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新約:止まった懐中時計は、神様をひとり隠している  作者: ぽんさん
第三章 目覚めた妖狐はもう一度旅を選ぶ

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第二話 ~旅人たちは帰れない誰かを迎えにいく~

「これ、蜜じゃないんですね」

 結人が尋ねると、焼き菓子を包んでいた女が頷いた。

「果物を煮詰めたものよ。甘いだけじゃなくて、少し酸っぱいの」

「こっちの丸いのも同じですか?」

 アイリスが別の籠を指す。

「そっちは中にも入れてあるわ。焼きたてだから、食べるときは気をつけてね」

 リンの耳が立った。

「中にもあるの」

「そっちにする?」

「うん」

「アイリスは?」

「わたくしも、そちらを食べてみたいです」

 結人が注文を伝えると、女は籠から菓子を取り、紙の上へ並べた。

 店先には屋根が少し張り出しているだけで、客が立てる場所は狭い。後ろを荷車が通るたび、結人たちは店の側へ身を寄せた。

「ごめんなさいね。新しい店なら、もう少しゆっくり選んでもらえるんだけど」

「店、移るの?」

「この通りの先よ。今より広くして、窓の下に腰掛けも置くつもりなの」

 女は通りへ顔を向けた。

「木の枠はもうできてるんだけど、肝心の建物が進まなくてね」

「石が届いてないって、さっき聞きました」

「ああ、知ってるのね。山に魔物が出たらしくて」

 結人は顔を上げた。

「魔物?」

「運ぶ人たちも、あんなものがいる場所へは行けないでしょう。街の方まで来たって話はないけど」

 女は包みの端を折り、結人へ差し出した。

「早く安心して仕事に戻れるといいんだけどね。はい、お待たせ」

「ありがとうございます」

 包みを受け取ると、紙越しにも温かさが伝わってきた。

 店を離れてから、結人は通りの向こうを見た。

 壁に立てかけられた窓枠にも、使われずに積まれた柱にも、それを待っている人がいるらしかった。

 宿へ戻ると、まずフィリアへ菓子を供えた。

 味と香りを受け取った小さな神様が、文字盤の上で満足そうに頷く。

『なるほど。これはもう一つ欲しくなるのう』

「気に入った?」

『うむ』

 結人も供え終えた菓子を口にした。

 表面は軽く歯に触れるが、中はまだ柔らかい。甘さのあとから、果物の酸味が広がった。

「……ほんとだ。もう一個いけそう」

「結人も神様と同じこと言ってるの」

「リンは?」

「もう食べたの」

 見ると、リンの手元には紙しか残っていなかった。

 アイリスが自分の菓子を見て、それからリンを見る。

「熱くありませんでしたか?」

「ちょっと熱かったの」

「そこは気をつけて」

 結人が言うと、リンは空の紙を丁寧に畳んだ。

「次は気をつけるの」

「もう次の話してる」

 部屋に笑いが戻った。

 窓の外では、日が傾くにつれて木槌の音も少なくなっていった。


 ◇


 翌朝、洗った布を干してから、結人たちは組合へ向かった。

 昨日通れなかった道は、まだ板で塞がれている。

 作業場では窓枠を運び直している男がいた。出来上がったものを奥へ詰め、その手前に新しい板を載せる場所を作っている。

 石を積んでいた敷地の方には、誰もいなかった。

 組合の建物へ入ると、何人かの男たちが掲示板の前で話していた。荷運びの仕事を探しているらしい声が聞こえる。

 受付にいた男は、書きかけの紙から顔を上げた。

「仕事を探しに来たのか?」

「先に、人探しのことで聞きたいんですけど」

 結人が答えると、男はペンを置いた。

「どういう人だ」

「土狼族の人たちを見かけたって話、入っていませんか?」

 隣でリンが一歩前へ出た。

「お父さんとお母さんなの。森で一緒に暮らしてた人たちも、探してるの」

 男の視線がリンへ移る。

「どの辺りの森だ?」

 結人は地図を開いた。

 リンと一緒に、辿ってきた道や、群れと離れた辺りのことを説明する。男は途中で幾つか確かめながら、紙へ書き留めていった。

 話を聞き終えると、机の脇にまとめてあった記録にも目を通す。

「今すぐ思い当たる報告はないな」

 リンの耳が、少しだけ下がった。

「そっか」

「ただ、こっちからも訊いておこう。森を通って来る者はいる。話が出たら、知らせられるかもしれん」

「……知ってる人がいたら、教えてほしいの」

「ああ。泊まっているところは?」

 結人が宿を伝えると、男は人探しの紙へ書き足した。

 アイリスも、話を聞いてくれた男の名前を控える。

「お願いします」

 結人が礼を言ったとき、奥の扉が開いた。

「下の見張りから連絡だ。山へ行っていた連絡役が戻った」

 入ってきた組合員の声に、受付の男が顔を向ける。

「小屋の方は?」

「六人残ってる。昨夜までは全員無事だ。二人、歩くのが難しいらしい」

「戻ってきた者は?」

「手当てを受けてる。少し休ませたら話せる」

 受付の男は、別の職員へ短く声をかけた。

 奥で椅子を引く音がする。掲示板の前にいた男たちも、会話をやめてこちらを見ていた。

「……山にまだ人が残っているんですか?」

 結人が尋ねると、受付の男が頷いた。

「作業小屋に六人だ。魔物が道へ出て、下りられなくなっている」

 昨日の店先で聞いた話を思い出す。

 石を運べないだけではなかった。

「呼び戻せてないんですか?」

「最初の報告が来てから、山へ人を入れる仕事は止めた。すでに上にいる者には、連絡して下りてもらっていたんだが」

 男は奥の扉を見た。

「一カ所、間に合わなかった」


 ◇


 詳しい話を聞くため、奥の部屋へ通された。

 しばらくして地図を抱えて入ってきたのは、袖をまくった女の組合員だった。

「マレナよ。最初に山で襲われた調査隊にいたの」

 女は机の上へ地図を広げた。

 川を越えた辺りから、山へ入る道が細く描かれている。その奥には、あとから書き足したらしい社と洞窟の印があった。

「新しく道を通す場所と、石を切り出せる場所を調べていた。古い社の裏に洞窟があって、そこで魔物に襲われたのよ」

「かなりの数がいたって聞きましたけど」

「正確には数えられなかった。洞窟の中だけじゃなくて、外にもいたから」

 マレナは、社を囲んだ線の下へ指を移した。

「残っている人たちの小屋はここ。調査していた場所より手前にある。もともと、この辺りで木を切る人が使っていたものよ」

 結人は小屋から街までの道を目で辿った。

「小屋までどのくらいかかりますか?」

「普通に歩ければ、半日ほど」

 リンが机へ少し身を寄せる。

「帰ろうとすると、魔物が出るの?」

「そう聞いてる。一度は小屋を出たけど、途中で追われて、戻るしかなかったらしいわ。そのときに二人が怪我をした」

「小屋にいればひとまず平気なんですか?」

「少なくとも、連絡役が離れるまでは持ちこたえていた。仕事で泊まり込むための小屋だから、水も食料もある」

 それでも、いつまでも置いておけない。

 マレナは机の端へ、一枚の紙を置いた。

 六人分の名前が並んでいた。

「昨夜、一人だけ連絡のために抜け出せたの。残った六人を連れて帰るには、怪我人を運ぶ者と、その間に周りを見る者が要る」

「討伐の人たちは?」

「依頼は出してる。でも、相手の数も、どこまで出てくるのかも掴めていない」

 マレナは首を振った。

「討伐の準備が整うまで、この人たちを待たせるわけにはいかないでしょう」

 アイリスが紙へ目を落とした。

「こちらの方々は、皆さん、この街にお住まいなのですか?」

「ええ。家も家族もある」

 結人はもう一度地図を見た。

 昨日は、家の土台が途中で止まっていることしか知らなかった。

 その石や木を運んでいた人たちが、帰ってこられずにいる。

「手伝うとしたら、何ができればいいですか?」

 マレナが結人を見た。

「山道を歩けること。自分の荷物を持って動けること。それと、危ないときに指示を聞いて引き返せること」

「魔物を倒せるか、じゃないんですね」

「戦える者も必要よ。でも、今組んでいるのは救出のための隊だから」

 マレナは小屋の印に指を置いた。

「まず、この人たちへ届かないと」

 廊下から名前を呼ぶ声がした。

 マレナは扉へ顔を向け、短く返事をする。

「少し待っていて。戻ってきた連絡役の具合を見てくるわ」

 女が出ていき、扉が閉まった。


 ◇


 しばらく、誰も口を開かなかった。

 結人は机に残された地図を見ていた。

 リンが、街と小屋の間に引かれた線を指で辿る。

「ここ、川なの?」

「そうみたいだね」

「道が分からなくても、川まで出られたら、下りる方は分かるの」

 結人はリンの横顔を見た。

「脚、大丈夫そう?」

「歩くのは平気なの」

 リンは自分の右脚へ目を落とした。

「ずっと走るのは、まだやめとくの。でも、歩いて道を探すのはできると思うの」

「分かった。無理そうなら、途中でも言ってよ」

「うん」

 アカツキが扉へ目を向けてから、低い声で言った。

「周囲の匂いは私も確かめよう。ただ、人を運ぶ道なら、実際の足場を見ておく必要がある」

「一人で通れるのと、怪我した人を連れて通れるのは違うもんな」

 結人が返すと、白銀の狼は頷いた。

 アイリスが六人の名前を見ていた。

「わたくしは、戦うことはできませんけれど……運ぶ物をまとめたり、怪我をした方のお手伝いならできます」

「助かる。向こうの人にも、できることはちゃんと伝えよう」

 結人は皆を見た。

「俺も、大群を全部どうにかできるとは言えない。でも、帰る道を探したり、人を運んだりなら、手を貸せるかもしれない」

『退くと決めたときに、欲を出すでないぞ』

 懐からフィリアの声が届く。

『おぬしらまで戻れなくなっては困るからの』

「うん。まず、戻ってきた人の話を聞く。どこが危ないか分からないまま入る気はないよ」

 リンが地図から手を離した。

「リンも行くの」

 アイリスも頷く。

 アカツキは何も言わず、伏せていた身体を起こした。

 結人は椅子から立った。

「じゃあ、手伝えるか話してみよう」

 扉の向こうで足音が近づく。

 アカツキが口を閉ざし、結人は扉へ向き直った。

 戻ってきたマレナへ、まず参加したいことを伝える。

 結人は、この街までの森をリンが案内してくれたこと、自分も荷物を持って山道を歩けることを話した。リンも脚の状態を隠さず伝えた。

 マレナは最後まで聞き、地図の川沿いを示した。

「まずは、救護の者たちと一緒にここまで来て。山へ入る前に、連絡役の話と現地の様子を確かめる」

「その先は現地を見てからですか?」

「ええ。どの道を使うか、誰がどこまで行くかも、そこで決めるわ。救助が済むまでは、奥の洞窟へは向かわない」

「分かりました」

「出発は昼。食料と水、それから森を歩く支度をして戻ってきて」

 アイリスが時刻と持ち物を書き留めた。

 リンは地図を見つめていたが、やがて顔を上げる。

「この六人、みんな連れて帰るの」

 マレナが頷いた。

「ええ。そのために行く」

 結人は、小屋の印をもう一度確かめた。

 組合の窓からは、屋根の向こうに山が見えていた。

 普通に歩けば半日。

 その距離を帰れずにいる六人の名前を、アイリスが一つずつ紙へ写していた。


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