人を頭から足元まで眺めた。

 年齢は四十前後だろうか。

 日に焼けた顔。使い込まれた革鎧。腰には短い剣が下がっている。

 背後に並ぶ旅人たちから、早くしろと言いたげな視線が刺さった。

『堂々としておれと言うたであろう』

 胸元からフィリアが小声で口を挟む。

「堂々としても、身分証は生えてこないだろ」

「さっきから誰と話している」

「独り言です」

「怪しいことをするな」

 衛兵の警戒が一段上がった。

 結人は懐中時計の蓋を閉じる。

『あっ、暗くするでない!』

 声が聞こえなくなったわけではない。

 単にフィリアの姿が見えなくなっただけだ。

「名前は?」

「久世結人です」

「クゼ……ユウト?」

「はい」

「どちらが名前だ」

「結人の方です」

「では、ユウト・クゼか」

「俺の国では姓が先なんです」

「変わった国だな」

 衛兵は腰から小さな板を取り出した。

 表面に紙を置き、何かを書き込んでいく。

 結人には一文字も読めない。

「出身は?」

 予想していた質問が来た。

 結人は答えに詰まる。

 異世界です、と正直に言ったところで信じてもらえるとは思えない。

『遠い辺境の村とでも申せ』

 閉じた懐中時計の中から、フィリアがささやく。

「適当な嘘を勧めるなよ」

「やはり誰かいるのか?」

「いません」

「今、返事をしただろう」

「気のせいです」

 衛兵の手が、腰の剣へ少し近づいた。

 これ以上ごまかすのは逆効果だ。

「……出身地は、ここでは説明できません」

「なぜだ」

「説明しても信じてもらえないと思うので」

「ますます怪しいな」

「自覚はあります」

 結人が認めると、衛兵は深く息を吐いた。

「密偵か?」

「違います」

「犯罪者か?」

「違います」

「追われているのか?」

「少なくとも、俺の知る限りでは違います」

「歯切れが悪い」

「今日ここへ来たばかりなので」

「話にならん」

 話が見事に一周した。

 後ろの列から、露骨な舌打ちが聞こえる。

 衛兵は結人をにらんだ後、門の脇にある小さな詰め所を指した。

「そこで待て。他の者は列を崩すな」

「入れてもらえるんですか?」

「まだ入れるとは言っていない」

「ですよね〜」

 結人は素直に列から外れた。

 門の脇には石造りの小部屋があり、机と長椅子が置かれている。

 壁には何枚もの手配書らしき紙が貼られていたが、当然読めない。

 結人が長椅子へ座ると、懐中時計の蓋が内側からかすかに鳴った。

「自分で開けられないんだな」

『早う開けよ!』

 蓋を開く。

 文字盤の上に、小さなフィリアが腕を組んで現れた。

『まったく。女神を暗闇へ閉じ込めるとは、罰当たりな使徒じゃ』

「お前のせいで怪しまれたんだけど」

『じゃから、遠い辺境の村から来たと申せばよかったのじゃ』

「その村の名前を聞かれたら?」

『……そこまでは考えておらなんだ』

「考えてから勧めてくれ」

 フィリアは文字盤の上で視線を逸らした。

「身分証くらい作れないのか?」

『作ろうと思えば、形だけなら作れるぞ』

「本物として?」

『それらしい物を、それらしく見せることはできる』

「偽造じゃないか」

『細かいことを気にするのう』

「異世界に来た初日から公文書を偽造したくない」

『真面目な男じゃな』

「普通だよ」

 やがて、先ほどの衛兵とは別の男が詰め所へ入ってきた。

 白髪交じりの短髪に、丸い眼鏡。

 鎧は着ておらず、灰色の上着の胸元に金属製の印を付けている。

「君が身分証を持っていない旅人か」

「はい」

「名前はユウト・クゼ。出身は説明できない。独り言が多い」

「最後の情報、必要ですか?」

「門番からの報告には、すべて目を通す」

 男は机の向こうへ座り、結人にも椅子を勧めた。

「私はこの門の記録官だ。身分証を持たぬ者が、すべて犯罪者というわけではない。辺境の集落には出生記録すらないこともある」

「助かります」

「ただし、無条件で街へ入れるわけにもいかない」

 記録官は机の引き出しから、透明な石を取り出した。

 卵ほどの大きさで、内部に薄い霧が漂っている。

「手を置け」

「これは?」

「登録石だ。犯罪者に付けられる追跡印や、重大な契約違反の印がないかを確認する」

「何か危険は?」

「手が爆発したという記録はない」

「それ以外は?」

「冗談だ」

 真顔だった。

 結人は一瞬迷ってから、透明な石へ手を置いた。

 石の内部で霧が動く。

 白。

 青。

 そして一瞬だけ、細い金色の光が混ざった。

 記録官が眼鏡の位置を直す。

「妙だな」

「何がです?」

「登録された魔力の記録が、まったくない」

「今日来たばかりなので」

「どこから来たのだ、君は」

「それを説明すると長くなります」

 記録官はしばらく石を見つめた。

 フィリアは懐中時計の中で黙っている。

 その沈黙が、結人には妙に気に掛かった。先ほどの金色の光について、何か知っているのだろうか。

「犯罪印はない。強制契約の跡もなし。少なくとも、手配中の犯罪者ではないようだ」

「それなら、街へ?」

「三日間だけ有効な仮入市証を発行する」

 記録官は小さな木札を取り出した。

 表面へ結人の名前らしき文字を書き、登録石を押し当てる。

 木札に青い線が一本浮かんだ。

「三日の間に、街の旅人組合で正式な登録を行え。登録しなければ、この札は失効する」

「費用は?」

「保証金を含めて銀貨二枚」

 結人は単位が分からず、固まった。

『鞄の左側にある、小さな銀貨じゃ』

 フィリアが小声で教える。

 旅鞄へ手を入れると、すぐに硬貨の入った袋が触れた。

 言われた通り、やや小さな銀貨を二枚取り出す。

 記録官は硬貨を確認し、うなずいた。

「保証金は正式登録後に一枚戻る。木札は首か腰に付け、求められたらすぐ見せろ」

「分かりました」

「それから」

 記録官は結人の胸元を見た。

「時計へ話しかける癖は、人の少ない場所だけにした方がいい」

「やっぱり聞こえてました?」

「門番は耳がよい」

『余計な世話じゃ』

 結人は返事を飲み込み、記録官へ頭を下げた。

 結人は木札を腰の道具袋へ結び付け、詰め所を出た。

 門番がちらりとこちらを見る。

 結人が木札を掲げると、ようやく道を空けた。

「三日以内に登録しろよ」

「ありがとうございます」

「問題を起こすな」

「善処します」

「そこは言い切れ」

 門をくぐる。

 その瞬間、空気が変わった。


◇


 街の中は、音と匂いで満ちていた。

 石を敷き詰めた大通り。

 左右に並ぶ、二階建てや三階建ての建物。

 店先からは焼いた肉と香辛料の匂いが流れ、通りでは商人たちが大声で客を呼び込んでいる。

 頭上には、建物と建物をつなぐ細い綱。

 色鮮やかな旗や洗濯物が、風を受けて揺れていた。

 荷車の車輪が石畳を鳴らす。

 鐘の音が響く。

 小さな子供たちが笑いながら通りを駆け抜けていく。

「すごいな」

『何がじゃ』

「本当に人が暮らしてる」

『街なのじゃから、当たり前じゃろう』

「分かってるけどさ」

 遠くから眺めていた灯りが、今は自分の頭上にある。

 建物の軒下には、握り拳ほどの白い石が埋め込まれていた。

 夕暮れが近づくにつれて、その石が一つ、また一つと淡い光を放ち始める。

 火ではない。

 電球とも違う。

「これが魔石の灯りか」

『うむ。蓄えた魔力を、光へ変えておる』

「街中にあるけど、高くないのか?」

『質による。あれは日用品じゃな。明るさも大したものではない』

 結人が見上げている間にも、一人の店員が長い棒で魔石灯へ触れた。

 先端に刻まれた模様が光り、暗かった石が明るくなる。

「術式か」

『よく分かったのう』

「さっき見たからな。決まった道具と動作で、同じ結果を出してる」

『おぬしの使った魔法より、ずっと安定しておる』

「水筒の話はもういい」

 道を行く人々も、地球とは違っていた。

 人間。

 尖った耳を持つ者。

 頭に獣の耳を生やした者。

 小柄で、胸元まで届く立派なひげを持つ男。

 背丈が結人の倍近くある大男。

 誰もが当たり前のように同じ道を歩き、同じ店で買い物をしている。

 結人は珍しさから視線を向けそうになるたび、慌てて前へ戻した。

『気になるなら見ればよいではないか』

「じろじろ見るのは失礼だろ」

『その辺りは律儀じゃのう』

「お前も知らない世界で見世物みたいに見られたら嫌だろ」

『わらわほど美しければ、見られるのは当然じゃ』

「聞いた俺が悪かった」

 大通りの先に、大きな建物が見えた。

 入口の上には、翼の付いた靴と杖を組み合わせたような紋章が掲げられている。

 人の出入りも多い。

『あれが旅人組合ではないかの』

「看板で分かったのか?」

『紋章は各地で似ておる』

「最初から案内してくれればよかったのに」

『わらわも、今見つけたところじゃ』

「頼りになるなあ」

『心がこもっておらぬぞ!』

 結人は旅人組合の扉を開けた。


◇


 内部は酒場と役所を足して二で割ったような造りだった。

 奥には長い受付台があり、壁一面へ紙が貼られている。

 左側には大きなテーブルが並び、旅装の男女が食事をしたり、地図を広げたりしていた。

 剣や槍を持つ者もいる。

 明らかに人間ではない姿の者もいた。

 入口付近で立ち止まっていると、受付の女性が声を掛けてきた。

「ご用件は?」

「門で、ここへ登録するよう言われました」

 結人は仮入市証を差し出した。

 受付の女性は木札へ目を通す。

「新規の旅人登録ですね。読み書きはできますか?」

「できません」

「自信を持って言うことではないですよ」

「俺の国の文字なら読めます」

「この国では役に立ちませんね」

「ですよね〜」

 女性は机の下から数枚の紙を取り出した。

「登録には名前、出身、年齢、職能が必要です。出身は……空欄?」

「事情がありまして」

「門を通れたなら、犯罪者ではないのでしょう。出身不明として登録できますが、しばらくは移動先で確認を受けることがあります」

「問題ありません」

「職能は?」

 結人は言葉に詰まる。

「大学生でした」

「だいがくせい?」

「……学問をしていました」

「何の?」

「物理とか、化学とか」

「聞いたことのない流派ですね」

「魔法は、今日少しだけ使いました」

 受付の女性が顔を上げる。

「魔法使いですか?」

「たぶん、初心者です」

「たぶん?」

「教えてくれた人が、感覚でしか説明してくれなくて」

『誰のことじゃ』

 フィリアが不満そうに割り込む。

 結人は懐中時計の上から服を押さえた。

「魔力適性を確認しましょう。こちらへ」

 受付の女性に案内され、建物の奥にある小部屋へ入る。

 部屋の中央には、石でできた台があった。

 上には金属板が置かれ、いくつもの細い溝が刻まれている。

「この導板へ手を置いてください」

「何が起きます?」

「流した魔力量に応じて、外周の文字が光ります。属性の傾向もおおよそ分かります」

「この板に、魔力を流せばいいんですか?」

「体内の魔力を感じて、手のひらへ集めるだけです」

「ぐっと?」

「そうですね。ぐっと」

 懐中時計の中から、フィリアが吹き出した。

『ほれ見よ。わらわの説明は正しかったではないか』

「まさか、世界共通なのか……」

「どうかしましたか?」

「いえ。やってみます」

 結人は導板へ手を置いた。

 草を浮かせたときの感覚を思い出す。

 胸の奥から、腕へ。

 腕から手のひらへ。

 魔力を流す。

 金属板の溝に沿って、淡い光が走った。

 外周の文字が三つほど光る。

 青。

 白。

 わずかに金色。

 受付の女性が首を傾げた。

「量は初心者として平均的ですね。属性は……風と水。金色は何でしょう」

「珍しいんですか?」

「導板の誤差かもしれません。古い道具ですから」

『誤差ではないと思うがの。……じゃが、今は気にするでない』

 フィリアが声を落とした。

 結人は胸元へ一度だけ目を落とし、問い返すのをこらえた。

 受付へ戻ると、女性は測定の結果を紙へ書き込んだ。

「仮登録だけなら、銀貨一枚です。ただし正式な旅人証を発行するには、組合の依頼を一件完了してもらいます」

「試験みたいなものですか?」

「身元のない方が、最低限の約束を守れるかを見るためです。危険な仕事は頼みません」

 結人は壁に貼られた大量の紙を見る。

 読めないため、内容はまったく分からない。

「すぐ終わるものはあります?」

「倉庫の荷物整理が人手不足です。魔法を使う仕事なので、実地試験にもなります」

「それでお願いします」

「報酬は銅貨八枚です」

「金のためじゃないですけど、もらえるなら助かります」

『路銀は十分にあると言うたであろう』

「働いた報酬は別だろ」

『妙なところで律儀じゃのう』

 受付の女性は、やはり結人の独り言として処理したらしい。

 紙へ印を押し、建物の裏手を指した。

「倉庫は裏庭です。責任者へ、この札を見せてください」


◇


 倉庫での仕事は、結人が想像していたより面白かった。

 作業員たちは、重い木箱を腕力だけで運んでいるわけではない。

 床には溝の入った金属板が敷かれ、その上へ低い荷台が置かれている。

 作業員が短い言葉を唱え、棒状の道具で荷台へ触れる。

 すると木箱を積んだ荷台が、床からわずかに浮き上がった。

「すごいな」

「何がだ?」

 責任者らしい大柄な男が振り返る。

「この道具です。魔力で浮かせてるんですよね」

「浮走板を見たことがないのか?」

「今日初めて街へ来たので」

「とんだ田舎者だな」

「そうですね」

 結人へ渡されたのは、荷台を操作する短い杖だった。

 先端に四角い金属片が付いている。

「箱を積んだら、杖を板へ当てて魔力を流せ。浮いたら、後ろから押す。止めるときは、少しずつ魔力を抜け。急に切ると荷台が落ちるぞ」

「詠唱は?」

「初心者なら『浮け』でいい。慣れれば声は要らん」

「それだけ?」

「それだけだ」

 結人はフィリアを見る。

『ぐっとより分かりやすいのう』

「お前が言うな」

 木箱を載せた荷台へ杖を当てる。

「浮け」

 魔力を流す。

 床の金属板が光り、荷台が数センチ浮いた。

 手で押すと、驚くほど軽く進む。

「おお」

「遊んでないで運べ」

「すみません」

 何度か荷物を運ぶうちに、結人は道具の仕組みが少しずつ分かってきた。

 自分で木箱そのものを浮かせるより、必要な魔力がずっと少ない。

 術式が、魔力を使う場所と方向を決めてくれている。

 さらに床の金属板が荷台を支え、横へ流れる力を抑えているらしい。

「なるほど。だから安定するのか」

『一から現象を起こすより、道具に任せた方が楽なのじゃ』

「現地の人は理屈を知らなくても、使い方を積み重ねてるんだな」

『理屈を知らぬと決めつけるでない。おぬしとは違う言葉で理解しておるだけかもしれぬぞ』

「それもそうか」

 フィリアの言葉に、結人は素直にうなずいた。

 地球の知識があるからといって、この世界の人間より何でも分かるわけではない。

 彼らは何世代も魔法と共に暮らし、安全な使い方を覚えている。

 自分は今日、水筒を破裂させたばかりだ。

「おい、そこの新人!」

 責任者の声が飛ぶ。

 考え事をしている間に、荷台が進路からずれかけていた。

「止まれ!」

 結人は慌てるあまり、流していた魔力を一度に切ってしまった。

 荷台が床へ落ち、がくんと止まる。

 積んでいた木箱だけが勢いを保ち、前へ傾いた。

「まずい!」

 結人は反射的に手を伸ばした。

 箱を止める場面を頭に描く。

 胸から腕へ魔力が流れる。

 落ちかけた木箱が、空中で一瞬だけ止まった。

 完全には支えきれない。

 それでも、そのわずかな時間に作業員たちが駆け寄り、箱を受け止めた。

 責任者が結人をにらむ。

「止めるときは、ゆっくり魔力を抜けと言っただろう」

「すみません。慌てて、一度に切ってしまいました」

 責任者は鼻を鳴らした。

「箱を直接止めたのは悪くない。だが、道具を使うなら道具の扱いを覚えろ。操作を間違えれば、そのうち誰かを怪我させるぞ」

「はい」

 結人は素直に頭を下げた。

 魔法を使えたことより、最後の言葉の方が強く残った。

 力があることと、正しく使えることは別だ。

 結人は残りの作業を、最初より慎重に進めた。


◇


 仕事を終えて組合へ戻ると、正式な旅人証が発行された。

 今度は木札ではなく、手のひらより小さな金属板だった。

 表面には結人の名前と、組合の紋章が刻まれているらしい。

「低位の旅人証です。身分証として各地で使えます」

「これで門のたびに捕まらずに済む」

「紛失しないでください。再発行は有料です」

「気をつけます」

 報酬の銅貨も受け取る。

 必要な金ではない。

 それでも、自分で仕事をして手に入れた最初の硬貨だった。

 結人は銅貨を一枚だけ手に取り、光へかざす。

『嬉しそうじゃな』

「この世界で、初めて自分で稼いだ金だからな」

『わらわが渡した路銀より価値があると申すか』

「そういう話じゃない」

『少しだけ傷ついたぞ』

「神様のくせに面倒くさい奴だな」

 受付の女性へ、宿と街の案内人について尋ねる。

 宿はすぐに何軒か教えてもらえた。

 だが、案内人については少し考え込む。

「文字も地理も分からないなら、専門の案内人を雇った方がいいでしょうね」

「組合で紹介できますか?」

「短期間の護衛ならできます。ただ、生活習慣や各地の制度まで教えられる人となると、人材斡旋所の方が確実です」

「どこにあります?」

 受付の女性は紙へ簡単な地図を書いた。

 結人には文字が読めないため、曲がり角と建物の形を絵で示してくれる。

「大通りを南へ進み、噴水広場を右です。青い屋根と、銀の秤の看板があります」

「ありがとうございます」

「旅のお供を探していると伝えれば、条件に合う人を紹介してくれるはずです」

 結人は紙を受け取り、組合を出た。

 空はすでに暗くなり始めていた。

 魔石灯が通りを淡く照らし、昼とは違うにぎわいが生まれている。

 酒場から歌声が聞こえる。

 屋台では、串に刺した肉が香ばしい匂いを上げていた。

「何か食べてから行くか」

『よい提案じゃ』

「お前、食べられるの?」

『味は感じられるぞ』

「実体ないのに?」

『供物として時計へ近づければ、わらわにも届く』

「便利な仕組みだな」

『その串焼きを買え』

「即決かよ」

 結人が屋台へ近づこうとしたとき、通りの向こうから鐘の音が聞こえた。

 人々が自然に道の端へ避ける。

 何か大きな荷車でも通るのかと思い、結人も流れに合わせて足を止めた。

 最初に現れたのは、胸へ同じ紋章を付けた数人の男だった。

 その後ろを、十人ほどの人間が歩いてくる。

 年齢も種族もばらばらだった。

 成人した男。

 痩せた女。

 獣の耳を持つ少年。

 結人よりもずっと幼い子供もいる。

 全員の首元に、黒い輪が付けられていた。

 金属の首輪ではない。

 皮膚へ直接刻まれた、細い文字の輪。

 ときおり赤黒い光が走る。

 列の両側を歩く男たちは武器を持っていたが、怒鳴り声を上げてはいない。

 歩いている者たちも、鎖でつながれてはいなかった。

 ただ黙って、前の者の背中を追っている。

「……何だ、あれ」

 結人の声が低くなる。

『奴隷じゃな』

 一瞬、言葉の意味が分からなかった。

「奴隷?」

『そうじゃ』

 列の後ろには、商人らしき男が歩いていた。

 道端の人間と笑顔で言葉を交わしている。

「奥の男は農作業向きだ」

「獣人の子は、まだ若い。仕込めば使えるぞ」

「読み書きができる者は?」

「次の競りへ回す。ここにはおらん」

 会話の内容が、耳へ入ってくる。

 人間の話をしている。

 なのに、荷物や家畜の値踏みと何も変わらない。

 結人の胃の奥が、冷たく縮んだ。

 嫌だった。

 理解できないのではない。

 不快だった。

 人間の首へ印を付け、能力を並べ、値段を決める。

 それを誰も異常とは思わず、通りの日常として受け流している。

 列の中にいた小さな少女が、ふと顔を上げた。

 結人と目が合う。

 すぐに視線を落とした。

 助けを求めたわけではない。

 期待すること自体を諦めたような目だった。

 結人の手に力が入る。

「これが、普通なのか」

『この国では、法に認められた制度じゃ』

「だから何だよ」

 思ったより強い声が出た。

 近くを歩いていた通行人が振り返る。

 結人は口を閉じた。

 フィリアは静かに続ける。

『犯罪を犯した者。借金を返せぬ者。戦で捕らえられた者。身寄りを失い、生きるため自ら契約した者。成り立ちは一つではない』

「事情が複雑なら、人に値札を付けていいのか?」

『よいとは申しておらぬ』

 列は結人の前を通り過ぎていく。

「今ここで、あの印を消せる?」

『できぬ』

「お前でも?」

『あれは魔法だけで成り立っておらぬ。法、記録、所有権、本人の身分。それらが一つにつながっておる。印だけ壊せば、契約違反として本人の命を傷つけることもある』

「じゃあ、何もできないのか」

『今のおぬしにはな』

 その言葉は冷たかった。

 だが、嘘ではない。

 結人は魔法で草を浮かせられる。

 水筒を沸騰させられる。

 短剣も持っている。

 だからといって、目の前の列へ飛び込めば全員を救えるわけではない。

 護衛へ取り押さえられる。

 解放された者たちも、身分を失って再び捕まるかもしれない。

 軽い正義感だけで動けば、状況を悪くする。

 分かっている。

 分かっているからこそ、何もできない自分が腹立たしかった。

『忘れる必要はない』

 フィリアが言う。

『じゃが、今ここで己まで捕まるのは、救うこととは違うぞ』

「分かってる」

 結人は、遠ざかっていく列を見送った。

 最後まで、目を逸らさなかった。


◇


 人材斡旋所は、噴水広場のすぐ近くにあった。

 青い屋根。

 銀の秤をかたどった看板。

 受付の女性から聞いた通りの建物だ。

 結人は入口の前で足を止める。

「ここか」

『そのようじゃな』

 大きな窓。

 磨かれた扉。

 中には明るい魔石灯がともっている。

 先ほど見た奴隷の列とは結び付かないほど、清潔で落ち着いた建物だった。

 結人は扉を開く。

 室内には受付台と、客が待つための椅子が並んでいた。

 壁には何枚もの肖像画と、細かな文字が書かれた札が飾られている。

 受付台にいた男が、すぐに立ち上がった。

 整えられた服。

 柔らかな物腰。

 商人らしい、よく作られた笑顔。

「いらっしゃいませ。本日は、どのような人材をお探しでしょうか」

「旅の案内人を探しています」

「期間は?」

「まだ決めていません。文字と地理、それから、この世界の常識を教えられる人がいいです」

「なるほど」

 男は結人の旅人証を確認した。

「登録されたばかりでいらっしゃいますね」

「今日、この街へ来たばかりです」

「それでしたら、単なる道案内よりも、長期契約のできる者がよろしいでしょう」

「長期契約?」

「はい。雇用契約、従者契約、年季契約。ご予算や目的に応じ、いくつかご提案できます」

 男は一冊の帳面を開いた。

 ページには名前らしき文字と、年齢、金額らしき数字が並んでいる。

 結人の胸に、嫌な予感が戻ってきた。

「ここは、人材斡旋所ですよね」

「もちろんです」

「奴隷も扱っている?」

 男は特に隠す様子もなく、笑顔でうなずいた。

「当所は正式な許可を受けた奴隷商館も兼ねております。ご安心ください。違法な仕入れは一切ございません」

 違法でなければいい。

 その言い方に、先ほどと同じ冷たさを感じる。

「奴隷を買うつもりはありません」

「そうおっしゃるお客様も多くいらっしゃいます」

「なら――」

「ただ」

 男は帳面の一か所へ指を置いた。

「旅の知識、複数の言語、読み書き。それらすべてを備え、長期の同行が可能な者となりますと、通常の雇用ではかなり高額になります」

「金ならあります」

『おぬし、言い方に気をつけよ』

 フィリアが小さくささやく。

 男の笑みが、ほんの少し深くなった。

「でしたら、なおさら一度ご覧になってはいかがでしょう」

「話を聞いてました?」

「ええ。だからこそです」

 男は帳面を閉じる。

「ちょうど明日、別の施設へ移る予定の娘がおります」

 結人は黙った。

「年齢は幼いですが、頭のよい娘です。礼儀、読み書き、各地の習慣にも通じております」

 男は奥の扉へ手を向けた。

「旅のお供をお探しでしたら、これ以上ないほど条件に合うかと」

 扉の向こうで、小さく鎖の鳴る音がした。


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